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臭芋

提供:唐澤貴洋Wiki
糞芋から転送)
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臭芋(くさいも)とは、一般的に恒心教徒の中でも行動派であり、なおかつ無能で痛々しく恒心教に害をもたらす者を指す。転じて、今日では単に無能な恒心教徒そのものを指すこともある。

成り立ち

2013年8月に悪芋という言葉が誕生し、そこから派生して、「~な恒心教徒」という語句を「~芋」と略し表現する事が一般化した。こうして派生して生まれた言葉の一つが「臭芋」である。

基本的に「臭芋」という言葉は、教徒が不快と感じた別の教徒に対して恣意的なレッテル貼りとして用いる言葉であるため明確な合意に基づいた定義は存在せず、「この行動をした教徒は臭芋」というルールも特に存在しない。そのため、無闇やたらに臭芋認定するのもまた慎むべきである。 また、「臭芋」に限らず、一般に定義がはっきりしない曖昧な用語を使用したり、あるいは間違った定義を使ってのレッテル貼りは、無用な争いや不毛な論争を招きかねないため、使わないほうが身のためである。

しかしながら多数の教徒たちが「臭芋」と呼称する教徒を分析してみると彼らにはかなり明瞭な法則性、共通項が見られることがわかる。

性質

「臭芋」と「悪芋」のもっとも明瞭かつ大きな違いは「悪芋は有能、臭芋は無能ということである。

悪芋は世間に影響を及ぼす過激な犯罪行為に手を染めて外部からの批判を受けることがあるものの、基本的には逮捕も厭わない覚悟を持っている(恒心教殉ずる覚悟がある)教徒であり、また何よりもその行動力から大きな成果を上げ恒心教に貢献する教徒(例:安藤良太マツドマッドマットマン福山紘基など)を指す。

一方臭芋は心のチンフェ丸出しの恒心営業行為を行う者(例:藤原太一を始めとした事務所一派など)やTwitterで過度のニッセ路線や馴れ合いを行う者(例:福井舜也佐々木颯太朗など)といった、基本的に何の覚悟も持たずに行動する(ハセ学小関直哉騒動の反省点を全く学んでいない)教徒であり、更にはその行動規範の緩さから包皮民の反撃を許してしまい、上げた成果も悪芋の成果はおろか、包皮民の引き起こした問題に比べても僅少という、恒心教全体に害しか及ぼしていないと取られかねない教徒を指す。時にはゆゆうた関東サウンドプロジェクトなど恒心ネタに便乗するだけの教徒未満の無能も含まれる。

一般的に次のような行動が教徒たちから「臭芋」認定されることが多い。

  • 恒心教徒の名を背負いつつ、(無関係な)個人や集団、事柄を正当な理由無く攻撃したり侮辱したりする。
  • 恒心教を盾・錦の御旗にして(無関係な)自分の嫌いな個人や集団、コンテンツを攻撃したり侮辱したりする。
  • 恒心教やなんJのノリから逸脱した、教徒の大半がドン引きするようなパフォーマンスを行う。
  • 政治的・思想的な話題を振る、定義に政治的な論争のある用語を使用する。
  • カラコロすらせずにSNSで自分語りしたり傷を舐め合ったりパズピーをばらまいたり過度な馴れ合いをする。
  • 恒心教を単なる売名や自己顕示欲、支配欲、攻撃性充足の為だけにノーリスクで利用する。
  • 逆に少しでも目立ったり新しい試みを始めた教徒の足を引っ張り恒心教の発展を著しく阻害する。
  • やたら横柄な態度を取り、人の善意や好意を裏切る。
  • ネットワークや掲示板利用の基礎知識がないなど、そもそもネットを使う上でのリテラシーに欠けているのを自覚しないまま活動してしまう。
  • 叩かれても場の空気を読まないで行動を改めようとせず固執する。

見てわかるように、臭芋はいわゆる「無能な働き者」の特徴に当てはまる存在でもある。

また実例を見て、彼らが恒心教に及ぼしたと考えられている(言われている)害を次に挙げる。

  • 言動を逆手に取られ、反恒心教宣伝を包皮民にされて恒心教の評価が凋落する(山本弘ネットデマ速報の反撃など)
  • 評価の凋落と内紛の増加により新規入信教徒がいなくなる(Twitter、ニコニコにおいて顕著)
  • 恒心教の活動全体が萎縮し恒産が著しいダメージを受ける(芸術路線に対する過剰な反発)
  • 馴れ合いに嫌気が差した教徒が恒産停止、脱恒心してしまう(Twitter参照)
  • Orpheusなどの善意で維持されていたサービスも破壊し、恒産を停止させる(パカソン「くたばれ管理人」の製造など)
  • 関係ない話題を持ち込んで長文白熱レスバトルを起こし、正常な事実追求にも支障をきたさせる(コセケーの元々の成立理由など)
  • 有能教徒を結果的に脱恒に追い込む[1]

