この慟哭に耳を傾ける。
この慟哭に耳を傾ける。(このどうこくにみみをかたむける)は、2020年に誕生した尊師語録である。
概要
恒心綜合法律事務所のTwitterは、2014年6月4日のうじ婆に対する返信ツイート「世界の終わりも大好きです!」を最後に恒心が途絶えていた。このツイートは核兵器による終末論を暗示していると解釈されたこともあり、その後新たな尊師語録は恒心されなかった。
その後約6年の歳月を経て、理由は不明であるが、2020年3月20日から同じアカウントでの恒心が突然再開された。再開後初となるツイートでつぶやかれたのが、この語録である。
3月20日
https://twitter.com/KoushinLawfirm/status/1240833903507558400(魚拓) |
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何があったのか。 |
この事件は森友学園事件[1]に関連して自殺した財務省職員の手記を報道した「週刊文春」3月26日号の記事に関するものである。
しかし、毎度のことではあるが、この尊師語録は日本語として明らかに意味がおかしい。
「慟哭(どうこく)」とは「大声をあげて泣くこと(三省堂国語辞典)」「悲しみのあまり、声をあげて泣くこと(小学館デジタル大辞泉)」である。
該当の財務省職員が森友学園事件に関する手記を遺したのは事実であるが、「悲しみのあまり大声をあげて泣いた」わけではないので、「慟哭」の主語が亡くなった財務省職員でないことは明白である。そうすると、尊師は一体誰の泣き声に耳を傾けているのか、ということになる。
また、尊師は立花孝志が「週刊文春」に対して起こしたスラップ訴訟や、この財務省職員の自殺の原因になった森友学園の経営者であった籠池泰典夫妻の代理人弁護士を務めており、自らの発言と言動に何らの一貫性も誠実性も見られない。そのため、尊師の不自然な言動・行動に対して「この慟哭に首を傾ける」「この慟哭に耳が震える」と、この語録を改変して用いられる用例も見られるようになった。
この語録と同様に、尊師が他人の自殺に便乗して自分の政治的主張を述べた例として、2020年6月8日の弁護士ドットコムニュースのインタビュー記事が挙げられる。尊師の弟は悪いものたちによって自殺に追い込まれた。このことは悲しい事実であるが、その尊師が臥薪嘗胆の日々を経て「ネットに強い弁護士」となった後に、様々な痛ましい自殺事件に便乗して自らの歪んだ政治思想を主張するのは、人間としての誠実性に疑問が持たれる。尊師の弟も、兄のあまりの醜態ぶりに草葉の陰で悲しんでいるのではないだろうか。