恒心教の歴史
恒心教の歴史(こうしんきょうのれきし)では、各年ごとに恒心教の歴史について記述する。詳細な歴史については個別記事と恒心年表を参照。
前史
騒動の発端となった2chのなんJ板は元々2009年に野球ch難民が過疎板を乗っ取り、野球実況を中心とした雑談板になったという過去からも伺い知れるように、住民は野球観戦が趣味というその性質から他板の住人に比べ荒い気性を持っていたことで知られていた。また「巨人小笠原スレ」に代表されるネタ文化が存在したことを筆頭に、実在の人物をネタにして遊ぶことに慣れておりそうした行動に対しての躊躇もなかった。こうしたなんJ民の気質・文化がこの騒動を後にここまで大規模な物に昇華させた一因であるとも言われている。しかも多数の学校裏掲示板などを避難所として乗っ取っていた関係で外部侵攻の経験も豊富であった。
2009年当時、2ch各地はまとめブログの悪影響もあって煽り書き込みが増加していたうえ、文化的にも平成世代が成人を迎える時代の中で古臭さが目立ってきていた。そんな中、なんJは現在のようにまとめブログに寄生されておらず人口も今ほどは多くなく、「野球」というネットオタクの主流[1]から外れた趣味を持ち、内輪的なノリで独特の文化を維持・形成していた。2010年頃からは一応野球関連コンテンツでもある真夏の夜の淫夢のブームも追い風となって、なんJは新天地として徐々に有名になっていった。
一方、内輪的なノリを好む環境はコテハンにとって居心地のよい環境であり、なんJでは多くの糞コテが活動していた。その中でも、騒動の元凶となったなんJの糞コテ「八神太一」は3年間に渡り煽り投稿や自分語りスレの乱立を繰り返してたことから当時のなんJ民からは数多の糞コテの中でも別格で嫌われていた。
八神特定の少し前である2012年1月に炎上した篠田健太郎はTwitterやGoogle+などの情報から特定されており[2]、この時点で現在でも主流であるネット上にあるパズルのピースを頼りに個人情報を特定する手法が確立されていた。
そして、プロ野球シーズン開幕が近づき住民が活気づき始めた状況で3月7日を迎えることとなる。
2012年
八神太一特定
3月7日、前日から一部なんJ民やなんJコテアワーなどから猛烈に煽られていた八神太一が大学の合格通知書をアップ。これをきっかけに進学先(国士舘大学)、母校(千葉経済)、mixiアカウントが明らかになり、ここから本名(長谷川亮太)等々が特定される。一切謝罪せず脅迫して鎮火しようとした挙句に自演に失敗する、ログ速(疑惑住所等の個人情報が書かれたスレや元カノとの初体験記スレ等)で削除依頼を行う、なんJWikiを閉鎖に追い込んでなんJ民全体を激怒させるなど、あらゆる初期鎮火行動も悉く裏目に出たことで失敗し、ますます炎上は拡大していった(八神太一特定騒動)。
過去の自分語りから発掘された未成年飲酒疑惑による大学進学取り消しを恐れたのか[3]、長谷川亮太は当時アイオス五反田駅前にあった恒心綜合法律事務所の弁護士唐澤貴洋を雇い、誹謗中傷者のIPアドレス開示を行うことで再度炎上の鎮火を試みた。
唐澤貴洋降臨
そして3月28日に唐澤貴洋は長谷川亮太関係の誹謗中傷レスに対し開示請求を実行(平成24年(ヨ)第1035号)、このなんJ史上初めての事態にこれまで長谷川亮太をネタにしてきたものたちは驚愕した。VIP住民の乱入により2ちゃんねる2012年4月大規模規制も発生、2ch全土を巻き込んだ騒動となる。
だが唐澤貴洋は当初こそ恐れられていたものの、IP開示による個人特定という手法はかなり面倒であり、賠償金も少ない、そもそも唐澤貴洋が賠償金請求裁判をやっているのかが怪しいということが判明する。それに、一般的な家庭の長谷川家になんJ中の書き込みを告訴するほどの財力があるはずもなかった。
さらに唐澤貴洋はカンマが統一できていない、というか全体的に日本語が変、宣伝ブログを乱立する、ITに強い弁護士を自称しているのに2chでスレを立てる方法を知らない、なんJを監視していることがバレる(アイドル大量フォロー事件)などツッコミどころが多く次第にネタにされるようになってしまう。
唐澤貴洋炎上
それでもまだ弁護士までネタにするのはやりすぎ、ということで炎上の中心はあくまで長谷川亮太であり、唐澤貴洋はサブキャラに過ぎず、いずれ忘れ去られるであろう存在だった。唐澤貴洋の手腕が頼りないと言っても、あくまで「頼りない弁護士を雇った長谷川亮太」が笑われていたのであり、それどころか「長谷川亮太の弁護なんて可哀想」などと、同情的な見方が多かった。
にも関わらず、騒動の焦点が長谷川亮太から弁護士の方に当たるようになったのは、その原因は結局、唐澤貴洋が自分で局面を動かしてしまったからに他ならない。
第一のきっかけは、「遊戯王カードジェネレーター騒動」である。4月19日、唐澤貴洋がなんJ内で話題になっていたサイト「遊戯王カードジェネレーター」に投稿された唐澤ネタの遊戯王風カードを、管理人JEXに圧力をかけて削除させたことが発覚し、不穏なムードが漂い始める。JEXは、カード削除は実施しつつその裏で唐澤貴洋を徹底的にコケにしたお知らせを掲示し、サジェスト汚染の技術を解説する[4]などしてなんJ民を扇動し始めた。
また唐澤貴洋は、唐澤貴洋カードと一緒に投稿されていた長谷川亮太を中傷するカードには削除要求をしなかったことから、依頼人を見捨てて自分のカードだけ圧力をかけて削除している悪徳弁護士、と批判された。この一件は、初めて長谷川の件とは関係無いところで弁護士が動いたことで、弁護士個人の挙動に焦点が当たる機会をわざわざ作ってしまった。
カード削除を契機に、唐澤側のネタは増える一方であり4月23日には弁護士小倉秀夫が唐澤貴洋を馬鹿にしたツイート「宣伝しか呟かない法律事務所というのも凄いなあ。」が発掘されてしまう。
第二のきっかけは、7年前開示事件である。4月24日、唐澤貴洋はある学生から依頼を受けて開示請求を行ったのだが、その対象のスレは(2012年当時から数えて7年昔の)2005年のものであり、2chの場合IPアドレスログは破棄されてしまっていて当然のものであった。
もし仮にIPアドレスが残っていたとしても、プロバイダにも保管期限があり7年前のログなど無いため、裁判に持ち込むことはほぼ不可能である[5]。それはネット業務を行う弁護士なら知っていて当然の知識であった。にも関わらず開示請求を引き受けたことで、この瞬間、無能派から悪徳派が増えた。
もちろん、ログが無いことを知りながら開示請求を請け負う詐欺~云々は正確ではないだろう。だがこれまでに積み重なっていた諸々の不信感が災いして、「7年前のログなんて存在しないのに開示請求して金をまきあげる悪徳弁護士」と言う印象が深く根付いて本格的に炎上。なんJ民は唐澤貴洋に対しても誹謗中傷を行うようになってしまった[6]。
無差別開示
ここに至っても、なんJ全体としては流行り廃りがある「野球と関係の無いネタ」の一つでしかなく、巨大ななんJ全体で見れば騒動は一部でしかなかったが、唐澤貴洋はさらなる燃料を投下する。長谷川亮太そっちのけで自身に対する中傷に対しIP開示攻勢を開始したのである(無差別開示)。
唐澤貴洋はなんJを監視し、少し唐澤貴洋に触れた程度のレスに対しても開示請求を乱発。無差別大量開示は5月から6月にかけて3回に及んだ。これによって、唐澤貴洋は完全になんJ全体のネタとなってしまった。
3月のIP開示を経験し実害がまるでない[7]ことを知り、開示を恐れなくなっていたなんJ民にとって、この大量開示は火に油を注いだだけに過ぎなかった。なんJは唐澤貴洋による開示を狙うものたちによる誹謗中傷やネタ投稿、サジェスト汚染で溢れ、騒ぎは鎮火どころかさらに燃え広がっていき、なんJ民は「どの程度の誹謗中傷なら開示されないのか」という滅茶苦茶なチキンレースで遊び始めるようになる。いつしか長谷川亮太よりも唐澤貴洋への誹謗中傷が激増、定着していくこととなっていった。その結果、時間が解決していたはずの長谷川亮太炎上騒動は最悪の結果を招くこととなる。
この両者の炎上騒動は後にハセカラ騒動、チンパカ騒動などと名付けられ、今日まで燃え続けている。一匿名掲示板の中だけには収まらない、多数の現実社会の人間と組織を巻き込んだ、長く壮大な炎上の幕が開けたのである。
前恒心時代の文化
この無差別開示を経て唐澤貴洋ネタはなんJに定着、「弁護士スレ」「唐澤スレ」などと呼ばれる文化が興った。
唐澤貴洋は無差別開示も大崎警察署による開示も敗北に終わった6月以降、翌2013年7月までまったくといっていいほど動きを見せなくなり、当時のスレは二次創作で食いつなぐことになった。当時すでにロリコン、脱糞、弟殺し、用水路、核兵器保有など今日につながる様々な二次創作・設定が誕生している。唐澤貴洋が顔写真のかわりにふざけたイラストを掲載していたことも唐澤貴洋の偶像化・神格化・非実在弁護士化に拍車をかけた。
また開示を拒否したヤーマンや、独特の誹謗中傷スタイルで有名となった島根君、初の殺害予告(神聖六文字)を投稿したdion君、殺害予告大量投稿を繰り返した沖縄君、削除要請板住民からはっきりいって今のなんJは異常だと言わしめた>>204などのチキンレーサーも文化の形成に大きな影響を与えた。
上述の「遊戯王カードジェネレーター」に唐澤貴洋を馬鹿にした作品が多数投稿されたことで、ここに最初の芸術路線が誕生した。10月には自動作曲システム「Orpheus」がブームとなり、これを利用してパカソンと呼ばれる唐澤貴洋や長谷川亮太を誹謗中傷する曲が大量に作成されるようになった。Orpheus開発チームの嵯峨山茂樹教授は不穏すぎる楽曲は削除していたものの、一方で技術やセンスを認めた上で隔離しその中で作成を黙認する方針を取ったためパカソンは大量に作成され、誹謗中傷の域を越えたクオリティーに成長し芸術路線を支えた。パカソンは大犯罪者デグニキらによってニコニコ動画に転載され布教に効果をあげた。
事実追求路線も発展し、9月26日には住所でポン!により唐澤貴洋の父唐澤洋の家であり唐澤貴洋の実家とされる田園調布サティアンが、10月19日にはその唐澤洋の顔写真が特定された。長谷川亮太サイドでは3月15日になんJ民朝倉恭介によって長谷川亮太の顔写真が開示され、実家も自分語りをもとに千葉県松戸市六高台2-78-3(ちばけんま)と推定された。ちばけんまは2013年4月7日に長谷川亮太の元同級生佐伯星香がtwitterで事実であることを証言したため確定することとなる。
恒心教の成立
そして、この文化にはコンテンツとしての新しい名前が与えられた。それが「恒心教」である。
恒心教の始まりは無差別開示と同時期に起きていたなんJでのオウムネタブームが関与している。当時、「NHKスペシャル 未解決事件 File.02 オウム真理教」(5月26日放送)をきっかけとしてなんJではオウム真理教・麻原彰晃ネタが流行しており、当時は唐澤貴洋に対するサジェスト汚染が活発であったことから汚染ワードとして多く用いられた。これが唐澤貴洋ネタと融合し「尊師」が唐澤貴洋の愛称として定着、そして「尊師」の愛称と共に「恒心教」という単語も誕生したとみられる。
ただし、単語自体は7月には確認されているものの定着はそれよりも後と見られ判然としない。カラケーにおいては3代目カラケーの頃には定着しているがなんJではそれより遅く、完全な定着は翌2013年の300万騒動を待つと思われる。
2013年
カラケーの発展
2012年10月には既に2ch風掲示板大手のしたらば掲示板を利用して初の唐澤貴洋掲示板(カラケー)である初代カラケーが開設されていたが、当時はなんJで十分であったため人口は少なかった。2代目カラケーは2013年3月10日の唐澤貴洋の中学の卒アルが投稿され話題になったが管理人の対応の不手際で閉鎖するなど、カラケーの存在感はまだ薄かった。
しかし、当時2chでは規制が激化しつつあった(2ちゃんねる2013年大規模規制)。4月からはちばけんまを書き込んだだけで規制されるようになり、なんJからの難民が3代目カラケーに殺到し人口が大幅に増加した。
3代目管理人は芸術路線を中心とした当時の恒心教の振興に務め、カラケーが恒心教の一拠点として認識され始めた。また一方でこれはなんJ民と教徒の分離の始まりでもあった。6月には第一次・第二次飴戦争が勃発し、外部侵攻の技術が磨かれた。長谷川亮太の親戚の蕎麦屋・越後屋が見事に特定されたのもこの頃である。
