憲法のいま 公布70年
憲法のいま 公布70年(けんぽうのいま こうふごじゅうねん)とは毎日新聞の連載しているコラムである。
概要
尊師、新聞に登場(御真影あり) 1 : 風吹けば名無し 2016/07/01(金) 08:31:01.50 ID:BgGw2MKGa http://i.imgur.com/iRciAvM.jpg 5 : 風吹けば名無し 2016/07/01(金) 08:32:02.62 ID:BgGw2MKGa 今日の琉球新報やけど 共同やから
全文
公布70年/13 13条/プライバシー権 21条/表現の自由 /四国(魚拓) ネットと表現、深刻な被害も インターネットが普及し、誰もが広く発信できるようになった。 市民の表現活動は新たな局面に入ったと言える。一方で、その表現が誰かを深く傷つけたり、膨大な情報を蓄積するネットの特性が、従来はなかった被害を生んだりする事態も。 憲法21条が定める表現の自由や知る権利と、13条の幸福追求権から導かれるプライバシー権、名誉権のバランスをどうとるかが課題になっている。 個人攻撃、殺害予告 「数え切れないほどの人に囲まれているようで、恐ろしくて夜も眠れなかった」。 第一東京弁護士会の唐沢貴洋弁護士は、2012年にネット上で始まった自身への攻撃について振り返る。 ネット上での中傷などに悩む人たちから相談を受け始めて約1年が過ぎた時期だった。 ある掲示板に、依頼者に関する書き込みの削除を求めたことで反発を買い、掲示板が個人攻撃であふれる「炎上」状態に。 殺害予告が連日書き込まれ、事務所の周囲には不審者がたびたび現れた。 表現の自由の乱用 警察が捜査に乗り出し、脅迫容疑などで10人程度が逮捕・書類送検されたという。 以前ほどではないが、攻撃は今も続く。「表現の自由が乱用されている。何らかの歯止めが必要では」と唐沢さんは言う。 言論や表現活動が国家から厳しく弾圧された明治憲法の時代を経て、現行憲法の下、市民は表現の自由を手にした。 しかし、ネット社会での「自由」の行使が、多くの炎上事例を生み、同じ市民の人権を侵害する事態が起きている。 唐沢さんは「ネットは市民同士の戦いの場になっている」と話す。 忘れられる権利 一方、個人のプライバシー権や名誉権を保護するため、新たな権利の概念が近年注目されている。 ネット上に残り続ける個人情報の削除を求める「忘れられる権利」だ。 本や新聞などの情報は時間の経過とともに人目に触れにくくなるが、ネットの場合は過去の情報にも容易にアクセスできることが背景にある。 例えば、犯罪や不祥事への関与などで一度悪評が付くと、グーグル、ヤフーといった検索エンジンで名前や関連する言葉を打ち込むことで簡単に情報が引き出される。 14年10月、忘れられる権利を日本で初めて認めたとされる東京地裁の仮処分決定は、原告の男性が反社会的集団に所属した過去を記したページの一部を、グーグルの検索結果から削除することを命じた。 「ネットの記載が、社会生活を営む上で悪影響を及ぼしている」という男性側の主張が認められた。 いびつな現状 ただ、検索結果に手を加える動きには、表現の自由と知る権利を保障する観点から慎重な意見もある。 国際大学GLOCOMの山口真一講師は「検索エンジンは公共性が高く、できるだけ中立を保つべきだ。削除は権力者に悪用される恐れもある」と指摘する。 山口さんの共著書「ネット炎上の研究」では、炎上を恐れてネットでの表現を控える人が相当数いる半面、掲示板に関連のコメントを投稿するなど炎上に「参加」した経験があるのは利用者全体の1%程度にとどまることを約2万人へのアンケート調査から示した。 さらにその中でも、相手を直接的に攻撃するような書き込みをする人はごく一部という。 少数が表現の自由を最大限使って極端な行動をとることで、周囲を萎縮させたり、規制論を呼び起こしたりして、多数の自由を損ねる、といういびつな現状があると分析する。 安易に炎上に加担しないよう、学校教育などを通じて市民のネットリテラシー(ネットを適切に使うための知識や能力)を高める必要性を力説する山口さん。 「多くの人が萎縮すると、ネットに出てくる意見は多様性が失われ、先鋭化したものばかりになってしまう」と懸念する。 書き込み削除、議論を 宍戸常寿・東大教授 民主主義社会では表現の自由の下、原則として自由に意見や情報を発信し、互いにそれをぶつけ合うプロセスが重要だ。 インターネット上でも同様だと思う。 ただ、ネットでは一度発信したものがいつまでも残る。検索エンジンの存在もあり、知りたい情報を簡単に引き出せる一方、知られたくない情報を削除するのは困難だ。 そうしたネットの特徴を踏まえ、表現の自由や知る権利との兼ね合いを社会全体で考える時期にきている。 例えばマスメディアは実名報道の重要性を強調してきたが、報じた内容が拡散され残り続ける中、果たして微罪事件であっても容疑者の実名を報じるべきだと言えるのか。改めて検討しなければならないだろう。 ネットの世界が現実世界から独立して存在するわけではない。 ネット上の書き込みや転載であれ、それ以外の場での表現であれ、権利侵害があれば同じように対処をすべきだ。 現状の「忘れられる権利」は、検索エンジンの事業者に検索結果を削除させる権利のように見なされている。 しかし、もともとのサイトの表現自体を、削除しやすくする仕組みをつくる方が大切ではないか。 表現の自由や知る権利の尊重を前提としながら、議論を深める必要があるだろう。
脚注
外部リンク