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西村博嗣(下関市)

提供:唐澤貴洋Wiki
2015年8月22日 (土) 20:59時点における*>Aranawaによる版
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西村博嗣(下関市)
上智大学法科大学院[1] (四谷2号館内自習室) 西村博嗣(下関市)
学生証[2]
基本資料
本名 西村博嗣
別名・渾名 NSMR
小尊師、尊師の一番弟子[3]ローストーカー[4]
住所 東京都内
(上智大学の徒歩圏内)
身体情報 社会性の無い幼い顔
才能 無能
特定経緯 開示請求時にセルフ開示
ブログでの自分語り[1]
騒動との関連 尊師の依頼人
職業 無職(臥薪嘗胆民
所属 上智大学法科大学院[1]
(四谷2号館内自習室)
最終学歴 東日本学園大学歯学部[5]
趣味 誹謗中傷[4][6]
無差別開示、大量削除
嫌いなもの 誹謗中傷
上智大学の教職員、学生[2]
関係者

西村博嗣(にしむらひろつぐ)とは、尊師の依頼人である。 現在、司法試験受験生として臥薪嘗胆の日々を送っている。

彼が尊師を通じて削除依頼を出した2chの書き込みや関係者による証言から[5][6]、年齢は30代後半(尊師と同年代)である事が判明している。


概要

2013年末から2014年にかけて多くの無能パカ弁が次々と開示に失敗し、批判要望民・なんJ民からの失笑を買う中、尊師から伝授された開示のノウハウを用いて東京地裁仮処分命令を自分で直接取得、開示に成功した[3]。このため「尊師の一番弟子」「小尊師」として一時期、なんJや批判要望板の話題を集めた。

現在は、司法試験受験生として上智大学四谷キャンパス2号館の専用自習室(2階 201号室)に毎日通い臥薪嘗胆する一方、現在でもネットに強い弁護士を通じて、自分に関する過去ログの大量無差別削除に励んでいる。 [注釈 1]

略歴

  • 高校卒業後、東日本学園大学(現:北海道医療大学)という北海道の私立大学歯学部に進学。親からの多額の援助を受け歯科医としての道を目指していたものの、学内における人間関係を苦にするようになり歯科医への道を放棄[5]。その後両親からの更なる金銭的支援を得て上京、臥薪嘗胆の日々を経て、2013年4月上智大学の法科大学院に入学する。[注釈 2][注釈 3]
  • なお西村は法科大学院入学の前後、大昔に歯学部時代の知人によってなされた2chの書き込みを偶然見付け憤激、弁護士唐澤 貴洋に当該レスの削除とIP開示を依頼するに至っているが、これが尊師との最初の出会いとなった。
    (なおこの削除依頼は成功するも、IP開示は開示対象が7年前のレスであったため失敗)
  • 入学後まもなく、西村は上智の同級生からも自分に対する有形無形の「いじめ」があると確信するに至る。たまりかねた西村が再度尊師に相談したところ、これを見かねた尊師から開示の手解きを受け、上述の通り成功した[注釈 4]
  • 現在も法科大学院の自習室で弁護士を目指して勉強中の身だが、大学院の講義では西村が間違えた発言をすると嘲笑され、野次を飛ばされることもあるという。
    西村は、今もほぼ毎日自習室に通い、司法試験対策を行っているという。そして代理人弁護士を通じて、大学との交渉も試みているらしい[2]

最近の活動

尊師から伝授してもらった開示と削除依頼の方法を濫用し、批判要望板でレスの大量削除とスレの削除を行っている。 [7] [8]

西村がカラザイル掲示板で自身に関するスレッドを立てられていたことに怒り、 したらば掲示板の運営を通じて削除要請した[9]が、 何故かカラザイルの管理人にメールが届かなかったことにより、したらば掲示板の運営によって一時的に閉鎖された。

詩人として

師と仰ぐ尊師と同じく、彼もまた詩作を能くした。
叙情諷詠を得意とし、臥薪嘗胆の日々にむせぶ悲愴感の中にも繊細かつ剛健の両面をたたえりゅ詩風と評される。[10]
老尊師」に対し「小尊師」と称される彼の珠玉の詩作は、今なお司法浪人生達の心を打ってやまない。

