面白い愛の戦士

2022年2月18日 (金) 16:34時点における>へっきへ金融による版 (→‎評価)
面白い愛の戦士
尊顔未開示
基本資料
本名 不明
別名・渾名 愛の戦士、愛戦()、白愛(師)[1]、恒心教新信徒庁次官[2]Dの意志を継ぐもの[3]、アパーヤージャハ愛戦[4]、シャンティー愛戦[5]、ソーナー愛戦
一人称 当職、私、俺
才能 有能
特定経緯 未特定
所属 恒心教
趣味 爆破予告、殺害予告
好きなもの Torガバ隊長[要出典][6]
嫌いなもの ゆゆうたゆゆうたキッズ関東サウンドプロジェクト
関係者

面白い愛の戦士(おもしろいあいのせんし)は、恒心教悪芋爆破予告路線で活動し、47都道府県全ての施設で予告が報道されている。トリップは◆z8s3oMxAW2

概要

過激派に属する悪芋たちの中でもとりわけ行動派で、前述の通り過去に例がないレベルで爆破予告を繰り返した。

ゆゆうた・サウプロ騒動初期の4月14日に高砂市役所宛に爆破予告を行って以降、おびただしい数の爆破予告を繰り返して着弾させ名を轟かせ、同時に他の教徒の士気を大いに上げた。

匿名化の技術力も高く、他の教徒が殉教した際には生存報告も行っている。一方、福山紘基の殉教は、愛戦の心境にも大きく影響している。

他方、undoへの指示の際にほかの教徒に暴言を放ったことや、秋田県庁予告直後に唐突に自分語りを行う[7]、ほかの爆破予告芋に比べて1件1件のインパクトが弱い[8]など否定的評価も存在していた。

ダクト飯との撤退戦略議論

爆破予告などは続ける一方で、時が経つと共にこのまま戦い続けることに対して疑問も抱いていた模様で、スバケー閉鎖直前期には対ゆゆうたからの撤退を検討していたことが確認されている[9]

そのころ、元メインカラケー管理人のダクト飯はサウプロ第二次攻撃以降、ゆゆうた並びにサウプロ関係者に有効打を与えられないばかりか、恒心教にとって損失しか生み出さないと考えていた。

これに面白い愛の戦士が反応し、メールで議論が行われ、その様子を本人同意の元、ダクト飯がtwitter上にアップロードしている。

実は愛戦側としても、「ゆゆうた路線の継続が恒心教に対し害悪になる」という点については「首肯せざるを得ず、早期の撤退をしたい」「過激化する割には効果的なダメージが与えられていないというのは否定できない」と考えていた。

その一方で、「ゆゆうたの行動が尊師に対する実害がないから撤退する」というのは賛同できないとし、その理由に、「挑発的な態度をとったゆゆキッズの存在を鑑みれば、教団の威信に悪影響を及ぼしかねない」とも考えていた。

愛戦は、ゆゆうた路線の収束方法のシナリオとして、「対ゆゆうたについてはもう十分に実害が出ているので、一発追撃のダメージが入ったタイミングを見計らって勝利宣言して撤退すべき」とし、その方法として「予告を乱発し再びゆゆうたの名前を出す」「今のtwitterアカウントを凍結させる」の2点を想定。またサウプロに対しては「払った代償がゆゆうたと比べて小さすぎる」「特に宇都宮は脱糞オーケストラの企画者である」として「攻撃を続けるべき」と主張している。

また今後勝利宣言が出せる状況になった場合、積極的に停戦を呼びかける意向も示していた。

ダクト飯は①ゆゆうた路線の停止もしくは廃止②論文路線の停止もしくは廃止③今後の処遇の検討のため、メインケーでの議論の開始の3点を提案し、愛戦に対しては1.なぜ論文路線を実行しているのか 2.反ゆゆうた路線教徒についての感情 3.おそらく警察が捕まえるのはライト層であることについて何か思うことはあるかという3点を質問している。

愛戦はこれに対して、1.最初は気まぐれだったが騒動の進展とともにある程度の効果を確認でき、進展に尽くしたいからであり、実際ゆゆうた・サウプロ関係者に一定の実害を与えていたからというものであった。

2.に対しては恒心はすべての路線の根本にチンパカが存在しその上に各路線が成立しているという持論を述べた上で、「恒心教の空中分解を避けるためにも、ゆゆうた路線の増長と暴走という見方がされている現状をすぐに改めなければならない」と述べた。

一方で、ゼムケーにおける愚痴スレやメインの雑談等で行われていた強引な原理主義回帰、ゆゆうた路線への一方的な否定的意見については抗議したいとし、「対話と信仰心を通して全教徒が団結してこの難局を乗り切るべき」と説いた。

3.については「非常に心苦しい」という気持ちを暴露、飯塚軍の攻撃でtwitter教徒が被害を受けている現状や国営セコムによる大規模弾圧予告については「嫌な思いをしている」と率直に述べた。

