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== 唐澤貴洋との関係 == | == 唐澤貴洋との関係 == |
2022年8月24日 (水) 21:03時点における版
左から順に堤、龍彦、都子 | |
基本資料 | |
本名 | 坂本堤 |
---|---|
生年月日・年齢 | 33歳、1956年4月8日年生まれ |
命日 | 1989年11月4日 |
性別 | 男性 |
出生地 | 神奈川県(wp)横須賀市 |
墓所 | 神奈川県鎌倉市の円覚寺・松嶺院 |
身体情報 | 故人 |
才能 | 有能 |
特定経緯 | 当時の報道 |
騒動との関連 | オウム真理教被害者の弁護士 |
職業 | 弁護士 |
所属 | 横浜法律事務所(魚拓)、自由法曹団員、オウム真理教被害対策弁護団[1] |
出身高校 | 神奈川県立横須賀高等学校 |
最終学歴 | 東京大学法学部 |
関係者 | |
坂本堤(さかもとつつみ、1956年4月8日 - 1989年11月4日)は神奈川県横須賀市出身の元弁護士(横浜弁護士会[2]所属、登録番号20361)。
概要
坂本堤弁護士は東京大学法学部卒業後は法律事務所の事務職員勤務を経て、1984年(28歳)に司法試験に合格し、第39期司法修習生を経て1987年より弁護士となり、横浜法律事務所(魚拓)で弁護士業務に携わった。
事務職員時代は豊田商事破産事件管財人弁護士団を手伝っていたことがあり、妻の都子も宇都宮健児の事務員として管財人弁護士団に参加していたため、管財人弁護士団経由で2人は巡り会ったのである[3]。
1989年からは江川紹子経由でオウム真理教に出家した信者の親たちからオウム真理教脱会について相談されたことをきっかけに、教団と交渉を開始、また同年5月には「オウム真理教被害対策弁護団」を設立し、オウム真理教の事実追求や批判を行った。
坂本弁護士一家殺害事件
1989年はオウム真理教が宗教法人化した年であり、オウム真理教への勧誘が積極的に行われていた。当時より勧誘や出家を巡るトラブルが後を絶たず、週刊誌がバッシング記事を連載し、子共が教団に出家してしまった親達を中心にオウム真理教への風当たりが強まりつつあった。
坂本堤弁護士はどこかの誰かさんとは違い法的措置をとり、どこかの誰かさんのようにプロパガンダを垂れ流す目的ではなくオウム真理教の真実を知ってもらうべく取材[4]やマスコミ[5]にも登場しては教団の問題点を指摘した[6]。
それらの結果、坂本堤弁護士は教団からの反感を買い、1989年11月4日の午前3時頃に教団の幹部らによって妻の都子と長男の龍彦と共に殺害されてしまった(坂本弁護士一家殺害事件)。麻原彰晃が犯行を指示(ポアのサインを出し、塩化カリウムで殺害するよう命じたとされる)し、犯行に関与しているとされたのは岡崎一明・村井秀夫・新実智光・早川紀代秀・中川智正・端本悟である[7]。
坂本弁護士らは強く抵抗したため毒殺は実現できず、首を絞めて殺害したため死因は窒息死であるとされている。犯行に及んだ動機は翌年に控える衆院選への悪影響や今後の教団の発展の障害となることを恐れたからだとされている。麻原は殺害の成功を喜び[8]、説法の後に3人の遺体をドラム缶の中に入れて別々の場所に埋めるよう指示したということもあり、捜査は難航した。麻原は死体遺棄を終えて帰ってきた一行に「真理を妨害することで得た金で養われている者も悪行を積んでいる」と説いて、「三人殺したら死刑は間違いない。みんな死刑だな」と笑いながら語ったとされている。
失踪が明らかとなった時点で、オウム真理教の関与が強く疑われたものの[9]、麻原はテレビに出演し強く抗議[10]した。その結果、後述の幹部による自供があるまで遺体は発見されなかった。
日弁連は1990年2月15日、名指しこそはしないものの実行犯の良心に訴え、事件の早期解決を願う会長声明を発表している。
「坂本堤弁護士一家の拉致事件」に関与した「あなた」に訴える(魚拓)
