唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/青山吉伸

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チラシの裏/青山吉伸
なにわ共同法律事務所 →オウム真理教、青山法律事務所 →不明 チラシの裏/青山吉伸
基本資料
本名 青山吉伸
別名・渾名 アパーヤージャハ、青弁
生年月日・年齢 64歳、1960年3月9日生まれ
性別 男性
住所 不明
出生地 大阪府wp柏原市
身体情報 内気な性格
才能 審議中
特定経緯 オウム関連の報道・書籍[1]
騒動との関連 風評被害[2]オウム真理教の幹部・顧問弁護士
職業 不明(元弁護士)
所属 なにわ共同法律事務所
オウム真理教、青山法律事務所
→不明
出身高校 大阪府立高津高等学校
最終学歴 京都大学法学部
趣味 歌、ヨガ
好きなもの オウムソング麻原彰晃[3]
嫌いなもの 目立つこと
関係者

青山吉伸(あおやま よしのぶ、Aoyama Yoshinobu)(1960年3月9日~)とは、オウム真理教で幹部を務めた元弁護士である(大阪弁護士会所属、登録番号18785[4])。旧司法試験を全国最年少で合格したことでも知られる。

ホーリーネームは「アパーヤージャハ」。教団での階級は正悟師であり、省庁制においては法務省大臣を担当。

教団の犯罪行為に加担したことで懲役12年の実刑判決を受け、弁護士資格も剥奪された[5]。現在は出所済み。

概要

恒心教の派生元とされるカルト教団、オウム真理教で顧問を務めた元弁護士。

旧帝国大学在学中に旧司法試験を全国最年少で合格するという秀才だが、オウムに入信した挙げ句、弁護士でありながら犯罪行為に走り有罪判決を受けてしまった[6]という、「オウムのエリート幹部」の1人でもある。

経歴

1960年3月9日、大阪府柏原市にて生まれる。父親が上場(当時)アパレルメーカーの創設者[7]であった為、実家は裕福であった。

子共時代は、小学校で委員に選ばれたのが嫌でずっと泣いているような内気な性格だった。

大学在学中、全国最年少の21歳で旧司法試験に合格し、卒業後に司法修習(36期)を経て弁護士となった。

1984年、大阪市の「なにわ共同法律事務所[8]」に入所し、西淀川公害訴訟スモン病集団訴訟などを手がけた。共産党員だったこともあるとのこと。

オウムの顧問弁護士として

 
上祐と一緒に会見する青山[9]

満員電車が原因で発症した腰痛を治すため、オウム真理教主催のヨガ道場に通いはじめ、麻原彰晃の著書も読むようになる。

1988年にオウムへ入信。翌1989年には出家し、同年に「なにわ共同法律事務所」から独立して「青山法律事務所」を開設。

以後は教団の顧問弁護士として活躍し、「ああ言えば上祐」こと上祐史浩(マイトレーヤ正大師)が海外出張中の1993年9月から1995年3月には教団のスポークスマンとしてメディアに出演した。

その裏では、他の大半の幹部と同様に犯罪行為にも手を染めており、例として滝本太郎暗殺未遂事件には実行犯として参画しており、白い愛の戦士自作自演テロの発案者であるともされる。また、逮捕された教団幹部らの弁護士として接見する際に「修行が足りない」等と脅して、自白を阻止しようとしていたと捜査側は主張している。

逮捕とその後

1995年1月4日、サリン製造疑惑を誤魔化すため、記者会見を開き「上九一色村(サティアン付近)の肥料会社がサリンを製造して教団に毒ガス攻撃をしている」などという言説を唱え起訴するが、同年5月4日に肥料会社社長への名誉毀損罪で逮捕される。青山の弁護は遠藤誠が担当した。

