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「この慟哭に耳を傾ける。」の版間の差分

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>黒水力
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>長谷川良平
(後半は語録との関連が薄いと思われるので削除しました。)
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この事件は{{wpl|森友学園事件}}<ref>森友学園事件の詳細な経緯は[[Muyopedia]]を参照。当Wikiでは政治問題を取り扱わないため、この事件に関してはこれ以上立ち入らない。なお、尊師は[[籠池泰典]]の弁護を務めているが、[[Muyopedia]]では尊師自体に「特筆性がない」と判断されているようで、尊師と籠池の関係を記載したページは一切存在しない(もしくは即刻削除されている可能性もある)。</ref>に関連して自殺した財務省職員の手記を報道した「週刊文春」3月26日号の記事に関するものである。
この事件は{{wpl|森友学園事件}}<ref>本wikiの趣旨から外れるため、森友学園事件の詳細な経緯は[[Muyopedia]]に任せる。なお、尊師は[[籠池泰典]]の弁護を務めているが、[[Muyopedia]]では尊師自体に「特筆性がない」と判断されているようで、尊師と籠池の関係を記載したページは一切存在しない(もしくは即刻削除されている可能性もある)。</ref>に関連して自殺した財務省職員の手記を報道した「週刊文春」3月26日号の記事に関するものである。


しかし、毎度のことではあるが、この尊師語録は日本語として明らかに意味がおかしい。
しかし、尊師語録の例に漏れず、これも解釈が困難である。


「慟哭(どうこく)」とは「'''大声をあげて泣くこと'''(三省堂国語辞典)」「'''悲しみのあまり、声をあげて泣くこと'''(小学館デジタル大辞泉)」である。
「慟哭(どうこく)」とは「'''大声をあげて泣くこと'''(三省堂国語辞典)」「'''悲しみのあまり、声をあげて泣くこと'''(小学館デジタル大辞泉)」である。


該当の財務省職員が森友学園事件に関する手記を遺したのは事実であるが、「悲しみのあまり大声をあげて泣いた」わけではないので、「慟哭」の主語が亡くなった財務省職員でないことは明白である。そうすると、尊師は一体誰の泣き声に耳を傾けているのか、ということになる。
当然、「慟哭」とは財務省職員の抗議自殺とも取れる自死を指すものと思われるが、(疑惑が真実であれば)この職員は完全な被害者というより尻尾切りにあった末端の悪人であり、これを「慟哭」とすることには疑問が残る。また、「大きな泣き声」に「耳を傾ける(注意して聞く)」のも不自然であり、「忘れない」「見過ごさない」などが適切であるように思われる。


また、尊師は[[立花孝志]]が「週刊文春」に対して起こしたスラップ訴訟や、この財務省職員の自殺の原因になった森友学園の経営者であった[[籠池泰典]]夫妻の代理人弁護士を務めており、自らの発言と言動に何らの一貫性も誠実性も見られない。そのため、尊師の不自然な言動・行動に対して「この慟哭に'''[[横尊師|首を傾ける]]'''」「この慟哭に'''[[身が震える。|耳が震える]]'''」と、この語録を改変して用いられる用例も見られるようになった。
また、この文を読む限り、尊師は森友学園問題に関して、高級官僚のスケープゴートにされた財務省職員に同情し、森友学園や内閣行政を追及する立場であるように思われた。<br>
 