わたしたちは、この事件に関与したあなたの良心に訴えます。 わたしたちは、人が人として有するはずの良心が、あなたにあることを信じたいと思います。 弁護士は、つねに人権を擁護し社会正義を実現しようと努力しています。 ひとびとの紛争が解決し、社会生活を円満に営むことができるように、つねに最善の努力をはらっています。 それがわたしたち弁護士としての仕事であり、使命なのです。 坂本弁護士は、この弁護士としての当然の仕事をしていました。 その仕事がかりにあなたの意に沿わぬ場合には、他の弁護士があなたの利益を守るために働くことでしょう。 あなたの意に沿わない弁護士を実力で拉致し、その身柄を拘束することは、絶対に許されないことであり、いかなる理由を付けてもそれを正当化することはできません。 これは「人間の尊厳」を踏みにじる重大な犯罪行為であり、その責任は極めて重いものであることはあなたも知っているとおりです。 ましてや坂本弁護士の家族の生命や身体、さらに精神状態にもしものことがあればなおさらのことです。 弁護士は、日本の司法制度の重要な一翼を担うものであり、その弁護士の生命、身体を暴力をもって侵害することは、司法制度そのものの否定、ひいては民主主義への重大な挑戦となります。わたしたちは、この雪の降る厳冬の折りに、幼い龍彦君がどうしているのか、寒さに震えていないか、食べるものは十分与えられているのか、ほとんど何も持たずに拉致された坂本夫 妻はどうしているのだろうかと本当に心配しています。 あなたの良心を信じ、訴えます! 坂本弁護士一家の安否の情報提供を! 彼らを一刻も早く解放し、彼らの自宅に無事戻すことを! 1990年(平成2年)2月15日 日本弁護士連合会 会長 藤井英男
また、1992年の第43回日弁連定期総会では、坂本一家救出決議が採択されている。
(坂本弁護士一家救出に関する決議) 坂本弁護士が、妻都子さん、長男龍彦君とともに、1989年(平成元年)11月4日自宅から忽然と姿を消して2年6か月が経過した。 この間、一家の救出に向けて警察の懸命の捜査、多くの市民・マスコミの温かい協力、私たち自身のさまざまな努力が続けられてきた。 しかし、誠に残念ながら、今日まで一家の救出には至らず、安否の確認はおろか、事件の概要すら判明しないという状況にある。 いま、時の経過のなかで、この事件が人々の意識から遠ざかりつつある。一部には生存を危ぶむ声や、救出への懐疑的な姿勢もみられ、誠に憂慮すべき事態に立ち至っている。 私たちは坂本弁護士の沈着、冷静かつ粘り強い性格からして、一家はどこかで必ず生きていると信じている。救出の手が差し延べられるそのときを固く信じて、今このときも不屈の精神で たたかい抜いているはずである。 私たちは、この問題を弁護士業務に関連した拉致事件と断定し、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする弁護士の活動を暴力的行為によって妨害する狙いをもったものであると位 置づけた。坂本弁護士一家救出活動は、一家の救出と同時に、正にこのような狙いをもった暗黒の勢力による妄動の根絶に向けての活動でもある。 救出活動が功を奏さず、この事件が風化することは、家族をもまきこむというこの卑劣な事件の醸し出す恐怖が、私たちの意識の底に重く沈潜してくることを意味する。ひいては弁護士の活動が広範囲にわたって阻害され、逼塞し、わが国の司法制度ないし法秩序自体が危殆に瀕することとなる。 たゆみなく続けられる救出活動を通じ、民主主義や基本的人権を擁護する活動を、より強固に進めることによってのみ、犯人の狙いを打ち砕くことができるものと確信する。ここに私たちは坂本弁護士一家救出のため、総力をあげる決意を改めて表明するとともに、広く市民にこれまでに倍するご支援、ご協力を心から要請するものである。 以上のとおり決議する。 1992年(平成4年)5月20日 日本弁護士連合会
提案理由
