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'''炎上弁護士「私のもとに殺害予告が来るまで」''' | '''炎上弁護士「私のもとに殺害予告が来るまで」'''(えんじょうべんごし わたしのもとにさつがいよこくがくるまで)とは、Webマガジン「[http://gendai.ismedia.jp 現代ビジネス](講談社)」上に寄稿 | ||
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*[[福嶋誠也]](Bに該当する人物) | |||
*[[安藤良太]](Cに該当する人物) | |||
*[[蓬田治都]](Dに該当する人物) | |||
== 外部リンク == | == 外部リンク == |
2017年12月20日 (水) 19:48時点における版
炎上弁護士「私のもとに殺害予告が来るまで」(えんじょうべんごし わたしのもとにさつがいよこくがくるまで)とは、Webマガジン「現代ビジネス(講談社)」上に寄稿 されたコラムである。
概要
2017年12月19日、『炎上弁護士が実名告白「私に殺害予告が来るまで」』と題し、一連の炎上を綴った唐澤貴洋自身による告白文が寄稿された。
プロフィール
魚拓 弁護士 唐澤 貴洋 TAKAHIRO KARASAWA PERSON インターネット上の法律問題への対応に特化した法律事務所クロスに所属。誹謗中傷の問題は、相談を含めて過去に数千件対応している。近時は、誹謗中傷の問題 について、被害者救済の観点から新たな法整備を主張している。
炎上弁護士が実名告白「私に殺害予告が来るまで」~男はオフィスに突然やってきた~
魚拓
自宅を特定された日
2016年1月4日、38回目の誕生日を迎えたその日、自宅のポストに1通のレターパックが入っていた。嫌な予感がした。当時(今も)私は、とある理由で炎上していたのだ。 ネットで誹謗中傷を繰り返す人々(以下では、「ネット加害者」と呼ぶ)から、日々追われていた。「ついに、自宅を特定されたのか」目の前が真っ暗になった。 これまでも、実家の住所が晒されたり、街を歩いているところを盗撮されたりなどのプライバシー侵害やいやがらせを受けてきた。ついには、住むところさえも危険に晒されるようになったのかと絶望的な気持ちになった。 不安に駆られながら、インターネットで自分の名前を検索した。すると、私が住んでいるマンション名を誰かが掲示板に書き込んでいる。 しかし、部屋番号まではわからなかったようだ。たしかに、レターパックには部屋番号が書かれていない。おそらくいつも配達にくる郵便局員の人が、気を利かせて私のポストに入れてくれたのだろう。 レターパックは、配達記録が残るため、配達されたことが投函者にはわかる。そうなると私の住所に確信を持った不審者が、マンションにやってくるかもしれない。心臓の鼓動が早くなる。 「周りの人に迷惑だ。もうここにはいられない。今すぐ家を出よう」トランクに荷物を詰め、逃げるようにマンションを後にした。 部屋番号まではバレていないものの、いつマンションに不審者がやってくるかわからない。すぐに郵便局へ移転届を出し、ポストにガムテープを貼った。 ひとまず、新居に引っ越すまではホテルに滞在することにした。その日は、眠ることができなかった。人生が走馬灯のごとく思い返された。 なぜ私の住所がバレたのか。インターネット上に分散している投稿を分析していくと、私が卒業した大学のOB名簿が情報源のようだ。大学には、その旨のクレームを入れたが、広報部署からの報告はなかった。 以前、私に対する殺害予告が同大学のIPアドレスからなされたこともあった。大学のWi-Fiから書き込んだのだろうか。このことも、同大学の広報部署に連絡をしたが、いまだに返事はない。
私が炎上したワケ
