恒心文庫:唐澤貴洋殺害日記
本文
八月一日
今日、お母さんに道ぐをもらった
「これであなたも唐澤貴洋を殺すのよ」
わたされたのはひと振りの手おのだった、ぼくらがいつもまきを割るときに使うやつだ
「お父さんが帰ってくるまで、あなたもこの家を守るのよ」
お母さんはAK47のざん弾を数えているうちに、つかれてねむってしまった
ぼくは手おののえをにぎりながら戸板にもたれかかり、こうふんしてねむれなかった
八月二日
めずらしく外がはれていたためか、今日のしん入してきた唐澤貴洋の数はゼロだった
お母さんはAK47を片手にふとんを干したり、部屋のそうじをしたりしていた
ぼくも手おのを片手に手伝った
お父さん、はやく帰ってこないかな
八月三日
干したてののふとんはやはり心地がよい
いもうとも喜んでいる
「これであのひとが帰ってくれば……」
お母さんがいつになくまじめな顔をしていたので、ぼくは軽口を叩いた
「お母さん、また太ったんじゃない」
おたまでなぐられた
八月四日
今日、唐澤貴洋を二匹殺した
今朝がた物音に目をさますと、台所からなにやら物音がする、なんだろう
ぼくは手おのを忘れず持っていって、そこで小麦粉をなめている唐澤貴洋の幼虫を二匹殺した
思ったよりもかん単だった、かぶと虫よりすこし固いくらい
唐澤貴洋の死がいを起きてきたお母さんに見せたらすごく喜ばれた
八月五日
昨日のうちに補しゅうしておいたかべが役に立った
昨日の夜ふけ過ぎから雨がふりだし、ぼくらは唐澤貴洋の足音がわからなくなった
いもうとに寝しつで隠れているように言いおき、ぼくとお母さんは階下の居間で待ち受けた
お母さんがAK47を持つ手は震えていたけれど、それいじょうにぼくも震えていたのだろう
「あなたが居てくれて、とても頼もしいわ」
手おのをにぎる手のひらが、じわりと熱い汗ににじんだ
八月六日
やはり、やられていた
雨足にまぎれ外の食りょうこが唐澤貴洋たちにあらされていたのだ
去年のうちにびちくしていた小麦や塩ぶた、果実しゅやチーズなど
どれもこれも出来のよいものから食い荒らされていたのだ!
ふんがいするぼくを横目にお母さんは言った
「まだ、大丈夫よ」
ぼくは、まだ、が気にかかる
八月七日
今日は三匹の唐澤貴洋を殺した
殺せばころすほどうまくなっていくようだ
ぼくは見せしめに唐澤貴洋の死がいをのき先に吊り下げようとしたが、背がとどかない
お母さんに言ったらやめなさいと一しゅうされた
ちぇっ
八月八日
妹が、泣いた
「お父さんはいつ帰ってくるの!?」
ふとんの上、ごはんを食べるとき、お風呂にたらいを使っているとき
どれだけぼくたちが手を尽くしてもいもうとのこうふんは冷めやらなかった
お母さんはとてもしょうすいしきった顔で「明日、明日帰ってきますよ」と繰り返していた
その瞳には、力がない
八月九日
ぼくは知っている、お父さんがもう戻ってこないことを
お父さんがいなくなるまで、ぼくは子どもだった、守られるだけの存ざいだった
でも、今はちがう
お父さんはいなくて、お母さん一人ではとうてい守りきれない
なにより、ぼくより小さな妹がいる
ぼくはぼくに出来ることをやらなければならない
ベッドでなきじゃくりながらつかれてねむってしまう妹の横顔を見ながら、ぼくは唐澤貴洋の遠吠えを聞く
また、夜が来る
八月十日
今日は夜だけで五匹唐澤貴洋を殺した、みんな不様な死に顔をしている
死体は見せしめにも食材にもならないので、ためしにストーブで燃やしてみた。ひどい臭いがした
「二度とそんなことしないで!」お母さんに怒られた
ぼくは「ごめんなさい」と言うだけ言った
八月十一日
今日は八匹殺した
家に進入してきたやつだけでなく
家の回りにナリナリしてたのを追いかけ回して殺した
唐澤貴洋を殺すと嫌な臭いがする
水で洗っても、なかなか臭いは落ちない
八月十二日
唐澤貴洋を殺すのは楽しい
たのしいけれど、そんなことを言ったらお母さんはかなしい顔をするだろう
妹は、どうだろうか。大嫌いな唐澤貴洋が少なくなっていもうとはよろこぶかもしれない
いもうとはさいきん酷く赤ちゃん帰りしている
つねに不安そうで、ねむるときでもぼくがいてやらなくちゃだめなんだ
八月十三日
今日は、唐澤貴洋を三十匹は殺したかな
もう、数えてもいない
家畜小屋のパトロールはぼくのやくめで、お母さんもいもうとも
もうそこには一匹も牛や馬や豚や鶏が残っていないことを知らない
みんな、唐澤貴洋に食べられてしまった
でもぼくはそれを二人に知らせたくないので、なにも言わない
食い散らかされた家畜の肉を集めて、今日も晩ごはんを作ろう
八月十四日
晩ごはんのときに妹が言った
「ねぇ、お父さんはいつ帰ってくるの?」
お母さんはふるえる声で言った
「明日、明日になれば帰ってきますよ」
「嘘ばっかり!」
妹はスープの皿を投げ出して、二階の寝室へ駆け登る
「……ごめんね」
お母さんはぼくにうつろな目で笑いかけると、いつものAK47を握りしめ床に座り込んでしまった
ぼくは知っている、既にお母さんが弾を撃ち尽くしてしまったことを
八月十五日
今日は唐澤貴洋を五十匹は殺しただろうか
銃なんてなくても、叩けばつぶれるのに
女の子は怖がりだなぁとぼくは思う
でも、家の中にいる二人を怖がらせたくないので、ぼくは家に入るときそとの水おけで顔を洗うことにしている
お父さんもそーゆーの、ちゃんとしてたからね。革靴の泥をマットでちゃんと落としてから玄関に上がるとか
みず桶の中にもたくさんの唐澤貴洋が泳いでいたので、顔を洗うのも一苦ろうだ
八月十六日
お母さんが風邪をひいてしまったので、代わりにぼくが晩ごはんを作ることにした
床下に隠しておいた大切な食りょうをちょっとだけ使って、お母さんに元気になってもらわなくては!