1997年12月12日、かつて青山にボツリヌス菌入りのお茶を飲まされ殺害されそうになった滝本太郎弁護士は、青山の裁判に出廷し、青山に厳刑を求める陳述を行った。

資料2アパーヤージャハ正悟師こと青山吉伸被告法廷にて(魚拓) - カナリヤの詩

1997年12月12日午後1時15分から東京地裁第419号法廷

「アパーヤージャハ正悟師ー89年12月に出家。瞬く間にラージャ・ヨーガ、クンダリニー・ヨーガを成就。90年秋には、国土利用計画法違反問題に絡んで不当逮捕されるが、勾留中にマハー・ムドラーの解脱を果たす。弁護士としてオウム真理教の法律部門を担い、真理を守る偉大な到達真智運命魂として活躍中。その修行者としての並々ならぬ資質と穏やかな人柄は、すべての修行者から絶大な称賛を浴びている。(1994年3月『真理の芽』9月号から)」



処罰感情について述べます。青山被告については結論から言えば、厳重な処罰を望むものです。すこし長くなりますが、どうかお許し下さい。

松本智津夫被告については速やかに審理をとげ、死刑判決を下し、これを速やかに確定させ、刑事訴訟法475条1項に定めてあるとおり確定後6か月以内に執行するよう強く希望します。

死刑についてはこれを廃止しようとする動きがありますが、人間の素晴らしさとおぞましさを忘れた議論であり、私は反対します。なるほど、死刑には、死刑執行人の苦悩という大きな問題があり、誤判の危険性において取り返しがつかないという問題もあります。

しかし、刑罰のよってたつ基盤は何よりも応報であります。時として死刑廃止論の理由にされる「理性」というものは、刑罰の基本を理解しないものと考えます。すなわち、その基盤は「応報」という感情であり、いかに人間が理性的な存在になろうとも、必要悪として刑罰は存続すべきものです。人間に全一的な理性を求めるとき、それは人間に神になることを要求する立場です。

人間は、時に他の人、衆生を助けるために、自らを犠牲にしてまでする素晴らしい存在です。しかし同時に人間は、自らが生きるための必要性もないのに、人を殺し、人間以外の自然までも破壊します(多く忘れられているのですが人間も、人間のしている行為も自然の一部です)。人間は純粋に理性のみの存在である神になろうとしても、やはり神にはなれない哀しい生き物だと思います。その事実を忘れるのは人間として傲慢だと思います。死んだ後に審判に付せられるとか、地獄に落ちるとかを実質的な理由として死刑を廃止しようとする人もいます。冗談ではありません。最後の審判があろうとなかろうと、地獄があろうとなかろうと、現世の責任は現世でとってもらわなくてはなりません。

人間の社会においては、刑罰がなくなることは永遠になく、死刑を廃止することは誤りです。残虐に人を殺すことのおぞましさと、死刑を望む心のおぞましさを忘れないために、死刑は廃止すべきではないと思います。

死刑の執行は、人間社会において、高貴な、誇りをもつべき仕事です。誤判の危険性は事件によっては存在しますが、犯罪行為が明確な事件もあります。松本被告の裁判が遅々として進んでいない状態にありますが、これが主任弁護人が、とある懇談会でいった「典型的な死刑が予想されるケースでは結局長く裁判を継続していく以外に方法がないのではないか」という発想でされているならば、大変な問題です(1995年12月3日、「オウムに死刑を、にどう応えるか」インパクト出版会114頁)。

「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」だからこそ、死刑は、本人が事故や病気で死亡する以前に、人の命を奪う刑罰として、究極の応報として必須であります。

私は、松本智津夫被告について死刑を望みます。彼もその生育歴、目の障害といった汲むべき事情はあります。しかし、そのしてきた行為は残虐な多くの殺人行為であり、無差別殺人であります。しかも、彼は彼と遇わなければ犯罪に到らなかっただろう者を手足にして殺人を犯させたのです。彼に対しては死刑を望みます。そして私は、相当程度に縁があったものとして、死刑の執行に立ち会いたいと強く希望します。嘆きながら、悲しみながら、しかし当然のこととして彼が死刑によって死ぬ場所に居たいと希望します。

その他の私の事件にかかわった人のうち、直接サリンを流した当時17歳の女性は、有罪とされながらも社会に戻れました。嬉しくって仕方がありません。彼女には何とか立ち直って大切なその命を全うしてほしいと思っています。

青山被告をのぞくその他の被告人については、適正な処罰を望みます。特に、殺人を犯した者については重い処罰を望みます。彼らは、人を死に到らしめ、苦しめたのです。被害者は現世に生きるだけで罪があるなどという発想かもしれませんが、まずもって現世に生きているのは被告人たちですから、矛盾もはなはだしいものです。

