「この慟哭に耳を傾ける。」の版間の差分
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>長谷川良平 (後半は語録との関連が薄いと思われるので削除しました。) |
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この事件は{{wpl|森友学園事件}}<ref> | この事件は{{wpl|森友学園事件}}<ref>本wikiの趣旨から外れるため、森友学園事件の詳細な経緯は[[Muyopedia]]に任せる。なお、尊師は[[籠池泰典]]の弁護を務めているが、[[Muyopedia]]では尊師自体に「特筆性がない」と判断されているようで、尊師と籠池の関係を記載したページは一切存在しない(もしくは即刻削除されている可能性もある)。</ref>に関連して自殺した財務省職員の手記を報道した「週刊文春」3月26日号の記事に関するものである。 | ||
しかし、尊師語録の例に漏れず、これも解釈が困難である。 | |||
「慟哭(どうこく)」とは「'''大声をあげて泣くこと'''(三省堂国語辞典)」「'''悲しみのあまり、声をあげて泣くこと'''(小学館デジタル大辞泉)」である。 | 「慟哭(どうこく)」とは「'''大声をあげて泣くこと'''(三省堂国語辞典)」「'''悲しみのあまり、声をあげて泣くこと'''(小学館デジタル大辞泉)」である。 | ||
当然、「慟哭」とは財務省職員の抗議自殺とも取れる自死を指すものと思われるが、(疑惑が真実であれば)この職員は完全な被害者というより尻尾切りにあった末端の悪人であり、これを「慟哭」とすることには疑問が残る。また、「大きな泣き声」に「耳を傾ける(注意して聞く)」のも不自然であり、「忘れない」「見過ごさない」などが適切であるように思われる。 | |||
また、この文を読む限り、尊師は森友学園問題に関して、高級官僚のスケープゴートにされた財務省職員に同情し、森友学園や内閣行政を追及する立場であるように思われた。<br> | |||
しかし、実際には逆に森友学園の経営者である[[籠池泰典]]夫妻の代理人弁護士を勤め、この疑惑を追及していた「週刊文春」に対しても[[立花孝志]]の代理人として訴訟を起こすに至った。結局、尊師がこの問題に対してどちらの立場をとっているのか、全く不可解である<ref>ここから、「でっちあげの疑惑で追及されている森友・内閣行政の慟哭」を意味する、という解釈も成り立つ。</ref>。そのため、尊師の不自然な言動・行動に対して「この慟哭に'''[[横尊師|首を傾ける]]'''」「この慟哭に'''[[身が震える。|耳が震える]]'''」と、この語録を改変して用いられる用例も見られるようになった。 | |||
== 註釈 == | == 註釈 == |
2020年7月10日 (金) 02:39時点における版
この慟哭に耳を傾ける。(このどうこくにみみをかたむける)は、2020年に誕生した尊師語録である。
概要
恒心綜合法律事務所のTwitterは、2014年6月4日のうじ婆に対する返信ツイート「世界の終わりも大好きです!」を最後に恒心が途絶えていた。このツイートは核兵器による終末論を暗示していると解釈されたこともあり、その後新たな尊師語録は恒心されなかった。
その後約6年の歳月を経て、理由は不明であるが、2020年3月20日から同じアカウントでの恒心が突然再開された。再開後初となるツイートでつぶやかれたのが、この語録である。
https://twitter.com/KoushinLawfirm/status/1240833903507558400(魚拓) |
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何があったのか。 |
この事件は森友学園事件[1]に関連して自殺した財務省職員の手記を報道した「週刊文春」3月26日号の記事に関するものである。
しかし、尊師語録の例に漏れず、これも解釈が困難である。
「慟哭(どうこく)」とは「大声をあげて泣くこと(三省堂国語辞典)」「悲しみのあまり、声をあげて泣くこと(小学館デジタル大辞泉)」である。
当然、「慟哭」とは財務省職員の抗議自殺とも取れる自死を指すものと思われるが、(疑惑が真実であれば)この職員は完全な被害者というより尻尾切りにあった末端の悪人であり、これを「慟哭」とすることには疑問が残る。また、「大きな泣き声」に「耳を傾ける(注意して聞く)」のも不自然であり、「忘れない」「見過ごさない」などが適切であるように思われる。
また、この文を読む限り、尊師は森友学園問題に関して、高級官僚のスケープゴートにされた財務省職員に同情し、森友学園や内閣行政を追及する立場であるように思われた。
しかし、実際には逆に森友学園の経営者である籠池泰典夫妻の代理人弁護士を勤め、この疑惑を追及していた「週刊文春」に対しても立花孝志の代理人として訴訟を起こすに至った。結局、尊師がこの問題に対してどちらの立場をとっているのか、全く不可解である[2]。そのため、尊師の不自然な言動・行動に対して「この慟哭に首を傾ける」「この慟哭に耳が震える」と、この語録を改変して用いられる用例も見られるようになった。