3代目管理人はニコニコ動画のアカウント(佐々木小魔神)が特定されたことをきっかけに、氏名や大まかな住所が判明し7月2日に掲示板を閉鎖。この際に「唐澤貴洋から抗議された」と真偽不明の発言を行い、これを閉鎖の理由とした。
3代目管理人の「唐澤貴洋から抗議された」という発言のため、教徒は日本からの手が及びにくい海外サーバーに掲示板を開設することを計画し、7月6日にハンガリーサーバーを利用した「ハンガリー要塞」を開設した。だが、管理人が海外移住の意味を理解せず日本警察のIP開示に応じてしまい、批判される中7月13日に閉鎖し初の海外要塞路線は短命に終わった。
第1次聖遷と300万騒動
7月1日、事務所をアイオス五反田駅前からピュア虎ノ門に移転した(聖遷)。そして7月31日、事務所のfacebookアカウント上でdion君など殺害予告民を告訴し300万を請求していることを突如報告、翌日の8月1日に教徒がこの書き込みを発見し300万騒動が勃発する。
もはや行動を起こすこともないと思われた唐澤貴洋のこの動きに対し、なんJ民・教徒は大きく動揺した。これまでの誹謗中傷に対する告訴の可能性が真剣に議論され、唐澤貴洋は「五反田の神」から一転し「虎ノ門の悪魔」として恐れられた。
さらに、なんJのライバル的存在である2ch嫌儲板の住民がこれに歓喜、唐澤貴洋に加勢してカラケーに侵入しメインカラケーが相次いで自主閉鎖するなど情勢は緊迫した。唐澤貴洋は嫌儲民を「心ある方々」と呼んで讃えた[8]。
だがdion君以降告訴されたとの情報も無く、やがて口だけの脅しではないかとの見方が強まった。その後8月26日に2ちゃんねる個人情報流出事件が発生すると、自身のクレジットカード情報が流出したことにキレたのか唐澤貴洋の矛先は西村博之ら2ch運営に向かいはじめ、300万騒動の方は収束に向かった[9]。
恒心を引き出す
300万騒動も終わり、教徒に落ち着きが戻った。一方の唐澤貴洋は嫌儲民に持ち上げられたためか調子にのってしまい、おかしな文章を投稿するようになっていた(尊師語録、唐澤貴洋の発言一覧/Facebookを参照)。唐澤貴洋のfacebookは「faithbook」と呼ばれ崇拝対象となった。
教徒は連日の恒心(更新)に熱狂し、なんJや当時のメインカラケーであるカラザイル掲示板は大きく賑わった。やがて恒心を待ちきれない教徒たちの間で唐澤貴洋から恒心を引き出そうという動きが発生し、「唐澤貴洋が猥褻動画を見た」などというデマを流したところ本人が大激怒、10月16日のPlays Now騒動に結びついた。
また、2012年に教徒に誘導され唐澤貴洋に開示を依頼したうしじまいい肉の事例が応用され、重光由美が教徒に誘導されて唐澤貴洋に開示を依頼、唐澤貴洋の雑仕事の犠牲者となる形で恒心を引き出した。
12月1日には大分君の殉教により、騒動初となるテレビ報道が行われた。
他にも尊師ール路線が開拓され、名古屋教徒らによって各地にシールが貼られるなど地道な努力が行われた。
恒心不足と批判要望板
しかし、教徒の力で引き出すことにも限界があった。唐澤貴洋はエクシード大泉在住疑惑に対する恒心を行った11月23日をもってfaithbook恒心を停止しており、恒心中毒となっていた教徒は恒心不足にあえいでいた。また、これに乗じて2013年末から2014年初にかけ偽台帳事件や唐澤貴洋の祖父河野一英の死亡デマ、偽車内広告事件といったコラ画像による釣りが相次いだ。
追い打ちをかけるように10月には特定コミュニティを原因[10]としてOrpheusが一時休止を発表し、パカソンの新規作成が不可能となっていたため芸術路線も衰退しつつあった。
恒心不足に喘ぐ教徒は外部に活路を求めた。12月19日にパカ弁富田寛之が話題となると、パカ弁の開示要請スレの拠点となっていた批判要望板に教徒が遠征、立川土人(ドコモユーザー)をはじめとする批判要望板住民と共闘してパカ弁煽りがブームとなった。また、当時JEXが公開していたサジェスト汚染超兵器102chの実験台としてパカ弁や依頼人のサジェストが汚染された。
パカ弁には唐澤貴洋には及ばずとも濃いキャラの人物が多く、恒心不足をある程度補った。
2014年
片平騒動
教徒では布教の一環として、ちばけんまの住所などハセカラネタを仕込んだ画像を流通させまとめブログなどに転載させようとする工作を行っていた(統一画像路線)。しかしまとめブログ側も気付いていたようでなかなか成功していなかった。そのため、改良型である偽装gif画像[11]が作成され、ついに2月7日、「ポケモンまとめ速報」がこの画像にひっかかり転載してしまい話題となった。
布教の成功に喜ぶ教徒あったが、Whoisからポケモンまとめ速報の運営者片平亘が特定されたことで事態は一変する。これをきっかけとしてWhoisからまとめブログの運営者を特定できる可能性があることが発覚、その話は直ちになんJや嫌儲に伝わり、まとめブログ・アフィブログ潰しを目的とした大騒動に発展したのである(片平騒動)。
当初は片平亘を唐澤貴洋に謝罪させようなどといって楽しんでいた教徒であったが、ブログ潰しという意図せぬ目的が加わったことや、この騒動経由でカラケーにやってきた「お客さん」が増えたことで混乱が生じた。結局2月19日にJimによる2chクーデターが発生し話題が移ったため騒動は尻すぼみに終わった。
さらに問題となったのが、この騒動で恒心教の知名度が変にあがったことで「恒心教=炎上屋」との認識が広まったことである。これによって教徒を利用して自分の嫌いな相手を潰させようとする「炎上依頼」が多発し、従来からの教徒はお客さんや新参(新芋)の排除を唱えるようになっていった。
閉鎖主義
前述の片平騒動等もあって、2013年後半から2014年前半にかけて恒心教徒の間では閉鎖主義が流行していた。そして4月10日にカラザイルが強制閉鎖されると、閉鎖主義を徹底したカラケーである唐澤ちゃんねるへの移住が行われた。唐澤ちゃんねるはトップページを偽装したうえにブラクラを設置して2chブラウザ専用とし、さらにURLを広めることも忌避された。
閉鎖主義によって表立った活動が困難となったため、半分売名を目的としつつ教徒として活動していた人物である月永皓瑛が教徒に代わり「ラジコン」としてけんま配信などを行っていた。ピュア虎ノ門前で警察20人との大立ち回りを演じたことは有名だが、独断行動が多いため「壊れたラジコン」の異名も持った。
唐澤貴洋に殺害予告を行った福嶋誠也が逮捕され、第一次玉音放送が成されたのは閉鎖主義真っ盛りの5月8日のことであった。今日では殉教者として評価されている福嶋誠也も、閉鎖主義の当時においては恒心教を目立たせたとして悪いイメージで捉えられていた。
一方、口伝と新参排除が主流であった当時としては異例の試みとなる初代唐澤貴洋wikiが3月27日に設立された。
ウバケー乗っ取り
閉鎖主義路線を貫いてきた唐澤ちゃんねるであるが、トップページ偽装がいけなかったのかしたらば運営に目を付けられ再建してもすぐ強制閉鎖されてしまうようになり、7月1日に掲示板継続を断念。教徒はなんJなどに離散してしまった。
しかし事件は起きるのだ。その頃時を同じくして、音楽グループ「UVERworld」の京セラドーム破壊未遂事件をきっかけとしたなんJ民と2ch邦楽グループ板のUVERworldスレ住民との抗争が激化。7月10日、UVERworldスレの避難所である「UVERworld BBS」に「荒らし対策のエキスパート」を名乗って侵入した恒心教徒の「副副管理人」は、無知な主管理人を騙しパスワードを奪い乗っ取り、カラケーにすることに成功してしまう(ウバケー乗っ取り事件)。
なんJにこのことが伝わると教徒は再び集結し、メインカラケー問題は一応解決することができた。それと同時に、この騒動と一緒に掲示板のURLがなんJで広まったことや、副副管理人が閉鎖主義をとらないことを宣言したことによって、2月以降続いてきた閉鎖主義は退潮に向かった。
空は何色か
4月26日、2012年にアイドル大量フォローを指摘されてからずっと鍵がかけられていた恒心綜合法律事務所のtwitterアカウントの鍵が突如外され、「身が震える」などというツイートが投稿された。また5月24日には唐澤貴洋に対しても殺害予告を行ったPC遠隔操作事件の犯人片山祐輔に宛てた唐澤貴洋渾身のポエム「空は何色か」が投稿され教徒の爆笑を誘った。
6月4日には「世界の終わりも大好きです!」という意味不明なツイートのために、前述のUVERworldスレに先駆けて2ch邦楽グループ板のSEKAI NO OWARIスレが教徒に荒らされた。
だがその後唐澤貴洋がツイートを行うことはなかった。何故唐突にtwitterを恒心しようと思ったのか、そして何故止めたのか、その理由は一切不明である。
チンフェのターン
唐澤貴洋は「世界の終わりも大好きです!」以降また活動が低下し、DIOジャパンなどの顧問弁護士に就任したことが発覚した程度で殆ど恒心が無くなる。
一方で長谷川亮太はキッズライク騒動でサークルが判明したり、自分語りマットがマツドマッドマットマンに盗難される、けんまくんが話題になる、長谷川亮太アンチの動画ニキによる長谷川亮太批判動画が多数再生される、そして極めつけは11月7日のウンフェ画像の投下など比較的恵まれた。12月1日には長谷川亮太の炎上1000日を記念して千日祭が開催された。
カラッキング路線の開始
2013年頃から、Torが使用できたT-唐澤掲示板などの無法地帯系カラケーに0chiakiに代表されるハッカーが屯すようになり、恒心教の犯罪性が強くなり始めていた。
1月に日本ダウン症協会広島支部ブログ改竄事件が起きたことを皮切りに次々と教徒によるクラッキングが行われ、これら教徒によるクラッキングは唐澤貴洋とかけて「カラッキング」と名付けられた。3月9日の@Wikiパスワード再発行ページ改竄事件や、12月の0chiakiによるカランサムウェア事件は恒心の外でも大きな話題となった。さらに0chiakiもカラケー(後の恒心教サイバー部掲示板)を開設しハッカーを呼び込んだ。
またカラッキングと言う程ではないが11月のモンストまとめ殺害予告事件は教徒にソーシャルゲーム(意味深)の楽しさを伝えた。
2015年
オウム事件20周年
2014年11月17日に副副管理人は氏名を特定され圧力かけられたとして突如ウバケーを閉鎖し、麻原彰晃掲示板(アサケー)への移住が行われた。そしてオウム真理教事件20周年となる2015年を迎え、2月の連続カラッキング、法律事務所クロス設立と山岡裕明の登場など大きな出来事が相次いで発生するようになる。このアサケー時代は恒心教の歴史の中でも黄金時代と評されており、2015年の恒心教は麻原彰晃とともに激動の中へ進みつつあった。
MMD路線と芸術路線の再建
1月、Altailが尊師の3DCGモデルを公開し尊師MMD路線が開拓され、Orpheusの閉鎖以来停滞気味であった芸術路線が活発化した。Altailはじめ教徒は工作の放置が問題となっていたニコニコ動画のMMD杯(第14回MMD杯)に参戦、工作員ダブルぬるぽを味方につけて大勝利を果たした。奇しくも尊師MMD勢の大勝利が確定した閉会式は3月7日に行われた。
これにより恒心教はニコニコ動画をはじめ広く知られるようになり、特に文化的に近い例のアレ民を取り込んで恒心教バブルが発生した。また、MMD杯の結果に不満をもち恒心教を攻撃したオメガこと小関直哉や涼子Pの名前でネカマをやっていた森園祐一などが特定され、彼らは外伝主人公という新しいジャンルを生み出した。小関直哉はyahooアカウントを乗っ取るという半分犯罪の大胆なやり方で、森園祐一は地道な検証で特定されいずれも教徒の特定技術を見せつけた。
だがこのような形での急激な知名度の上昇は再び「恒心教=炎上屋」という認識を広め、昨年の片平騒動の構図を蘇らせることにもなったのである。
twitter路線の急拡大
2012年には既に最初のtwitter路線ともいえる指原デマツイ騒動が発生し、長谷川亮太の高画質卒アル開示につながった。その後2013年にはニッセ路線が誕生、2014年にはAKB48握手会傷害事件の犯人が唐澤貴洋であるなどというデマを流すことに成功した。だが恒心教は匿名性を重視していたためSNS布教はかなり控えられており、閉鎖主義時代にはSNSでの布教を認めない方向に向かった[12]。
しかし2015年に入ってから、動画ニキが「twitterで国士舘生に絡んで長谷川亮太を探す」というウンフェ軍団路線を提唱したことや、MMD杯で知名度があがったことで例のアレなど外部からの流入が増えたことにより、twitterの教徒は急増した。
