佐野哲史
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佐野尊師 | |
基本資料 | |
本名 | 佐野哲史 |
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別名・渾名 | 佐野尊師、アイセック佐野 |
生年月日・年齢 | 49~50歳、1974年生まれ |
住所 | 宮城県仙台市 |
身体情報 | 顔は大きくぽっちゃりとしている |
特定経緯 | 後述 |
騒動との関連 | 風評被害 |
職業 | 一般社団法人 復興応援団 代表理事 |
所属 | 一般社団法人 復興応援団 |
関係者 | |
佐野哲史(さののりひと、Sano Norihito)とは、一般社団法人復興応援団の代表理事である。元アイセック・ ジャパン(海外インターンシップを斡旋するNPO法人)代表。
経歴
1993年 慶応義塾大学法学部政治学科に入学。大学時代は国際学生NPO『AIESEC』(アイセック)に所属。 1996・97年 アイセック・ ジャパン全国代表を務め、NPO『ステイツマン』を立ち上げる。 1998年 日本初の議員インターンシップを行う。 2003年 『株式会社カスケード』の創設に参加し、副社長兼営業部長として営業部立ち上げを行う。 2004年『株式会社 祭』創立。 2007年 7月中越沖地震に際し、ボランティアとして柏崎市に行ったことをを契機として地域活性化コンサルティングを開始。 2008年 十日町市川治地区「雪ふる里村」の事業立ち上げ支援を行った。 2011年 2月貸古民家「百年の館」をオープン。3月東日本大震災に際し、仙台・東京・関西のNPOと日本財団の合同プロジェクト「つなプロ」の現地本部長に就任、 全国から集まった500人以上のボランティアスタッフと共に宮城県全域の避難所調査と人材・物資のマッチング活動に取り組む。 月からは「みやぎ連携復興センター」の事務局長に就任、復興活動に従事する各種団体のネットワーキング・連携に取り組み始めている。 2013年 4月に結婚
恒心教との関わり
2012年8月、アイセック・ ジャパンからルーマニアに派遣された女子大生がレイプ後惨殺されるという事件が発生し[1]、なんJに「ルーマニアレイプ殺人のアイセック」というスレが立つ[2]。 しかし、後にアイセック・ ジャパンの当時の副代表がそのスレを削除依頼していたことがなんJで話題となり、その際に発掘されたアイセックの前代表である佐野哲史氏の顔があまりにも唐澤貴洋の似顔絵にそっくりであったため[3]、それ以降佐野氏は「佐野尊師」と教徒に呼ばれ親しまれた。
なお尊師は佐野尊師のことを知っている模様。
https://twitter.com/PredatorRat/status/388937851334696960 / 魚拓 うしじまいい肉 @PredatorRat @kuramitu1 @girotti_senzuri ほんのちょっと似てるけど違う人だよ あと唐澤先生はこの画像について知ってて「僕に ちょっと似た感じの人の画像が晒されてるんですよ」って言っててすごい面白かったです