なぜ炎上したのか。私はもともと、弁護士としてインターネット上で誹謗中傷を受けている方の弁護を担当し、誹謗中傷記事の削除等を行ってきた。 2012年3月に「2ちゃんねる」に違法性のある書き込みの削除請求をしたところ、当時の掲示板の仕組みにより、私の名前が知られるところとなった。それをきっかけに私の行動がネット加害者に知られ、今度は私自身が誹謗中傷されるようになったのだ。 ネット加害者に知られた瞬間は今でも覚えている。まず、掲示板上で私の事務所のホームページやTwitterアカウントが探し当てられ、揶揄されだした。 当時、私の事務所は誹謗中傷・名誉毀損問題をメインの分野として仕事をしていたので、名誉毀損と関わりがある政治家、芸能人、著名人などをTwitterでフォローしていた。 そこで私がアイドルをフォローしていたことが問題視されていた。あいつはアイドルオタクだ、と。 アイドルオタクだと何がいけないのだろうか。ちなみに、私自身はアイドルについては詳しくない。私の趣味は映画鑑賞と本を読むことで、アイドルは専門外の話だった。にもかかわらず、ネット加害者は私が「ドルオタ」であるとのレッテルを貼り付けることで、ある種の高揚感を味わっているようだった。 私は、インターネット上でついた小さな火が炎となり、燃え上がりだしているのを見て、大変な恐怖を感じた。
病む、完全に病む
これまで、炎上した弁護士はいない。弁護士というのは対外的な信用で仕事をする。炎上するということは、その信用が外形的に失われていくことを意味する。 私がターゲットにされたのは、当時一人で弱小事務所を運営していたことも関係があろう。立場の弱い人は、どんなに叩いても大丈夫なのだという考えが、ネット加害者にあったのだと思う。 その後、誹謗中傷は悪質を極め、私が犯罪者であるとか、詐欺師だとか、ありとあらゆる罵詈雑言がインターネット上でなされた。 同期の弁護士の中では、早くに独立していた私には、どうやったらお客様から仕事をいただけるのかを考えるのが最大の課題であった。そこで私が考えたのは、インターネットからの集客であった。しかし、炎上した結果、私の名前や事務所名で検索すると誹謗中傷が大量に表示されるようになり仕事が成り立たなくなった。
炎上すると完全に病む
炎上すると精神状態はどうなるのか。ネットで過剰に誹謗中傷をされると、インターネットで何を言われているのか、何が起こっているかが気になり、不安で眠れなくなる。 また、頻繁に悪夢を見るようになった。感情の起伏がなくなり、夜はアルコールがないと眠れない。当時、心療内科に行けば、なにかしらの診断がされたのではないかと思う。 また、「インターネットでの投稿を、周りの人が読んでいるのではないだろうか」、「外で私の悪口を書いている人に会うかもしれない」と周囲の目が気になり、人混みに出ることを極力避けるようになった。 ポイントカードを利用することもやめた。ポイントカードの作成時に、不用意に個人情報を外部に出せば、リスクコントロールできないと思ったからだ。後に、私と何ら関係のない同姓同名の方の住所がインターネット上に出たことがある。 その際の投稿では、「とある企業のデータベースで検索したところ」と書かれていた。企業のデータベースにおける情報管理がどこまで厳密にされているかの保証はない。 「炎上すると日常生活が完全に破壊される」——。弁護士として、初めて“被害者”側に回って感じたことだ。誹謗中傷はその後も止まることなく連日続いている。
殺害予告をしてくる人々
私がインターネット上で誹謗中傷されるようになって数ヵ月が経っても、私への誹謗中傷・罵詈雑言は1日も止まることなく続いていた。ところが2012年の11月ごろから、毛色の違う投稿がインターネット掲示板になされるようになった。「殺害予告」である。 殺害予告の投稿者Aは、当時高校生で、都内にある印刷会社経営者の息子であった。未成年であったため、父親に連絡を取ったところ、「息子がそのようなことをするはずがない」と回答された。 Aは反省するどころか、私がAの自宅に送付した内容証明をインターネットに投稿し挑発を続けた。その後もAからの誹謗中傷は続いていた。親は、子供のインターネット上での振る舞いについて全く管理監督できていない。これは他の未成年の加害者にも共通していた。 Aの殺害予告がきっかけとなり、私に対する殺害予告が流行となってしまった。現実社会で目の前の人に殺害を予告するというのは、冗談を除けば、相当な胆力がなければできない。