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恒心文庫:破裂しそうで

提供:唐澤貴洋Wiki
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本文

 先端が張り詰めている、ぴんと硬くなったそれは激しいまでの自己主張を伝えてくる、毎度のことながら熟しきった果実みたいだなと、僕は頭の片隅、わずかに残った理性で考えている。
 ポケットの中につっこまれた小男の手が僕のそれに刺激をあたえつづける、荒い息、汗のニオイ、また別の液体のニオイ、空間に漂っていく。
 心拍があがっている、左胸に埋まった心臓がポンプみたいに血流を全身にめぐらせる、なんだか血管が破裂しそうな気分になってくる。
 でも当然血管が破裂するわけがない、破裂するのは僕の今ひどく硬くなっているそれにきまっている、その先端に決まっている、そいつときたら黄色がかった粘っこい液体を身勝手に噴き出しやがって、あとはぐったりするって塩梅さ、そうさ、いつものことなんだ。

 ドクドクと血液が体中をめぐる、一番の血流は僕の下腹部に集まっていく、そいつはもう充分張り詰めたはずなのに、まだまだといわんばかりに暴走して膨らみつづけてゆく。
 僕はなすすべもなくそれを観察するしかない、自分の体の一部を観察するしかない、結局のところそれを望んでいるのかもしれないけれど、ともかく呆然とした調子でそれを見つめている。
 快楽の波はどんな色をしているのかわからない、白いのか赤いのか透明なのか、あるいは空の色のようにうつろってしまうものなのかもしれない、でもとにかくひっきりなしにそいつが打ち寄せてきて、無法地帯に転がされた僕は蹂躙されている、そうして頭の奥底にひっかかった理性は押し流されそうになってゆく、いったい今僕はどんな表情をしているのだろう、知りたいような知りたくないような気分だ。
 小男が忍び笑いを漏らす、クスクスとくぐもった声が事務所中に響く、ああなるほど、僕は今相当な間抜け面をしているにちがいない。
 頬の垂れ下がった贅肉、4年間のごたごたで増えた贅肉、ストレスで痩せる人間と太る人間がいるらしいがこいつは間違いなく後者だ、その贅肉が男の笑みとともに揺れる、僕は刺激を受けながらそのさまを観察する、それはなにかに似ている、そうなにかに似ている、ああ思い出した、地震の初期微動、そうだ、そういう具合なのだ。

「――」

 男がなにかつぶやく、僕には何を言ったかわからない、それは男の声が小さすぎるからかもしれない、あるいは僕が今それどころではないからかもしれない。
 男は僕を見つめて微笑む、いや正確に言うならずっと微笑んでいるのだけれど、いっそう醜悪な笑みを浮かべるのだ、醜い肥えた中年男の笑みを。
 そして今、手の速度があがった、男の手は僕の全体を包んだり細部を刺激したりを繰り返す、微妙な力具合が慣れた調子で僕をもてあそぶ、僕の弱点をすべて知っている指。
 それまで先端に触れていただけの肥えた指は、僕をさらにどこか別の領域へ連れてゆこうとしている、その領域へは幾度も連れていかれた、今まで何度も何度も連れていかれた、そこへ再び連れて行こうとしているのだ。

 はあはあ、荒い息の音がする、いったいどこのどいつだ、思ってからそれが自分の吐息だと気づく、小男はあいかわらず小さく笑いながら僕を見つめている。
 ウィスキーをストレートで流しこんでいるかのように胸の奥が熱くなってくる、その熱は僕の体内をくだり僕の下腹部で血流とともに混ざり合って僕の思考を鈍らせてゆく、僕は白旗をあげる兵士の気持ちがいま少しわかる。
 降参だ、ああそうだ、認めなくちゃ、認めないといけないのだ、《ひとりの男としての僕を完全に成立させるのは、この男だけなのだ》と、認めないといけないのだ。
 この男がいなければ、僕はきっと永遠に「有機的」にはなれないのだ、ただの無機的なキャラクターにすぎないのだ、弁護士だとか東大卒だとか、そういう僕は無機的にすぎるのだ、結局記号にすぎないのだ、他者評価による僕には血など通っていないのだ。
 情報は情報にすぎなくて、それらはどこまでも無機質で、僕の本質を示すことは永遠にない。
 