しかし、松本智津夫以外の彼らを死刑にしたいとは思いません。死刑は是非とも避けてほしいと思っています。たとえ本人が望んでも死刑にはしないで欲しいと強く希望します。オウム真理教を知れば知るほど、そのマインド・コントロールと洗脳の実態を知れば知るほど、彼らを死刑にしたくありません。オウム真理教の事件は、松本智津夫というオウム真理教における絶対者の存在と、集積されシステム化されたマインド・コントロール、そして現実感をなくさせた様々な神秘体験の経験のうえで犯された行為だからです。彼らは、絶対者松本智津夫智津夫の指示がなければ、決して残虐な事件をおこすものではなかったのです。詳細は、中川被告、遠藤被告の法廷で述べました。

しかし、青山被告は、起訴罪名からすれば死刑になる筈もありません。青山被告においては、当時弁護士であったという立場上も、マインド・コントロールだとか、洗脳だとか主張してほしくないと思っています。厳重な処罰を望みます。もちろん、青山さんにおいても、マインド・コントロールされていたことなど他の被告人と同じだと思います。その詳細は、彼と直接にじっくり話し合わなければ分かりませんが、それでも裕福な家庭に生まれ、その性格の細さに悩んだ青山さんが、「麻原彰晃尊師」の強烈な自我に幻惑されたことが理解できます。青山さんは、たまたま頭がよかったが故に、それ自体は何の価値もないエリートコースにのってしまいました。しかし、青山さんは働く人達の辛さと弱さとずるさと、そして素晴らしさを、現実感覚として感じ取ることができず、飛び込むことも結局できませんでした。自分自身のけがれも、大人になっていけばそれなりに消化し「その煩悩で自分はまずいけれど、だからこそここで人のために働こう」などと考えるものですが、青山さんも、若者にありがちなことですが、自分自身のおぞましい面はさておいてしまい、抜本的で手早い解決があるという観念に取り込まれてしまいました。

青山さんは「白い雲と青い空に囲まれていた理想の社会、子どもの頃から追い求めていた理想の社会、僕らの社会」と歌っていました。青山さんは、オウム真理教の中で熱心に修行する一人でした。彼がともに出家させた妻子がオウム真理教から離れた後、施設の中で、子どもの名前に続いて「尊師に供養します、尊師に供養します」という言葉を繰り返していたことが確認されています。おそらく、青山さんが妻子への愛情によって離れることを怖れた松本被告が、教えた言葉でしょう。

しかし、青山被告は、当時弁護士でした。弁護士は基本的人権の擁護と社会正義の実現をめざすものとされています。青山さんは、真っ向からこれに反対する行為をしました。青山さんのした事は、本件一つをとってみても、弁護士が人を殺そうとした、しかも相手方の弁護士を殺そうとしたという、日本においては勿論、世界において前代未聞の行為であり、弁護士への信頼をたとえようもなく傷つけました。

青山被告の責任は、オウム真理教事件の全体において。さらに重いものがあります。青山さんが熊本県波野村の国土法違反事件について正直に述べていれば、松本サリン・地下鉄サリンのようなことまでは起こせなかった筈です。松本サリン事件も、専属弁護士である青山さんがいなければ起きなかった筈です。地下鉄サリン事件も、あなたが事前に知っていたこと自体は争いようもない筈です。あなたは、許されざる立場にあるのです。

青山さんは、雑誌ヴァジラヤーナサッチャの発行人であることからも分かるように、オウム真理教が被害を受けているという陰謀史観を広く深く植え付け、権力との直接対決を志向するようにさせた張本人です。青山被告は、1995年1月にできた戦争部隊、新信徒庁の長官だったはずです。

いま青山さんに一番訊きたいことは、坂本事件の真相をいつ分かったか、その時どう感じたか、です。青山さんは、1989年11月4日、金沢から帰って早川らがいないことを知りそして事件を知った時、もう真相を分かっていたのではないですか。

坂本の子ども、龍彦君はもうこの世にいません。龍彦君の人生は1歳2か月で断ち切られてしまいました。龍彦君は、あの寒い土の下で6年間、一人でいました。あなたの子どもより5か月遅く、たまたま坂本の子どもとして生まれた龍彦ちゃんは、この世にいません。その責任はあなたにもあるんです。