1.坂本堤弁護士一家3名が1989年(平成元年)11月4日以来行方不明となってすでに2年6か月余が経過した。 事件が坂本弁護士の弁護士業務に起因したものであることは、当連合会の調査のみならず、警察の捜査によっても明らかにされ、今日では疑う余地のないものとなっている。 2.当連合会は、このような観点から平成2年度の第41回定期総会において、弁護士業務妨害に関する決議を採択し、その中で「暴力的手段による弁護士活動の妨害は司法制度ないし法秩序への挑戦であることを厳しく認識し、一致団結してこれと闘い、基本的人権の擁護と社会正義の実現のため全力を尽くす決意」を表明し、政府ならびに関係諸機関に対し「現に生命の危険にさらされている坂本弁護士とその家族の救出に総力をあげとともに、弁護士業務を原因として加えられる暴力から弁護士の生命身体の安全を確保するため万全の措置を講じるよう強く要請」した。 会長自ら数次にわたって現地におもむき、前記決議及び調査結果に基づいて警察庁、神奈川県警察本部に対し度々厳正な捜査を要請してきた。 また当連合会は、広く市民に救出と事件の本質を訴えることを目的とし関東弁護士会連合会および横浜弁護士会と共催で「生きてかえれ!坂本弁護士と家族の救出をめざす全国集会」を二度にわたって開催し、多くの市民の参加を得た。 さらに近時坂本弁護士一家拉致事件をはじめとする弁護士業務に対する暴力的な妨害が増加する中でその絶滅を期し、昨年11月21日当連合会は弁護士業務妨害対策協議会を発足させ活動を開始した。 3.この間、坂本弁護士一家拉致事件については、関東弁護士会連合会をはじめとする全国のほとんどの単位弁護士会において会長声明や決議がなされるとともに、坂本弁護士一家の救出 をめざす弁護士会主催の集会も数多く開催されている。また弁護士有志の間で「坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会」(略称「救う会」)が結成され、この会には現在3000人を超える弁護士有志が参加し活動を継続している。このほか、市民のなかから「坂本弁護士と家族をさがす会」などの会が結成され、弁護士一家救出に向けてさまざまな取り組みがなされてきた。 さらに、弁護士と市民の有志からなる「坂本堤弁護士一家救出のための懸賞金広告実行委員会」が発足し、懸賞金広告が実施されている。 国会議員の間にも超党派による「国会議員懇談会」も結成された。 4.このような当連合会、各弁護士会連合会、全国の単位弁護士会、弁護士会員の努力、多くの市民の協力、捜査当局の懸命な捜査等にもかかわらず、残念ながら、今日まで坂本弁護士一家の救出はもとより有力な手懸りもないまま概に2年6か月余が経過した。 坂本弁護士一家の親族の方々の心痛を考えるとき、また、本件が単に坂本弁護士一家だけの問題ではなく、弁護士活動全体に対する挑戦であることを考えるとき、この問題の未解決のまま推移させることは許されない。 ことの重大性を認識しながらも、時間の経過は、人々の認識から事件を遠ざけていく。一部には生存を危ぶむ声やこのまま救出活動を継続していくことについて消極的な意見も聞かれ始めた。 事件の風化は単に事件が忘れ去られるということではない。事件直後に家族から「あなたは大丈夫?」と問われ、「危険な仕事はしないで」と請われた会員も少なくない。坂本弁護士一家の救出活動が功を奏さず、事件の解明がなされないということは本来弁護士業務と無関係な家族をも巻き込むという卑劣なこの事件が醸し出す恐怖が私たちの意識の底に深く沈潜していくことを意味する。 基本的人権の尊重と社会正義の実現を使命とする弁護士が1回や2回の業務妨害で、その使命を放棄することはあり得ない。しかし、これまで100歩出て、人権侵害とたたかっていたものが、99歩、98歩、あるいは90歩になることも否定できない。基本的人権の尊重や民主主義の擁護が不断の努力とたたかいによってのみ維持・発展していくものであるという歴史の教訓からすれば、一人ひとりの少しずつの後退がもたらすものの大きさは図り知れない。 5.