「不運に、感謝したい。」

人は時として、思いがけず理不尽な仕打ちを受けることがあります。
西村博嗣は、事実無根の中傷をされ、耐えがたい辱めを受けています。

なぜ自分が理不尽な目に遭わなければならないのか。
どうしてこのような誹りを甘受せねばならないのか。
悔しさと悲しさで、生きることさえ、辛く感じる時があります。

過去の不運は、もう塗り替えることができないのでしょうか?
いいえ、西村博嗣は諦めません。 過去の不運がいくらでも塗り替えられることを知っているからです。
考え方を、変えるのです。

「あのことがあったおかげで、本当の人間関係を知ることができた」
「あのことがあったおかげで、支えてくれた周囲に感謝できた」
「あのことがあったおかげで、思いがけず法技術と法知識を身につけることができた」

くよくよしても、過去はかわりません。
西村博嗣は、不運に感謝しています。

西村博嗣は、いかなる誹りにも、負けません。
どのような理不尽な仕打ちにも、負けません。
どんなに多くの敵が相手でも、徹底して闘います。

今、この瞬間も誹謗中傷を受けている人がいます。
今、この瞬間も理不尽な業務妨害を受けている人がいます。
日本の、いや世界中の学校で、いじめられている人がいます。

西村博嗣は、そういう人々を助けたいのです。今度のことで、はっきりと理解できました。
西村博嗣は、いかなる誹謗中傷にも、屈しません。 
西村博嗣は、どのような辱めを受けようとも、屈する事はありません。

「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りたい。」

ありがとう。ごめんなさい。

ごめんなさい。
私はあなたがどんな気持ちで私を支え続けてくれていたのか、全く理解していませんでした。
配慮が、足りませんでした。
思いやりが、なかった。

歪んだ言葉で、あなたを傷つけてしまって、ごめんなさい。
私はただ、あなたに傍にいてほしかったのです。

どんなにつらくても、あなたが傍にいてくれただけで、私は幸せだった。
いつも素直に、まっすぐに自分の感情を表すことのできるあなたを、私は尊敬しています。
素直なあなたは、きっと司法試験に合格できるよ。

私はあなたを裏切り、傷つけてしまった。
あなたの評価を貶めるような物の言い方をしてしまった。

怒りと憎しみと羞恥で、荒んだ私の心を
本当の意味で理解し、支え続けてくれたことに、感謝します。

ありがとう。ごめんね。

その愛

小尊師の熱烈な誘いに応じ彼と一度会っただけの女性が、その後の顛末と心情を吐露している。[6]
その記事を見た小尊師は大いに怒り、当該女性の実名を記したスレを2chに立てた挙句[4]、彼女に対し訴えを提起する旨のメールを送ったらしい。

「私の2ちゃんスレを立てたとある男性の話を書く。」(抜粋)

-----2012年、6月ごろのできごとだったでしょうか。 私はその頃、西武新宿線の上井草駅から徒歩3分のところにあるマンションに引っ越したばかりでした。 当時の私のTwitterでのツイートは、一部の女性陣へのdisが多かったもので、そのツイートに共感したある男性が私のAmazonほしい物リストから色々送ってくるようになりました。 最初は確か、5kgで5000円近くもする魚沼産コシヒカリだったでしょうか。 メールも来ました。 「あなたのツイートはすばらしい!私の気持ちをすべて代弁してくれている!!」 みたいなことを、まるで信者かよと思わず引いてしまうようなくらいの私への拝みっぷりでした。世の女性がよほど憎かったんでしょうね。 そこから、今度はデスクと椅子を送ってきました。他にも送ってきたかもしれません。その都度、信者のようなメールを送ってくるようになりました。

それからしばらくして、 「もしよろしければスカイツリーへ一緒に行きませんか?」 とお誘いをいただきました。 この頃の私はまだ19歳。それもやたらと好奇心旺盛で、面白そうなやつとはとりあえず会ってみるくらいアクティブでした。(今でもアクティブだとは言われますが) 「よし、おもしろそーだし会ってやろう。あと色々贈ってもらったんだから断るわけにもいかない。お礼は言わなければ。」 と、私はオーケーをしました。

銀座駅…何線だったか忘れましたが駅のホームで待ち合わせをしていました。 第一印象としては、まず、 「(あ、この人社会性の無い幼い顔をしている……)」 でした。 どこか幼い。けれども全体的には老けている。20代にはとてもじゃないが見えなかった。30~前半くらいだろうか? 塾で働いているとは言っていたが、挙動不審で身振りが不自然。とてもじゃないが社会性が感じられなかった。 地雷とでも比喩しましょうか。 (後から知ったのですが、実は働いておらず大学生2回目やっている人だったそうです。お金は全て親からの仕送りのようでした。) そんなこんなで挨拶を交わし、スカイツリー方面へ電車に乗った。

