恒心文庫:虎視珍々
本文
毎年、水泳の時間はいつも見学だった。
同級生達からは泳げないからズル休みする卑怯者と詰られた。
本当は泳ぐのが取り柄で、皆と一緒に泳ぎたくて仕方がなかった。
休みたくなかった。でも、休むしかなかった。
給食の時間になると、僕はとにかくよく食べた。嫌いな物を残す同級生がいると代わりに食べると申し出た。
配膳当番には大盛りと何時も頼んだ。
そんな僕の姿を見て、同級生はだから太る、意地汚いとゲラゲラ笑った。
国語の時間は苦痛だった。
単語、一言で区切る朗読しか出来ずロボットだと揶揄された。あるいはガイジンかと馬鹿にされた。
特に登場人物の心情などさっぱり理解できなかった。
僕には言語の素養がなかった。
皆が羨ましかった。
僕は先生が怖かった。
というより、大人が怖かった。
間違いを指摘されると身が震えた。キツイ叱咤が僕に飛んでくると条件反射で糞を漏らすようになっていた。
同級生は僕を心底軽蔑した。
僕は飼育委員を経験した。
ある日、小さいうさぎ小屋の中でブラシによる掃除に汗を流す僕に同級生質は外からホースで水を放った。
僕は檻小屋の中で白い兎とともにびしょ濡れになった。
言葉も分かるはずのない白い兎と顔を見合わせたその時、何故だか僕達は分かりあえた気がした。
僕達はその日檻から
世界に飛び出した。
檻から出た僕らが再開することはなかった。
校外に出た白い兎は車に惹かれて死んだ
僕は学校中を敵に回した。
もう、学校は監獄の外ですらなくなったしまった。
僕には弟がいた。
僕と彼は一心同体だった。
互いの受ける苦痛を分かち合った。彼は僕の半身だった。
しかし、僕が部屋に閉じ籠ってから弟は段々変わっていった。
怒りを孕んだような眼差しのような、哀しむような、そんな目をするようになった。
そして、口をきかなくなった。
弟は僕と違って痩せていった。
父がある日、僕達兄弟を居間に並べさせてこう言った。
お前たち兄弟に宿題を与えよう。
人間社会において、食物連鎖の頂に立つシンプルな方法を証明しなさい。
出来なかった方には罰を与えよう。
しかし、私がバツを与えるわけではない。
答えを導けた者が導けなかった者に罰を与えるだけだからだ。
弟は父の宿題を聞き終えるとガックリと項垂れた。
今思えば聡明な弟は既に答えを導けていたんだろう。
僕は罰の意味を3日3晩考えた。しかし、煮詰まることはなく、カラカラと砂利のようにくだらない答えしか思いつかなかった。
弟は宿題の期限前日の晩に僕の部屋にやってきた。
兄さん、答えがまだ分からないみたいだね。
僕は答えを知ってるんだ。それを教えに来たんだ。
なに、それじゃあ厚史お前が罰を受けるというのか。
違う、答えは2つあるんだ。兄さん、僕らは二人共正解できるんだ。
そして、兄さん。僕は今後兄さんに、辛い十字架を背負わせる事になる。
許して欲しい。
そう言って、厚史は僕の部屋を立ち去ろうとした。僕は慌てた。
どういう事だ。厚史。一方の答えだけでも教えてくれないか。頼む。
厚史は笑顔で振り返ってこう言った。
僕の導いた正解は人に譲る事さ。
それが厚史の最後の言葉だった。
その翌日、近所の河川敷で自殺した厚史の死体が発見された。
もう一方の正解者として僕は生きている。
厚史がくれた正解を僕はきっと守れないだろう。
そして、僕ら兄弟が跳ね返した罰を隠し生きている。
だから、そう。遅れた宿題を提出するその時を、今か今かと待っているのだ。
-完-
リンク
- 初出 - デリュケー 虎視珍々(魚拓)