「閉鎖主義」の版間の差分
>恒心近松 (個人的には尊師を芸能人化させて尊師には弁護士から足を洗ってもらった方がいいと思う。) |
>誹謗中傷に強い弁護士 編集の要約なし |
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2016年以降は、閉鎖主義派は少数派であるものの2015年ほど開放的でも無い、といったところで推移している。 | 2016年以降は、閉鎖主義派は少数派であるものの2015年ほど開放的でも無い、といったところで推移している。 | ||
その後[[関東サウンドプロジェクト|サウプロ騒動]]により、2020年頃から唐澤貴洋のマスメディアでの活動に対抗して、[[ステロイド患者]]事件を代表とする無能悪徳エピソードを一般に周知させようとする機運が高まり、タレント化を助長し[[事実追求路線]] | その後[[関東サウンドプロジェクト|サウプロ騒動]]により、2020年頃から唐澤貴洋のマスメディアでの活動に対抗して、[[ステロイド患者]]事件を代表とする無能悪徳エピソードを一般に周知させようとする機運が高まり、タレント化を助長し[[ルナルナ]]<ref>結果的にではあるが[[鈴木悠太]]やそれの囲いのものたち、[[事務所一派]]である[[けんまP]]等を生み出した</ref>のような[[事実追求路線]]に差し支えると考えられる芸術路線系の布教方法<ref>反例としては個人攻撃色や事実追求色が強いMMD作品やパカソンなど</ref>は忌避されるようになっているが、教徒の価値観はよく変わるので今後どうなるかは不明である。 | ||
== 脚注 == | == 脚注 == |
2020年5月29日 (金) 19:09時点における版
閉鎖主義(へいさしゅぎ)とは、恒心教はあくまで匿名で隠れて楽しむためのコンテンツであり、表立って活動したり、やたらと外部に布教するのは控えるべきとした思想のことである。いわば密教派の恒心教徒。2013年から2014年頃までこの主義が恒心教内で台頭していた。恒心教の歴史#閉鎖主義も参照すること。
2014年
2013年下半期~2014年上半期に台頭した。現在教徒内で主流の布教路線と臭芋の基準が大きく異なるのが特徴で、名前付き教徒やTwitter教徒は殆ど臭芋認定されていた。
原因はいくつかあり、
- 尊師Faithbookの恒心停止、Orpheus閉鎖と芸術路線壊滅による閉塞感
- 大分君、福嶋誠也ら殺害予告民のポア。したらば上にカラケーがあったため包皮民による通報や開示の恐れがある
- 依頼誘導失敗事件[1]
- かぁ坊炎上などのTwitter教徒晒し運動、生贄路線[2]
- 片平騒動によるお客さんと炎上依頼の増加
などが挙げられる。
カラケー民はこれに対し当初は恒心教に関する暗号を解かないと閲覧できない「パスケー」路線で対応しようとした。しかしこれはパスワードがやたら難解で、管理人の自己満足の色が強く廃れた[3]。結局、カラケーのURLを貼らない、広めない、カラケーを検索エンジンに出ないように設定するという方針がとられることとなる。
カラザイル閉鎖によりメインカラケーとなった唐澤ちゃんねるは特に過激で、掲示板のトップページを別のサイトに偽装した上でブラクラを仕掛け、一般ブラウザ民を排除して2chブラウザ専用とするという手法をとっていた。また掲示板定期閉鎖を繰り返し追跡を困難にすることも計画されていた。ただし、芸術路線や布教を完全停止したわけではない。
だが唐澤ちゃんねる系掲示板はしたらば運営によりポアされ、次のメインであるウバケーでは乗っ取り騒動で最初から有名になってしまったこと、管理人が閉鎖主義をとらなかったことで閉鎖主義は衰退した。
2015年以降
その後はかつての閉鎖主義が嘘のように様々な布教路線が構築され、2015年のアサケー期には恒心教はかなり開放的になった。
しかし臭芋も同時に流入したことより恒心教全体は大荒れとなってしまい、ウツケー等で名前付き教徒の少なかった2012~2014年の恒心教を懐かしむ声無き声が出てくるようになった。
また、閉鎖主義ほどの厳格さは求めないが特定の路線を排除すべしという派閥も生まれている。
- 芸術路線にも臭芋が紛れ込み事務所騒動などの騒動が勃発したことにより、反芸術路線派は印刷技術嫉妬民と揶揄されながらも力を増し、多くの芸術教徒(or臭芋)を脱恒やアカウントポア、転生に追いやった。
- 外伝主人公ネタがハセカラを凌ぐほどになったことで反外伝派も登場、外伝ネタがブームになると定期的にレスバトルを起こしている。
2016年以降は、閉鎖主義派は少数派であるものの2015年ほど開放的でも無い、といったところで推移している。
その後サウプロ騒動により、2020年頃から唐澤貴洋のマスメディアでの活動に対抗して、ステロイド患者事件を代表とする無能悪徳エピソードを一般に周知させようとする機運が高まり、タレント化を助長しルナルナ[4]のような事実追求路線に差し支えると考えられる芸術路線系の布教方法[5]は忌避されるようになっているが、教徒の価値観はよく変わるので今後どうなるかは不明である。