恒居
恒居(こうきょ)とは、唐澤貴洋が住んでいるとされる場所の通称である。
概要
皇居と恒心をかけあわせて恒居と呼ばれている。唐澤貴洋への事実追求路線の中でも核心に迫る情報ではあるが謎が多い。また唐澤家の資産は豊富なため、後述のコアシティ東大島の時のように、特定されたら簡単に逃亡できてしまう。素粒子のような存在である。
通勤形態も不明である。運転免許は保有している模様。ピュア虎ノ門時代にはタクシーに乗車する姿が何回か確認されたため、当時はタクシー通勤を行っていたのではと推測されている。唐澤貴洋は一連の騒動で電車恐怖症になっておりタクシーを愛用していると語っている[1]。
過去に居住していた恒居
「聖遷」も参照。
唐澤洋唐澤厚子の体内
受精卵~胎児時代に在住。細胞分裂の日々を経て、生まれる。
東京都済生会中央病院
生誕の地。
世田谷サティアン(不明)
1978年より後に、東京都済生会中央病院から世田谷へ移住。
インペリアル東白楽ガーデンハウス
尊師が小学校~中学校までを過ごした家。下田サティアンの閉鎖登記簿開示により明らかとなった。インペリアルの閉鎖登記簿によると唐澤洋と厚子と1Aの資産で購入したようだ。恒心綜合法律事務所のHPによると横浜で受けた海のにおいのする風が吹いていたとされるが、海から約3km離れた山の中にあるため本当に吹いていたかどうかは不明である。登記簿によると1984年5月18日から1993年5月28日の9年間居住していたことが分かる。
田園調布サティアン
1993年頃に移住。2012年に特定された。父親の唐澤洋が出入りしてい事が確認されているものの、唐澤貴洋は第一次玉音放送で田園調布サティアンを「実家」と発言している[2]。
アベニュー湘南Ⅲ
2016年にコロケーで特定[3]された。尊師が慶応SFC時代に初めて一人暮らしした場所とされる。 近くには児童公園があるものの、尊師が恒心綜合法律事務所HPで語っていた、心を癒されたとされる湘南の海は見えない。
コアシティ東大島
2016年1月に、慶應義塾大学にはOBOGであれば誰でもOBOGの住所が閲覧できるガバガバなデータベースがあるらしく[4]、OB名簿によって坂本総合法律事務所時代には「東京都江東区大島9-5-1 コアシティ東大島」に住んでいたことが判明し[5]調査が開始されたが、郵便受けに「唐澤」の文字は無く既に転居していると結論付けられた。
後に、現代ビジネスにて2016年1月4日まで居住していたこと、カラケーで開示されたことにより転居を余儀なくされたことが明らかとなった。おどろおどろしい幽霊のようなフォントで書かれた小説のレターパック[6]が届き、恐怖を覚えカラケーを見たところ住所がバレたことを知り、逃亡したとのことである[4]。
なお、唐澤貴洋は2013年11月23日に東京都港区に住んでいると供述していたため港区説が有力であり意外な結果となった。大嘘であったか、2013年には一時的に港区に住んでいたかのどちらかと思われる。
疑惑恒居
エクシード大泉
2013年に突如開示された。当初書き込まれたスレッドやレスが削除される現象が発生したため、実際に住んでいるのではないかとされていたが唐澤貴洋自身はFaithbook上でこれを否定し、港区に住んでいると発言した[7]。
ハーモニーレジデンス田町
2015年年末、安藤良太と藤原太一が小西一郎に接触。その際に恒居を聞き出したとの噂が存在していた。
そして2016年1月21日、その安藤良太本人や爆弾三勇士の一人が降臨していたイスケー雑談スレにおいて、突如新たな疑惑恒居として「港区芝浦1-11-1 ハーモニーレジデンス田町」が開示された[8]。
この疑惑恒居は、尊師の発言通り港区にあり、またタクシー通勤にも適した距離にもあるが、一方でソースがまったく示されていない。2015年末はコアシティ東大島にいたと思われることから小西の虚言と推察される。
オランダヒルズ森タワー
2016年2月、唐澤貴洋は事務所をオランダヒルズ森タワーに聖遷した。ここは居住スペースがあるため、住んでいる可能性も推測されていたが、お気持ち表明の映像中では図面上のベッドルームに応接用と思われるオフィスデスクが置かれている事が判明している。ただ、ピュア虎ノ門時代のように通勤している姿を見かけないことから、別の階の部屋を借りて住んでいる説も根強い。2018年4月7日に事務所がオラ森から追い出された後の居住実態は不明。ちなみに高會堂ビルまでは車で10分程度。