「模範解答」の版間の差分
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2022年2月7日 (月) 15:33時点における版
模範解答とは、主に殉教した際の国営セコムからの取り調べ時の供述や、メディアからの取材を受けた際などに、恒心教徒が取るべき言動とされているもの。
概要
主に事件を起こした動機を聞かれた際には、「特定の弁護士の評判を知ってもらいたかった」であり、また事件によって周囲が迷惑しているのではないかと説教された際には、「俺は嫌な思いしてないから」と答えるのが良いとされている。
もちろん一字一句その通りである必要はなく、例えば前者の模範解答を最初に答えた0chiakiは「特定の弁護士を批判する架空の宗教を広めるつもりだった」として動機を語っている他、爆弾三勇士は「特定の」を省略した供述をしている。無論、"特定の弁護士"を「唐澤貴洋」にしても問題ないであろうし、また長谷川亮太に言及してもよいだろう。
また、「俺は嫌な思いしてないから」に関しても、当然一人称は「僕」「私」「当職」などでもよく、述語を付け加えてよい。
特に前者は簡潔かつ容易に恒心教を布教できるため、模範解答として特に重視されている。
準模範解答
また、従来の模範解答によらずとも、恒心教徒としての信仰心を告白したり、布教を呼びかけ得るものであれば、「新しい模範解答」「準模範解答」と見なされることもある。例として、福山紘基による「自分は教徒で、団体のためになると思ってやった」「恒心教徒としてプラスになると思った」とする供述で、これらについては「これまでの模範解答の文言とは異なるものの、純粋な信仰心の告白であり、劣るものではない」とされた。
今後、これらの供述も、模範解答またはそれに準ずるものとして扱われていくことが予想される。総じて何をもって「模範解答」とするかは各々の教徒の裁量に委ねられているといってよく、その解釈や裁量では教徒の間で見解の相違が発生し得る。
また、新しい言葉でなくとも、恒心教で使われた名言や尊師語録を使用するといった手法もありである(マイナーな語録であれば、後述する検閲説にも対抗が可能である)
模範解答というのはあくまで「数ある模範解答の1つ」である、今はまだ誰も話していないだけで、今後教徒の心を打つような言葉を発するものも現れるかもしれないのである。
非模範解答
一方で、「いたずらとしてやった」「面白半分でゲーム感覚でやった」といった「悪ふざけ」を主要因とする供述には否定的な見方がされ得る[1]。
ただし後述の検閲説があるため、このような供述をしたからと言って、即座にその教徒の評価が下がるわけではない。
検閲説
福山紘基は前述した通り、殉教の際に「新たな模範解答(または準模範解答)」を供述した。しかしその後の報道では「恒心教徒」といった単語が消え、「ゲーム感覚で楽しんでいた」「相手を支配できる感覚を楽しんでいた」などの「非模範解答」供述しか報道されなくなった。
またその後、ねそにゃが殉教した際にも、やはり同様の供述しか報道されなかった。
既に模範解答が恒心教内で教徒を評価する1つの評価水準として用いられていることはある程度広く知られているため、模範解答をもし報じれば他の恒心教徒から取り分け「敬虔な殉教者」として神聖視されることは容易に想像がつく。現に0chiaki、爆弾三勇士、ださいたまこと安藤良太らが模範解答を供述し、それがメディアを通じて報じられたことで、彼らは殉教者として正大師、正悟師などと崇められることに繋がった(0chiakiが問題を起こしたのはあくまで釈放後である)
こうした事態を避けるため、警察並びにマスメディアによる宗教弾圧の一環として、仮に殉教した教徒が取り調べやメディアの取材にこうした模範解答を供述しても、報道規制がかかって報じられなくなるとする説がある[2]。
こうしたことから、今後殉教者が模範解答を答えられなかったからと言って、それをもって当人の評価を下げるのは、慎重視するべきであるといえるだろう。
検閲説への対抗策としては、特定のフレーズに固執するのではなく、過去の尊師語録などを含め、幅広い知識を持ってメディアを騙し込むことである。
なお、「悪ふざけの供述を頑としてしない」というのは筋が悪い。模範解答を検閲することを平気でしてくる相手の場合、非模範解答の捏造など訳ないからである。
出典・註釈
関連項目
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