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同月28日、マヨケーは復活したが、ごるだっく(マヨケー管理人)により島田にかいが副管理人を解任されたことを皮切りに、島田にかいに対する批判が噴出し、加えて「対応が遅かった」「自分の非を棚に上げて態度が高圧的」としてごるだっくも批判を浴びた。
同月28日、マヨケーは復活したが、ごるだっく(マヨケー管理人)により島田にかいが副管理人を解任されたことを皮切りに、島田にかいに対する批判が噴出し、加えて「対応が遅かった」「自分の非を棚に上げて態度が高圧的」としてごるだっくも批判を浴びた。


さらに島田にかいの定永主犯説についても、真偽が検証されるにつれて矛盾点が発見され、懐疑派が増加し大荒れとなる(この不審点の解明は翌年の[[蓬田治都]]を巡る裁判を待つこととなる)。島田にかいが確たる証拠を出さないことや、不確定情報に基づいて[[悪芋]]行為を行う教徒達に対する批判も激化した。
島田「にかい」の主張する定永主犯説についても、真偽が検証されるにつれて矛盾点が発見され、懐疑派が増加し大荒れとなる(この点の解明は翌年の[[蓬田治都]]を巡る裁判を待つこととなる)。島田にかいが確たる証拠を出さないことや、不確定情報に基づいて[[悪芋]]行為を行う教徒達に対する批判も激化した。


また、当時尊師を除く周囲のハセカラファミリーの話題が枯渇傾向にあり、[[学術教徒|学術路線]]の流行から一般の話題を語る専門サブケーがにわかに注目を集め、[[なんJ]]への先祖返りのような形でカラケー民の分化が進んでいた。対してこれを良く思わないものたちは、この混乱と同時に学術路線中心地の[[バリュケー]]等、新興サブケーやコテハンへの批判を噴出させることとなった。バリュケー側もこれに反発する形で[[メノケー]]やごるだっくへの批判が飛び交うようになり、カラケー同士の抗争が懸念された。
また島田「にかい」は学術路線サブの[[バリュケー]]の削除人でもあったため、この混乱と同時にコテハンを容認するバリュケー及び学術路線の方針への批判も噴出させることとなった。バリュケー側もこれに反発する形で[[メノケー]]やごるだっくへの批判が飛び交うようになり、カラケー同士の抗争が激化する。


複数名の[[甘芋]]化や敵対陣営の追放殲滅を目論む極端な言説も展開されるようになった中で、対立状態は一応の収束となるも、以降も不定期的にカラケー間で対立が起きる緊張状態となった。
ゆゆうた騒動・飯塚騒動を巡っても[[マヨルカ島掲示板#マヨ・メノケー事件|小規模な衝突]]が起き、個別のネタに対しても「私の姪」ネタやコンマスレなどを巡って対立が起きた。
 
複数名の[[甘芋]]化や敵対陣営の追放殲滅を目論む極端な言説も展開されるようになった中で、対立状態は一応の収束となるも、翌年以降再発し、以降も不定期的にカラケー間で対立が起きる緊張状態となった。


===恒心アニバーサリー===
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