もちろん、刑事事件になる可能性もある。にもかかわらず、殺害予告が簡単にできてしまうのは、インターネットが事実上、無法地帯と化しているからである。 その後、多数の殺害予告が私に対してなされた。警察がある事件に関連して発表したときは、約95万件ということであった。 カッターナイフが送られてくることも複数回あった(なお、2016年11月29日に、私宛にカッターナイフを送付し殺害予告をした者については、別件で逮捕され、取り調べを受ける中で私に対しての犯行を自供し、1年8ヵ月の実刑判決が言い渡された)。 殺害予告をされるようになってから、生活はさらに一変した。
犯人を特定!しかし…
行動パターンが同じだと狙われやすいと考え、毎日、歩く道を変えた。後ろに人がいないか、常に気にするようになった。不審だと思う人物がいれば、目視し行動を確認した上で、先に行かせた。また、エレベーターでは、不審だと思った人物とは一緒に乗らないようにした。 殺害予告については、警察に相談をさせていただいた。警察には、その後10件以上も立件をしていただき、助けられた。だが、当時はまだインターネット上の投稿が犯罪になるという認識が薄かったと思う。 IPアドレスとは何か、どうすればインターネット上の犯人を特定できるのかを警察署で一生懸命伝えた。 殺害予告を受け始めて1年半がたった2014年5月、ようやく一人の逮捕者が出た。20歳の派遣社員の男性Bだ。彼とは、現実でもインターネット上でも一切関わったことがない。 なぜ、Bは何ら関係のない人間に対して殺害予告をしたのか。逮捕時の様子は報道され、Bの顔を見ることができたが、幼く寂しそうな眼をしていた。Bには、更生し、平和な生活を送ってほしいと強く願っている。
犯人はこう特定する
殺害予告犯Bが逮捕されてから、少しの間は殺害予告が収まった。しかし、ネット加害者は、次なる罪を犯した。爆破予告である。爆破予告は、私の事務所を爆破するというものから、私の名前を騙り(いわゆる「成りすまし」)、地方自治体等に爆破予告するというものまであった。 爆破予告も、連日続いた。爆破予告されたある日、事務所に行くと、事務所の入った建物の前に、東京キー局のテレビカメラのクルーがいた。犯行予告時刻に、私の事務所が爆破されないかを撮影するために来たとのことだった。 もし、本当に私の事務所が爆破されたとしたら、その爆風で影響を受けるであろう場所に、無防備にテレビカメラが設置されていた。 自ら死地に行く者はいない。つまり、彼らはニュースのネタとして素材を取りに来ていたのだ。その意図を感じた私は、テレビ局に抗議の電話を入れたが、犯行予告時刻を過ぎるまでテレビカメラが取り除かれることはなかった。 爆破予告犯の一人に青年Cがいた。彼を意識したのは、当初は殺害予告犯としてだった。 殺害予告犯Bが逮捕されて殺害予告が減っている中で、再び殺害予告がなされたので、私は犯人を特定すべく、動き出していた。
ようやく逮捕したものの
犯行予告等の権利侵害行為を行った犯人の身元を特定するのは、所在が海外であったり、技術的に難しいということを除けば、法律上は可能になっている。具体的には「プロバイダ責任制限法」という法律を利用する。 同法律では、権利侵害を受けた者が発信者を特定したい旨をプロバイダ(インターネット接続業者)に請求した場合、プロバイダは発信者に対して、発信者特定に役立つ情報(住所、氏名、メールアドレスなど)を請求者に公開していいかの照会をかける。 この法律にもとづき、私はプロバイダに発信者特定に役立つ情報を開示してほしいと請求をかけた。その結果、Cのもとへ意見照会がなされた。 するとCは、あろうことかこの意見照会を、インターネット上に公開したのだ。Cが晒した文書の中には、うかつにもCの名前が記載されている文書もあった。 その後のCの行動は異常を極めた。爆破予告を繰り返すだけでなく、深夜に私の事務所へやって来て、事務所が入っている建物に貼ってある住居表示板をはがすといった嫌がらせを行った。 さらにCは、自らテレビの取材を受け、顔半分をマスクで隠して露出を行うようになり、犯行を劇場化していった。 Cはその後ようやく逮捕された。Cが逮捕されるまでは、想像を絶する誹謗中傷・罵詈雑言が毎日されていたが、Cの逮捕後は一部収まった。 Cは刑事裁判で執行猶予付きの有罪判決(懲役2年半、保護観察付執行猶予4年)を受けることとなった。 しかし、執行猶予期間中に、埼玉のとある駅の公衆電話から地方自治体に対して同じく爆破予告を行い、再度逮捕され、再び有罪判決を受けることになった。 年末の埼玉県の閑散とした駅で、一人公衆電話にいたCを想像すると、とても悲しい気持ちになる。Cは、これから数年間服役することになる。Cの更生を心から願っている。
