インターネット上の扇動表現と発信者情報開示請求

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インターネット上の扇動表現と発信者情報開示請求(いんたーねっとじょうのせんどうひょうげんとはっしんしゃじょうほうかいじせいきゅう)とは、月刊「部落解放」2021年7月号(807号)の特集「ネット差別と法」に掲載された唐澤貴洋の寄稿である。

本文

特集 ネット差別と法

インターネット上の扇動表現と発信者情報開示請求

唐澤貴洋 弁護士

はじめに

 二〇一七年五月に、氏名不詳者が、ブログにおいて、朝鮮学校に対する補助金の支給停止に反対する日弁連及び各弁護士会の会長声明に賛同した弁護士に対して懲戒請求を行うことを呼び掛ける内容の記事(以下、「本件投稿」という)を投稿した。 本件投稿を受けて二〇一八年五月までに約三〇〇〇件に及ぶ懲戒請求がなされた。 そして、懲戒請求を受けた弁護士が、懲戒請求の発端となったブログ記事を書いた氏名不詳者に対して損害賠償請求等をするためにブログ投稿者の発信者情報をブログが所蔵されているサーバのホスティングサービス提供会社に対して、発信者情報請求訴訟を大阪地方裁判所にて提起した。 同裁判については、二〇一九年四月一九日に請求棄却判決(以下、「本件地裁判決」という)(二〇一八年(ワ)第四八三三号)が出され、その後控訴によって、二〇一九年一〇月二五日に大阪高等裁判所にて原判決が取り消され、最終的には発信者情報の開示を命ずる判決(以下、「本件高裁判決」という)(二〇一九年(ネ)第一二八二号)が出された。 本稿では、本件地裁判決と本件高裁判決の判断の違いが生まれた構造を分析し、今後、インターネット上での扇動(せんどう)表現に対する法的対応の示唆を得たい。

1 プロバイダ責任制限法上の発信者情報開示要件

 特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律(以下、「プロバイダ責任制限法」という)第四条一項において、①侵害情報の流通によって当該開示の請求をする者の権利が侵害されたことが明らかであるとき(以下、「権利侵害明白性要件」という)、②当該発信者情報が当該開示の請求をする者の損害賠償請求権の行使のために必要である場合その他発信者情報の開示を受けるべき正当な理由があるとき(以下、「正当理由要件」という)が、発信者情報開示請求権が認められる要件として定められている。

2 本件地裁判決の判断の構造

(1)地裁判決の概要

 本件地裁判決では、権利侵害明白性要件について、①懲戒請求の呼び掛けを内容とする投稿をもって、「侵害情報の流通によって当該開示の請求をする者の権利が侵害されたことが明らかであるとき」に当たるか(争点1)、②本件投稿が原告に対する違法な名誉毀損に当たるか(争点2)が、争点として設定された。

(2)争点1

 ①判決では、プロバイダ責任制限法第四条一項一号「情報の流通によって」の解釈について、プロバイダ責任制限法の立法趣旨、「特定電気通信を通じた情報流通が拡大したことに伴い、他人の権利を侵害するような情報の流通に対処すべき必要が生じたこと、特定電気通信による情報発信は、他の情報流通手段と比較しても発信に係る制約が少ないために情報の発信が容易であり、しかも、いったん被害が生じた場合には、情報の拡散に比例して被害が際限なく拡大していくという特質を有すること、及び特定電気通信による情報の流通によって被害を受けた者がかかる権利侵害に適切に対処して救済をするためには、特定電気通信役務提供者から発信者情報の開示を受ける必要性が高い一方で、発信者情報は、発信者のプライバシー及び匿名表現の自由、通信の秘密等憲法上の権利を根拠として保護されるべき情報であって、その性質上いったん開示されてしまうとその原状回復が困難であることに鑑み、発信者と情報流通によって被害を受けた者の利害を調整する観点」及び同文言から、「特定電気通信による情報の流通に起因する権利侵害に関しても無限定な発信者情報の開示を許容するものではなく、「情報の流通によって」、すなわち、情報の流通自体によって個々人の権利利益の侵害が生じた場合に限って、開示請求権を認めた趣旨と解するのが相当」とした。 そして、弁護士が懲戒請求を受けたことによって弁護士に生じた権利侵害は、直接的には懲戒請求によって生じたものであるから、「侵害情報の流通」によって、当該弁護士の権利が侵害されたことが明らかであるとはいえないとした。
 判決は、本件投稿が懲戒請求者を扇動し、不法行為と評価しうる懲戒請求が行われたとしても、直接的には、懲戒請求者の行為によって弁護士に名誉、信用等の権利利益侵害が生じたものであるから、本件投稿自体によって、権利利益侵害が起こされたものではないとし、本件投稿のような扇動表現について、発信者情報請求ができる対象の記事の埒外においた。
 ②そして、権利侵害明白性要件の判断のために考慮される事情の範囲について、「問題とされた権利侵害それ自体から他人の権利を侵害するものであることが明らかといえる場合をいうものと解するのが相当である。 したがって、当該投稿後に現実に生じた損害の有無や発信者の主観的意図、実社会における投稿前後のやり取りなどを踏まえて初めて、対象者の被った精神的苦痛が社会通念上受忍すべき限度を超えるか否かが判断されるような場合は、侵害が明らかであるとはいえないもの」として、本件投稿以外に様々な事情を考慮しなければ、本件投稿そのものの違法性が判断できないため、権利侵害が明白であるとはいえないとした。