それから、青山さんとの会話で一番覚えているのは、1994年11月4日、それは坂本が殺されて丁度5年目の私へのボツリヌス菌事件の日でした。あの日、私はあなたや林郁夫被告に2歳にもならない赤ん坊を返せと交渉しました。その午後、上九一色村富士ヶ嶺の公民館の前で、私が「集団自殺のときは大勢の人を連れ出してよ」と頼むと、あなたは「えー、集団自殺はしませんよ」と断言したのです。あなたは、サリンによる無差別殺人の意図を十分に知っていたのです。

あなたは松本被告のタントラ・ヴァジラヤーナという教えに従いました。あなたは私への事件について「結果のでないマハームドラー」なんてことを言っているそうです。嘘もいいかげんにして下さい。いったいあなた以外の誰がそんな言葉を知っていますか。オウム真理教ではもともと「ムドラーをかける」として下級の信者をいじめたり、監禁したりしてきました。ムドラーはもその結果を意欲して行動するから功徳になるという設定になっているのです。勝手に言葉を作らないで下さい。

繰り返しますが、青山さんは当時弁護士でした。弁護士は、人間の酸いも甘いもかみ分けて、仕事をしなければならない存在です。弁護士は、煩悩にまみれた人間の社会の中で、自分も煩悩に悩む存在であることを確認しつつ、すこしづつ社会正義の実現と人権の擁護に尽くす外はない存在です。弁護士であった青山さんについては、マインド・コントロールされていたなどと主張して欲しくありません。

オウム真理教には「自己の苦しみを喜びとし、他の苦しみを自己の苦しみとする」という苦の詞章があります。他の苦しみを自己の苦しみと感じるためには、つまり利他心をもつためには、現実感覚が必要です。人の痛みを現実的に感じることができなければ、利他の心など湧きようもないからです。

ところが、あなたにも、そして外のサマナたちにも現実感覚がありませんでした。あなたは坂本堤を団長とし、小野毅を事務局長として戦ってきた私たちの気持ちを理解していません。私たちが当時坂本だけを前面に出してしまった事について、どれほどの悔悟とどれほどの痛みを感じているかを考えようとしていません。あなたはあなたの友人の弁護士たちが、1990年以降、あなたに嘘をつかれ、だまされ、しかもあなたがくり返した犯罪を止められなかったことについて、どれほど辛い思いをしているか、どれほどの痛みを感じているか、どんな想いで今も弁護しているかを考えていません。あなたは坂本さちよさんの「仔山羊の詩」、江川紹子さんの「坂本弁護士一家拉致殺人事件」、村上春樹さんの「アンダーグラウンド」などを読む義務があります。利他心が抜け落ちているとき、苦の詞章は要するに「他の苦しみを自己の喜びとする」という恨みの詞章になるのです。

青山さんは、坂本に対する手紙の中で、愛と愛着心は違うと言っていました。まったくその通りです。親が支配したがるだけのとき、醜いと言う外ありません。しかし「愛」は、決して麻原さんだけを愛し麻原さんに執着することを意味しません。たとえ素晴らしい神秘体験を得ても、LSDによって宇宙全体との合一ができたと感じても、地獄の体験の中で麻原さんに救われても、麻原さんへの執着を意味することにはなりません。この言葉の本来の意味は、自らの子どもと同じように他の人を愛せ、すべての衆生を愛せということです。

しかし、あなたは、オウム真理教は、それに真っ向から反対する行為をしました。明確に矛盾しています。それはあなたが行ってきたことが善業ではなく、オウム真理教が真理ではなく、麻原さんが最終解脱者ではないことを意味します。麻原さんは、権力欲と社会への恨みと強烈な破壊願望に支配された、ただの煩悩に悩む人間でした。

青山さんは、今、表面的には、解脱というものに執着していたい風情をしています。しかし、実は下らないプライドが邪魔をしていることと、自分がしてきたことを見つめるのが怖くて怖くて、矛盾を矛盾として見つめる事ができないからです。

