非ワ

2020年10月13日 (火) 11:41時点における>HSGWTによる版

非ワとは、恒心教における一般人のこと。すなわち恒心教徒でも包皮民脱恒者並びに元包皮を含む)でも主人公(長谷川亮太並びに唐澤貴洋)や外伝主人公・準外伝主人公及びそれらの親類縁者・関係者でもない無関係の人々のこと。

経緯

もともと恒心教では、無関係の第三者には「一般人」という用語を使用していた。

これは、恒心教に限らず他のコミュニティでも無関係と考えられる第三者については同様の表現をすることが多く、恒心教もそれに倣ったと思われる。

しかし、2015年から2016年にかけての事務所騒動の中で被踊於電子世界一般人(ねっとにおどらされるいっぱんじん)こと「一般人」という名前の恒心教徒が出現し、単に「一般人」と称した場合、一般人が個人を指す固有名詞なのか従来通りの意味を持つ一般名詞なのか紛らわしくなってしまい、恒心教徒にとって多大な混乱を招いた。

またこの当時、現在では否定されているものの、「一般人はワキガである」という説が大きく広まっていたため、一般人を表記する際には「一般人(ワキガの方)」「一般人(ワキガじゃない方)」などの括弧で括った上での区別を余儀なくされてしまった。

しかしこれでは非常に回りくどいため、ワキガじゃない→非ワキガ→非ワと短縮され、またいつからかは不明瞭なものの一般人の後ろに括弧をくくる必要性もなくなり、現在では単に「非ワ」とする表現に落ち着いた。

「事務所一派の一般人はワキガはない」とする見解が主流になった後も、「非ワ」という呼び方のみが残った。これは単に「非ワ」からのみでは、経緯を調べない限り上記のような起源を想像するのが困難であるからとも推測される。

なお、現在では「一般人」は事務所騒動後に失踪した過去の人にもなっており、新芋でなくとも一般名詞の意味で一般人を使う教徒もいる。

定義の難しさ

一口に非ワと言っても彼らの構成は多種多様である。一般には「ハセカラ騒動に無知な一般人」として定義されるものの、無知の定義も人によって異なるため、非ワには様々な濃淡がある。どこまでを非ワとし、どこからが「非非ワ」とするかという定義問題は、非常に難解である。

騒動の直接関係者でも、恒心教徒でも包皮民でも無いという人々であっても、唐澤貴洋の名前さえ聞いたこと無いという人から、名前だけは聞いたことがあるという人、テレビ新聞などで大まかな経緯を聞いた人、騒動をある程度詳しく知っているが関わりたくないと思っており距離を置いている人まで多種多様である。

更に非ワであってもリテラシーは多種多様であるため、唐澤が流す「自分は一方的被害者である」とするプロパガンダに流されて「包皮民の予備軍」となったりする人から、「依頼された高校生のその後について全く語られない」という不自然な点を見抜き、ある程度基礎的事項を調べて「恒心教には入信しないが唐澤は無能ということを表面的に理解する」人まで様々である。

またどこまで騒動との関係があれば「非非ワ」となるのかという問題もある。例えば唐澤貴洋の親類縁者の中で、父の唐澤洋は無論のこと、河野一英河野一三を非ワとする意見はほぼないと思われるが、更に遠い親戚である天皇家(皇室)や、著名政治家の家、愛新覚羅家などを「騒動の関係者」とするには無理がある。

唐澤貴洋や長谷川亮太の親類縁者でなくても、例えば神聖六文字を初めて書き込み、唐澤貴洋から300万円を請求された(300万騒動dion君は、結果的に唐澤貴洋をかわし、実害を避けることに成功するわけであるが、これには本人の祖父を始めとした家族のサポートがあったからである。彼らを非ワとするのか否かということを突き詰めていくのは、極めて多大なる困難を招く。

騒動との関連

現在唐澤貴洋は、テレビや新聞などの既存メディアをふんだんに活用しているため、騒動を一切知らないという日本人はそこまで多くない。一方で、詳しい経緯を何も知らない人であれば、唐澤貴洋が流す「ネット上の掲示板で誹謗中傷を受けていた高校生を助けようとしたら、ネットユーザーたちは逆に自分(唐澤)を攻撃してきた」という著しく偏ったプロパガンダを信じ込んでしまう危険性が高く、最悪の場合包皮民の増加と新芋の減少という結果を招き、恒心教の布教・存続において大きな障害となる危険性がある。

このような状況をどうやって未然に防ぐかについては、恒心教でも答えが出ていない。

しかし、一般的には長谷川亮太の常軌を逸した書き込みを宣伝し、また唐澤貴洋が行ってきた弁護士としてあるまじき数々の無能な所業を地道に喧伝し、様々な路線を駆使して布教活動を続けていくしか無いと思われる。

関連項目