twitter路線は法廷画風イラストデマ拡散など布教に大きな効果を見せた一方で、炎上依頼や自己顕示・承認欲求(→心のチンフェ)を目的とする臭芋と呼ばれるものたちが急増したことは路線自体に対する批判を招いた。また艦これワンドロ騒動・同人作家連続炎上騒動は教徒側の勝利でおわったものの炎上依頼ではないかとの批判を呼び、「布教」という言葉が独り歩きしていることを浮き彫りにした。
googleマップ騒動
4月にgoogleマップの地名登録機能がほぼ無審査であることが発覚、これを利用して教徒はハセカラやオウム真理教関連の地名をちばけんまを筆頭に全世界各地に登録していく。これが「皇居や警視庁にサティアンがある」などとして話題になっていくと、これまた奇しくも長谷川亮太の誕生日である4月20日、些細ないたずらは大ニュースに発展し恒心教の名前と共にメディアで一斉報道された。恒心教に強いジャーナリストの三上洋は恒心教を解説して「いたずらのグループ」と呼んだ。
このいたずらに対し12月1日に3人(爆弾三勇士)が書類送検され、第三次玉音放送に繋がった。また、弁護士会の岡正晶から「弁護士制度に対する重大な挑戦」との声明が出された。
なんJとの対立
これまで恒心教は淫夢などと並びなんJ公認コンテンツといえるようなポジションにすらあったが、一方でそれを疎ましく思うものたちも存在していた。そしてその対立は前述のMMD杯以降の恒心教の急拡大やtwitter路線の問題によって顕在化し始めていた。
6月30日、対立は急速にエスカレートする。きっかけとなったのは、けんま民の陸自ニキが主催した「よるけんま実況」である。これはいわば「ちばけんまオフ」で、教徒が馴れ合いつつ長谷川家に尊師ールを貼るなどのいたずらをしていたことに対し批判意見が噴出、包皮民(恒心教アンチ)も「シール、ペタッ!w」などと便乗しスパム煽りを行い状況は混沌とした。
さらに、時を同じくして0chiakiが逮捕されたことが追い打ちをかけた。0chiakiはTwitterスパム乗っ取りによって大量の殺害予告を投稿させ3月17日に第二次玉音放送を引き出すなど積極的に活動していた。しかし6月に急に消息が途絶え、よるけんま実況の翌日となる7月1日に逮捕が報道された。0chiakiを殉教者として讃える教徒に対してなんJでは0chiaki叩きの動きが起き、対立は決定的なものとなった。既に教徒≒なんJ民という構図は崩れていたが、これ以降、分離がさらに進んでいった。
顔開示とけんまブーム
これまでネット上のものが大半であったいたずらは、恒心教の勢いにのって現実世界にも向かい始めていた。
第14回MMD杯の閉会式が行われたのと同じ日の3月7日、唐澤貴洋のご尊顔開示事件が発生した。これにより長年の謎であった唐澤貴洋の顔が判明すると唐澤貴洋の撮影を目指す動きが発生、6月に唐澤貴洋と山岡裕明が虎ノ門路上で撮影される、7月には前述の陸自ニキが眼鏡尊師の撮影に成功するなど大いに盛り上がった。
そして2783の日=平成27年8月3日、恒心系アフィブログナリ速の管理人茂みがピュアけんま配信中に警察に捕まる事件が起きる。これがチキンレーサーの心に火をつけ、けんま配信をして職務質問されようとするものたち、スリルを味わいたいものたちが次々とけんまを行いはじめけんまブームが発生した。
2月のピュア虎ノ門にトラップが設置されたカッターナイフ表彰状事件や、7月の長谷川家の表札がいたずらされた表札、ペタッ!w事件をきっかけとして実害路線が定着しつつあったため、ピュア虎ノ門やちばけんま、長谷川家の親戚が所有するフェイヴァリットハウス1や、長谷川家の車(マンチ、青シュヴィッツ)に対する過激ないたずらが日常茶飯事となった。
警備体制が厳しくなったことで、「ラジコン路線[13]」という一般人をラジコンのように誘導してけんまさせる路線も発展した。ラジコンとされたのは嘘に騙されやすい統合失調症患者(甘芋)や、性欲を満たす為ならばなんでもやる出会い厨などであった[14]。初の甘芋ラジコンとなった安達真はその「ゴリホーモ」などの言動の面白さから外伝主人公としてひとつのコンテンツを築いた。
けんま配信と安藤良太の登場
特にこのブームで人気となったのはツイキャスやニコニコ生放送を利用した「けんま配信」で、唐澤洋の撮影に成功したparanoidなど多くの配信主が登場した。
その中でも、配信者ださいたまの登場は大きな衝撃を与えた。ドローンとプリウスを操り神出鬼没、職務質問に食ってかかる、長谷川亮太の父長谷川満孝の車にGPSロガーを仕掛ける(愛寿物流事件)などその行動力は当初から驚かれた。
実はこの人物は、5月に自身の行った殺害予告を唐澤貴洋に開示請求されたことで既に話題になっていた安藤良太その人であった。彼は交通事故で両親を失い、賠償金と資産運用で大量の資金を保有していたのである。そして翌年、彼は恒心教と社会にさらに大きな衝撃を与えることになる。
内紛の激化とアサケーの閉鎖
恒心教界隈は2015年後半も賑わいを見せ続けていたものの、それもやがて終わりを迎えようとしていた。
新路線の拡大と教徒の急増は、やがて負の側面が大きくなりつつあった。twitter路線での臭芋の狼藉をはじめ、MMD路線をきっかけとした芸術路線の諸問題[15]、けんま路線における過激ないたずら、加藤力などの自己顕示欲の強い教徒の出現、急増したけんま配信主同士での対立といった様々な問題が論争を生み、教徒間での内紛を招いていたのである。これら荒れやすい話題はウツケーへの隔離が推奨されていたものの、炎上の拡大によって隔離政策も限界を迎えていた。
2015年8月には、教徒間の馴れ合い集団と化していたコミケ路線の運営グループ事務所一派への批判をきっかけとした内紛事務所騒動が発生し、2016年まで続いた最大のものになった。安藤良太も事務所一派に協力したとの批判で炎上、一時評価が失墜した。
アサケーはこれら内部対立や荒らしの影響を受け荒廃し、それは住民の良心に期待して不介入主義をとっていた管理者サンラクシャカにとって手に余るものとなっていた。11月17日のメインカラケー就任1年という節目にサンラクシャカは閉鎖[16]を決定し、麻原彰晃の名の下に歩んだ2015年は終わりを迎えた。
2016年
事務所騒動終結
昨年来続いていた事務所騒動は、最終的に2015年12月のC89強行出展への批判、安藤良太による事務所一派首魁藤原太一の住所氏名リークが決定打となり、2016年1月~2月にかけて事務所一派が次々とネットから姿を消したことで概ねこの騒動は決着した。
事務所一派の壊滅に喜ぶ教徒であったが、一方で芸術路線期待の星であったけんまPが事務所一派の一員として糾弾されたこと、コミケ路線が全否定されたこと、ウツケーを中心として一部の芸術路線民に対するアンチ活動が勢い付いたことは芸術路線に動揺を与え、これ以降先細りを見せていく。
なお、事務所騒動と同時期に男性アイドルグループ「アルスマグナ」が前述のけんまP作曲のパカソンを無断使用したアルスマグナ騒動が起きていたが、けんまPがネットから消えたため有耶無耶に終わっている(後にけんまPがアルスマグナの所属事務所から100万円程を脅し取ったことが発覚)。
漫画「殺人鬼弁護士」や「漫画版高速バス脱糞」で知られる絵芋虐殺初心も事務所一派を擁護する自演行動が発覚し炎上、騒動の渦中に本垢が特定され消え去ることとなる。後年になると虐殺初心が2016年7月に突如活動を停止した恒心史管理人と同一人物である疑惑が浮上し、再び騒動となった。
また事務所一派にかわってコミケ路線を継続しようとした当時女子中学生のガバ隊長(小林和奏)が売春疑惑で炎上する騒動も起きている。
爆破予告路線
昨年の炎上以降行動が少なくなっていた安藤良太であったが、2月に一世一代の勝負にうって出る。安藤良太は全国47以上の自治体に唐澤貴洋や長谷川亮太名義で爆破予告メールを送りつけ、47万人に影響が及ぶ大事件を引き起こしたのである(同時爆破予告事件)。
安藤良太は別件で逮捕されたが、Torを使えば足がつかない手軽さと影響力の大きさによって教徒以外にも模倣犯が大量に発生、全国的な社会問題となった。そして彼らのこの行動が10月にさらなる大恒心を引き寄せることを、この時はまだ誰も知らなかった。
第2次聖遷
法律事務所クロスは2月1日にオランダヒルズ森タワーRoP(オラヒ、オラ森)に聖遷。3月7日には山本祥平が入所した。
オラヒは警備体制が厳重で侵入不可能の要塞かと思われたが、2月6日に教徒が侵入に成功、その後も続々と侵入成功報告があり、実はかなりガバガバでむしろピュア虎ノ門よりも唐澤貴洋に近づけるという有様であることが判明した。
原理主義の再興
事務所騒動の終結、したらば運営によるメインカラケーの連続ポアで[17]、アサケーからの惰性で続いてきた恒心教バブルは終焉を迎えた。
外部への布教を拡大した結果混乱を招いた2015年の反省からか、2016年には長谷川亮太・唐澤貴洋が中心であることを強調する原理主義[18]の傾向を強めた。
特に5月31日のサヒケーへの移住は原理主義の流れを決定付けた。サヒケーはハンガリー要塞以来念願の海外要塞メインカラケーであり、危うい書き込みをしても開示されないためアングラ傾向の強い原理主義にはもってこいの場所だったのである。
原理主義においては事実追求路線が重視され多くの成果があり、唐澤貴洋・山岡裕明の誕生日開示、河野家の墓地開示による唐澤厚史の実在確認、唐澤貴洋の元同僚小西一郎失踪の追求などが成し遂げられた。また事実追求路線と合わせて実害も重視され、墓が汚損されたり、オラヒの事務所のドアに落書きするなど過激ないたずらが行われた。
一方、DDoS攻撃を受けたり、12月3日にサヒケーと唐澤貴洋wikiの両方を管理していた管理人であるメガ雷龍が特定され掲示板とwikiを閉鎖するなど、自前サーバーならではの問題も起きた。
長谷川亮太の失踪と対策
2016年、長谷川亮太路線は危機を迎えた。長谷川亮太は小学校時代の長谷川亮太まとめが開示されたりピンフェやデンフェなどいくつか目撃例が報告されたりしたものの、ちばけんまやフェイバリットハウスなどおなじみの場所では確認されず行方不明となっていた。4月8日に長谷川亮太の卒業論文が発掘され国士舘大学卒業が判明しいよいよ捜索は困難となった。
このため、長谷川のターンと唐澤のターンの交代によって炎上を維持してきたターン制は危機を迎えた。長谷川のターンの代用として外伝主人公が投入され、昨年から引き続き登場の安達真、そして新たに発掘された出会い厨×知的障害という奇跡のラジコン鈴木康史や、統合失調症患者の岩間好一が期待された。だが安達真、鈴木康史は期待に沿う活躍をみせたもののしばらくして活動を停止、岩間好一は例のアレ界隈に輸出して8月に大人気とはなったものの恒心教のコンテンツにはならなかった[19]。また、ハセカラ両名との関係が希薄な外伝主人公重視は原理主義と相性が悪いものでもあった。
しかしそこにネギを持った鴨が現れた。唐澤貴洋の依頼人のひとり、高橋嘉之である。当初は忘れられていた存在だったが、9月頃よりサヒケーや当wikiに対し怒涛の荒らし活動を始め、2010年代後半恒心教の影の主役となっていく。
唐澤貴洋の活発化とお気持ち表明
対して、唐澤貴洋サイドは聖遷をはじめ活発な動きをみせ始めていた。5月のjpnumber編集合戦とサイモントン療法協会訴訟記録開示で唐澤貴洋のカラケー・wiki監視疑惑が発覚、6月10日には唐澤貴洋との法廷オフが開催された[20]。
そして10月、出所した0chiakiが玉音放送があることをリークする。いつものように音声だけだろうと思っていた教徒の予想は良い意味で裏切られ、10月21日、唐澤貴洋はNHK「ニュースウォッチ9」において初となる顔出し出演を行ったのであった。映像では、爆破予告路線と安藤良太をメインテーマとし7月の墓汚損にも触れられ、教徒の行動が結びついた瞬間となった。この映像は「お気持ち表明」と呼ばれ、勢い低下に悩んでいた教徒を奮起させた[21]。
さらに11月は情報ネットワーク法学会や山梨学院大学で講演するなど、表にでない弁護士というイメージに反する活躍を見せた。
2017年
空前のカラッキングブーム
長谷川亮太の特定から5周年を迎える2017年は、悪芋の連続カラッキングにより始まった。
