聖遷
聖遷(せいせん)とは、ハセカラファミリーが住所・関連スポットを移すことを指して使われる用語である。特に唐澤貴洋が事務所を移転する際に使われることが多い。
元はイスラム教の用語であり、原語に倣ってヒジュラ(الْهِجْرَة)とも言われる。
恒心の聖遷
2013年の聖遷
2013年7月1日、恒心綜合法律事務所が東京都品川区西五反田1丁目11番1号 アイオス五反田駅前1008号室から東京都港区虎ノ門3丁目16番7号ピュア虎ノ門4階に移転した。一説によればサジェスト汚染により朝日アイオス社を激怒させアイオス五反田駅前を追い出されたという説があるが[1]真偽の程は不明である。この移転の後、唐澤貴洋がFaithbookの恒心を開始し300万騒動が発生する。
2016年2月の聖遷
2016年2月、事務所をピュア虎ノ門4階から港区虎ノ門5丁目11番1号オランダヒルズ森タワーRoP707号室に移転した。通常一般の人間が入れないような区画に存在することから、「けんまに対抗するための要塞への引っ越し」と揶揄されることも多い。
2018年4月の聖遷
2018年4月8日、事務所のあるオランダヒルズ森タワーRoP707号室が空室になっていたことが判明。4月12日、事務所の移転先が東京都港区六本木4-2-45 高會堂ビル301と判明した。
2018年10月の聖遷
2018年10月22日、山山の棄教から一月も経ないころ、高會堂ビル301の郵便受け表面に貼付されていた事務所名を表示する表札が除去され、同時に、郵便受け内に多量の不在票等郵便物が投函されたまま残留していることが判明。
翌23日、日弁連サイト掲載の弁護士情報(同月21日付)により、事務所の移転先が港区三田2-2-15 三田綱町デュープレックスR's3階と判明した。
唐澤貴洋の聖遷
世田谷への聖遷
1978年より後に、東京都済生会中央病院から世田谷へ移住。
横浜への聖遷
1984年より後に、世田谷から横浜市神奈川区インペリアル東白楽ガーデンハウスに移住。
1993年の聖遷
1993年5月、田園調布サティアンへ移住。同年、預言者長谷川亮太生誕。
湘南への聖遷
大学進学後、アベニュー湘南Ⅲへ移住。
2011年の聖遷
2011年7月4日の聖遷では、唐澤貴洋が坂本総合法律事務所(当時の所在地は東京都千代田区内神田3丁目20番3号小鍛冶ビル8階)での小西一郎等からの迫害を逃れて東京都品川区西五反田1丁目11番1号アイオス五反田駅前1008号室に恒心綜合法律事務所を設立した。
江東区への聖遷
坂本総合法律事務所時代に江東区コアシティ東大島に移住。
2016年1月の聖遷
コアシティ東大島が特定されたため、どこかへ移住(現代ビジネスより)。
長谷川亮太の聖遷
1999年7月に黒磯サティアンから現在のちばけんまに引っ越した。
山岡裕明の聖遷
「山岡裕明(弁護士)#経歴」も参照。
法律事務所クロス解散後、八雲法律事務所を設立。八雲法律事務所は2018年10月1日に設立されているが、4年の間に3度の聖遷が確認されている(東京都港区西新橋2-33-4プレイアデ虎ノ門801→東京都千代田区内神田1丁目2−2小川ビル9階→東京都千代田区神田小川町1丁目7小川町メセナビル8F→東京都千代田区神田司町2-6神田平沼ビル4階)。
出典・注釈
- ↑ 2016年3月には1008号室は朝日アイオス社が使っておりサジェスト汚染被害で借り手がつかなくなってしまったため自社で使用しているという憶測があった。その後2018年に1008号室は隣の部屋と統合され消滅してしまったことが確認された。