「唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/真夏の夜の淫夢」の版間の差分
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ことの発端は[[長谷川亮太]]が特定される更に10年前の2002年に遡る。当時、立教大学の投手であった'''多田野数人''' | ことの発端は[[長谷川亮太]]が特定される更に10年前の2002年に遡る。当時、立教大学の投手であった'''多田野数人'''は有望選手であり、ドラフト1位が確実視されていた。ところが、多田野は後輩とともにホモビデオ(ホモビ)に出演した。実はこのビデオに出演したのは1年前の2001年であり、この当時から「多田野そっくりの男が出ている」という噂程度には流れていたが、長谷川の特定時同様、この時は単に風貌が似ているというだけで決定打に欠けていたこともあり<ref>恒心教で言うところの99と100である</ref>、即座に炎上することはなかった。ところがドラフト指名直前になって週刊現代が立教大学野球部監督に取材を決行した所、監督は「'''うわあ…、これは多田野ですね。これは大坊で、ああ、こっちは羽田野ですね。間違いない。なんだこれは…。たまげたなあ…'''」とたまげた発言してしまったために、多田野は各球団から指名を回避されることとなった。 | ||
これによって多田野はネット炎上し、よりにもよってホモビデオということでなんJ民の祖先である野球ch民から面白がられたが、この時点ではまだ数多の炎上事件の1つと言う扱いであった。インターネット上で完結するものではなく、週刊誌が炎上の火付け役となった点は、恒心教など他の超大規模炎上にも見られない特異なものである。 | これによって多田野はネット炎上し、よりにもよってホモビデオということでなんJ民の祖先である野球ch民から面白がられたが、この時点ではまだ数多の炎上事件の1つと言う扱いであった。インターネット上で完結するものではなく、週刊誌が炎上の火付け役となった点は、恒心教など他の超大規模炎上にも見られない特異なものである。 |