1月1日のネルケプランニング公式サイト改竄事件をはじめとして、3月にはひと月に10件ものカラッキングが発生する異常事態となった。幾つかのサイトは声明を発表し新聞で取り上げられたほか、ヒップランド関連サイト改竄事件ではYahooリアルタイム検索で「カラッキング」や「唐澤貴洋」が上位に食い込む成果を上げている。2017年のカラッキングは量もさることながら、色々な意味で特徴的な面を持つ。デリヘルサイトへのカラッキングによるカラケー「ヤッバイおっぱい掲示板」の誕生(7/22)や、GMOカラッキング事件(8/30)では流出した顧客情報がAmazon Kindleで販売される事態が生じるなど、カラッキングを新たな路線開拓に利用しようとする動きが多々見られた。
怒涛のカラッキングはその勢いを失うことなく年末まで続き、12月31日の宮城信用保証協会サイトへのカラッキングを以て締め括りとなった。
坂根輝美の登場~鞠遊事件
昨年末はメディア露出の活発化により教徒に過度な礼賛・神格化をさせた唐澤貴洋だが、3月20日、その神性を覆す大騒動が勃発する。非教徒の情報により唐澤貴洋が画家・坂根輝美の絵を購入していたことが発覚したのだ。
すぐさま事実追求が進み、坂根輝美はTwitter・Yahooアカウントの開示を経てFacebookも乗っ取られる。更には坂根輝美がメッセージ機能で唐澤貴洋と会話していたことも発覚。坂根輝美に対し下心丸出しで迫る様子など、唐澤貴洋のプライベートな一面が開示されたことで多くの教徒の身を震えさせ、当時停滞していた恒心界隈を大いに活気づける結果となった。
また、当初は「尊師に目をつけられた一般人」として同情されていた坂根輝美も「おセックス」に代表される数々の言説が開示されたことで、教徒のおもちゃにされてしまう。サジェスト汚染や住所特定などの憂き目に遭い、見事ハセカラファミリー入りを果たすこととなった。
クロスメンバーへの事実追求
鞠遊事件により唐澤貴洋の生態が明かされたが、一方で曾祖伯父の河野唯一や河野光次らの存在が開示されるなど、以前から進められていた家系追求路線もこの年活発化していた。また、山岡裕明や山本祥平についての事実追求も僅かながら進んでいた。
山岡裕明と山本祥平の疑惑アドレス開示をはじめ、2月には三田国際学園での講演(2016年7月)がリークされ、両名の御尊容と肉声が開示された。10月14日には通勤中の山岡裕明を盗撮した写真がカラケーに投下され、同性愛板で散々な評価を受けるなど大きな話題となる。また、山本祥平に関しては過去の敗訴記録や兄・大輔の存在が明らかとなった。
外部からのカラケーへの侵攻
2017年からメインカラケーとなっていた法律事務所クロス被害者の会掲示板(クヒケー)は、4月に唐澤貴洋本人からの抗議によって陥落する。これにより、教徒側はメインカラケー閉鎖という損害を被ったものの、唐澤自身がカラケーの監視を行っていたという事実、そして「evil imperial lawyer」という英訳文をネタとして獲得した。この件が元となって、次代のメインカラケーとして法律事務所クロス掲示板(エビケー)が設立される。
エビケーは外国サーバー上に建てられた防弾カラケーという事もあり、外部からの攻撃にも強く安定していたが、この場所に果敢に突撃してくる者たちがいた。元ハセカラキッズ速報管理人こと豆大福と、昨年に増して狂い出した高橋嘉之である。彼らの荒らしの手法は単純でワンパターンだった為、教徒は彼らの書き込みを容易に見破る事ができた。それでも彼らのカラケー荒らしに費やした手間と時間は常軌を逸したレベルであった。半年近くという期間にわたって定型文のコピペを貼り付け続け、ハセカラ騒動と全く関連性の無い第3者への執拗な誹謗中傷を続ける様に、多くの教徒は呆れながらも彼らの精神状態がみるみる悪化していく様子に戦慄した。
このような被害に遭いながらもエビケーはメインカラケーとして2017年末まで存続しており、翌2018年4月には麻原彰晃掲示板を超え歴代メインカラケーの最長寿記録を更新した。
メディア露出の活発化
昨年10月のお気持ち表明を皮切りに唐澤貴洋のメディア露出はますます活発化していき、新聞のネット特集では度々名前が挙がるまでになる。テレビでは、6月22日放送「所さん!大変ですよ」を端緒に顔出し出演を3回も果たすなど、「表に出ない弁護士」のイメージは完全に覆ることになった。
そして6月23日、小林麻央親戚成りすまし事件が発生。唐澤貴洋の名を騙り、小林麻央の訃報を伝えた悪質なニッセツイート。この成り済ましが大きな反響を呼んだ為に多数のメディアが問題を取り上げ、唐澤貴洋も6月23日放送の「news every.」において、三たびの顔出し出演を果たす。「所さん!大変ですよ」から連日の顔出し出演となり、教徒を歓喜させた。
その後もほぼ毎月メディアの取材を受けていた唐澤貴洋だったが、11月13日の「クローズアップ現代+」において遂にスタジオ生出演を果たす。「ネットリンチの被害者」という、少々頼りない肩書を引っ提げた唐澤貴洋は生出演の緊張からか、説明をトチり共演者に助け舟を出してもらうなどその無能ぶりを遺憾なく発揮し、全国放送で恥をさらす羽目になった。
唐澤貴洋のメディア進出は年末まで続く。12月19日~20日にかけて、一連の炎上騒動に対する自身の告白文を「現代ビジネス」上に寄稿したのだ。一連の炎上についてあまなく語ったこの告白文は、唐澤貴洋の内面に迫った貴重な文章であり、またこれまで放置されてきた幾つかの疑惑についてセルフ開示していたため、教徒の考察・批判の格好の餌食となってしまった。
チンフェサイドの停滞化
活発な動きを見せるパカデブサイドに対し、チンフェサイドは停滞を迎えていた。3月7日に特定5周年、8月27日には特定2000日を達成したものの、かつてのけんまブームが再燃することはなく、昨年から懸念されていたターン制消滅の危機が現実のものとなってきたのだ。それでも、チンフェの疑惑定期から勤務先を特定しようとする動きが起こったり、長谷川幸恵の肉声が開示されたりと、チンフェサイドの恒心を望み活動する教徒も少なくなかった。
3月24日に発生した松戸女児殺害事件では、ナリ速コメント欄の書き込みがきっかけとなり、「ちばけんま」の名前がマスコミにクローズアップされる事態が発生。また、事件の犯人をチンフェだと断定した告発文が届けられるなど、チンフェサイドを標的にした活動は未だ続いている事が伺える。
芸術路線の衰退
2016年より続く原理主義への回帰、そして2017年は唐澤自身がメディアに活発に露出したことに伴い、二次創作である芸術路線は益々衰退の一途を辿ることとなる。有能芸術教徒から芸術路線を隠れ蓑にしていた臭芋まで、多くのもの達が消えていった。
半年毎の恒例行事となっているMMD杯への侵攻は、第18回MMD杯、第19回MMD杯とともに準優勝を獲得するという成果を挙げているが、芸術教徒によって投稿された動画を楽しむ事より、それまでの中立の姿勢から第16回MMD杯以降手のひらを返し恒心教への露骨なバッシングを開始したゴロゴロウを中心とする杯運営への直接攻撃が主流となっていった。その結果杯は荒廃し、参加者は減少、その原因を招いたゴロゴロウへの攻撃からさらに荒廃、といったスパイラルに陥っていた。
パカソン路線においては、オリジナルのパカソンはほとんど投下されなくなり、替え歌路線のみが一部の教徒によって静かに盛り上がっている様相となった。
しかしそんな中、後に炎上騒ぎを起こすこととなる、ある歌が投稿される。例のアレ界隈で活動しているゆゆうたが投下した「一般男性脱糞シリーズ」の弾き語りである。これは恒心教徒以外のニコニコ動画視聴者からも好評を博し、派生作品も作られる等新たな可能性を見せ、当時は教徒からもそれなりの評価を得た。
2018年
相次ぐ大恒心
2016年のお気持ち表明を皮切りに、近年は唐澤貴洋自らが積極的に恒心を起こす傾向がみられる。特に2018年は、けんま等を除けば教徒から恒心を仕掛けるという事は減り、正に「唐澤貴洋が面白い事をする」のループで大恒心が次々と巻き起こった年であると言える。
中でも異質だったのがツイキャス出演とトーキョースイーツマフィアとのコラボだった。3月28日、作家の菅野完が友人を招いて配信していたツイキャスに唐澤貴洋が登場した事件は、恒心が不足していた当時核爆弾級の衝撃を与えた。高校を中退していた過去や、齢40にして童貞という事実、また唐澤貴洋としばき隊との関連など唐澤貴洋の新事実が次々と開示され、余さず教徒たちの身を震えさせる結果となった。
ツイキャス事件の余波が続いていた4月5日、今度は都内のスイーツ店「トーキョースイーツマフィア」の宣伝に唐澤貴洋が登場していたことが発覚する。同店のトレードマークである紙袋を被りノリノリでポーズを決める唐澤貴洋の御姿に教徒たちはまたもや衝撃を受けることになった。トーキョースイーツマフィアはその後、親会社の東京スミスや傘下の飲食店ともども教徒によるサジェスト汚染を受ける憂き目に遭い、それが影響したのか2か月も経たないうちに閉店している。
法律事務所クロス解散
ツイキャスやTSMコラボ、後述するメディア露出など特大級の恒心が相次いだ2018年には、二度に渡る事務所移転と法律事務所クロスの解散という歴史的事件も起こっていた。
4月12日、法律事務所クロスが高會堂ビルへ三度目の聖遷をしていたことが発覚、そして10月2日には、法律事務所クロスの公式サイトから山岡裕明と山本祥平の名前が消え、所属弁護士が唐澤貴洋ただ一人になっているのが発見される。その後山本祥平の転属先がニューポート法律事務所、山岡裕明の転属先が八雲法律事務所と判明し、両名が法律事務所クロスから離脱したことが決定的となった。その後唐澤貴洋も事務所名を法律事務所Steadinessと改めて三田綱町デュープレックスR'sへ実に四度目の聖遷を果たし、法律事務所クロスは解散した。愛すべきトリオと見なされていたクロスメンバーの解散という衝撃もさることながら、一年のうちに二度も事務所移転をするというフットワークの軽さに教徒たちは唐澤貴洋の上級国民ぶりを思い知らされた。また「Steadiness」が「恒心」という意味を持つ事から唐澤貴洋の恒心という言葉への拘りを感じさせた。
法律事務所クロスについてはその他、JCテクノロジーや海賊版サイトブロッキング問題、山岡裕明によるCloudflareへの開示請求など、弁護士業務を行っている痕跡が発見された。また、御尊影を開示されたり唐澤貴洋と山岡裕明の免許証が開示されたりと、教徒による活動も活発に行われており、解散後も山山コンビを標的にした活動は継続して行われている。
恒心ファミリーの再編
主人公以外のファミリーの動向は、新キャラクターの発掘よりも、既存のファミリーの再編が目立った年といえる。
まず退場したファミリーとしては、7月に麻原彰晃旧尊師と愉快な仲間たちがポアされた。マスコミ各社は連日オウムに関する特集を組み、カラケーでも大いに盛り上がった。またMMD杯運営のゴロゴロウは第20回MMD杯終了後に杯運営のずさんな実態や事実の捏造が次々と発覚し、さらにビームマンPが新イベント・MMD杯ZEROを立ち上げた事で窮地に追い込まれる。それでもまだ諦めようとせず第21回MMD杯の開催を告知するがその告知動画がたった1日で削除され、杯の中止と負け惜しみの台詞を残したのを最後にネット上から姿を消した。
一方再発掘されたファミリーとしては、前年に引き続き藤原太一がプロバイダに対する訴訟や発信者に対する脅迫、ニコニコ動画に挙げられたジムソン・事務所MMD動画の削除を続け教徒からのヘイトを集める中、9月から11月にかけ元事務所一派のKARACOROが内部資料を大量にリーク、一気に炎上が加熱した。その事務所一派だったけんまPもクッキー☆の有名投稿者しりりとの同一人物疑惑をきっかけに検証が進み、11月には同一人物確定と共に特定が完了した。10月には森園祐一の引っ越し先が確定し、何人も出会い厨ラジコンが送り込まれた結果甘芋化が進行した。同じく10月には岩間好一の活動が9ヵ月ぶりに確認された。
だが、この年最も存在感を示したのはへきへきこと高橋嘉之だった。昨年より引き続きカラケー荒らしに精を出すだけに留まらず、5月に会社の名前をインターコンシェルジュからバリューラウンジに変更&仕事場のレンタルオフィスが開示され、8月には同じ外伝主人公の藤田拓也に荒らしたwikipediaの記事を削除されるという夢のコラボが実現、同じく8月に自身の性器画像が再発掘されネタ化が加速、11月にはべえたくんの手により自宅がけんま配信され、現在のご尊顔が確認された。
この年カラケー他5ちゃんねるやしたらば掲示板で特に激しく暴れまわった高橋、藤原、森園の三人は「外伝三本糞」と名付けられ、彼らの動向は2018年の恒心教徒の注目を良くも悪くも集め続けた。
