河野光次
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河野光次 | |
基本資料 | |
本名 | 河野光次 |
---|---|
住所 | 東京府荏原郡馬込村1341(wp) |
出生地 | 広島県沼田郡緑井村(wp) |
墓所 | 不明 |
身体情報 | 故人 |
才能 | 有能 |
特定経緯 | 『週刊新潮掲示板』、人事興信録により発覚 |
騒動との関連 | 尊師の曾祖伯父 |
最終学歴 | 早稲田大学 |
関係者 | |
河野 光次(こうの みつじ、Kono Mitsuji、1882年-1973年頃)とは、唐澤貴洋の曽祖伯父で河野一英の伯父である。「憲政の神様」、東京市長として知られる尾崎行雄の秘書であり、義理の娘婿である。
経歴
- 1882年 - 広島県沼田郡緑井村にて河野唯助の次男として生まれる[1]。
- 1902年頃 - 早稲田大学入学。尾崎行雄の秘書になる。
- 1903年8月 - 畑弥右衛門と共に朝鮮へ渡航。土地開発に携わる。
- 1909年 - 日本へ帰国。
- 1910年 - 尾崎の養女多満と結婚。
- 1918年頃 - 田園都市株式会社に関与。
- 1919年9月 - アメリカへ渡航。ニューヨーク、ワシントンなどを視察する。
- 1926年3月 - 友人葛原猪平の葛原冷蔵が倒産し、東洋冷蔵と改称した際に臨時株主総会の詮衡委員として名前を連ねる[2]。
考察、唐澤貴洋への影響
広島県緑井村の河野家三兄弟、唯一、光次、一三(尊師の曾祖父)のうちの次男で最初に上京した人物と思われる。 後に朝鮮で事業をしつつ東急田園都市線沿線において郊外住宅地の分譲開発事業を行っていた田園都市株式会社(東急不動産の前身)起業のきっかけを作った畑弥右衛門もまた光次の同僚にあたる尾崎行雄(当時の東京市長)の秘書で光次と繋がりが深かった模様であり、一三はこの兄・光次の支援で朝鮮に渡りまた後に東急に関わったのではないかと思われる。
また、唐澤貴洋がの好きな作家の一人として挙げているノンフィクション作家、猪瀬直樹はこの経緯を『土地の神話』という本の題材としており、自身の一族の事を書いているからということで読んだのではないかとする考察がなされている[3]。
著書
- 『北米行脚便り』自費出版 1920年
- 『春秋四十年』自費出版
関連項目
外部リンク
註釈