Twitterでの例

Twitterにおける恒心コミュニティは臭芋による問題が特に顕著である。このことは特に「臭芋」とされる代表的な人物のほとんどがTwitter上の活動を行っていた教徒であり、その多くがカラケーやなんJではなくTwitterを根城にしていたことからも如実に示されている。

Twitter上で活動を行う問題点、およびTwitter上の恒心コミュニティに臭芋が多い理由としては以下のようなものが考えられる。

  • 前提としてTwitterでは全員が強制コテであるため、個体認知がなされやすく、発言が自分のものとして永久に残り、固定的な人間関係ができやすいこと
  • コテであるため心のチンフェを発動しやすく、さらに自分語りや失言が永遠に紐つけされて残ること
  • 人間関係が流動的ではないため、恒心に何ら寄与しない教徒同士での馴れ合いが生じやすいこと
  • 馴れ合いが高じて囲いや派閥、グループが成立する場合も多く、ひどい場合はオフやオフパコ、教徒間の内戦に発展すること
  • Twitter上では一般人との接触が可能であるため、無関係の人間や組織に対する過剰な攻撃が起こりやすいこと
  • カラケーに比べて敷居が低く、また芸術路線といった楽しく華やかな路線が目立つため、キッズなど年齢やリテラシーの低い層が流入しやすいこと
  • 恒心教コミュニティの性質として、コテ教徒の場合、それまでに積み上げてきた功績に関わらず基本的に大きな失点は一度しただけで挽回不能であり、一発で臭芋認定されるため二度目はないこと
  • RT数やフォロワー数というステータス化しやすい数値があるため、上級教徒じみた選民思想にはまってしまう危険があること
  • なまじコテやアカウントに対してステータスや評価・名声を得てしまうために、いざ炎上してもなかなかコテを放棄できないこと
  • 掲示板であれば暴走行為に対してIP開示やアクセス禁止といった制裁が加えられるが、Twitterではそれが不可能であること
  • 同種の人間のみと付き合いを持つということができてしまうため、否定的な意見が目に入らず、異常行動や暴走に周りからストップがかかりづらいこと
  • また良識ある教徒が仮に周りにいても、コテとして個体認知されコミュニティに縛られているため、内ゲバに発展することを恐れ初期段階で注意できないこと

なお、謙遜する意図でプロフィールに「臭芋」と表記する場合も見られるが、何も教徒としての活動をしなければ「自己顕示欲が強いだけの臭芋」と実際に見なされる[2]場合があるため、控えるべきである。

かつてはTwitterにおける恒心コミュニティへの事実上の牽制や抑止力としてウツケー(旧オリケー)が稼働しており、Twitter路線の暴走、腐敗を防ぐ一助となっていた。

しかしウツケーもまた私怨晒し・私怨炎上の横行や、恒心教に対する理想像を押し付ける自治厨の存在といった問題をかかえており、またTwitterコミュニティやTwitter教徒を評価するにあたってはその巨大な「功」の部分も見なければならないことから、どのようにしてTwitter路線とその他の勢力が健全に付き合っていくかは、恒心教が長らく抱える大きな難問のひとつであり続けている。

臭芋叩き問題

ゆゆうた・サウプロ騒動の長期化とそれに伴う厭戦感情が蔓延して以来、「過度な臭芋叩き」が問題視されることも増えた。

これは、本来叩くべきメインは唐澤貴洋長谷川亮太であり、また臭芋以上に叩くべきは恒心教に対して有害活動を行う包皮民外伝主人公であるとした上で、彼らをそっちのけで臭芋叩きに夢中になるのは、長期的には教団の過激化、本来叩くべき相手への攻撃が疎かになることによって引き起こされる敵の強靭化、またそれに伴って少しの違いをも認めない分派分裂につながるとする懸念である。

実際に宗教学的にも「異教徒よりも異端を攻撃する」傾向があり、これが続くと過激化が止まらなくなり、結果的に弱体化する弊害はよく指摘されており、我々恒心教徒も幾多の宗教が繰り返してきた歴史的過ちから学ぶ必要がある。

臭芋叩きは教団の自浄作用並びに団結力の強化という意味でも必要不可欠であるが、あくまでも「従」であり、「主」としては唐澤貴洋の悪行を広めるなどの行動であることは頭に入れておきたい。

「臭芋」とされる代表的な人物

恒心教において明確に臭芋とされる者を以下に挙げる。

関連項目

脚注

  1. 唐澤貴洋Wikiカラケー管理人への個人攻撃や悪芋の活動を妨害する、尊師MMD創設の功労者であるAltail氏を引退に追い込むなど
  2. 恒心教は匿名掲示板から起こったコンテンツであり、有能な教徒は自分語りをせず名無しで活動を行っていたため