成りすましも後を絶たない
ある日、私の成りすましが自治体に対して爆破予告をしていたので、その自治体の警察官が突然事務所にやって来た。私は、私に対して今まで起こっていることをすべて説明し、これが悪質な嫌がらせであることを説明した。 その際、警察官からは「通信ログ」を提供してほしいとの申し出があった。それは、パソコンを提供することなのか、どのような方法で何のデータを提供することなのか、明確でないままの申し出であった。 私は「通信ログの提供の方法を明確に教えてもらえれば、協力のしようがあるが、現状だとどう協力すればいいかわからない」と述べて、お帰りいただいた。 このような申し出は、私の通信ログを調べる必要があると警察署が判断したということに他ならない。 捜査の初期で、多くの可能性を探る中の一つの手段にすぎないのであろうが、このような申し出は、ともすると、私が疑いの対象に入っているのではないかとの懸念を持たせるに至り、この種の捜査の難しさを感じた。 個々の警察署では、どのように捜査すればいいのか試行錯誤を続けているのだろう。 ここまで私の身に起きた炎上の実態を記してきた。後編では目に見えにくい炎上加害者の素顔を明かす。私が直接対峙した15歳の少年は、なぜ会ったこともない私に嫌がらせをしたのか。本人に直接話を聞いた。
(20日公開の後編につづく)
炎上弁護士、「死ね」と言ってきた少年たちに会いに行く~どうして僕のことが嫌いなんですか?
誹謗中傷・罵詈雑言・殺害予告・爆破予告――。一度炎上すると、その火を消すのは困難だ。日常生活が一気に破壊され、心身ともに疲弊する。前回は炎上すると何が起きるのかを解説した。後編は炎上させている加害者本人の素顔に迫る。なぜ加害者は会ったこともない私に嫌がらせをするのか。
どうしても犯人の顔が見たい
2015年7月1日の早朝、その日は大雨が降っていた。私は傘を持たず、スーツから雨が滴り落ちる状態で少年ハッカーDが姿を現す瞬間を待っていた。彼が勾留されている警察署から出て護送車に乗る一瞬を。私は彼の顔をどうしても一目見ておきたかったのだ。 10代のハッカーDは、ある出版社のサーバに不正にアクセスした容疑で逮捕されていた。私はこのDと因縁が深い。Dは2013年頃、インターネット上で肖像権侵害などの権利侵害行為を行っており、私はDの正体を追っていた。 Dのインターネット上での痕跡を追い、法的手段により断片的な情報を収集していが、あと一歩というところでDのTwitterのアカウントが消え、Dはゆくえをくらましてしまった。 そのDが、2014年末頃から、別の名前でランサムウェア(パソコンをロックし、ロックを解除して欲しければ、金銭を支払えと要求するもの)を作り、違法行為に及んでいた。このときは名前が異なっていたので、Dとこの人物が同一であるとは知らなかった。 また、2015年2月には、DはTwitterの連携アプリを運営する会社のサーバーを乗っ取り、私に対する殺害予告を連続して行っていた。 連携アプリの運営会社サーバーのセキュリティ上の脆弱さを狙い、サーバーに不正アクセスしたDは、数千回もの殺害予告ツイートを私に対して行った。Dは、以前とは別のTwitterアカウントを開設し、彼自身の行いを自慢していた。こうした多数の殺害予告は耳目を集めたのだ。 私は殺害予告を、逐一警察に相談していた。Dは一体何者なのか。私はDのTwitterを常に観察した。また、Dに関する情報がインターネット上に出ていないか、毎日調べた。 インターネットとは不思議なもので、インターネットユーザーの間で目立った行為をする者が出てくると、その人物についての情報が突如出始めることがある。 