止まらないメディア露出
唐澤貴洋によるメディア出演は、ほぼ毎月取材を受けていた2017年に比べると頻度こそ少ないものの、十分な質と量を誇る大恒心が連続していた。2018年最初のお気持ち表明はクロス解散後の10月12日。「news every.」への二度目の出演を果たし、お馴染みのサジェスト汚染やカッター送付について触れている。
10月30日にはAbemaTVのAbemaPrimeに生出演、因縁の相手・ひろゆきと「ですを」事件以来5年ぶりの邂逅を果たした。しかし、双方とも私怨交じりのレスバトルを繰り広げたために討論はテーマから大きく脱線してしまう。特に、唐澤貴洋を「嘘つき」呼ばわりするなど極論と屁理屈で討論を進めるひろゆきに対し、「実務を知らない」などと語気を荒げるばかりでまともな反論が出来ずにいた唐澤貴洋の無能ぶりには共演者だけでなく教徒も困惑し、挙句グダグダになった討論に対し進行から苦言を呈されてしまった。
こうして一般大衆にも醜態をさらす羽目になった唐澤貴洋だが、懲りずに12月3日にはTOKYO MXの番組「バラいろダンディ」に生出演、ネット炎上について珍しく解説役を務めた。番組はバラエティ色が強くあまり専門的な内容ではなかったことから、従来のお気持ち表明に比べ唐澤貴洋が下手を打つ場面は見られず、むしろ共演者と和気藹々と話す姿が教徒の印象に残った。
その他、三宅令からの二度目の取材を受けたり、日刊サイゾーにて単独インタビュー記事が掲載される等、ネットニュースの記事にもたびたび登場している。
初の自伝本出版
降って沸いた2018年下半期の怒涛の恒心に若干満腹感を覚えつつあった教徒だが、唐澤貴洋は更に衝撃的な行動に出る。『炎上弁護士』と題し、騒動以来初の自伝本を出版したのだ。
唐澤貴洋の半生と騒動について振り返るという、教徒以外に需要を見出せない内容だが、その反響は大きい。今までのように誤字脱字、おかしな文章を期待するもの、事実追求路線の進展を期待するもの、唐澤貴洋の利益になるという観点から購入の是非について問うもの、果ては購入者の殺害を宣言する過激派などカラケー内でも様々な反応が見られた。唐澤貴洋自身も、先述の「バラいろダンディ」においてサイン入り本のプレゼントを告知したり、NHKドラマ『炎上弁護人』に取材協力していた事が判明したりと、ここに来て「炎上弁護士」として精力的にアピールを行い、教徒たちの度肝を抜いた。
そして12月13日、「炎上弁護士」が発売される。唐澤貴洋の幼少期~青年期についてや、弟・厚史の死の詳細など新事実が開示された一方、「教徒は陰湿集団、自身は完全な被害者」という認識を改める事は無く、今回の自伝本もまた被害者アピールの為に執筆されたに過ぎなかった。
「炎上弁護士」はその後、当然の如く焚書されたり、Amazonレビューを汚染されたり、2日も経たずに割られるなどの散々な被害に遭っている。
法廷オフでの邂逅
恐るべき事に、これがまだ2018年最後の恒心とはならなかった。
始まりは12月10日、株式会社ドワンゴ取締役の川上量生が山本一郎との訴訟の弁護人に唐澤貴洋を立てた事である。この件だけでも、尊師がニコニコ動画に挙げられている尊師MMD動画を削除に動くのではないか[22]、あるいは尊師がニコニコ超会議に出演するのではないか[23]といった憶測が流れ教徒は戦慄したが、この後さらに想定外の展開となる。
そして12月17日に行われた裁判。久しぶりの法廷オフということもあり多くの教徒が傍聴に訪れていた。これまでは裁判終了後逃げるように法廷を後にしていた唐澤だったが、この日は打って変わって法廷に来ていた教徒に自分から声を掛けたり、差し出された炎上弁護士にサインをして返したりといった行動を取ったのである。教徒と対立を続けて炎上を長引かせるより歩み寄った方が鎮火するといった事をようやく学習した、馴れ合って教徒を幻滅させようとした、等の推測がなされたが真相は明らかではない。いずれにせよこのフレンドリーな唐澤の態度の変わりようは教徒を驚かせた。
尊師と教徒が共に望んだ優しい世界の実現がもう近いのかも知れない、と感じさせる一幕であった。
ターン制の崩壊
過去最高の盛り上がりを見せた唐澤貴洋とは逆に、長谷川亮太に関する動きは皆無となった。
これまでもチンフェサイドの停滞化は常に叫ばれてきたが、卒論や母親の肉声開示など毎年わずかながらに進展を見せていた。しかし今年の新情報といえば10月末にアルバイト板の治験スレに書きこまれた真偽不明の発見報告程度の頼りないものであり、彼の現状を知る手掛かりはついに途絶えたと言える。「ハセカラ騒動」の名が表すとおりこれまで本騒動を車の両輪のように支えてきたいわゆる「ターン制」が終焉したと言えよう。もしかすると長谷川亮太はもうこの世にいないかもしれない。
その一方で現在でもたびたび実家へのけんまが行われたり、またC95にて頒布された同人誌内でコテ時代に彼が吐いた嘘が再検証され明らかになったり、何よりも相棒がメディアに登場するたびにエピソードを拡散していっているため、残念ながら完全鎮火と忘却には程遠い状況である。
2019年
玉音放送の年
昨年下半期からのメディア露出・著書出版など怒濤の恒心ラッシュは、幾月の時を経てなお衰えることがなかった。本年だけで計7回もの玉音放送が確認されている。これは2019年12月16日までに確認された玉音放送の累計回数、18回中の1/3を超える数であるという事実がその勢いを物語っている。中には事前告知が無かったため教徒が見逃してしまい、幻の玉音放送と化してしまったものさえあった。
本年の玉音放送のボリュームは数のみには留まらない。5月13日にNHKで放送された「逆転人生」では、50分の番組全てがハセカラ騒動についてという圧倒的なものであった。2ヶ月後には日本テレビ系列で放送されている、土曜ゴールデンタイムの大人気バラエティ番組「世界一受けたい授業」への出演をも果たす。「やっぱり人間っていうのは弱いな」「かなり恐怖を感じた」などのインパクトに溢れ汎用性の高い語録がいくつも産まれ恒心の界隈を飛び出し伝播するほどに、電撃的な話題はインターネット中を席巻した。
唐澤洋が騒動後初めてテレビにその姿を現し当時の炎上について口を開く、さらに鞠遊以来のアート作品がそのグロテスクな風貌で注目を集めるなど、大恒心が大恒心を呼ぶ豪華絢爛の放送内容は語り種となっている。
これだけでなく、5月17日に『炎上弁護士』に次ぐ2作目の自著「そのツイート炎上します!」の発売が発表されたのだ。この著書ではかつてクローズアップ現代+で共演したネット中傷被害者のスマイリーキクチやジャーナリストの渋井哲也、有名ブロガーのはあちゅうとの対談が掲載されることがアナウンスされていたこともあって、新約聖書への待望は日に日に高まるばかりであった。しかし、それすらも発売4日前の「逆転人生」放送後には霞んでしまうほど、玉音放送のもたらした衝撃は大きすぎたのだった。
大恒心の功罪
これら玉音放送に質的および量的な変化がもたらされたことに伴って、恒心教徒に対する玉音放送の意味は決定的な変貌を遂げる。
初期の玉音放送は福嶋誠也のナメコロや爆弾三勇士のGoogleマップ改竄が代表的であるが、これらは教徒が起こした具体的な一個の事件を報道機関が取り上げる際に、関係者の唐澤貴洋が取材を受けるというものであった。
だがハセカラ騒動が進展するにつれて、騒動自体がマスメディアの特集となるほどの重要性を帯び始め、ネット史に残る大炎上として唐澤貴洋をメインにした番組もいくつか制作されだした。これらの番組において唐澤貴洋が自分の能力不足と悪徳を棚に上げながら、カッターナイフ表彰状・ポストにピラフ・墓汚損の3点セットを持ち出し、恒心教徒を二元論的に悪者扱いして被害自慢をする姿はもはや恒例と言える。これは玉音放送の内容の充実として喜ばれるべき面も持ち合わせていたものの、一方で恒心営業による焼け太りと一般大衆へのディスインフォメーションに関して強い危機感を醸成した。テレビメディアの影響力によってスマイリーキクチのごときネット炎上被害者タレントとしての名が広まる玉音放送のデメリットが顕在化し始めたのである。
また、事件がなくても尊師がテレビに出る、座して待てども玉音が次々降ってくる贅沢は、「恒産なければ恒心なし」から「恒心は寝て待て」、暖衣飽食で教徒の活性が奪われる結果をも産んだ。
一時代を切り開いた行動派悪芋も、唐澤貴洋から高橋嘉之などへターゲットを移行することが多くなり、外伝主人公コンテンツでは積極的な活動が見られたとはいえ、唐澤貴洋の恒心の量に比してハセカラ関係へのけんまやカラッキング報告は一時減少する。カラッキング路線は翌年の大騒動で急増するが、けんま報告は次第に数が減っていった。
2019年を彩った恒心のオンパレードが、7年以上にわたる歳月の中で我々の額に浮かんでは流れ落ちた汗粒の数だけ報われたことを意味しているのは疑いようがない。しかし、玉音放送が手放しで喜べるものでなくなったことは明白となった。翌年のハセカラ離れを思うと、この頃が歴史の転換点であったのかもしれない。
YouTuberデビュー
さらにこの年、玉音放送の概念をぶち壊すと思われた程、唐澤貴洋のメディア出演について大きな変化があった。それは、本人によるYouTubeチャンネル「弁護士唐澤貴洋のCALL IN SHOW」の開設である。これまでメディアの依頼を受けてでしか姿を現さなかった尊師が、自ら姿を現し言葉を発する姿に、恒心教徒は狂喜乱舞した。
「世界一受けたい授業」放送直前に恒心綜合法律事務所のTwitterアカウントが5年ぶりに更新されているのが話題となり、発見されたのがこのYouTubeアカウントの公式Twitterであった。当初はなりすまし・アカウント乗っ取りを予想されたものの、数日後に本人が動画を投稿し、無事本人と確定。その後は2本の動画を投稿後、本格的に法律相談動画シリーズを投稿開始。その後は、実際にネット上の別界隈で炎上し話題となった人物が唐澤貴洋に相談した疑惑が浮上したり、女子高生が相談相手の、法律が一切絡まない動画を投稿するなど話題に事欠くことなく、ほぼ週一回のペースでコンスタントに動画を投稿していた。
しかし、10月5日の動画投稿以降は長く動画投稿が途絶えた。この理由を考察する教徒もおり、長続きしなかった本人のSNS事情を絡めて考える者がいたほか、後述の立花孝志の依頼の為と考えるものもいる。
政治進出と唐澤貴洋の精神考察
本記事では政治的な思想や活動が扱われておりますが、あくまで騒動との関係に注目したものであり、特定の思想に賛同したり、反対したりするものではありません。 編集者の皆様におかれましても、この点に留意した上での編集をお願い申し上げます。 |
また、この年は唐澤貴洋と政治の関係、そしてそれを通して唐澤貴洋の人間性が広く考察された年でもあった。過去の教訓から、「内紛の原因となりかねない」として、恒心教では政治の話題を徹底的に忌避するようになったのを知ってか知らずか、唐澤貴洋はそれに反比例するように政治色を強めた。
かねてから、菅野完や原田學植と唐澤貴洋の関係が示唆されていた事によって、唐澤貴洋は政治団体「C.R.A.C.(旧称:レイシストをしばき隊)」と深い関係があるのではないかと考察されていた。
そんな中4月、唐澤貴洋が代表を務める法律事務所Steadinessに原田が参画していたことが発覚。この頃はあまり注目されていなかったものの、とある事件をきっかけに事態が動き出す。
8月、唐澤貴洋が当時過熱していた「あいちトリエンナーレ問題」に上記「CALL IN SHOW」で意見動画を投稿したところ、政治活動家の九十九晃と協力者たちがSteadiness前で唐澤に対し抗議活動を行うという前代未聞の「デモけんま」が行われた。このデモの開催直後、九十九の元に、原田名義の抗議メールが届く。当然成り済ましの可能性が高いものの、教徒の間では「これが本当に原田のものとしたら、Steadiness内部での発言力は原田が上で、尊師は原田の操り人形になっているのではないか」などの意見も出た。 しかし、次に述べる事実を見るとこの予想はほぼ的確であった可能性もある。
9月、大胆な行動でかねてから世論を騒がせていた「NHKから国民を守る党」党首の立花孝志が唐澤貴洋に民事訴訟の代理人を依頼したことを発表し、大きな話題を呼んだ。カラケーでは「あれだけ玉音放送をやらせてもらったNHKへの恩を忘れたのか」という旨の唐澤への批判が噴出したが、批判者の中には唐澤の性格を分析して「唐澤に思想もなにもなく、他人に流されるのみで政治活動をしているのではないか」という意見も出る。これ以降、唐澤貴洋の政治活動には本人の意思は伴わず、ただ本人の快感と他人の利益を満たすだけというイメージが一部で形成されていく結果となった。