マスコミによる坂本事件の報道も極端に減少しているいまこそ、当連合会は坂本弁護士一家の生存を信じ、救出を改めて訴えると同時に、事件の本質即ち弁護士業務の暴力的妨害がもたらすものが、わが国の民主主義や人権を大きく後退させることに繋がることを各界に強く訴える必要がある。救出活動のあり方も、広く市民の力をかりて、ともに救出のために奮闘し合うことが、救出の最大の保障である。そして、その活動を通じてわが国の民主主義や基本的人権の尊重がより強固に確立されることにより犯人の狙いを打ち砕くことができる。 引き続き捜査機関に対し、一層強力な捜査を要請するとともに、当連合会の坂本弁護士事件に対する考えを明確にアピールすることが、いま求められている。 以上の理由により本決議を提案する次第である。
事件から6年後の1995年に岡崎一明からの自供により3人の死体遺棄場所が判明する[11]。供述に基づき捜索したところ、同年9月6日、新潟県西頸城郡名立町(現・上越市)の山中から発見された。同じ日には富山県魚津市の林道脇から妻の遺体が、4日後の9月10日には長野県大町市の山中から長男の遺体が発見された。坂本弁護士の遺体発見を受け、日弁連が再度会長声明を出している。
本日、坂本堤弁護士一家拉致事件に関して、警視庁と神奈川県警本部の合同捜査本部がオウム真理教の幹部・元幹部の供述に基づき捜索を行い、坂本堤さんの遺体を確認し、元幹部を逮捕したとの発表がなされました。 本日の警察の発表はいまだ確定的なものとは言いがたいものがありますが、私たちの期待を打ち砕き、厳しい結果を予測させるものです。坂本良雄さん、坂本さちよさん、大山友之さん、大山やいさんら親族、救出に向けて全力を捧げられた関係者の心情を思うにつけ、断腸の思いです。 基本的人権の擁護と社会正義の実現のために、業務を行っている弁護士に対し、家族まで巻き込み、その命まで奪うという許しがたい行為には、満腔の怒りを禁じ得ません。 日本弁護士連合会は1989年11月の事件発生以来、この事件は坂本堤弁護士の弁護士としての業務に関連して何者かにより拉致された疑いが極めて強いとの認識のもとに、一家の生存を信じ、捜査の継続強化の要請をはじめとして、救出のため様々な活動を展開し、多数の国民の皆様の理解と支援を得てまいりました。 国民の期待を背景に捜査を継続された捜査員の方々のこれまでの労苦を多としながらも、本事件の全容の解明に向け、捜査機関に対し適正かつ迅速な捜査を尽くすことを要請します。 日本弁護士連合会として、坂本弁護士一家の無事救出のためご協力をいただいた多くの皆さんに感謝するとともに、かかる事件が再発しないよう、今後とも国民の方々と手を携え、一層の努力をする所存です。 1995年(平成7年)9月6日 日本弁護士連合会 会長 土屋公献
オウム真理教の信者によって尊い命を奪われた坂本堤さん、都子さん、龍彦さんに日本弁護士連合会を代表して、謹んで哀悼の意を捧げます。坂本、大山ご両家のご遺族の方々の悲しみを拝察いたしますとき、誠に痛恨に堪えません。心よりご冥福をお祈りいたします。 坂本さん一家がオウム真理教信者の卑劣な行為によって、忽然とこの世を去られてから10年目を迎えました。あなた方の無念さを思うとき、今でも激しい憤りが、わたくしたちの体を貫きます。 坂本さんは、オウム真理教による被害者を救済しようと、オウム真理教と対峙されていました。坂本さんは弁護士として、法律を武器に、敢然と立ち上がったのであり、それは、まさに弁護士法第一条にいう「基本的人権の擁護」「社会正義の実現」にかなった行動であり、まさに弁護士の本分ともいうべき行為でありました。 坂本弁護士事件は、このような弁護士活動に対する卑劣な業務妨害であり、民主主義、法治国家に対する野蛮な挑戦でありました。日本弁護士連合会は、弁護士がいかなる暴力、妨害にも屈することなく、人権侵害に対し果敢に立ち向かい、国民の基本的人権の擁護と社会正義の実現のために活動ができるよう、そして二度とこのような事件が起こらないよう、弁護士業務妨害対策委員会を設置して坂本事件の教訓を生かす活動に取り組みました。 