「唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/麻原裁判をふり返って」の版間の差分
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'''麻原裁判をふり返って'''(あさはらさいばんをふりかえって)とは、[[ICHIBEN Bulletin]]2015年6月号・7月号に掲載された、[[麻原彰晃]]の裁判を担当した[[第一東京弁護士会]]に所属する弁護士の回想緑である。 | '''麻原裁判をふり返って'''(あさはらさいばんをふりかえって)とは、[[ICHIBEN Bulletin]]2015年6月号・7月号に掲載された、[[麻原彰晃]]の裁判を担当した[[第一東京弁護士会]]に所属する弁護士の回想緑である。 | ||
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ずっと後のことになるが、サリンプラント事件の審理に当たっては、裁判所の検証に立ち会う形で、第7サティアンのサリンプラントにも足を踏み入れた。籠に入れたカナリアをかざしながら捜査官が入っていった映像が忘れられない、あの第7サティアンである。当時は他のサティアンは既に壊されていたが、この建物は差し押さえられ残っていた。 | ずっと後のことになるが、サリンプラント事件の審理に当たっては、裁判所の検証に立ち会う形で、第7サティアンのサリンプラントにも足を踏み入れた。籠に入れたカナリアをかざしながら捜査官が入っていった映像が忘れられない、あの第7サティアンである。当時は他のサティアンは既に壊されていたが、この建物は差し押さえられ残っていた。 | ||
=== Aさんの不規則発言と退廷命令 === | === Aさんの不規則発言と退廷命令 === | ||
話は戻るが、井上に対する反対尋問を進めていくうちに、それを脇で聞いているAさんの様子に異常が生じ始めた。井上に対して何か言おうとしているのか、あるいはその証言を妨害しようとしているのか、その意図は分からないが、何やらブップッとつぶやき始めたのである。 Aさんは我々12名の弁護団のすぐ前の席に座っており、前を向いているせいか、我々には何を言っているかよく分からない。裁判長の制止にかかわらずAさんの不規則発言は、一向に止まらない。 | |||
あるときは、尋問の最中にAさん自身の体がガタガタと上下に動き出し、気が上昇してきて明らかな異変が生じたことがあった。よくオウム信者が修行中になる「クンダリーニの覚醒」と呼ばれる状態である。後ろにいた我をも何事が起きたのかと驚くばかりであったが、演技とも思われない。 | あるときは、尋問の最中にAさん自身の体がガタガタと上下に動き出し、気が上昇してきて明らかな異変が生じたことがあった。よくオウム信者が修行中になる「クンダリーニの覚醒」と呼ばれる状態である。後ろにいた我をも何事が起きたのかと驚くばかりであったが、演技とも思われない。 | ||
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我々は、最後にAさんが法廷で事件に関し話してくれることを期待し、それぞれ自分の思いを込めてAさんに質問を発ししかし、Aさんはここにおいても黙秘を貫いた。 | 我々は、最後にAさんが法廷で事件に関し話してくれることを期待し、それぞれ自分の思いを込めてAさんに質問を発ししかし、Aさんはここにおいても黙秘を貫いた。 | ||
私は、最後に質問をすることとなったが、これまでの思いをAさんにぶつけた<ref>裁判を傍聴したジャーナリストの{{wpl|青沼陽一郎}}は弁護人が代わる代わる立ち上がっては、かつて被告人の意向を無視したことを懺悔して詫びていたと語っている。({{Archive|1=https://bunshun.jp/articles/-/41176?page=4|2=https://archive.md/dnHJQ|3=13の事件で裁かれて… 死刑判決直前に、オウム真理教・麻原彰晃が不敵に笑ったワケ}} - 文春オンライン)</ref>。 | |||
私はこれまで被告人との信頼関係を一番大事にしてきた。ところが貴方は我々に一切口を閉ざすようになってしまった。実質審理が始まった当初、貴方が不規則発言をするようになり、さらに我々との接見を拒否するようになった。それは貴方が我々の弁護活動が容認しがたいものと思っていたからであろう。にもかかわらず、我々は公判期日を続行してしまった。しかし、それは間違いだった。やはり、あのとき、世間が何を言おうとも、弁護団としては公判を中断して、貴方としつかりと向き合い、貴方が何を考えているのかを聞き、それを踏まえて弁護方針を修正するという作業をすべきであった。我々の弁護活動は失敗だった。 | 私はこれまで被告人との信頼関係を一番大事にしてきた。ところが貴方は我々に一切口を閉ざすようになってしまった。実質審理が始まった当初、貴方が不規則発言をするようになり、さらに我々との接見を拒否するようになった。それは貴方が我々の弁護活動が容認しがたいものと思っていたからであろう。にもかかわらず、我々は公判期日を続行してしまった。しかし、それは間違いだった。やはり、あのとき、世間が何を言おうとも、弁護団としては公判を中断して、貴方としつかりと向き合い、貴方が何を考えているのかを聞き、それを踏まえて弁護方針を修正するという作業をすべきであった。我々の弁護活動は失敗だった。 | ||
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== スクショ画像 == | == スクショ画像 == | ||
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== 余談 == | |||
*当初は{{wpl|阿部文洋}}裁判官が首席裁判官を務めていたが途中で移動になり、判決を下したのは第1回からの陪審である{{wpl|小川正持}}裁判官である。 | |||
*[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/滝本太郎|滝本太郎]]弁護士は、弁護団が裁判を冗長化させたこと、被告人との意思疎通が取れなかったために目的と手段が逆転し、刑事訴訟法を弁護していると批判していた<ref>{{Archive|https://yoshiko-sakurai.jp/2001/02/28/35|https://archive.md/87LhM|『SAPIO』 2001年3月14日号}}</ref>。 | |||
== 註釈 == | == 註釈 == | ||
<references /> | <references /> | ||
== 関連項目 == | == 関連項目 == | ||
*[[ICHIBEN Bulletin]] | *[[ICHIBEN Bulletin]] | ||
*[[ファイル:麻原裁判を振り返って.pdf]] | |||
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