オウム真理教での解脱というものがあるのだとすれば、チョモランマに登る解脱ではなく、マリアナ海溝に落ちていく解脱でした。青山さんはそんな「真理」を感じ取ることを怖がっています。

ガイコツが真面目な顔してこう言った

どうせ、みんなみんなくたばって

おいらみたいになっちまうんだから

せめて命のあるあいだ

つまらぬことにウロウロしないで大事に大事に使っておくれよ。

一度しかない、おまはんの命


麻原さんは、松本智津夫42歳です。

青山さんは、青山吉伸です。

1996年6月22日、東京地裁で懲役12年の実刑判決を受け、滝本太郎弁護士に賠償金を支払う手紙を送っている[10]

アパーヤージャハ正悟師こと青山吉伸被告からの手紙(魚拓) - カナリヤの会
前略、現在私は接見禁止中ですが、民事判決に基づく賠償金の支払について謝罪の意を表するため、裁判所に発信許可をお願い致しました。
先生のお気持ちは癒されないかもしれませんが、私としては、心をこめて、賠償金の支払いをさせていただきたいと思います。
ここに改めて、謝罪いたします。申し訳ありませんでした。
私は、できる限り、他の苦しみを自己の苦しみとし、さらに自己の心を静かに見つめて反省の毎日を送りたいと思います。
先生の御清祥をお祈り申し上げます。
                                                           早 々
 平成11年6月23日
                                                           青  山  吉  伸
 滝 本 太 郎 先 生

その後控訴するが2002年1月31日刑が確定、同時に弁護士資格も剥奪された[11]

週刊大衆2003年7月14日号では「オウム真理教元顧問弁護士青山吉伸受刑者の『ムショ暮らし』」として、同じく府中刑務所に収監されていた人物の独占記事が掲載されている[12]

「オウム真理教」(現・アレフ)元顧問弁護士 青山吉伸受刑者の独房はひどく汚れていたよ
 本誌独占ブチマケ!「受刑仲間」が初めて明かす 元「オウム」エリート弁護士ムショ暮らし!

懲役12年の実刑判決を受け、現在府中刑務所に服役中の青山受刑者。あらゆる局面で教団の弁明に走った"青山弁護士"と某を隣り合わせたA氏が、衝撃の7か月間を告白したーー。

私がいた東京・府中刑務所の第3区25工場に青山が来るという話を聞いたのは、昨年の5月9日でした。
工場の昼食は受刑者が舎房ごとに振り分けるんですが、その際に受刑者同士がちょっと言葉を交わすんです。まあ、連絡みたいなもので、我々は"ハト"と呼んでました。
その日の中速後に休憩していると、"ハト"から「明日青山が来るみたいです」という情報が入ったんです。

それは騒然となりましたよ。あれだけの凶悪な事件を起こした教団の顧問弁護士だった男ですからね。でも、私は本当に彼が来るとは思いませんでした。教団の古参幹部の多くは、一般の受刑者とは接触できない昼夜独居に入れられ、長い拘禁生活を送っていたからです。

-やがて青山受刑者は麻原のこと、人生観などをポツリ、ポツリ語り始めた。

翌5月10日、一般新入りの配役時間である午前9時を過ぎても、青山が来なかったので、「やっぱりな」と思っていたんです。
ところが、午前10時半頃、青山は工場に入ってきたんです。作業をしていた私の横を通る姿を見て、ひと目で青山とわかりました。
ただ、人相は、かなり変わっていましたね。頭も五厘刈りで、随分痩せて、弱々しく見えました。手と足が一緒に動いてましたから、ひどく緊張しているようでした。
彼が担当(刑務官)に礼をした際、「2829番、青山吉伸」といったのを、はっきり覚えています。

サリンによる滝本太郎弁護士襲撃など、8つの事件で殺人未遂罪などに問われた、元オウム真理教(アレフに改称)顧問弁護士・青山吉信被告(43)に懲役12年の刑が確定したのは、昨年2月。配薬された府中刑務所では、昼夜独居ではなく、一般独居だった。
2週間の新人工場での教育期間を経て、青山受刑者は一般工場に移された。A氏は、そこで青山受刑者と出会ったのだという。