また、日本弁護士連合会は、昨年9月、新潟県、富山県、長野県、横浜の各弁護士会並びに坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会と共同で「二度とゆるすまじ坂本弁護士事件」の決意を広く国民に伝えるために坂本弁護士一家メモリアル碑を、ご御家族3名の遺体が発見されたそれぞれの地に建立しました。 10年目を迎えた今日、わたしたちは、弁護士活動に対する妨害は人権と民主主義への挑戦であることを確認するとともに、坂本弁護士がその使命を命がけで遂行し、その志半ばで倒れたことを永く忘れることなく、その遺志を引き継いでいく決意を新たにしているところであります。 坂本堤さん、都子さん、龍彦さん、どうぞ安らかにお眠りください。 1998年(平成10年)11月3日 日本弁護士連合会 会長 小堀 樹
自供したことで逮捕された岡崎については週刊文春で掲載されたこの記述が興味深い。
「私が地下鉄にサリンを撒きました」 坂本弁護士一家殺害事件の犯人が自首した理由(魚拓)
坂本弁護士一家殺害を自白 そして、1989年11月4日午前3時頃、神奈川県磯子区の坂本堤弁護士の自宅アパートに教団幹部6名で押し入り、就寝中だった坂本弁護士、妻の都子さん(同29歳)、それに1歳2カ月だった龍彦ちゃんを殺害。遺体を運び出すと、それぞれを新潟、富山、長野の山中に埋めて遺棄していた。 「3人殺したら、死刑だな」 犯行後、実行犯を再び集めた麻原は、刑法の条文を読み聞かせながら、そう呟いたという。 それから、およそ6年。95年3月の地下鉄サリン事件の直後に、教団施設への一斉家宅捜索が行われて、教団の凶行の実態が次々と白日のもとに曝されていく。その中で、坂本弁護士一家殺害事件も立件される。岡崎の供述した通りの場所から、3人の家族の遺体が発見されていくのだった。 余裕のある被告人 死刑なのか、それとも生きることが許されるのか。目の前で、裁判長が粛々と読み上げる判決理由を聞いている岡崎の背中は、硬くなって見えた。肩をすぼめるように、円くなってじっとしている。周囲に目をやる余裕などないはずだった。自分に死が訪れるかどうかの瀬戸際を、いまかいまかと待っているのだ。それが、もし、ぼくの立場だったら、と想像してみる。きっと、裁判長の言葉よりも、自分の心臓の鼓動のほうが重く耳に響いていることだろう。 それでも、初公判から見てきた法廷の岡崎には、どこか余裕があった。判決から遡ること、2年半前のことだった。 背が低く、なで肩、中年太りの入った岡崎の体格は、まさに円形を基調にして見えた。法廷に入ってくる時も、証言台の前で座って証言に臨む時も、背中を丸めて前屈みにしている印象が強い。それでいて、丸顔に髪を真直ぐに垂らした下から、上を覗き込むように正面を見据える切れ長の目の視線は、相手の様子から内面までを探って言葉を選んでいるように見えた。下手に出ながら、相手に取り入って、それでいて相手の心を掴んで、優位に話を進めようという、どこかで見覚えのあるセールスマンのような態度と話し方だった。事実、本人も職を転々としながら、営業の仕事を数多くこなしてきたことを告白していた。 岡崎は、起訴された事実関係を認め、検察が出してきた証拠もほぼ全てについて採用を同意。事件の共犯者の供述調書を検察官に全て読み上げさせると、そこから被告人質問に入るという、弁護側の法廷戦術をとってきた。
余談だが、坂本堤弁護士の母の坂本さちよ氏は2020年3月にインタビューに応じ、当時の心境やマスコミ対応への不満を述べている[12]。
恒心教との関係
恒心教はパカ弁を中心とした弁護士をネタや研究対象として取り扱っており、またオウム真理教などの不謹慎文化の影響も根強いため、直接的な関係性はないが、親和性は高いと思われる。
前述した事件の反省から弁護士の業務妨害への対策が急務となり、各弁護士会には「業務妨害対策委員会」が設立された[13]。唐澤貴洋が所属する第一東京弁護士会では、他に第一東京弁護士会長夫人殺人事件があったことも、委員会設立のきっかけとなった。