(3)争点2

 判決では、本件投稿は、弁護士の行為について、懲戒処分が相当であるという意見論評を述べたものであるが、朝鮮学校に対する補助金の支給に向けた活動をすること一般が憲法および何らかの法令に反するものではなく、弁護士としての品位を損なう行為でもないことは明らかであって、同活動に関する日弁連及び各弁護士会の会長声明及びこれに賛同する行為についても、表現行為の一環として、同様に法令や弁護士倫理に反するものでないことは明らかであるため、一般読者の普通の読み方を基準とした場合、懲戒請求を受けた弁護士の社会的評価を低下させるものではないと判断し、本件投稿が名誉毀損にあたらないと判断した。

(4)本件地裁判決の評価

 「情報の流通によって」という文言の解釈を、その情報自体によって権利侵害が引き起こされなければいけないとし、権利侵害と情報発信の直接的な因果関係を求めるのは、他者を扇動することによって権利侵害を起こそうとする表現に対しての法的責任を問う道を閉ざすことになる。 インターネット上では、思想、帰属意識、価値観などを共通とする集団に特に通じるような情報の発信を行い、他者を扇動していく情報発信は見受けられ、特異なものではない。 時に、このような情報発信は、一定の集団には有意な情報として受け入れられるが、その他の集団からはまともには受け入れられないことから、「犬笛」(Dog Whistle)と呼ばれる。 犬笛については、諸外国の政治においてもその問題が指摘されている。
 インターネットの出現は、差別意識を持ち、人権への理解がない者が社会には現存するということを目に見える形で見せつけた。 そういった者達の不安を煽󠄀(あお)り、誘導していく情報発信は、直接的な行為と同等、もしくは、多くの人間を巻き込み、被害を拡大していくという意味ではより悪質なものであり、これに対して司法がどう対応していくかは、喫緊の課題である。
 争点2についての裁判所の判断は、特異な集団には犬笛は聞こえるが、その他の一般の集団に本件投稿がまともに受け入れられることはないため、本件投稿によって対象となった弁護士の社会的評価は下がらないとする。しかし、社会において、特異な集団とその他の一般の集団といった明確な分断(情報の分断も含めた)は存在しない。 集団間は、浸透性があり、それは人が持つ差別意識や弱さをキーとして入れ替わりが行われる。 そういった社会において、扇動表現が一定の集団には有意だが、その他集団には有意でないと切って捨てることは、情報のファイヤーウォール(セキュリティシステム)が存在しない状態においては、扇動表現を放置し、社会にある種の危険を内包させ続けるにすぎない。 裁判上明らかになった事実としては、本件投稿は、約三〇〇〇件の懲戒請求を引き起こしたのであり、その三〇〇〇人を一般ではないと切って捨てる理屈は本件地裁判決では示されていない。

3 本件高裁判決の判断の構造

(1)争点1について

 ①裁判所は、権利侵害明白性の判断のために考慮される事情の範囲について、発信者情報開示制度が、「情報の流通によって被害を受けた者の被害者救済と情報を発信した者の保護との間の権利調整という事後的、総合的判断を求められる制度」であることから、プロバイダ責任制限法第四条一項一号の「侵害情報の流通によって」とは、「権利の侵害が情報の流通自体により生じたものであることを意味するにすぎず、情報自体が開示請求者の権利を侵害することが明らかな内容であるものに限定されるものではなく、権利の侵害が明らかであるか否かは、裁判所が当該情報自体のほか、それ以外の当事者の主張した事実をも踏まえつつ、証拠及び経験則から認定した事実に基づき、違法性阻却事由の不存在などを含めて、総合判断した結果、その情報の流通自体によって開示請求者の権利が侵害されたことが明らかであると認められる場合も含まれる」とした。
 本件地裁判決とは異なり、情報の内容に限定されず、情報に起因して発生した事情を含めて、権利侵害明白性要件が判断されることが示された。
 ②本件高裁判決では、呼び掛け行為そのものが不法行為にあたる場合は、呼び掛け行為自体によって権利侵害が生じていると評価することができるとし、「情報の流通によって」権利の侵害が生じているものとした。
 そして、懲戒請求の呼び掛け行為が不法行為以上違法な権利侵害行為にあたるかは、「当該呼び掛け行為の趣旨、態様、対象者の社会的立場及び対象者が被った負担の程度等を総合考慮し、対象者の被った精神的苦痛が社会通念上受忍すべき程度を超えるといえる場合には、そのような呼び掛け行為は不法行為法上違法の評価を受けると解する」とする。
 裁判所は、ⓐ本件投稿の趣旨は、「自己の考えと反対の立場や表現行為それ自体を封じ込める意図が窺われ」、ⓑ本件投稿の態様は、「懲戒請求を強く誘因する性質」であり、ⓒ懲戒請求を受けた弁護士の活動は法令や弁護士倫理に反するものでないことは明らかであり、ⓓ当該弁護士が受けた負担は、多大な精神的苦痛であり、ⓔ本件投稿者の活動履歴や実際に呼び掛けに応じて多数の懲戒請求がされたことから本件投稿の社会的影響が少なからずあったという認定のもと、「本件投稿の発信自体が、本件投稿に挙げられた本件ひな形どおりの多数の懲戒請求がされたことの不可欠かつ重要な原因になった」とし、本件投稿の発信自体によって弁護士の被った精神的苦痛は社会通念上受忍すべき限度を超えたものであると評価でき、本件投稿の発信自体によって懲戒請求を受けた弁護士の権利が侵害されたことが明らかであると判断した。