 A、P、P、L、E、アップル、それはリンゴを表す言葉だ、だけれどもリンゴの本質など何ひとつ示してはいないのだ。
 リンゴは赤い果実、手に取ると少々の重みを伝えてくる果実、かじると甘くてすっぱい果実、それこそがリンゴの本質なのだ。

 Y、A、M、A、O、K、A、H、I、R、O、A、K、I、それは僕を表す言葉だが、やっぱり僕の本質など何ひとつ示してはくれないのだ。
 こうやってうめき声をあげる、顔を歪ませてしまう、小男は我が意を得たといわんばかりの笑みを浮かべ、いよいよ手の速度を上げてゆく、そして僕は下着の中で膨らんだそれを破裂させる。
 そう、それこそが、その瞬間だけが、僕の有機的に存在する瞬間なのだ、歪んだ生の暴発なのだ。

 快感の波が僕の思考をくるくるとかき混ぜる、それは思考の濁流を白く赤く透明に濁らせていこうとする、ああ理性はもう押し流されそうだ。
 僕が僕としてこの表情を歪めて先端を破裂させ、白い液体を、少し黄ばんだ欲望に比例した液体を放出する、そのとき僕はただひとつの肉体になれる。
 そのためにはこの手が、この男が必要なのだ、醜く太った男、ぶくぶくの不惑前の中年男、その肥えた指、ナメクジみたいに汗ばんだ指、湿り気を帯びた指。
 僕という人間を実際的な物体、すなわち「有機的な生命体」として消化してくれるのは、この男のその体だけなのだ。
 歪んだ青春で歪んだ理想を追い求める歪んだ男の歪んだ笑み、そのいびつな曲線こそが、刺激こそが、僕の歪んだ性癖とぴったりと、ちょうどパズルのピースをはめこむみたいに合わさって、そうだ、僕の存在証明として働き始める。

 すまない精子たちよ、生物学的な観点から僕は謝罪したくてたまらない、僕はきっと一生、本当の意味できみたちを放出することなどないのだ。
 だってこれを繁殖行動とは到底呼べないだろう、男が男の手によって射精に導かれたところで、それが何の意味があるというのだ、ひどく無意味な行為だ、自慰の方が余程マシかもしれないじゃないか。
 だけれど、この醜く歪んだ男の笑み、アシンメトリな左右の瞳、生温かい指の感触、そいつだけが僕を完全な有機体としてこの世界に存在させてくれるのだ。
 肩書など消え、名前さえもうしなって、ただの一個の肉体、肉欲におぼれるひとつの生命になるとき、その刹那だけが、僕が僕の本質をむきだしにできる唯一の時間なのだ。

 ああ、もうすぐ僕は3億の精子を放出するんだろう、先端を破裂させてしまうんだろう、ドロリとした粘液質な液体が噴き出して下着をひどく湿らせてしまうんだろう。
 小男は指についたそれを舐めて歪んだ笑みを浮かべるだろう、媚びたような、小ばかにしたような、憎くてたまらないような、愛したくてたまらないような、死ぬほど腹の立つ死ぬほど素敵な笑み。
 そいつを見て僕はきっと欲情する、今以上にひどく欲情する、ぐったりとした僕のそれに再び血が満たされるまでそう時間はかからない、そうして理性をかなぐり捨てた僕らはひとつになって、またしても快楽の河に押し流されていくのだろう。
 なるほどそれはひどく歪んだカタチだ、世界中からクスクス笑われてしまうような気分だ、だけれど同時にどこまでも完全な《いびつ》なのだ。

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