ある日、「Dが2013年頃の例のアイツではないか」という投稿が、インターネット掲示板に書き込まれた。その可能性を考えてみると、ハッキングの手口、Twitterでの同じような犯行自慢、彼の生活時間など共通点がいくつかあった。そこで、私は警察にその旨を連絡した。 その後、警察の地道な捜査によって、Dは逮捕された。Dは神奈川県に住む17歳の少年であった。私は特異な事件を起こしたDが、どのような人物なのか知っておかなければいけないと思っていた。 その私のもとに、Dが東京の警察署で勾留されているとの情報が入ってきた。被疑者が勾留中に検察庁で取り調べがなされる時は、朝、護送車に乗せられて検察庁に送致される。警察署から出て、護送車に乗る一瞬、Dは顔を現す可能性がある。その一瞬を、警察署の門の鉄格子の間からうかがいながら待った。 何分待っただろうか。雨でスーツはびしょ濡れになり、体が冷えてきたなと思っていたその時、警察署のほうが慌ただしくなった。Dが警察官に連れられ、姿を現した。Dは痩せており、暗めの色のTシャツと灰色の長ズボンを身につけていた。逮捕されたことへの不安だろうか、顔は物憂げで、足取りは心もとなかった。 少年の実像は、私が持っていた過大なイメージとは異なっていた。世間の注目を集める大胆な犯罪をする人物は、きっとふてぶてしく、豪胆な人間ではないかと勝手にイメージしていたのだ。「なぜ、彼は犯罪行為に手を染めてしまったのだろう」解消できない疑問を抱えた。 なお、この少年は、今は成人して新しい道を歩んでいるという。私は、Dのことを一切恨んでいない。Dがより良い方向に行くことを、心より願っている。
墓にペンキをまかれた写真
お墓にペンキをまかれる
インターネットで標的になるとプライバシーが次々と暴かれるようになる。プライバシーの暴かれ方を紹介しよう。例えば、私の場合は、実家の住所を公開される、一族家系図を作られる、中学校の頃の文章や写真が晒される、街を歩いているときに盗撮される、親族のお墓の場所を特定されるなどの被害にあった。 プライバシー情報を入手するための方法は、登記を取得する、SNS上で私の成りすましアカウントを作り、私とつながりがありそうな人物に友達申請をして情報を引き出す、私を尾行する、事務所の入っているビルに不法侵入する、などである。 親族のお墓は、私の実家の周辺にお墓があるだろうということで、探索して見つけたようだった。このお墓を見つけたのは、当時15歳の少年とされている。 この少年とは、2016年12月7日に会うことになる。私の事務所が入っているビルに不法侵入し、ドアの鍵穴にボンドを詰めていた少年を、現行犯で確保した。警察官によって周りを取り囲まれ、騒然としている中で、少年は下を向きながらもうっすらと笑みを浮かべており、事の重大性を理解していないようであった。 怒鳴りつけた。怒られたことがないのではないかと思ったからだ。確保された少年の親を呼び出して話を聞いた。その親はシングルマザーとして少年を育てているということであった。着古したコートを身にまとい、少年のことを涙を浮かべながら話していた。 母親は少年の問題性に気が付いて、パソコンは取り上げていたそうだ。だが、少年は与えられたわずかな小遣いでインターネットカフェに行き、インターネット上での投稿を行っていたのだ。 無責任な人達が少年の違法行為を称賛し、少年は再び違法行為をするという、悪循環に陥っていた。私は少年の親に民事上の責任は問わないので、しっかりと監督してほしいと伝えた。 なお、少年は以前も、私の事務所の入っているビルに侵入し、私の事務所のネームプレートに「死ね」と書いていた。 その際に少年は、自身の行為を動画に収めインターネットに公開していた。その動画では、少年の姿がエレベータ内の鏡に映っている様子が収められており、犯行の稚拙さを感じた。少年の行いは、その後少年事件として処理された。
炎上させてるのはこんな人
炎上行為をする人の属性