(2)争点2について

 本件高裁判決は、本件投稿そのものについて、「本件会長声明が「違法」、これに賛同し、その活動を推進する行為が「確信的犯罪行為」、上記行為が「懲戒事由」であるという否定的な表現を強く用いている」ことから、「本件投稿によって摘示された事実及びこれを前提とする意見の表明によって、一般人においては、控訴人が違法行為ないし犯罪行為に加担したり、懲戒処分に値する非違行為を行ったりしたという否定的な印象を抱くものというべきである」とした。

(3)本件高裁判決の評価

 本件高裁判決は、扇動表現について、扇動後の事情も加味した権利侵害明白性判断を行うとし、一定の影響力を持った者が正当な根拠なく対象者を攻撃するために強く誘因する場合は、当該扇動表現について違法性が認められるとしており、本件地裁判決と異なる判断を行った点は評価できる。
 扇動表現が有する誘因力の強さや扇動表現が扇動後の事情にとって「不可欠かつ重要な原因」といえるかは、扇動後の波及効果の予測可能性を、扇動表現がどの程度有しているか、その波及効果の最初の一波として必要不可欠の役割を果たしているかの問題であり、本件投稿のように懲戒請求の書式を用意し、その後の懲戒請求の行為の一部を構成しているような場合は、その判断は比較的容易であるが、扇動後の波及効果に必要な情報を単に提供する場合、単に扇動する場合に、どのような判断がなされるかということには注意が必要である。

4 判決分析から得ることができる権利侵害を誘発する扇動表現への法的対応の示唆、課題

 一つの問題として、住所や通っている学校名など、対象者の情報をインターネット上に公開し、発信者としては、対象者に対して何らかの嫌がらせ行為が起こることを企図している場合について考えてみると、このような場合は、そういった情報が対象者個人のプライバシー情報にあたる可能性が高く、プライバシー侵害で権利侵害を構成することはできる。 それにより、発信者情報開示請求訴訟を行うことは可能であるが、本件投稿のように、呼び掛け行為そのものと同様の違法性が評価されるかは、その後の損害賠償請求訴訟で問題になってこよう。
 上記行為は、単なるプライバシー権侵害ではなく、別途権利侵害行為を誘発している側面があるという点についても、法的には評価される必要がある。 その場合、その情報についてどの程度の誘因力を認めるか、扇動後の事情にとって「不可欠かつ重要な原因」といえるかが問題となってくる。 この点について考察してみると、歴史的にみて、その情報が対象者への権利侵害行為を予防するために一般に公開されていない情報であって、社会的に対象者に対して権利侵害行為が認められていた場合、権利侵害行為を容易にするために情報が公開されていたと評価しうるのであり、強い誘因力が認められる。 そして、当該プライバシー情報がなければ、新たな権利侵害行為が認められなかったといえる場合は、プライバシー情報は扇動後の事情にとって「不可欠かつ重要な原因」と評価しうると考える。
 今後、扇動表現により権利侵害行為が誘発された場合の、当該扇動表現の法的位置づけについては、扇動表現が内包する情報による波及効果への考察や、その情報の従前の取り扱いへの考察が不可欠であり、こういった点についての事情の収集、分析を行い、法的請求を行う必要があろう。
 本来であれば、扇動表現について立法による手当てができればよいが、これは、表現の自由との関係からかなり深刻なハレーションが起こる可能性も否定できないため、慎重に議論を行い、立法事実に即したきめ細やかな立法をする必要があるが、本稿では、違法な扇動表現への法的規制というところまで考察することは与えられた役割を超えるところであるため、また別の機会に考察したい。

からさわ たかひろ

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