業務妨害対策委員会では、尊師が座談会に参加し、尊師や山岡が活動内容を時折ICHIBEN Bulletinに寄稿している。また尊師は講演内で、同期の弁護士に業務妨害対策委員会を勧められ、「多くの先生方に話を聞いていただき、警察にも同行いただいたことがある。一人じゃないんだと思えたことで、精神を維持できました[14]」と話している。
2015年12月2日、第一東京弁護士会会長岡正晶はGoogleMap改ざん事件にて「弁護士制度に対する重大な挑戦」という声明を発表[15]。単なるいたずらに対しては大げさという意見[16]もあったが、本事件のように弁護士が殺害された事件が念頭にあったため[17]と思われる。また、岡に殺害予告がされた件で岡が警察への警備を依頼したことが明らかになっているが、これも過去に上記のような弁護士やその家族が襲われる事件が実際にあったためだと思われる。
唐澤貴洋との関係
唐澤貴洋が坂本堤弁護士について言及したことこそないのだが、前述した忌々しい事件は彼の若き頃に起こっている為知らないはずがなく、岡正晶が声明を出した背景も当然理解しているはずである。また、2022年2月3日には上祐史浩が当事件を語ったYouTube配信通知をわざわざリツイートしているため、配信も視聴したと見られている[18]。
しかし一方で唐澤貴洋は嬉々として大喜利のネタで尊師と発言したり弁護士のアカウントでオウムスラングの改変を発信したあげく、批判した教徒をブロックしたり[19][20]と弁護士倫理が著しく欠如した行為を平然としている始末である。その態度は、弁護士マップでも批判されている[21]。
これにはオウムを初めとする不謹慎ネタを嗜む恒心教徒ですらドン引きするばかりであった。 後に、これら一連のツイートは2022年7月14日に行われた教徒による懲戒請求の際に懲戒理由として使用され、第一東京弁護士会に送付された。
余談だが、唐澤は新米時代に坂本総合法律事務所へコネ入所勤務しており、このことがハセカラ騒動でオウムネタが定着した理由の1つとされることがある[22]。
脚注
- ↑ 現在は「オウム真理教被害者の会」と呼ばれている
- ↑ 2016年以降は神奈川県弁護士会となる
- ↑ 坂本弁護士一家殺害事件から30年 ~事実や教訓を正しく後世に伝えたい(魚拓) - Yahoo!ニュース
- ↑ オウム真理教に対し当時から批判的な立場をとっていたサンデー毎日への関わりが強かったとされる
- ↑ 後にTBSビデオ問題などへと繋がる
- ↑ 「私が地下鉄にサリンを撒きました」 坂本弁護士一家殺害事件の犯人が自首した理由(魚拓) - 週刊文春
- ↑ その他、石井久子も死体の処理に加担したとされる
- ↑ 坂本弁護士一家殺害事件ーまだ残る闇ー(魚拓) - 小川洋子のブログ
- ↑ 特に、実行犯の中川智正が犯行現場に誤って残したプルシャ(教団製のバッジ)が決め手となった(後に教団は、これを大量生産して外部へ配り「現場にあったものは、あくまで坂本弁護士の裁判資料である」と取り繕った)
- ↑ 次第に「マハーヤーナ」と呼ばれる愛され路線でタレントとしての立場を確立したことで、疑惑自体もしばらく有耶無耶にされた
- ↑ 日本震撼、オウム事件全史 写真特集(魚拓)
- ↑ 坂本堤弁護士の母・坂本さちよさん/「生きている者の義務」として(松島 佳子)2020年3月(魚拓)
- ↑ V.弁護士業務妨害対策(魚拓) - 日弁連七十年
- ↑ 弁護士が受けた100万回の殺害予告 突然訪れる危機を回避する方法/本文#CASE-01 唐澤弁護士の場合
- ↑ 弁護士業務妨害に対する会長声明 - 第一東京弁護士会-声明・決議・意見書-2015(平成27)年度(魚拓)
- ↑ 【大幸薬品】雑談★17【下痢弁担当】>>959(魚拓) - ドリケー
- ↑ 【小関直哉】雑談★25【初霜担当】>>756(魚拓) - ドリケー
- ↑ 【唐澤貴洋殺す】雑談★27【44歳児】【お問合わせフォームマン3号】>>160(魚拓) - マヨケー
- ↑ ブロックされた教徒1(魚拓)
- ↑ ブロックされた教徒2(魚拓)