これまで、私を被害者とした刑事事件で10人以上が立件されている。そこで把握した加害者の属性や個人的に把握した殺害予告犯等業務妨害行為者複数名の属性は次のようなものだ。一番多いのは10代の学生、次いで20代の学生及び無職、そして、30代の無職。全員男性であった。 私はその中の何人かと実際に会った。親がいる者は、親も一緒に会う機会を持った。加害者は皆コミュニケーション能力が低く、周りに彼らのことを理解している人が少ない環境にあり、孤独な人が多かった。 違法な投稿をした理由も、インターネットで反応があるのが面白かった、没入感を味わいたかったという理由であり、私に対して個人的に恨みを持って炎上行為に加担している者はいなかった。 そして、罪悪感を持って行為に及んでいた者はおらず、刑事事件になるという認識も持っていなかった。また、炎上行為に参加している者は、皆私と何ら関係がない人だった。 ネット加害者の親は、子供がインターネット上で何をしているのか知らず、また、そもそも私からの問い合わせを受けたり、刑事事件にならなければ、そのようなことに関心すらない感じであった。 すべての炎上事例が、私関連の加害者属性と同じというわけではない。女性の炎上事例では、男性加害者よりも、女性加害者のほうが、私が弁護士として関わる中では多かった。 インターネットでは、ネットウォッチ板という掲示板が存在する。インターネット上で起こっている事象を観察し、その事象について意見を投稿する掲示板である。 観察対象の中には、個人ブログやSNSがある。そこで、女性がブログ主だったりすると、掲示板上では、その女性に対して性的な蔑称を投げかけたり、人格を否定するような投稿がなされることがあった。 また、個人ブログやSNSで写真など投稿すれば、それをもとに、自宅特定など個人のプライバシー侵害行為が行われている。
炎上は社会問題だ
炎上は、少人数でも実現可能だ。私の件に限って言えば、コアな人物が逮捕されたり、刑事的に立件されたりすると、ある程度は収まることが多い。 これが意味するのは、加害行為に及んでいる者の数は案外少ないということだ。統計的な研究は、田中辰雄氏と山口真一氏の共著『ネット炎上の研究』(勁草書房)に詳しい。 同書の中では、個別事件に関して書き込む人は、ごく一握りであることが示されている。この結論は、私が実務において感じていたことと一致する。 今回は、私に起こったネット炎上現象について説明し、私見を述べた。ネット炎上という現象が社会問題として認識され、今後の対応策を考える一助になれば幸いである。
今回判明した事実
今回のコラムは我らが尊師の心の内を綴ったものとしては過去に類を見ないほどのボリュームを誇る。ドルオタ疑惑に始まる一連の炎上に対する尊師の反応、また不明もしくは未確定の段階で放置されてきた幾つかの疑惑についてセルフ開示がなされる結果となった(答え合わせ理論)。
- 慶應義塾OB名簿から以前の恒居として「コアシティ東大島」が判明していたが、2016年1月4日に転居するまで在住していたことが新たに判明した(港区発言との矛盾。また住所バレを把握した直後に転居するというフットワークの軽さから尊師独身説の信ぴょう性が増したとの意見もある)。
- ドルオタ疑惑に対し、「アイドルオタクで何が悪いのか」「アイドルについては詳しくない」などと強く否定している。
- 炎上により「完全に病み」、生活が一変したことが語られた(「でも意外と業務には影響ないですよね。実は。」発言との矛盾)。
- Dion君の父親は印刷会社を経営していた。
- 事務所へ爆破予告がなされた際、テレビ局のクルーが事務所で待機していた(事務所が爆破されないかを撮影するため)。
- 唐澤貴洋の名を騙り爆破予告が起きた際には警察から通信ログの提供を求められていた。
不明点
余談
- 長谷川亮太は国士館時代、現代ビジネス法学科に在籍していた。
- 告白文が掲載された現代ビジネスは以前サイトのリニューアルがなされており、唐澤貴洋と同じ慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)に在籍するプログラマー・Tehu氏が担当していた。氏はその問題言動から度々炎上し、リニューアルの仕事もあまりの杜撰ぶりに各方面から批判を受けた。
- ガムテープを貼ると痕が残るので、養生テープを使うべきである。[1]