外伝主人公コンテンツの活発化
玉音といいYouTubeといい政治といい、唐澤貴洋当人による恒心は前年に劣らない規模を誇ったが、なお教徒からは不満足の声が聞かれていた。それは、大恒心の連続に感覚が麻痺してしまっていたせいでもあるだろうが、外伝主人公の存在感がより強まってきたことと決して無関係ではない。長谷川亮太の完全な失踪により傾いた天秤は、徐々に質量を増してきた重りでバランスを取り戻したのだ。
外伝三本糞は、やはりというべきか1年という期間を与えられても反省という言葉の意味を理解できなかったらしい。
高橋嘉之は自身が依頼している瀧口徹の同僚までに誹謗中傷を働きだす始末となり、半ば管理放棄状態の唐揚げコロッケ掲示板でありったけの常識を焼却炉に放り込んだかのような不謹慎スレを乱立させ続けた。そのセンスだけはある意味で教徒からも一目置かれている。
森園祐一も非難などどこ吹く風といったところで相変わらず生活保護でネット三昧を続けていた。お粗末な動画の作成に勤しんできた彼だが、MMD杯ZEROに再生時間90分のまとめ動画が作成されてニコニコ動画界隈に悪行が広く知れ渡ることとなっている。
藤原太一は1月から教徒を次々に訴え対決姿勢を崩さなかった。法廷オフにも登場している。途中暫くの沈黙を挟んだために諦めて消失したのではないかと案じられたが、その矢先法律事務所Steadiness掲示板の過去ログへの開示請求を行い見事その懸念を払拭した。
三本糞は過ちを正そうとしなかったことの延長線として燃え続けた。ただ昨年と違うのは、彼らに並ぶほどの影響力を一気に獲得してきた者たちがいたことだ。
高橋嘉之の関係者として知られ、DMCA悪用に批判が集まっていた大橋清貫だが、社会的立場からかけ離れたその本性を明らかにする。八雲法律事務所やSEO業者への継続的な依頼が発覚し、教徒らによる事実追求路線とサジェスト汚染を刺激した。中でも『LGBT: ~言論を破壊するものたち~』による騒動は大橋の外伝主人公認定の決定打となる。なりすまし本で炎上させるという手法は尊師以外としては異例のテレビニュースに繋がり、Kindle路線の新たな可能性を示唆した。
Wikipediaに唐澤貴洋の記事を作成した事で特定された石渡貴洋も無視できまい。個人情報を危機感なくネットに公表する愚かさ故に、AV購入履歴までもが白日の下に晒される。特定完了後は論文と称したなりすまし爆破予告が方々に送りつけられるなど貴洋の名が背負う業の深さを見せつけた[24]。
さらに、この年は誰も予想せず、誰も期待していないファミリーの復活があった。かつて唐澤貴洋より開示請求のノウハウを学び実際に行動に移した、ローストーカーこと西村博嗣小尊師が上智大学大学院を中退した事が明らかになった上、「西村リーガルクリニック」なるふざけた名前の行政書士事務所を開業した事が明らかになったのである。さらに、本人が恒心側へ名誉毀損の削除申請などを行ったことが明らかになると、たちまち話題が沸騰した。
この年に教徒から大規模な攻撃が仕掛けられた例は、石渡貴洋特定、大橋清貫のLGBT騒動など外伝主人公に集中している。この6人の持つハセカラ騒動の主役にも比肩するコンテンツ力を前に、外伝主人公というものについて考えさせられる1年であった。
芸術路線再興の兆し
2019年はsyamu・aiueo700という例のアレ二大巨頭が復活したものの、相次いでトラブルを起こし活動を中止した年であり、例のアレとニコニコ動画文化は著しく低迷していた。恒心教は逆に尊師本人が相次いでメディア露出したことにより、芸術路線という「尊師の恒心までの中継ぎ」がそれほど必要されなくなっており、やはりその存在感は薄くなっていた[25]。4年前の第14回、第15回MMD杯で栄華を極めた尊師MMDも、昨年の2018年にMMD杯が事実上終焉を迎えたことにより「恒心教徒排除への報復」という大義を失っていた。
一方で、10月のMMD杯ZERO2に森園まとめ動画が投稿されると、10日弱で1万近い再生数を得た。さらに森園自身の動きと相まって森園スレが活気づき、外伝主人公の布教という新たな役割と可能性を見いだした。その後投稿された尊師MMDモデルを多数登場させたモキュメンタリー作品、「MMDで学ぶネット事件簿第一章「オペレーション・レーニン」」がMMD杯ZERO2の準選考作品に選ばれるなど、最終的にMMDを中心に芸術路線再興の兆しを微かに見せた。
しかし、翌年の大騒動はその微かな兆しを塞いでしまうのだった。
2020年
怒涛の大恒心と教徒のハセカラ離れ
昨年のYoutubeデビューなど怒濤の恒心ラッシュは、幾月の時を経てもなお衰えることがなく、2016年のお気持ち表明以降の唐澤貴洋自らが積極的に恒心を起こす傾向は、世間が新型コロナウイルスによる混乱が大きくなる中もとどまることを知らなかった。
前年10月5日の動画投稿以降、長らく動画投稿が途絶えていた「弁護士唐澤貴洋のCALL IN SHOW」であったが、突然ゲーム実況動画が投稿されるという衝撃的な出来事が起こった。新年早々のこの恒心に教徒の初笑いは持っていかれることとなった。
3月20日には恒心綜合法律事務所時代のTwitterアカウントが230日ぶりに恒心された。その後も断続的に恒心され、その2014年のTwitter連続恒心以上の連投ぶりに教徒は身が震えた。
4月25日にはニコニコ動画に「唐澤貴洋ちゃんねる」なるアカウントが作成されていたことが発覚。 さらに2日後の4月27日にはYoutubeに「弁護士唐澤貴洋のCALL IN SHOW」に続いて、「おっさんずラボ。」というチャンネルが開設され、新たに唐澤貴洋のプライベートなどが自ら公開されることになった。
追い打ちをかけるかのように世間ではテラスハウス問題が発生。これに便乗するかのように尊師は様々なメディアに展開した。海外メディアにも名前が出るなどゲリラ豪雨のような恒心の連続であった。また、11月には母校の早大学園祭の企画でネットライブに出演し、年末には尊師がオリジナルソングをYouTubeに公開にまで至っている。
しかしゲーム実況はそのタイトルに反してほとんど喋らないため内容が薄く、対する「おっさんずラボ。」は内容が濃いものの再生数が伸びないまま何らかのトラブルで終了、Twitterの恒心内容も時事ネタばかりと面白みに欠け、やる夫路線恒認やカリフと握手など教徒と積極的に絡みだし、いまいち萌えないキャラとなりつつあり、初期の玉音放送やお気持ち表明の時のような尊師の神聖性・神秘性が一気に失われた年となった。面白くないデブに興醒めした分教徒の話題は後述のゆゆうた・サウプロ騒動に持っていかれる形となった。唐澤貴洋がマスコミを使って被害者説をばら撒いている状況に対する攻撃論もあったが全体としては無視・贈り物等の地道な嫌がらせで応えるという動きが強まり、結果的に「本人の恒心は割とどうでもよくなる反面、彼を取り巻く情勢に注目が集まる」という何処ぞの土竜のような状況となった。
長谷川亮太が発見されることは無かったが、炎上9年目に達した3月7日にちばけんまで新しく飼い猫2匹が増えたことが判明、久々に長谷川満孝の後ろ姿が盗撮され、さらに11月になるとマンコーの自家用車のボンネットを悪芋が開示し、車台番号を取得されるなど数年ぶりの長谷川家の近況に教徒は懐かしみさえ覚えた。
ゆゆうた・サウプロ騒動の勃発
ゲーム実況という前代未聞の恒心から興奮冷めやらぬ1月10日、ゆゆうた(鈴木悠太)が吹奏楽団「関東サウンドプロジェクト」(サウプロ)がコラボレーションし、一般男性脱糞シリーズを演奏する動画がYouTube上に投稿される。しかし、2017年にゆゆうたが一般男性脱糞シリーズを弾き語って以降一般男性ネタをさも自分の持ちネタかのように自分の売名行為に使うことが多くなり、かねてから批判が出ていたため、この動画が大規模な臭芋行動と恒心教内で大規模に批判される事態が発生した。これによりサウプロ代表であった宇都宮信平を始め、サウプロ関係者やゆゆうたのコラボレーターが次々と特定されていき、教徒からはサウプロの解散を宇都宮信平に求める事となりゆゆうた・サウプロ騒動が勃発した。
しかし全く宇都宮やゆゆうたが意向を示さずノーダメージアピールを続けていたためか、しびれを切らした教徒は恒心教の歴史でも前代未聞のサウプロ・ゆゆうた関係者とファンの無差別特定を実行。これにより教徒や教徒がラジコン化した特定被害者の手によって、別の被害者へ代引きでの荷物送付やファン名義での爆破予告が全国各所へ出されるなどの事態となり、騒動は拡大・激化していった。爆破予告については面白い愛の戦士が4月15日に高砂市役所へ向けて行ったものや同月の秋田県庁に対するものが大々的に報道され、継続戦争期には複数の人物が予告に参画することとなる。
この恒心の連続の中でも関係者の無差別特定は続けられ、6月時点で80人以上もの人が特定された。そんな中の5月14日、スバケー内でゆゆうたの住所が特定された。これにより大規模なゆゆうたに対する攻撃活動が始まり、ゆゆうたが恒心教徒に対して謝罪、一般男性脱糞シリーズの全削除が行われ、5月23日には関東と大阪のサウプロが解散、恒心教徒の完全勝利となった。
一方で芸術路線に関しては「ゆゆうたを生み出した路線」「尊師のネタ化を進める悪い路線」との扱いを受け、非常に不調な一年となった。
ゆゆうた・サウプロ騒動の長期化
これにより攻撃活動は緩んだものの、一般男性脱糞シリーズ系の動画やコラボ動画の一部は未だ非公開となり削除表記となっていない動画が残され[26]、5月30日に設定されていた動画削除の制限を無視したとして再び攻撃が激化。また、サウプロも活動再開の兆しをみせたためこちらも攻撃が再開された。後に分かることだが、この原因については、ゆゆうたへの要求リスト連絡不足が原因であった可能性が高いものとされる。
さらに悪芋達が続々と集結、全国各地にゆゆうた関係者名義での爆破予告が連発され、8月と9月にはログインボーナスと称して毎日カラッキングが行われるというとんでもない事態となった。爆破予告の勢いも激しく、電通への爆破予告が大々的に報道されたほか、常総市への爆破予告では鉄道が運休に追い込まれる、前述の面白い愛の戦士は全都道府県への爆破予告が報道されるなど、同時爆破予告事件を大きく超える件数を記録した。
しかし、ゆゆうたはこれらに対して黙殺、贈り物路線にもめげず特定済みの現住所への籠城を続け、騒動は長期化。警察も恒心教のなりすまし行為を把握しており、爆破予告やカラッキングはむしろ恒心教弾圧の口実をつくるだけではないかという疑問や、ゆゆうたが7月に第一要求を受理したときに辞めておけば恒心教大勝利で幕を閉じていたのではないか、この騒動自体が炎上依頼ではないのかというような懐疑論も強くなっていった。カラケー各地では騒動を巡る論争が相次ぎ、論敵を包皮民のスパイ認定するなど甘芋化も激化した。
10月にはゆゆキッズラジコンによって放たれたDMCA砲によりゆゆうたのtwitterアカウント凍結させる戦果をあげたものの同時期にカラケーとwikiの同時閉鎖騒動が発生し混乱、11月4日には爆破予告民の福山紘基が逮捕、捜査一課が投入されていることが開示され恒心教弾圧が現実味を帯びてきた。11月17日にはゆゆうたの実家だとされ攻撃を受け続けていた家が実は別人のものであると発覚、騒動に対する厭戦ムードが加速した。
こうして短期決戦の思惑は外れ一進一退の攻防が十ヶ月もの間続いたが、スバケー閉鎖後から元ドリケー管理人のダクト飯が主戦派筆頭とされた面白い愛の戦士と連絡を取り合い停戦の道を探り始める。最終的にはダクト飯が11月22日に配信者のコレコレを介してゆゆうたとの交渉に成功、ゆゆうた騒動はようやく停戦となった。
恒心教は落ち着きを取り戻したものの、ゆゆうた騒動で明らかとなった教徒間の分断傾向はその後も大きな影響を与えた。
飯塚騒動勃発
8月、飯塚軍とよばれるネットリンチ集団のメンバー春田淳子が、ゆゆうた信者であったために巻き添えで特定されてしまう。飯塚軍はこれを理由に恒心教に宣戦布告。ネットリンチ集団同士の熱い抗争が始まった(といっても恒心教に及ぶはずもなく一方的な戦いとなっていた)。ゆゆサウ騒動から続く一連の大炎上は、ゆゆうた側が片付いたあとも飯塚軍側で数年に渡り燻り続けた。
へきへき狂気の深淵
