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「リプシッツ構造に強い弁護士」の版間の差分

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  [[ダクト飯|ダ]]:ああ、すみません、本当に申し訳ないです。
  [[ダクト飯|ダ]]:ああ、すみません、本当に申し訳ないです。
=== 主戦的意見のゴリ押し、厭戦的意見の軽視 ===
=== 主戦的意見のゴリ押し、厭戦的意見の軽視 ===
「[[ゆゆうた・サウプロ騒動]]」の項目では厭戦派の意見が気に食わなかったらしく、厭戦派を[[包皮民]]の手先だとしたり、意見に一つずつ嫌味を書き連ねるという行為を行った<ref> [[特別:差分/89548]]ほか多数</ref>
「[[ゆゆうた・サウプロ騒動]]」の項目では厭戦派の意見が気に食わなかったらしく、厭戦派を[[包皮民]]の手先だとしたり、意見に一つずつ嫌味を書き連ねるという行為を行った。
 
当時の一例。斜線部分が当人物の加筆部<ref>[[特別:差分/89548]]ほか多数</ref>
*そもそもこの騒動が[[恒心教]]の目的である「[[唐澤貴洋|弁護士 唐澤貴洋]]らをネタにすること」からかけ離れている''(※なおこのような派生の動きは黎明期からあるものである)''
*騒動により流入したゆゆうたアンチの一部が[[臭芋]]行為に走っている''(※なお多くの教徒がそれを咎めることで洗練化は進んでいる)''
*ほぼ無関係なただの[[ゆゆうたキッズ]]や[[関東サウンドプロジェクト|サウプロ]]団員までもが攻撃の対象となっている''(※なお黎明期のココかわ騒動・飴戦争や芸術路線周りでは頻発していたことである)''
*[[恒心教]]が単なる炎上屋に成り下がってしまう''(※なお明らかに関係の薄い相手については持ち込まれても拒否する動きが大きい)''


また、事あるごとに「これはゆゆプロ路線の成果だ」と曖昧な根拠で主張し賛美する主観的な編集を行っていた<ref>[[特別:差分/91154]]など</ref>。
また、事あるごとに「これはゆゆプロ路線の成果だ」と曖昧な根拠で主張し賛美する主観的な編集を行っていた<ref>[[特別:差分/91154]]など</ref>。


[[福山紘基]]の[[殉教]]、[[カラケー同時多発閉鎖騒動|スバケー崩壊]]などを経て路線が収束し揺り戻しが起きる中で、ゆゆうたサウプロ騒動を聖戦と位置づける歴史修正の動きも起き、当人物が行ったような意見の押しつけをそっくりそのまま受け継いだ言動を繰り返す者がいることで不毛な争いも起きており、当人物に対する批判的意見を包皮民のスパイ認定する教徒も存在する状況である。
騒動収束から時間を経て路線が収束し揺り戻しが起きる中で、ゆゆうたサウプロ騒動を聖戦と位置づける歴史修正の動きも起き、当人物が行ったような意見の押しつけをそっくりそのまま受け継いだ言動を繰り返す者がいることで不毛な争いも起きており、当人物に対する批判的意見を包皮民のスパイ認定する教徒も存在する状況である。


=== 爆破予告問題 ===
=== 爆破予告問題 ===
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また、ここでも余計な政治的記述をつけており、恒心と関係ない電通批判の記述を延々と加筆している<ref>[[特別:差分/88732]]</ref>。
また、ここでも余計な政治的記述をつけており、恒心と関係ない電通批判の記述を延々と加筆している<ref>[[特別:差分/88732]]</ref>。
=== ゆゆうた実家誤爆問題 ===
=== ゆゆうた実家誤爆問題 ===
「[[ゆゆうた]]」の項目も毎日のように編集しており、濃厚とされつつも確定とすべきではないとされていた川崎市の疑惑住所を勝手に確定としてしまった。
「[[ゆゆうた]]」の項目も毎日のように編集しており、濃厚とされつつも確定とすべきではないとされていた川崎市の疑惑住所を勝手に確定としてしまった。
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ゆゆうた騒動当時の恒心教においては、[[面白い愛の戦士]]が語ったように、当時の教徒の状況を考えればゆゆうたと戦争状態になるのはどの道避けられなかったというほど主戦派が多数派であり<ref>宗教史的にも、数多の宗教団体が「本来戦うべき敵である異教徒よりも、同じ団体の中で少し意見が違うだけの異端を叩くこと」に熱を上げ、結果的に教団の団結力が一時的に上がったものの、最終的には不寛容を招いて先鋭化・弱体化してしまう事例は枚挙にいとまがない</ref>、穏健派・厭戦派は少なかった。厭戦派は騒動末期に急速に力をつけたものであり、それまでは教団内は常に主戦派一色であったし、厭戦派は問答無用で包皮民認定されていた。そのため結果的にこうした「暴走」をとがめる流れも起こらなかった<ref>事実、騒動期間中には、Wiki、カラケー共に「氏に制裁を加えるべき」という意見は見受けられなかった</ref>。こうした当時の教団内の空気感にも問題があったと言える。
ゆゆうた騒動当時の恒心教においては、[[面白い愛の戦士]]が語ったように、当時の教徒の状況を考えればゆゆうたと戦争状態になるのはどの道避けられなかったというほど主戦派が多数派であり<ref>宗教史的にも、数多の宗教団体が「本来戦うべき敵である異教徒よりも、同じ団体の中で少し意見が違うだけの異端を叩くこと」に熱を上げ、結果的に教団の団結力が一時的に上がったものの、最終的には不寛容を招いて先鋭化・弱体化してしまう事例は枚挙にいとまがない</ref>、穏健派・厭戦派は少なかった。厭戦派は騒動末期に急速に力をつけたものであり、それまでは教団内は常に主戦派一色であったし、厭戦派は問答無用で包皮民認定されていた。そのため結果的にこうした「暴走」をとがめる流れも起こらなかった<ref>事実、騒動期間中には、Wiki、カラケー共に「氏に制裁を加えるべき」という意見は見受けられなかった</ref>。こうした当時の教団内の空気感にも問題があったと言える。


無論こうした空気を作ってしまった事自体は教訓としなければならないが、これについても特定の誰かが悪いわけではない。彼の起こしたこれらの問題行動は、彼のみではなく恒心教徒全体の問題でもある。当時は期待の路線とされていたが、その後空気が変わったことで関与した人物が一転して炎上する事案は後の[[飯塚騒動]]、[[学術路線]]でも発生した。
無論こうした空気を作ってしまった事自体は教訓としなければならないが、これについても特定の誰かが悪いわけではない。彼の起こしたこれらの問題行動は、彼のみではなく恒心教徒全体の問題でもある。当時は期待の路線とされていたが、その後空気が変わったことで関与した人物が一転して炎上する事案は後の[[飯塚騒動]]、[[学術教徒|学術路線]]でも発生した。


== 註釈 ==
== 註釈 ==
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