そしてその後、スカイツリーへ。 すっごい並んでいたんですよ。夏休みの時期だったかな?もうエレベーターまで行列! 待ってると、男性が目の前のカップル指さして、ずっと愚痴をこぼしているんですよね。 エレベーターで上がって、夜景を見下ろすわけなんですが、カップルたちが夜景に見惚れている中、また男性は 「あいつらはあのあとホテル行くためにここに来て盛り上げてるだけなんですよ!!」 なんて言うんですよね。 本当に帰りたくて仕方ありませんでした。

その後はその人がよく行くという焼肉屋さんへ連れて行かれました。(七輪みたいなやつに乗せて焼く安いとこ) で、そのあとはカフェに入りましょうと行って入ったお店がベローチェで。 私は若干怒りながら早々と帰りました。

で、その日の夜、こんなLINEが届きました。

「(中略) 私は本当はあなたの手を握りたかった。しかし握らなかった! それはなぜだかわかりますか…? ○○○○(私の本名)を大事にしたかったからですよ。」 私「そうなんですか。でも私、今お付き合いしている男性がいるので、賢明な判断だったと思います。」


そしたら翌日だかには退会していました。 さんざん人に好意を抱いておいて、人を不快な思いにさせることしかできず(お店のチョイスではなく赤の他人に対して愚痴をこぼすなど)、 あほらしいにもほどがあって、後日私はフェイスブックで 「おっさんとスカイツリー行ったけどつまんなかった」 と書いたんですが、それを読んだらしく、憤慨のメールが来ました。 そこからです。私のスレを立てたり、Twitterで色々アカウント作って嫌がらせしてきたり、色んなサイトで顔写真晒したりなどなど。

それから3年?経った今でもまだまだそれが途絶えません。 まあ、そんなことがあったんです。 実は私以外にも、私の友人も以前からその人にずっと粘着されているらしく、彼女はストーカー被害にあっているのだそうです。 私は3年、彼女は5年も粘着されているようで、もう今は私の知らないどこかへ引っ越してしまいました。

私がもとはといえば悪いのですがね。 なんとかならないのかなあ………

にしても、生活費がなあ……バイト探さなきゃ…

がんばろう。

追記 これ読んだのか訴えるってメール来てワロタ

注釈

  1. ここ数年、上智大学法科大学院からの司法試験合格者数は低迷(明治や日大の法科大学院と同水準)しているため、大学院を修了したもの達には安心して臥薪嘗胆できる「研修室」(市谷キャンパス研修施設)が別に用意されている。「西村は2年で法科大学院を修了し現在は市ヶ谷で勉強している」と示唆する編集が当Wikiにおいて過去に行われているが、ネット上での無差別開示や大量削除、上智大学当局や同級生との法的闘争に明け暮れている西村が無事2年で法科大学院を修了したという説の信憑性については疑問が残る。
  2. 歯科大在学中、2chでのいじめを尊師に相談したことを契機に尊師に感化され、結果として法律の道に転じたという意見もあるが(【朗報】尊師の一番弟子こと西×博×さんがぐう有能)、西村が尊師に頼んで歯科大時代の書き込みをパカパカしてもらったのは、後述の通り西村が歯科大を去ってからかなり後の事であって、この頃西村は既に上京し、東京で法律の勉強を始めていたものと推測される。
  3. 西村が歯科医になるのを諦め上京した当時、法科大学院制度は発足間もない時期であり、現在の「深刻な弁護士余剰」「下位法科大学院の相次ぐ閉鎖」といった弊害はまだ顕在化していなかった。歯医者になれなかった西村が「先生」と呼ばれることのできる「弁護士」への道に転じたことは、当時の法曹界を覆っていた楽観的な空気に照らすと自然であったとも考えられる。
  4. おそらく東京地裁仮処分を取るためのテンプレ書式+マニュアル集のようなものを、尊師に対する高額の布施により伝授されたものであろう。なお開示を求める仮処分は内容が単純なため、平日裁判所に出向く暇と供託金が用意できるのであれば、パカ弁に頼まずに一般人が自分で申請書類を作成することも難しくはない。

出典

外部リンク