ゆゆうた・サウプロ騒動の裏で、外伝三本糞の一人に数えられる高橋嘉之の研究も深まった1年となった。3月にはZEUSという臭芋が教徒に脅される形で高橋家にけんました際、高橋家は一家全員頭しちぱの精神部王ではないか?[27]という疑惑が確信に近づいた。5月には高橋が2012年に破産していたことが判明し、6月には確定に至った。9月には高橋嘉之が代表取締役を勤めている株式会社eForaが開示された。
何より注目すべきは、7月下旬から活動を開始したゆげ塾の存在である。高橋が5ch各地に立てた誹謗中傷スレをウメタテした世界史に詳しい荒らしで、10月のスパイ作戦でへき学に進展をもたらすことに貢献した。なお、ゆげ塾は高橋との因縁を仄めかしているいるが設定なのか事実なのかは明らかにされていない。
だがこの年を境に高橋は徐々に日課の荒らし業務を減らしていき、2021年にはほとんど業務を行わず、入院・死亡説も出るまでの休業状態となってしまった。
2021年
小津晶襲来
1月6日、突如、マヨルカ島掲示板管理人がサーバー会社から受け取ったメールを公開。その内容は管理人や面白い愛の戦士のIPを開示しろと脅迫したものであった。しかし、マヨルカ島掲示板は防弾サーバーであり、勿論その依頼は鯖会社から拒否された。
それだけで事件は終わらず、メールの送り主であった千葉県警生活安全部サイバー犯罪対策課警部補とされる小津晶は逆に教徒によって住所や家族構成を特定されてしまい、仮にもサイバーカである警部補のパズピー管理がガバガバな事実に教徒たちは身が震えた。
その後、小津に対しては悪芋がANTIFA日本支部およびアメリカ大使館に小津名義で爆破予告を行うという形で反撃が行われ、当該予告はまたしても主要メディアで報道されることとなる。 また、小津からメールを送られた際に鯖会社は本騒動を調べたと言及して教徒たちの笑いを誘った[28]他、「Wiki内にある英訳ページが役に立ったのでは」と分析する教徒も居たようだ。
石渡貴洋による恒心営業
2021年4月に弁護士ドットコムにて石渡貴洋が弁護士ドットコムにて自分の被害を訴えた記事が掲載された。詳しい内容は「恒心教による嫌がらせ行為やアカウント乗っ取りそして法整備を進めよう」とどこかで聞いたことがあるような内容であり、教徒の失笑を誘った。
またAVやアダルトゲームの履歴を暴露されたことは自認しており流石に恥ずかしい模様だが、貴洋の名を冠す者の宿命か割れ疑惑などの自分に都合が悪い情報にはほぼ触れておらず、記事が掲載されたヤフコメでも石渡を非難する非ワと思われるコメントが散見される始末であった。
一連の記事での言動は過去の尊師のような言動と瓜二つであり、恒心営業をして自分の知名度を上げてタレントになろうと画策している可能性もある。
vs荒らし連合軍
この節の加筆が望まれています。 |
2021年3月22日、荒らし連合軍がマヨケーにDDoS攻撃を仕掛けるも数時間で鎮圧される。これ以来しばらくこの愉快犯達は忘れ去られていたが、6月18日、突如ニヒケーが閉鎖するという事件が起こった。その際、荒らし連合軍の冥王サウロンが犯行声明を発表し、ニヒケーを乗っ取ったと自供した。
実際は、管理人を募集していたニヒケー管理人に荒らし連合所属の包皮民が接触。管理人に立候補して、ニヒケー管理人からニヒケーの管理パスワードを取得したのが原因だった。[29] 尚学問板は新しく創設された株式会社バリューラウンジの会掲示板が引き継ぐ事となった。
その後荒らし連合軍のリーダーが飯塚軍に加盟したため、ゆゆサウ-飯塚両騒動から続く一連の炎上事件とみなされた。
鯖会社公認
2021年6月25日、突如マヨケーが設置されているPrivexのCEOであるChrisが降臨、事実上恒心教を恒認する考えを示した[30]。
鯖会社が恒心教を擁護、恒認するのは前代未聞の出来事であり、教徒たちは歓喜した。
学術路線
飯塚軍被害者の会掲示板は管理人が「学問奨励」宣言を行った事で恒心教の歴史でも珍しい学問掲示板となり、学術路線の拠点となった。しば塾の世界史スレを初めとする様々な学習スレが立ち、教徒や非ワからの人気を得ていた。イヒケー管理人のポアやしば塾引退の危機、先述のニヒケー乗っ取りなど大事件が起きる事もあったが、基本的に教徒の対立などもあまり見られず平和な場所となっていた。
また学問スレではスレを見やすくするためにコテハン利用に肯定的というカラケーの中ではかなりのイレギュラーであり、様々な個性豊かなコテハンが登場した。
公選法違反及び政治ツイート
本記事では政治的な思想や活動が扱われておりますが、あくまで騒動との関係に注目したものであり、特定の思想に賛同したり、反対したりするものではありません。 編集者の皆様におかれましても、この点に留意した上での編集をお願い申し上げます。 |
唐澤貴洋は去年ごろから政治ツイートが増えていったが、唐澤貴洋はかねてより教徒から懸念されていた選挙への出馬以上の行動に出てしまった。以前より応援していた大西洋平への東京都議会議員選挙の応援ツイートを選挙当日にツイートするという行為に出たのであった。これは公職選挙法129条に違反している行為であり、弁護士は理解して当然にもかかわらず[31]違反している行為をしたため、教徒だけでなく非ワからも批判されており[32]、炎上騒ぎになった。
また唐澤に対して教徒たちは衆議院選挙が近くなった10月中旬ごろより政治発言が増えていることに対してヘイトをためており、唐澤が最初に政治界隈で炎上していたらポアされていたのではないか、なんJで炎上したからそこまでダメージを受けなかったのではないかという声も出始めている。[33]
唐澤貴洋の政治化に加えて上記の学術路線の性質上政治に触れることもあり、政治ネタOKのレミゼケーや隔離スレでの会話が推奨されてはいるものの、メインケー雑談スレにも溢れ出す状況となった。
唐澤は菅野完に接近したり、立憲民主党を褒めたり[34]、自民党大西洋平に接近したりしているので、対抗する恒心教側も特に一定の政治イデオロギーを持つようにはなっておらず、教徒からはあらゆる政党に対しての批判が聞かれるが、世代的影響やなんJ嫌儲の文化的な影響もあり、冷笑系中道~中道右派のような位置に落ち着いている。その後唐澤がイデオロギー軸への位置付けが難しいN国党立花孝志への関与を強めていったため、ひとまず教団全体の政治化は避けられた形となった。
他の炎上騒動による恒心教の手口の流用
恒心教は数あるネット炎上騒動の中でも最も体系化が進んでおり、爆破予告や贈り物路線と言った恒心教の攻撃の手段は当wikiにまとめられている。ネットでも類を見ない長期炎上騒動、悪い者達の中から恒心教に学ぶ者が出てくるのは必然であった。
2021年8月後半より起こった松戸市Vtuber騒動では、関係者の殺害予告や職場への爆破予告が行われており、マヨケーやコロケーでの積極的な侵攻が確認されていないのにもかかわらず「犯人は恒心教である」というはてなブログ記事が投稿された。
ちだい・立花騒動では立花孝志が恒心教にパンフボムを擦り付けようとしていた件が内部告発され、裁判の証拠資料として提出された。
これらは恒心教徒の関与の可能性は薄いとみられるが、恒心教徒はハセカラ騒動に限らず複数の炎上を掛け持ちする炎上マニアも多く、布教活動のためとして他の炎上騒動に侵攻する場合がある。恒心教全体が炎上屋だとか炎上装置と見られることもあり、ゆゆうた・サウプロ騒動でも炎上依頼が問題になった。今までの経緯や悪行により恒心教を利用しようと考えたり、恒心教の手口を流用する者たちが現れるのも「恒心教は炎上装置」という見方が根底にあるためと思われる。
特に恒心教の主流派から禁忌とされ協力を得ることが絶望的である政治分野は、ローンウルフで攻撃を実行して無理やり関連性をつける、という手法が行われる危惧もある(実際に2015年頃のニッセ路線で頻発した)。
至極迷惑な現象であるが、恒心教がハセカラファミリーの攻撃以外では明確な意思決定機関を持たず、不特定多数の様々なバッググラウンドを持つ集団である以上この傾向は今後も続発すると見られる。
2022年
マヨケー乗っ取り騒動とカラケー内乱
2022年1月17日、当時のメインケーであるマヨルカ島掲示板が突如機能不全に陥った。
副管理人、島田「にかい」によれば、所有していた管理パスワードが漏出し、マヨケーが乗っ取られたとのことであった。島田「にかい」の証言によれば、彼が楽天モバイル店舗でスマホの機種変更をした際、担当した従業員が廃棄スマホを元飯塚軍幹部の定永紘幸に横流ししたという。この件を受けて、一部の教徒達は定永に対して大量の物品送付などの報復攻撃を行った。
同月19日、「マヨケー後のメイン候補」として、防弾鯖上に楽天モバイル被害者の会掲示板(ラヒケー)が設立され、暫定的に飯塚騒動の拠点となる。
同月28日、マヨケーは復活したが、ごるだっく(マヨケー管理人)により島田にかいが副管理人を解任されたことを皮切りに、島田「にかい」に対する批判が噴出し、加えて「対応が遅かった」「自分の非を棚に上げて態度が高圧的」としてごるだっくも批判を浴びた。
島田「にかい」の主張する定永主犯説についても、真偽が検証されるにつれて矛盾点が発見され、懐疑派が増加し大荒れとなる。島田「にかい」が確たる証拠を出さないことや、不確定情報に基づいて悪芋行為を行う教徒達に対する批判も激化した。
また島田「にかい」は学術路線サブのバリュケーの削除人でもあったため、この混乱と同時にコテハンを容認するバリュケー及び学術路線への批判も噴出させることとなった。バリュケー側もこれに反発する形でメノケーやごるだっくへの批判が飛び交うようになり、カラケー同士の抗争が激化する。個別のネタに対しても「私の姪」ネタやコンマスレなどを巡って対立が起きた。
複数名の甘芋化や敵対陣営の追放殲滅を目論む極端な言説も展開されるようになった中で、対立状態は一応の収束となるも、すぐに再発し、以降も不定期的にカラケー間で対立が起きる緊張状態となった。
翌年の蓬田治都を巡る裁判以降、実際には定永ではなく島田「にかい」が行った偽旗作戦であった可能性が高まっている。
恒心アニバーサリー
3月7日、遂にハセカラ騒動が勃発から10周年を迎えた。そんなおめでたい(長谷川亮太や包皮民などにとっては忌々しい)記念に、動画ニキやサンラクシャカなど懐かしい顔ぶれもメッセージを送った。
その一方で2年前の事件の爪痕や全盛期と比べての衰退も激しく、今後の恒心教のあり方を10周年の節目に検討する必要がある。
約束の地なんJ分裂、なんG誕生
十周年が過ぎた頃、なんJでハードウェア障害が発生し、避難所として何でも実況ガリレオ板(なんG)が新設された。
その後なんJは復旧したものの、なんGに移った人口は戻らず徐々なんGに定着していき、程なくしてなんJは5ch最多書き込み板の座をなんGに明け渡すこととなった。
犯行予告多発
「爆破予告#2022年の爆破・誘拐予告」も参照。
2022年の5月半ば頃から、爆破予告が黙殺される傾向が強いことを受けて、より着弾率をあげる為、子共を対象にした「誘拐予告」の論文が全国の自治体に投下されるようになった。
しかし、あまりに大量の誘拐予告がなされた影響で生活に支障をきたした教徒が発生したり、前述した定永紘幸などの不確定情報に基づいた論文が投下されるなどの状況から、これを批判する声も根強かった。
その後11月に大量に論文を送付していた蓬田治都が逮捕される。
半グレ称賛
2021年にも増して唐澤貴洋は意味不明なツイートの大量投稿、夜泣きに拍車がかかっている。
日本語が変、自分に酔った言い回しという相変わらず尊文クオリティは騒動初期から少しも変わらない。40代半ばの弁護士がとてもするとは思えない総毛立つポエムを披露するのも、もはや日常茶飯事である。加えて立花孝志はじめとする特定の人物をまるで信者かのように称揚するツイートをすることも多くなった。そしてその人物も勿論と言うべきかいわく付きの怪しい人物ばかりである。
以前から交流があったNHK党であるが、2022年7月参院選に近づくにつれ同党立候補者である東谷義和、通称ガーシーに傾倒していくようになる。東谷は芸能界の暴露話によって信者とアンチを増やしてきたYouTuberであるが、政界の闇とやらも暴露してくれると熱烈応援。そして参院選の期日前投票にて唐澤は、「ガーシー」と記載された自身の投票用紙を会場で撮影し、なんとTwitterにアップロードした。これは秘密投票の原則を損ないかねず民主主義に照らして大問題であることから、弁護士にあるまじき2度目の公職選挙法違反疑惑として特に批判が集中している。