「すまないねぇ」これはお母さん「おいしい!」これは妹
「お兄ちゃんも食べなよ!」妹がスプーンを差し出してくれる
ぼくはあーんと口を開けてそれを食べる
「おいしい?」「俺が作ったんだから、当然だろ!」「ははは」
和やかな食卓
八月十七日
来る日も来る日も襲いかかる唐澤貴洋を殺し続けて、キリがない
お母さんは知っているのだろうか? もはやぼくが唐澤貴洋を殺すのに武器を必要としていないことを
その気になれば、殺すと思った時点で、唐澤貴洋は殺せるのだ、いとも簡単に死ぬのだ
そしてむこうもぼくらを本当に殺したがっているわけではないらしい
なにしろ数では向こうのほうが圧倒的に勝っている……いくら殺しても殺しても次々と現れる唐澤貴洋!
その日三百匹目の唐澤貴洋を殺し、ぼくはある決意をした
八月十八日
その晩ぼくは妹を起こさないよう、そっと寝所の母を揺さぶった
「お母さん」
「……」
「お母さん……!」
「……」
「ぼくは、お父さんを探しに行くから」
「…………」
「いつまでも帰ってこないのは、やっぱりおかしいよ」
「……」
「だって、唐澤貴洋たちが本当に害悪なら、なんでぼくたちはまだ生きてるんだ!!」
お母さんがなにかいう前に、ぼくはそっと家を後にした
八月十九日
結局、父がどこへ向かったのか、ぼくは知れず仕舞いだった
まぁいい。唐澤貴洋がどの方角からもっとも湧いて出てくるのか、無数に溢れる唐澤貴洋を殺しつつ、進み、
ぼくはやがてそれを見つけ出せばいい
「そうだろう?焦ることはないんだ」
ぼくの手のひらの上で「ナリイ……」と絶命する千匹目の唐澤貴洋に、いっそ愛着すら覚える
八月二十日
「あの二人は気づいていただろうか」
ぱちぱちと爆ぜる焚き火の火の粉を眺めながらぼくは思う
「途中からぼくが唐澤貴洋を二人に食わせていたことに」
笑みが漏れる
「その味が、ぼくたちが小麦粉と信じて疑わなかったあの食糧と全く同じであることに?」
ぼくは焚き火の火を眺めている
夜は長い
八月二十一日
晴れると唐澤貴洋は出てこない
雨が降ると唐澤貴洋は出てくる? そういうわけでもない
昨日戯れに捕まえた唐澤貴洋を水の中に放ってみたら、溺れて死んでしまった
もったいないので食べたけれど、やはり唐澤貴洋は粉にして挽いたほうがうまいようだ
生臭くて、油ばかりで、しかし先へ進む原動力になる
八月二十二日
今ぼくを動かすのは復讐心である
唐澤貴洋が異常発生してから、突然父がどこかへ消えてしまったこと
明らかな異常でありながら、母がその状況へぼくを幽閉しようとしていたこと
唐澤貴洋の殺害の容易さ、そして食糧の味……一体ぼくはなんのために生き、なんのために生かされていたのだ?
殺されるわけでもなく、殺し、殺し、殺しつ殺す毎日
その果てに、なにがある?
……今日も唐澤貴洋の血にまみれて眠る
八月二十三日
唐澤貴洋を殺すのは、容易い
蟻を踏み潰すより簡単なのだ、蟻はたまに踏み損なうことがあっても、唐澤貴洋を殺し損なうことはない
殺すと念じたときには、すでにそれが完了している
……と、いうことはつまり、唐澤貴洋は我々に殺されるために発生している……?