本来、工場内で食事をしたり休憩する場所は担当が決めるんですが、青山は担当も気遣って、最初は外国人受刑者しか座っていないテーブルに座らされたんです。だから、誰も話しかけられない。
ところが、担当が交代する間に、その目を盗んで彼に話しかけた男たちがいました。

反オウム活動をやっていた。右翼関係者でした。連中は露骨に青山の追い出しに動いたんです。執拗に「殺してやる」と凄んだり、「工場から絶対に追い出してやると、面と向かって脅したりしました。
他の受刑者も「ほら、始まったぞ」と見守っている感じでした。青山は「そんなことをいわれても、もう7年も前のことですよ」と笑っていましたが、内心、怯えているようにも見えました。

それでも彼は、脇目も振らずに、淡々と作業をこなしていましたから、心臓の強い男だな、とは思いました。
彼のおかれた境遇を思うと、男気じゃないけど、何か手助けでもしてやりたくなりましてね。それで、私が担当に頼み込んで、配置換えをしてもらったんです。一応の解決を見たのは、彼が工場に来て5日目のことでした。

この一件で、私は青山に積極的に話かけるようになりました。独居房がとなりあわせにだったこともあって、急速に親しくなっていったんです。
彼は当初、7年間の(拘置所での)拘禁生活で、外部の人間とも会話をしてなかったから、言葉に詰まったり、話をしようにも声が出なかったりという状況でした。会話が普通にできるようになるまでには、2か月くらいはかかりました。

青山受刑者のほうから話しかけてくるのは、例えば宇宙の話だったという。「何万光年の話をされても、俺にはわからないですよ」と困惑するA氏に、彼は「わかることは教科書に書いてあります。宇宙はもの凄く大きいから……」などと返してきたという。
話題は自然科学、哲学、思想家の話にまで及んだ。
その内容は難解で、会話は禅問答のようだったが、青山受刑者は博識で、どんなことを聞いても答えが返ってきた。

彼は休憩時間でも、私が話しかけなければ誰とも会話せず、ずっと椅子に座って瞑想してました。周囲がどんなに騒がしくても、同じ姿なんです。5時の夕食の際にラジオが聴けるんですが、彼は部屋に戻るとスイッチを切ってしまうんです。

部屋には14型テレビが置いてあって、月曜と金曜、日曜に数時間見ることができますが、彼が見るのは動物番組やNHKの「プロジェクトX」くらいで、ほとんど関心を示しませんでした。
思い出すのもイヤなのは、3か月に一度、隣りの某にスライド式に移る転房のときです。彼は私の隣りの舎房でしたから、私は必ず彼の使っていた房に移ることになります。ところが、彼はまったく掃除ができないんです。洗面受けの中なんか真っ黄色なんですよ。タワシでこすれば落ちるものを、よくここまで汚したな、と思ったほどです。
便器は、さすがに汚物だけは流していましたが、周囲は汚れていて、陰毛もいっぱい落ちてるんです。棚も手で触れるとホコリだらけ。だから転房のときは憂鬱でしたよ。
洗濯物も毎朝出すことができるんですが、彼は3回に1回出す程度。「恥ずかしいから、パンツくらいは替えたほうがいいですよ」といわなければ、替えないんです。

なぜオウム事件は起きたのか

食事は、いつも残していました。「人間は、あまり食べないほうがいいです。成人病の予防にもなるから」といってました。でも、たまに出るお菓子などの甘い物は、素早く食べましたね。

青山は、独居生活でも週刊誌なんかを購入しない。7年も入ってるから、たまには女の裸も見たいだろうと思って差し入れてあげたら、「僕も男ですからね」と笑ってましたね。自分で処理していたんだと思います。

彼は運動中、いつも一人で太極拳とかヨガをしていました。よく覚えているのは、運動会で彼が200㍍のトラックを3周走る競争に出場したときのことです。7年もの拘禁で足腰が弱っていましたから、真剣に走っても、彼はわずか3周の間に周回遅れになってしまいました。
「なんだ、あれが青山か」とかやじや中小の言葉が飛び交って、完全に見世物になってました。戻ってきた彼は平静を装い、自分を殺しているようでした。この頃から、彼は休憩中も瞑想に耽る時間が多くなっていきました。

