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道端にしか熱量は存在しない。

提供:唐澤貴洋Wiki
2020年7月14日 (火) 19:46時点における>恒心近松による版 (→‎概要)
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尊師語録 > 道端にしか熱量は存在しない。

道端にしか熱量は存在しない。(みちばたにしかねつりょうはそんざいしない)は、2020年に誕生した尊師語録である。

概要

恒心綜合法律事務所Twitterは、2014年6月4日のうじ婆に関するツイートを最後に恒心が途絶えていたが、何を思ったのか約6年の歳月を経て2020年3月20日から、突然怒涛の勢いで恒心されるようになった。作風は以前のFaithbookなどと全く変わっていないが、2020年6月5日の恒心において、我々がこれまで見慣れた尊師語録の中に紛れてこっそり追加された新語録が「道端にしか熱量は存在しない。」である。

https://twitter.com/KoushinLawfirm/status/1268897321439256577(魚拓)

声なき声に力を。

愛なき時代に愛を。

道端にしか熱量は存在しない。

新しい時代を。

#プロバイダ責任制限法改正を。

元々尊師の語録は難解なものが多いが、まるで意味の読み取れないこの新語録に教徒は驚愕した。

デジタル大辞泉(小学館)によると「道端」「道路の端のあたり。道路のほとり。路傍。」「熱量」「1 熱エネルギーの大きさを表す量。2 比喩的に、熱気。熱意。情熱。また、その度合い。」となるので、尊師のこの語録は

「道路の端のあたりにしか熱エネルギー(もしくは情熱)は存在しない」

と言い換えられ、まったくもって支離滅裂な語録である。科学的な観点からは全く意味不明であるが、比喩的な文章と考えた場合でも日本語としてまるで意味をなさない文章である。一方、尊師が核兵器を保有しているという設定から、歩く放射線汚染、核兵器所有者とも言われている尊師が歩くだけで核エネルギーを道端に放出しているという意味ではないかとする解釈もなされている[1]

これまでの主張や、前後の文脈を考えると尊師はおそらく「(政治家や著名人ではなく)市井の一般人にこそ(プロバイダ責任制限法改正を成し遂げる)情熱が存在する」と主張したかったのではないかと思われる。

しかし、本来(尊師の主張する)プロバイダ責任制限法の改正でメリットを受けるのは、市井の一般人ではなく主に著名人であろうと思われるため、なぜ「道端に情熱が存在する」のか不明であるし[2]、「道端にしか存在しない」と、まるで政治家や著名人には協力者が存在しないかのような表現をしている点も不可解である。

そもそも「一般人」の意味で「道端」という単語を使うのは不自然であるし[3]、「~を。」で終わる過去語録の抽象的な短文3つの真ん中に全く趣の異なるこの文を挿入することによって、これまでの語録が持つ軽快なリズム感が失われており、わずか4つの短文で構成される日本語の表現としても異様な印象を受ける。

過去の語録と比較しても著しく使い勝手が悪く、尊師が何を意図してこのような駄作を生み出したのか、今後の究明が待たれる。

脚注

  1. この解釈であれば、文章の内容が既存の物理法則に合致する。
  2. 尊師は言論弾圧目的でスラップ訴訟を起こす悪徳企業の受託案件を増やすために、プロバイダ責任制限法の改正を目指している可能性が存在する。この問題について、詳しくは日経ビジネス 2020年6月22日付 記事の森亮二弁護士のコメントを参照。
  3. 尊師や出龍は上級国民なので、一般人を見下して道端にうずくまっているホームレスと同様に考えている可能性が存在する。

関連項目