東谷の盟友でありギャンブルの予想屋をしているZ李にはより強く心酔し、彼が販売しているけばけばしい外見の達磨を購入するなど関係を深めていっている。心酔のあまり唐澤のTwitterでの興味の方向性はZ李に大きく左右され、後述のエクシア合同会社への粘着行為も当人物の影響であったことが予想されている。Z李が代引き注文の嫌がらせを受けた事件に激怒した尊師からは「勝手に代引きを送るやつは、来世はカメムシになることが決まってると思う。」との名言が飛び出し、カメムシが語録化した。
これらの人物はいわゆる半グレと目されており、不良に苛められた弟が自殺したことを切っ掛けに悪の存在を認識した、弁護士を志したというアイデンティティを疑われかねない有様となっている。
それを裏付けるかのように唐澤貴洋が弟の厚史の命日を取り違えてツイートする事件が発生。弟の不幸を自分を演出するアクセサリーにしているとの説が一層強固になった。
エクシア粘着
心酔しているZ李の影響からか、証券会社であるエクシア合同会社の投資詐欺疑惑に強く興味を持つようになった唐澤は、会社やCEO、関係者を攻撃するツイートを連発するようになる。
Z李を真似て代表の菊地翔を「かけるん」という馴れ馴れしい渾名で呼ぶに止まらず、サジェスト汚染を連投したり、菊地と親しいキャバクラ嬢のひめかに粘着リプライしたりなどほとんど誹謗中傷の域に達しており、あろうことか恒心教徒がやっていることと変わらなくなってきている。
ついには会社やひめかの店にけんままで実行するようになった。証拠保全のため六本木のオフィスを訪れた際には制止を無視して社内に立ち入ったのが不法侵入として被害届が麻布警察署に受理されたとエクシアから発表される事態にまで及んだ。
しかしこのような誹謗中傷行為は実際エクシアからの出資金の回収を求める依頼人の助けにはまったくなっていないと考えられ、他の弁護士事務所(リンク総合法律事務所など)が返金や口座凍結で確実に成果を上げる一方、法律事務所Steadinessからは何ら朗報はなく、唐澤本人が他力本願な会社の内部事情暴露を求めるツイートばかりしている様子しか目に映らない状況となっている。
結果として不良をもてはやす言動の矛盾を指摘しTwitterで粘着行為を咎めるツイートが、教徒は言うまでもなく非ワのTwitter民からも数多く寄せられるようになっている。しかし自分に都合の悪い意見を出すのはカメムシの一味しかいないとでも思っているのか、苦言に対する唐澤貴洋の回答は問答無用のブロックであった。Twitterでは「#デブにブロックされた」というハッシュタグによる報告が相次いでいる。夜泣きの中で唐澤貴洋はこれら無差別ブロックを正当化し、悪びれる様子は皆無である。
もはや「エクシア中傷bot」と評される程の狂人へと変貌した今日の彼からは、クリーンなイメージを持たせて、騒動を鎮火させようとしていた頃の面影は全く感じられなくなっていた。 また同社に纏わるツイートを抜きにしても、甘芋のような明らかに精神的な異常をきたしている発言が目に見えて急増しており、この時期から炎上の経歴をよく知らない層からの評判も揺らぎ始める。
飯塚騒動・荒連戦役終戦
上述の年初に発生したマヨケー乗っ取り事件もあり、飯塚騒動もやはり引き続いていた。乗っ取り事件をきっかけとして再発した2022年の飯塚騒動は、次期メインケー候補として設立されたラヒケーを中心に繰り広げられた。
5月には、荒らし連合軍などと組んで最後まで抵抗を続けていた飯塚軍の定永が降伏したことで騒動の終結とも言われたが、実際降伏自体が不確定なものであったこともあってしばらくは続くこととなった。
しかし島田「にかい」による乗っ取り事件に対する証言の信憑性に関する議論が高まっていくのを受けて、飯塚騒動に参加する教徒が不確定情報をまるで事実のように取り上げ検証することなく攻撃を行っている、ゆゆうた・サウプロ騒動における反省がまったく生かされていないことにメスが入る。反対派からは飯塚騒動は炎上依頼であったなどという言説も聞かれる様相になった。
掲示板間での争いが目立ったこの年、教徒の価値観の違いが浮き彫りになったのはメイン・サブ間のみならずサブケー内でも同様であり、後述の飯塚騒動の話題を中心に扱うラヒケーはサブのひとつノヒケーからの容赦ないバッシングを受けた。
8月、ノヒケーではラヒケー管理人の金銭トラブルでの言動が批判を惹起し管理人自体のアンチスレが立てられ、飯塚騒動に否定的な風潮も目立ってくるようになった(なお、メインであるマヨケーでは、前年から「臭芋やカルマが路線に蓄積されている」として飯塚騒動に関連する話題を禁止していたため、まったく話題にされていない)。
ついにはノヒケーのアンチスレに自ら出向いたラヒケー管理人が強烈に煽られたことで、怒りのあまりラヒケーを閉鎖させる事件が起き、9月2日に次期メインとも言われた防弾カラケーであるラヒケーは1年と経たず消滅した。
ラヒケー閉鎖以降騒動の中心を失い、マヨケー等で禁止令が敷かれていることで新拠点構築も困難な情勢となり、これをもって長らく続いたゆゆサウ騒動の延長戦は終戦に至った。
2023年
悪芋の活躍
1月に石崎敦子が山岡裕明萌え画像投稿罪で殉教。昭和生まれで女性で役人と、教徒としても殉教者としても珍しいタイプであることが注目された。
同月には元ラヒケー管理人大熊翔と佐藤直の二人によってFAX路線が密かに始動し、FAX送付サービス経由で大量の論文を送り付けていった。X(Twitter)での無用心な発言のために両名は8月に殉教したが、業務妨害の効果は絶大だったらしく、唐澤貴洋をガチギレさせることに成功した。またこれに乗じて朝日新聞が大量の恒心教バッシングの記事を発表するも、教徒の手により新聞契約者の個人情報を流出させられるという醜態を晒した。
論文は国内に留まらず韓国やシンガポールにも飛来し国際的ニュースとなった。ただ政治色が強い内容の論文であったため本件についての評価は分かれる。
闇バイト路線も提唱され、6月から次々と実行に移されたのち実行役の弓場晴菜ら非ワ複数名が犠牲者となった。
また前年に殉教し、島田「にかい」・4Kと同一人物の可能性が高いと目されている蓬田治都の裁判が行われ、蓬田が主張する「掲示板の管理人に論文を強迫された説」など新たな謎も生まれた。同時に唐澤貴洋が蓬田煽りのポストを繰り返したが、蓬田は執行猶予となり実刑を回避した。
止まらぬ暴走
昨年から続く唐澤貴洋の問題行動は留まることを知らず、さらにエスカレート。殉教者をはじめとする教徒への執拗な煽りと私刑、差別的発言、その他諸々の非常識な言動を繰り返すようになった。
逮捕された教徒には陰湿な私刑晒しを行うのに、社会的問題を起こした犯罪者にあたる人物を賞賛することに拍車がかかっている。漫画村を運営していた星野ロミ、私人逮捕系YouTuber煉獄コロアキなどをXで応援、差し入れを行うなどしている。アウトローやはみ出し者気取りも増え、遅すぎた中二病の真っ只中にあると思われる。なお昨年応援していた東谷義和関連は旗色が悪くなりすぎたからかツイ消しを行った。
また教徒以外への暴言も飛び出し、その悪行の数々は非ワにも知れ渡り、非ワにおいても唐澤貴洋被害者説が揺らぎつつある。
原点回帰と全面戦争の兆し
FAX路線や闇バイト路線騒動など一連の事件は多数報道され、唐澤の問題発言も激化、唐澤を観察するマヨケーも活発化し、カラケー全盛期ほどとは言わずとも幾分か勢いを取り戻した。
一方、かねてから学歴煽り問題・コテハン問題などが批判されていた学術路線ポアの動きが強まり、マヨケーでの炎上をきっかけに、学術系有力サブケーであったバリュケー及び同じ管理人が運営するノヒケーに対して10代目コロケーの悪芋が乗っ取り攻撃を実行。ノヒケー・バリュケーが閉鎖し、学術路線自体も衰退に追い込まれ、ゆゆうた・サウプロ騒動後に台頭した飯塚騒動路線と学術路線の両路線は相次いで姿を消すこととなった。
相変わらず長谷川亮太は行方不明、芸術路線は衰退状況であり、さらにこの年になると外伝主人公のほとんどが活動を停止ないし規模を縮小していたため、こうして必然的に教徒の関心は唐澤一本に絞られることとなった。
唐澤も殉教者を中心に誹謗中傷を激化している上、恒心内で大騒動が起きるのは4年周期であるという説が提唱され、尊師vs教徒の全面戦争のムードが高まった。
註釈
- ↑ 当時の2ch系での主流は旧速、ニュー速VIP、ニコニコ動画、およびそれに付随するまとめブログなどであった
- ↑ 八神太一=長谷川亮太も特定活動に参加していた
- ↑ 未成年飲酒が定説となっているが、後に現れた長谷川亮太を名乗る人物はアワーなどの入学式凸の抑止が目的であったと語っている。真相は不明
- ↑ JEXが普及したことは事実であるが、なんJに伝えたわけではない。サジェスト汚染技術はすでになんJでも一部で知られており、そのたぐいの投稿は既に行われていた
- ↑ 本物の弁護士による解説
- ↑ もともとなんJは野球選手はじめ実在の人物をネタにすることを躊躇しない風潮が強く、たとえ弁護士であろうと同様であった。むしろ「弁護士は一般人ではないのでセーフ」という風潮もあった
- ↑ 電話番号だけ分かっても氏名は分からないのと同じで、唐澤貴洋がIPを開示しただけで後のこと(IPからの発信者の特定、その後の訴訟)を何もしなかったため。ちなみに自分のことに関しては後々になって特定→訴訟をしている(300万騒動)が、遅きに失した
- ↑ ただし、嫌儲民はfacebookのポエム連投や後の口だけ集団訴訟などで早々と愛想を尽かしている
- ↑ 2015年アサケーに現れた自称dion君によると実害は無かった模様
- ↑ 特定コミュニティには恒心以外にふたば二次裏などがあり、一時休止の原因が恒心だったかには議論がある
- ↑ 一見普通の画像だが、gifアニメーションを利用して時間が経つと殺害予告などが表示される
- ↑ 当時のSNSに対する反応としてはかぁ坊騒動が参考になる
- ↑ 「ラジコン」の名称は前述の月永皓瑛に由来する。ただし月永の場合自分からラジコンになっていた点が甘芋・出会い厨とは異なる
- ↑ 特に出会い厨は食いつきさえすれば操縦が非常に容易かつ情弱の傾向にあり恒心に関して無知であるため現在でも定番のラジコンとなっている。
- ↑ twitterでの芸術路線民(特に絵芋)の自己顕示欲問題や、ダーキニーちゃんやアニメネタといった萌えネタ許容の是非など
- ↑ 正確には休止
- ↑ ドリケー、イスケー、ソムケー、マオケー、サモケーがポア、ケーケーケーケーが1日で自爆
- ↑ 原理主義の定義は曖昧であるが長谷川亮太・唐澤貴洋に関係ないことはあまり扱わない、萌えネタなどアフィっぽい文化は避けるなどの特徴がある。つまるところ2013年頃への回帰運動として見ると分かりやすい
- ↑ 淫夢民、爆サイ原住民が主体となっていたがけんまの方法論は恒心教のものをある程度受け継いでいる
- ↑ 2015年にも法廷オフが開かれるのではとの噂が流れた。平成27年(ワ)8441号を参照
- ↑ ただしこれ程の大恒心も一時的には勢いが伸びた程度に留まった。またこのような大恒心を得たことで、もはや目標を失ったとの悲観的な見方もある
- ↑ なおこの後日刊サイゾー内で、尊師自身が尊師MMD動画を楽しんで見ている事が明らかになった。
- ↑ 実際に川上は唐澤にニコニコ超会議の出演を打診していた。
- ↑ ただし、2019年時点ではこれほどのカリスマを持ちながらも石渡は外伝主人公認定には及んでいない。
- ↑ ただし、藤原太一を挑発する目的のジムソンは比較的活発に投稿されていた。
- ↑ YouTubeにて、ユーザーがアップロードした動画を削除する操作をしたにも関わらず動画が非公開になるだけで削除されないケースも度々報告されている。
- ↑ 日本語訳(意訳):頭がクルクルパーの精神病ではないか?
- ↑ このようなことを鯖会社側が述べるのは恒心史上前例のないことである
- ↑ ノヒケー雑談スレ>>420(魚拓) コロケー雑談スレ >>6681(魚拓)荒らし連合DiscordサーバーのSS(魚拓)
- ↑ 当該レス(魚拓)
- ↑ 法律の専門家である以上、自覚がないのは倫理的に問題がある
- ↑ ツイート(魚拓)
- ↑ マヨケ―雑談★24 >>279(魚拓)
- ↑ なお2021年後半には「失望した」
関連項目
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