かつては上祐史浩幹部(40)とともに、「教団の顔」として弁も振るった青山受刑者。顧問弁護時代はオウム信者が原告、被告となった多くの訴訟を担当し、逮捕された信者には次々に接見して、「黙秘しろ。さもないと地獄に堕ちるぞ」と口止めして回った。
自分の裁判では教団からの「脱会」を宣言してはいたが、受刑者となってから、心境の変化はあったのか。A氏は思い切って、その最大の関心事を尋ねたという。

あれは、運動場でのことだったと思います。いつものようにヨガをしている彼に、「弁護士という地位もある職に就いていながら、なんでオウム真理教に入ってあんな事件を起こしたの?」と問い質してみたんです。彼は迷わず、「色即是空の”是”です」と子玉枝した。「もう現実に起きてしまったことは取り返しのつかないことであって、消すことができないんです」とも話していましたね。

サリン事件後、逮捕された信者に口止めに回ったことについては、「当時は弁護士だったから、守秘義務があった。あくまで弁護士としての仕事をしただけで、(自分の)責任は取りました」と話すのみでした。

私が「オウム真理教という教団は結局、なんだったのか」と問うと、「教団とはマスコミが名づけただけで、教団とは思っていない」と答えました。彼は、「自分を高めるために調練していたのだ」といって、多くを語ろうとしませんでした。
教祖だった麻原彰晃(48=松本智津夫被告)については「もう過去の人です」といって、「会いたくない」と話してましたね。私の目には、オウムと完全に訣別しているように見えましたね。

青山受刑者が松本被告の弁護側証人として、東京地裁に出廷したのは昨年9月6日。その席で、弁護人から証言を拒否する理由を聞かれた青山受刑者は、こう答えている。
「8年も9年も前のことを、記憶を整理してい思い出すことができない。何度も取り調べを受けるうちに、記憶も変容している。事件当時は弁護士で守秘義務もあり、結局、証言はできないというのが結論だ」
教義の一部については質問に答えたものの、それ以外のほとんどの質問は証言を拒否した。

「上祐と僕は仲がよかった」

出廷の前日に、彼が、「明日行きたくないんだ」というので、「ちゃんと喋って来なければダメだよ」と話したんです。すると、「もう何も喋りませんよ。私は責任は果たしたんだから」とキッパリいいました。私が「これで、麻原の顔を見るのも最後になるの?」といったら、「最後ですね」と答えました。
当日、青山は朝5時半ころに起こされて、連行されていきました。1日工場にも姿を見せず、夜6時半頃、独居房へ帰って来ました。

この裁判に関して、後日、こんなことありました。工場の材料を包む新聞紙に、裁判の記事があったんです。すぐに受刑者たちの間で回し読みが始まりました。守秘義務を盾に何も語らなかったという内容に、受刑者たちは「やっぱり、青山は反省してないんだ」と口を揃えてました。
私は心配して声を掛けましたが、「心配ない」という言葉以上は語ろうとしませんでした。こんななか、青山は皆から離れる以外、術はなかったようですね。

青山は出所後のことに話が及ぶと、「大阪にいる父親が陶芸の窯を持っているから、それで生計を立てられれば」なんて話してました。さすがに、出所後の生活には不安を感じているようでしたね。
彼は仮釈放を期待しているフシがありました。私が「社会感情もあるから、それは無理ですよ」といっても、「それでも最後までベストは尽くす」と、いい張ってました。
一番ナーバスになる部分ですから、その件に触れると、ふてくされて、喋らなくなることもありました。

受刑者の一人が、「上祐とは仲が悪かったのか」と聞くと、「彼と僕とは仲がよかった」と話していました。その受刑やが「もうすぐ俺は出るから、何か伝えてやろうか」というと、力なく笑ってました。私が「(懲役12年は)長いね」と声を掛けると、「いやァ、一瞬ですよ」と、笑って答えていました。

「自分は、この世に何かを残すために生まれてきたことはわかるのだが、それがなんなのか、いまはわからない」という言葉が印象的でしたね。

一連のオウム事件から8年。「麻原は過去の人」といい放つ青山受刑者の変容もまた、犯罪史上稀に見る凶悪事件を起こしたオウム真理教の一つの姿なのか。
その首謀者・松本智津夫被告(検察側が死刑求刑)の裁判は、10月30、31日に弁護側の最終弁論が行われ、年明けにも判決が言い渡されるー。