わからない、ぼくにはなにもわからない
ただ、今日もまた、湧く端から唐澤貴洋を殺し、殺し、殺して先へ進む
八月二十四日
あてもなく家を飛び出してきたツケだろう
ぼくは熱を出した、当然だ、ろくに休みもせずただひたすら直進してきたのだ
見渡す限りの荒野、生きている唐澤貴洋と、殺された唐澤貴洋と、今から殺される唐澤貴洋
ぼくは、もう、疲れた
膝を落とし、腰を降ろし、諸手をあげ、降参のポーズ。しかし唐澤貴洋はぼくにとどめをさしてはくれない
ぼくはいい加減うんざりして、殺される代わりに、夢を見た
夢
夢にはおかあさんが出てきた、いもうとも出てきた、お父さんも出てきた
けれどみんな顔があいまいだった、おかあさんといもうとは一しょの顔で、お父さんとぼくは同じ顔だった
ぼくたち四人は二人きりのテーブルに向かい合っていた
まっさらなテーブルクロスの上に、一枚の皿、そのなかになにかうごめいている
「わたしたちはこれをたべなければならないのよ」と彼女が言っている
「そうだね」とぼくがいう
皿の中で真っ赤な醜い唐澤貴洋が身体を
八月二十五日
目がさめる、いや、醒めたのは夢だけではない
ぼくは口の中の唐澤貴洋を思いきり噛み潰し、そしてそれが最後だった
二度と、唐澤貴洋は殺さない。唐澤貴洋は大切なものだったのだ
少なくとも、あのときまでは
唐澤貴洋を殺す必要がなくなった今となっては、ぼくには進むべき道がはっきりとわかっていた
八月二十六日
一匹の唐澤貴洋を、殺さず捕まえてみる、まじまじとその顔を眺める
ふと、どうだ。これはぼくがよく知っているだれかの顔に似ていやしないか?
唐澤貴洋の鳴き声に耳をそばだてる
「ナリイ……」そう聞こえていたはずの声が、なにか意味を持って聞こえてこないか?
ぼくは捕まえたばかりの唐澤貴洋を地に離してやった
先を急ごう
八月二十七日
逃がしてやったはずの唐澤貴洋が、後をついてくる
どこまでも、どこまでも、何度角を折れ曲がってもついてくる
しまいにぼくは振り返り、しゃがみこみ、その未熟なままの肢体を抱き上げ、抱きしめ、頬擦りをする
「ごめんよ……」声が届くかとどかないかの内に、唐澤貴洋は消えてしまった
ぼくは唐澤貴洋がいない方角へ向けてやにわに駆け出した
八月二十八日
あれほど探していたはずの父の足跡を、唐澤貴洋のいない方角にようやく見つけた
「だめナリよ……」背後で無数の唐澤貴洋の声がする
「そっちに行っちゃだめナリ……」でもこちらには、唐澤貴洋はいないのだ
もうぼくの足を引くものはいないのだ
母も妹も唐澤貴洋も
だからぼくは歩き出した
そしてぼくは、父の背中を見つけた
八月二十九日
「やっぱり来たか」と、父は言った
「来て欲しかったんでしょ?」と、ぼくは言った
「まぁな」父は頭を掻いた、ぼくも痒くなった
「いずれ、だれかが終わりにしなくちゃならないことだったんだ」
「それがたまたま、俺とお前だった、それだけの話さ」
照れ臭くてぼくも頭を掻いた、父と全く同じ仕草で
「……あそこは、地獄だったろう?」
「まぁね」ぼくは笑う「まぁ、唐澤貴洋に慣れてしまえば、なんてことないんだけど」
「唐澤貴洋に慣れる、か」父の瞳から光が消えた「それが、一番厄介なんだよ」
八月三十日
「わかってる」
ぼくの手には、母から渡されたのは手おのがあった
「ぼくが戻っても、父さんが戻っても、それでぼくらは喜ぶかもしれないけれど」
父は首を振った、既に承知していることを口にするほど、ぼくらは野暮な親子じゃなかった
「最後に」ぼくは言った「美味しかったよ、楽しかったし、ぼくは幸せだった。ありがとう」
「自分にお礼を言われるのもなぁ」父はまたも頭を掻いた
ぼくはそれを見届けて、彼の延髄に手おのを降り下ろした
妹の手記
今日、お兄ちゃんが死にました
お父さんがお兄ちゃんの死体を馬に乗せて運んできて、それで私はお兄ちゃんが死んだことを知ったのでした
お兄ちゃんは自慢のお兄ちゃんでした、出来ることならお兄ちゃんのお嫁さんになりたいと、ずっと思っていた私でした
でも、それは叶いません。私は泣きました。泣いて泣いて泣き続けました。
そんな私をなぐさめるためでしょうか、お母さんはつきものが落ちたみたいな顔で
「これでようやく、アンタも外に出られるね」と言いました
私は唐澤貴洋がいなくなったので、すごく久しぶりに家の外に出ました
外は、すごく晴れていました
リンク
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