しかし、実際には逆に森友学園の経営者である[[籠池泰典]]夫妻の代理人弁護士を勤め、この疑惑を追及していた「週刊文春」に対しても[[立花孝志]]の代理人として訴訟を起こすに至った。結局、尊師がこの問題に対してどちらの立場をとっているのか、全く不可解である<ref>ここから、「でっちあげの疑惑で追及されている森友・内閣行政の慟哭」を意味する、という解釈も成り立つ。</ref>。そのため、尊師の不自然な言動・行動に対して「この慟哭に'''[[横尊師|首を傾ける]]'''」「この慟哭に'''[[身が震える。|耳が震える]]'''」と、この語録を改変して用いられる用例も見られるようになった。
この語録と同様に、尊師が他人の自殺に便乗して自分の政治的主張を述べた例として、[[弁護士ドットコム#「10年続くネット中傷被害」唐澤貴洋が語る“木村花さん問題” 「もはや重罰化が必要だ」(2020/06/08)|2020年6月8日の弁護士ドットコムニュース]]のインタビュー記事が挙げられる。[[唐澤厚史|尊師の弟]]は悪いものたちによって自殺に追い込まれた。このことは悲しい事実であるが、その尊師が[[臥薪嘗胆]]の日々を経て「[[ネットに強い弁護士]]」となった後に、様々な痛ましい自殺事件に便乗して自らの歪んだ政治思想を主張するのは、人間としての誠実性に疑問が持たれる。[[唐澤厚史|尊師の弟]]も、兄のあまりの醜態ぶりに草葉の陰で悲しんでいるのではないだろうか。


== 註釈 ==
== 註釈 ==

2020年7月10日 (金) 02:39時点における版

尊師語録 > この慟哭に耳を傾ける。

この慟哭に耳を傾ける。(このどうこくにみみをかたむける)は、2020年に誕生した尊師語録である。

概要

恒心綜合法律事務所のTwitterは、2014年6月4日のうじ婆に対する返信ツイート「世界の終わりも大好きです!」を最後に恒心が途絶えていた。このツイートは核兵器による終末論を暗示していると解釈されたこともあり、その後新たな尊師語録は恒心されなかった。

その後約6年の歳月を経て、理由は不明であるが、2020年3月20日から同じアカウントでの恒心が突然再開された。再開後初となるツイートでつぶやかれたのが、この語録である。

https://twitter.com/KoushinLawfirm/status/1240833903507558400(魚拓)

何があったのか。
人1人の命が失われている。
この慟哭に耳を傾ける。
“「すべて佐川局長の指示です」森友事件で自殺した財務省職員「遺書」入手” 「週刊文春」2020年3月26日号 魚拓

この事件は森友学園事件[1]に関連して自殺した財務省職員の手記を報道した「週刊文春」3月26日号の記事に関するものである。

しかし、尊師語録の例に漏れず、これも解釈が困難である。

「慟哭(どうこく)」とは「大声をあげて泣くこと(三省堂国語辞典)」「悲しみのあまり、声をあげて泣くこと(小学館デジタル大辞泉)」である。

当然、「慟哭」とは財務省職員の抗議自殺とも取れる自死を指すものと思われるが、(疑惑が真実であれば)この職員は完全な被害者というより尻尾切りにあった末端の悪人であり、これを「慟哭」とすることには疑問が残る。また、「大きな泣き声」に「耳を傾ける(注意して聞く)」のも不自然であり、「忘れない」「見過ごさない」などが適切であるように思われる。

また、この文を読む限り、尊師は森友学園問題に関して、高級官僚のスケープゴートにされた財務省職員に同情し、森友学園や内閣行政を追及する立場であるように思われた。
しかし、実際には逆に森友学園の経営者である籠池泰典夫妻の代理人弁護士を勤め、この疑惑を追及していた「週刊文春」に対しても立花孝志の代理人として訴訟を起こすに至った。結局、尊師がこの問題に対してどちらの立場をとっているのか、全く不可解である[2]。そのため、尊師の不自然な言動・行動に対して「この慟哭に首を傾ける」「この慟哭に耳が震える」と、この語録を改変して用いられる用例も見られるようになった。

註釈

  1. 本wikiの趣旨から外れるため、森友学園事件の詳細な経緯はMuyopediaに任せる。なお、尊師は籠池泰典の弁護を務めているが、Muyopediaでは尊師自体に「特筆性がない」と判断されているようで、尊師と籠池の関係を記載したページは一切存在しない(もしくは即刻削除されている可能性もある)。
  2. ここから、「でっちあげの疑惑で追及されている森友・内閣行政の慟哭」を意味する、という解釈も成り立つ。

関連項目