  

 
平成7年7月1日官報

2009年に出所しており、その後については

  • 父親の遺産で暮らしている
  • 2014年頃にディスカバリーチャンネルの番組にて元オウム信者として顔を隠した状態で出演した
  • 上祐によると出所以後教団とは一切の関係を断っているため隠棲状態にある
  • 動静については仮出所中のマラソン大会出場(2012)くらいしかなく出所以降は生まれ故郷の大阪府柏原市にて妻子と共に過ごしている

との情報[13][14](ただしいずれもオウムとは直接関係のない人物によるものであるため、信憑性には疑問がある)や、本人のものと思われるInstagramアカウント(魚拓)が確認されている。

恒心教との関係

恒心教では、唐澤貴洋現尊師を始めとするパカ弁などの弁護士や、麻原彰晃旧尊師を始めとするオウム真理教やその幹部・信者達をネタとして嗜んでおり、特に「オウムの顧問弁護士」である青山は、絶妙な立ち位置にあると言える。

上祐史浩(マイトレーヤ正大師)などと共に、世間から弾圧を受けるオウム真理教をよく弁護し、結果的には弾圧されたものの延命に成功。恒心教を含む、今日のオウム系のネットアングラ文化に繋がった。

ちなみに、恒心関係者の弁護士の内、至田明史原田學植は、青山と同じ高校大学を卒業している。
更に、至田に関しては出身地も、原田に関しては尊師寄り添っている点も同じである。

著書

いずれも入信時代の著作で、国土法違反事件における教団幹部(自身も含む)の逮捕を「宗教弾圧」と主張するために出版された[15]

動画

歌唱力には定評があり、いずれも青山本人の歌唱である。

出典・註釈

  1. 厳密には「それらを基に書かれたとされるMuyopediaの記事
  2. 尤も風評など以前から地の底であったが。
  3. 現在も彼を信仰しているかは不明
  4. 平成7年7月1日官報より
  5. 弁護士法第7条(弁護士資格の欠格事項)「禁錮以上の刑に処せられた者」に該当する
  6. ただしこれは教団の弁護士という貴重な人材を浪費した旧尊師のミスとも言える
  7. 無関係の洋服の青山風評被害を受け、オウムや青山家との関係を否定する新聞広告を出している
  8. 公式サイト
  9. 上祐史浩氏は語った。「平成の宗教が、平成の終わりとともに」 オウム真理教事件で7人死刑執行(魚拓) - ハフポスト
  10. 滝本弁護士は全額を寄付した出家者なのに支払い能力があったことに驚いている、実家等の支援だろうか
  11. 実際は刑法第34条「刑の執行を終えて十年を経過したときは刑の言渡しは、効力を失う」通り、理論上は2025年に法曹資格は回復できる。しかし、弁護士活動を行うためには弁護士会登録が必須であり、各弁護士会は登録を拒絶できる権限を持つため、弁護士としての活動は難しいと思われる。過去の例では、法曹資格を回復し10年後に弁護士登録しようとした鬼頭史郎も各弁護士会に拒絶されている
  12. ファイル:青山吉伸の独房はひどく汚れていたよ.pdf
  13. オウム真理教の青山吉伸弁護士の今現在は?オウム随一の強運の持ち主!(魚拓)
  14. バリュケーの有識者による解説より抜粋(魚拓)
  15. 本人は「内気な性格」故に恥ずかしかったという

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オウム真理教
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後継・派生・関連団体 Aleph - ひかりの輪 - 山田らの集団 - ケロヨンクラブ - 恒心教 - その他
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上記以外 阿部克臣 - 池田和郎 - 井上拓 - 今村邦雄 - 岡正晶 - 奥村徹 - 小倉秀夫 - 川﨑美奈 - 神原元 - 北周士 - 九州の同期(隈淳平) - 黒田厚志 - 髙野洋明 - 杉山央 - 髙品惠子 - 髙橋峯生 - 壇俊光 - 名古屋聡介 - 樋口收 - 豚野郎 - 森川紀代 - 山口貴士
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