- ↑ 【唐澤貴洋殺す】雑談★31【N国狂信者】【宮迫再コラボ】【尊師ール恒認】>>561(魚拓) - マヨケー
- ↑ 最も、原始恒心教徒たる当時のなんJ民達は、まさか唐澤側が上記のような言動に出るとは思ってもいなかったであろうが
外部リンク
- 坂本堤 - Wikipedia
- 坂本堤弁護士一家殺害事件 - Wikipedia
関連項目
オウム真理教 | |
---|---|
教団関係者 | 青山吉伸 - 麻原彰晃(旧尊師) - 村井秀夫 - その他の幹部・信者 - 横山昭二 |
後継・派生・関連団体 | Aleph - ひかりの輪 - 山田らの集団 - ケロヨンクラブ - 恒心教 - その他 |
敵対・批判勢力 | 宇都宮健児 - 大崎警察署 - 紀藤正樹 - 坂本堤 - 滝本太郎 |
番組・手記 | NHKスペシャル 未解決事件 File.02 オウム真理教 - 麻原裁判をふり返って |
用語 | ヴァジラヤーナ - カルマ - 空中浮揚 - サティアン - 師 - 正悟師 - 正大師 - 尊師 - ダーキニー - 超越神力 - プラーナ - ポア - ホーリーネーム - PSI |
恒心教に与えた影響 | 麻原彰晃掲示板(サンラクシャカ) - 面白い愛の戦士 - 唐澤貴洋(現尊師) - 急に書き込みが無くなったなポアされたか - 智津る - なんだお前オウムか - 福山紘基 |
カルト宗教仲間 | 阿含宗 - イスラム国 - エホバの証人 - 幸福の科学 - 創価学会 - 統一教会 - パナウェーブ研究所 |
その他 | イスラム教 - オウマー(ネット文化) - 北朝鮮 - キリスト教 - 仏教 - 例のアレ |
弁護士 | |
---|---|
一覧 | 弁護士一覧 - 主なパカ弁一覧 |
騒動の主要人物 | 唐澤貴洋 - 坂本雄三 - 立石邦男 - 小西一郎 - 阿部通子 - 山岡裕明 - 山本祥平 - 原田學植 |
パカ弁 | 金川晋也 - 唐澤貴洋 - 神田知宏 - 小俣由香利 - 近藤信幸 - 塩味達次郎 - 至田明史 - 清水陽平 - 瀧口徹 - 田中一哉 - 玉里友香 - 中澤佑一 - 中島博之 - 福永活也 - 藤吉修崇 - 前園進也 - 山岡裕明 - 山本麻白 |
八雲所属 (過去所属、顧問弁護士含む) |
山岡裕明 - 菊地康太 - 笠置泰平 - 千葉哲也 - 町田力 - 杉本賢太(退所) - 阿部通子 - 田村祥一(退所) - 上野浩理 - 星野悠樹 - 村田和希 - 髙間裕貴 - 長野英樹 - 柏原陽平 - 畔柳泰成 - 小林尚通 - 大友雅則 - 片岡弘(顧問) |
風評被害枠 | 宇治野壮歩 - 唐澤新 - 唐澤貴夫 - 田中一哉(非熱湯) - 唐泽 - 長谷川亮 - 南阪本浩章 |
立花孝志の顧問 | 岡野武志 - 唐澤貴洋 - 佐藤栄治 - 髙橋裕樹 - 竹田真理 - 福永活也 - 村岡徹也 - 山本麻白 |
オウム関係 | 青山吉伸 - 宇都宮健児 - 紀藤正樹 - 坂本堤 - 滝本太郎 - 横山昭二 |
上記以外 | 阿部克臣 - 池田和郎 - 井上拓 - 今村邦雄 - 岡正晶 - 奥村徹 - 小倉秀夫 - 川﨑美奈 - 神原元 - 北周士 - 九州の同期(隈淳平) - 黒田厚志 - 髙野洋明 - 杉山央 - 髙品惠子 - 髙橋峯生 - 壇俊光 - 名古屋聡介 - 樋口收 - 豚野郎 - 森川紀代 - 山口貴士 |
法律事務所 | 坂本総合法律事務所(小西一郎 - 坂本雄三 - 立石邦男) - 恒心綜合法律事務所(阿部通子 - 渡邊恵美) - 法律事務所クロス(山岡裕明 - 山本祥平) - 法律事務所Steadiness(原田學植) - 八雲法律事務所 - ニューポート法律事務所 - 名古屋・山本法律事務所 - 法律事務所アルシエン - 誠法律事務所 - リンク総合法律事務所 |
その他 | ICHIBEN Bulletin - 司法修習 - 第一東京弁護士会 - 懲戒請求 - 弁護士・法律事務所データベース - 弁護士ドットコム ( 弁護士ドットコムニュース) - 弁護士マップ |