これらの上で①をゆゆうたに限り限定的賛成、②も完全に中止するのは問題だとしつつも限定的賛成、③を賛成ではあるがtwitter教徒の側でも十分な議論をするべき。と結論付けた。

出頭予告と撤回

11月初頭にテレビ報道でゆゆうたの実家住所が間違いであったと判明し混乱が広がる中、ゆゆうたが11月中に動画を消せば出頭すると宣言した[10]。他の教徒たちの説得により、出頭については撤回された[11]

ゆゆうたとの停戦

11月22日、ゆゆうたはyoutuberコレコレの仲裁のもと、ダクト飯との説得に応じ、恒心教側が要求した動画の削除に応じる姿勢を見せ、事実上降伏・停戦協定が結ばれた。

この協定が結ばれたのは、他の過激派を抑え、当初は「ダクト飯なんか無視しろ」という周囲の声もあったものを黙殺し、対話に応じた彼の功績も決して無視できるものではないだろう。実際に彼との対話がなければ、ダクト飯もゆゆうたに対して「削除さえすればもう攻撃はやめる」と約束することは出来なかったであろう。

過激派の視点で見れば、自らと意見が違う穏健派に対しては臭芋のレッテルを貼りがちであり、実際にカラケーでも、厭戦派・穏健派に対してそのような状況が長く続いた。宗教学的にも、異教徒よりも異端を激しく攻撃しがちである(ゆゆうた路線事体にも、そうした側面がある)が、彼は恒心教内の団結を重視し、分断の回避を優先したのである。

その後

2021年7月17日、Novogara被害者の会掲示板に降臨。無事を報告した。

未確定情報ながらも、他の悪芋仲間も概ね無事であった。

雑談スレ(魚拓) - ノヒケー
309 : ◆z8s3oMxAW2:2021/07/17(土) 23:18:23.15 ID:Fhll2edg0
こんばんは

310 :名無しさん@脱税弁護士:2021/07/17(土) 23:32:45.73 ID:g2++1ypvI
>>309
愛戦師?

311 :面白い愛の戦士 ◆z8s3oMxAW2 :2021/07/17(土) 23:34:24.64 ID:Fhll2edg0
>>310 
はいナリ

皆様お久しぶりでございます
面白い愛の戦士は現在無事でちゅわ
マヨケーで逮捕の一報を見て驚きましたが当職も砂川芋も無事なりを
福山師の件については逮捕されてしまったことは非常に残念です
あの明晰な頭脳が炎上芸人によってアカデミックの世界から葬り去られるのははっきり言って異常だ
ゆゆうたと福山師、社会にとってどちらの存在が有意義なのか 大阪大学と裁判所は真剣に検討する必要がある

312 :名無しさん@脱税弁護士:2021/07/17(土) 23:54:52.27 ID:VO3T8XN/I
お元気なようでよかった

313 :名無しさん@脱税弁護士:2021/07/18(日) 00:00:46.61 ID:OjNcE1QfI
常総師とRRM師は無事なのでしょうか

314 :面白い愛の戦士 ◆z8s3oMxAW2:2021/07/18(日) 00:06:32.12 ID:mU3egMbt0
これだけはお伝えしておこうと思うのですが、

ゆゆうた路線の存在その物が間違いだったと言うことは絶対にありえない
少なくとも脱糞オーケストラの時点であの戦いは避けられなかった
継続戦争になだれ込んだこともそれ自体は間違いではない
戦いの中で徒に気持ちを擦り減らし続けて自分たちの行動を検証することを放棄し、強硬な態度を貫き続けてしまったことこそが過ちだった
当職にも爆破予告に固執し、戦線の中で散漫に疑惑実家の住所を信じて攻撃したと言う過ちがありますから、エラそうなことは申し上げるられませんが

316 :面白い愛の戦士 ◆z8s3oMxAW2:2021/07/18(日) 00:09:42.13 ID:mU3egMbt0
>>313
常総師は無事です

ではさよなら法政二中

評価

騒動中並びに騒動終了直後は極めて有能とされていた。一方で、少数派ながらも否定的な見解が唱えられることもある。とはいえ、上記のノヒケーのように、降臨時にはある一定の敬意を持たれているというのもまた事実であり、有能な悪芋といえども活動中殉教してしまうことが多い[12]中で、現在でも警察から逃げおおせている点などを踏まえ、概ね有能な悪芋とみなされている。

以下は、肯定的に評価されている部分とそれに対する主な否定的な反論とその根拠、並びに再反論以下

全都道府県に論文着弾

反論

  • その快挙が評価されるのは良いとしても、電通や福山の様な大規模な報道や戦況への大きな影響はほとんど無し
  • 誤爆被害者の名前での論文がかなりの量着弾

再反論

  • 警察の捜査を完全に交わし続けている人物であるため、報道への都合が悪い可能性がある
  • 誤爆事件当時の空気や、愛戦が着弾させた論文の物量が単純に多いことなどを考えればやむを得ない
  • 疑惑住所への論文着弾については、本人も「過ち」として認めている、大抵の臭芋や唐澤貴洋は自らの過ちを認めずに強硬手段を取り続けることを考えれば、特筆すべき事項である

ダクト飯と連携して講和に貢献した

反論

  • ダクト飯がほぼ主導しており、ダクト飯もコレコレ頼み。講和の条件も恒心側にそこまで有利な条件でない

再反論

  • 過激派の代表格とみなされていた愛戦が公に矛を収めたのは重要である
  • 他の過激派ならばダクト飯を臭芋扱いしたであろう

再々反論

  • (ダクト飯を臭芋扱いしたであろうというのは)単なる憶測である

ゆゆうた路線で大活躍した

反論

  • あまりにも目立ちすぎたため、恐怖政治を後押しし、不寛容な空気を蔓延させた

再反論

  • 愛戦は恐怖政治にあまり積極的に関与していない

再々反論

  • 愛戦の意向(威光?)を盾に恐怖政治が活発になった面がある。

再々々反論

  • しかしそれは虎の威を借る狐が悪いのであってそれをもって彼の評価を下げるのは酷だ

またその他にも、「ラジコン路線にも首を突っ込む」、「口調が臭い」 といった否定的評価をする意見もあった。

前者については「そもそも『恒心教徒は特定の路線に特化して活動しなければならない』などという戒律は存在しないのだから、様々な手法を使用して問題ない」、後者については「匿名化破りの『アナログ捜査』の手法として、その人の文章の癖などから個人情報を割り出すというものが存在するため、あえてこうした奇抜な文体を用いることは通常に行われている[13]」と言った反論がなされている。


当時の状況を知らずに後々の基準であれこれいうことは誰でもできることであるが、当時からその手法や態度に対しては、少数ながらも一定の根強い批判があったというのも事実である[14]
厭戦派の一部には「彼と福山がゆゆうたの実家を誤爆したせいで、恒心が不利な状態になり結果ゆゆうたをのさばらせ恒心が衰退した」という見方を持つ者が多く(マヨ・メノケー事件を参照)、避難ケーに架空の裁判記録を書かれる[15]など彼に対しての恨みを持つ者も多い。
しかし福山やねそにゃのように[16]逮捕はされておらず、またどういう経緯であれ最終的には時勢に逆らわず、穏健派と和解した上で、コレコレダクト飯の要求に素直に応じたことなどは評価すべき点であることは揺ぎ無い。

恒心教の歴史にとっても彼の存在は重要なものであり、その評価は今後も変わっていくものと思われる[17]

関連項目

脚注

  1. 本人の通称としては白愛を使っているが、教徒からは愛戦と呼ばれる場合が圧倒的に多い
  2. 本人が自称
  3. かつての爆破予告芋の筆頭、安藤良太の如く爆破予告を大量送付したため。漫画「ONEPIECE」の「Dの意志を継ぐ者」と言う表現もこの渾名の由来としているが、当然のことながら本家と渾名の意味合いは大きく異なる。
  4. 由来はオウム真理教顧問弁護士にして、白い愛の戦士の発案者・青山吉伸(アパーヤージャハ正悟師)。
  5. 由来はオウム真理教新信徒庁長官(白い愛の戦士の統括を担当)の大内早苗(シャンティー師長→ソーナー師長)。「ソーナー愛戦」も同様。
  6. 騒動初期に本人が言及している。[要出典]
  7. のちにダクト飯との共同声明のやり取りの際に心理的に非常に不安定になって怖くなった旨を告白していることから、気の迷いであるとされる。
  8. RRM姉貴の行った電通爆破予告、マンジュシュリー福山が行ったと比定される大阪市立大学への爆破予告、ほかの教徒の行った常総市への爆破予告はいずれも大々的に報道されたが、愛戦によるものは秋田県庁、日立市の爆破予告が5chで比較的話題になった程度
  9. [1]
  10. [2]
  11. [3]
  12. ただし殉教した場合でも、相応に敬意を払われる
  13. いわゆる無法地帯系の掲示板で多用される「ナリナリですを」もこれにあたる
  14. 最も、有能な悪芋と高い評価を受けている教徒たちであっても、全く批判的な意見が存在しない教徒は殆どいないのであるが
  15. 雑談>>714-720(魚拓) - 避難ケー
  16. ねそにゃ逮捕後、愛戦がねそにゃと同一人物ではないかと言う説が出たが、それこそ口調が異なるし実際のねそにゃの逮捕容疑の論文とは一致していないため、殆ど相手にされていない
  17. 実際に、当初は神格化されていたが後に評価が下がった0chiaki(ただし彼の場合、釈放後の自己の行動が評価が下がった原因であり、もし釈放後に恒心教に対して何もしていなければ、今日でも引き続き神格化されていたことは間違いないであろう)や、逆に当初は臭芋扱いだったが後に評価が上がった4Kの例もある。また、様々な功績を上げたことで「正大師」と讃えられている悪芋安藤良太は、活動当時からアンチスレが立つなど賛否両論のあった人物である。このように教徒が流動的なため、評価は時間と共に変わっていくものである