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恒心文庫:審判者

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本文

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 重い音を立てて金属製の扉が開いた。

「エサの時間ですよ、Kさん」

 入ってきた長身の男は、ぐったりとパイプ・ベッドに横たわっている小太りの男に向かって言う。
 小太りの男は緩慢な動作でそちらを見、再び壁に顔を向けた。
 長身の男――Y――はため息をつく。

「いつまでそうやって、強情を張るつもりですか?」

 小太りの男は何もこたえない。
 地下室の一室、その漆喰の壁をただ見つめている。

「……僕だってね、正直なところあなたにこんなモノを与えたくないんだ」

 Yは言うと、薄いスープと粗末なパンが載せられたトレイを見つめた。

「はっきり言って、あなたがここで餓死しようがどうしようが、僕にとってはかまわないんです。だというのに僕はチャンスを与えているんですよ? 少しは感謝したらどうですか――M奈にね」

 M奈。

 その名前を聞いた瞬間、小太りの男の肩がぴくりと動いた。

「……彼女は、公正と誠実を掛け合わせたような女性だった。あなたとは大違いだ。親の庇護のもと、甘やかされ続けた七光りなんかとは、ね」

 Yはパイプ・ベッドわきに備え付けられた粗末なサイド・テーブル――いや、それを「テーブル」といってよいものかは怪しいものだが――にトレイを乱暴に置く。
 ガシャリとした金属同士の衝突音が、いくらかくぐもった響きを立てて地下室の壁に吸収されてゆく。

「僕は、今、あなたをここで首を絞めて殺したっていい。法律上の裁きを受けたっていい。……なぜだかわかります?」

 ――わかる、ナリ。
 Kは頭の中だけでぼんやりと返答する。
 ――もうその話は、ここに閉じ込められてから、2783回は聞かされた話、ナリ。

「それは本当の《裁き》ではないからだ」、Yはその2784回目の言葉を口にする。

「この事実の真の《審判者》は、検事でも警察でも、それ以外の「正義」をかざすバカげた存在でもない……M奈の遺志だけなんだ」

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 地下室に沈黙が訪れる。
 Yはやや荒くなった呼吸を落ち着けると、ベッドの男ににじり寄り、その顔をこちらへ強引に向けさせた。

「……醜い顔だ」、Yは言う。
「ま、元からですかね――なあ、K。きみは欲とカネと野望に燃えた、醜い顔をしているよ。本当にね。……七つの大罪だっけな、それを擬人化すればきみのようになるんだろう」

 長い監禁生活で落ちくぼんだKの瞳がYを見つめる。まばらに生えた無精ヒゲと、かすかにこけた頬の中で、その瞳だけが鈍い光を放っている。
 まるで薄暗い廊下の奥にたったひとつ灯された、蝋燭のように。

「……K、いい加減に吐け」
 Yは胸倉をつかんでKの半身を立たせると、静かな、しかしすさまじいまでの怒気を含んだ声で言った。
「M奈を――僕のかつての婚約者を、殺したのはお前だろう」

 Kは眼前の男から目をそらすと、「……ちがう、ナリ」とかすかな声でこたえた。
 ろくに水分を与えられていないからだろうか、紙やすりでこすられたような声。
「……あれは、あれは……事故だったナリ。警察だってそう結論を――」

「ふざけるな!」

 怒号が地下室に響く、同時にKは床に投げつけられる。くぐもったうめき声が太った男から漏れるのを、Yはどこまでも冷たい眼差しで見つめる。
 長い足を伸ばし、その後頭部を踏みにじりながら、Yが口を開く。

「僕には確固とした《証拠》がある……確かな筋から得た情報だ。お前は、父親と共謀してM奈を殺害した。そしていくら握らせたのかは知らないが、警察はそれを「自死」として処理し、「自殺者」ファイルにぽんと放り込んでおしまいだ」

 ――これじゃあ、あまりにも浮かばれないじゃないか。なあ、そうだろう、M奈?
 Yは虚空に向かい首を振りながら言う、悲しげに、そして愛しげに。まるで故人の魂がそこに存在しているかのように。

「……僕は、すべてを失ったっていい。地位も、財産も、人間としての尊厳も……そんなもの、M奈のいないこの世界で、何の価値がある?」
 長身の男は、その胸に鈍く輝くバッヂをひきちぎり、投げ捨てる。鈍い金属音が床に響く。

「……K、もう一度だけ聞いてやる。僕は、何者でもない《審判者》として、きみに聞く。M奈を殺したのはお前だな?」
 地下室に沈黙が流れる。うずくまったKは、わずかに背を震わせ続けている。
 防音が施された空間。時計のない空間。音もなく時間の流れもない空間。その茫漠とした世界で、小太りの男は身を震わせる。

「……ちがう、ナリ……」

 Yの口角が思い切りねじりあげられた。その端整な表情をぐしゃぐしゃにかき混ぜるように、男は醜悪な笑みを浮かべた。

「……わかった。どうしても強情を張るというのなら、僕にも僕の考えがある」

 ポケットからスマートフォンを取り出すと、決定的な証拠を突きつける刑事のように、彼はそれをKに突きつけた。

「なら、見ればいいさ。きみの過ちが、駄々が、きみの父親にどういう結末を迎えさせようとしているかを、ね」

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 地下室に沈黙が訪れる。
 Yはやや荒くなった呼吸を落ち着けると、ベッドの男ににじり寄り、その顔をこちらへ強引に向けさせた。

「……醜い顔だ」、Yは言う。
「ま、元からですかね――なあ、K。きみは欲とカネと野望に燃えた、醜い顔をしているよ。本当にね。……七つの大罪だっけな、それを擬人化すればきみのようになるんだろう」

 長い監禁生活で落ちくぼんだKの瞳がYを見つめる。まばらに生えた無精ヒゲと、かすかにこけた頬の中で、その瞳だけが鈍い光を放っている。
 まるで薄暗い廊下の奥にたったひとつ灯された、蝋燭のように。

「……K、いい加減に吐け」
 Yは胸倉をつかんでKの半身を立たせると、静かな、しかしすさまじいまでの怒気を含んだ声で言った。
「M奈を――僕のかつての婚約者を、殺したのはお前だろう」

 Kは眼前の男から目をそらすと、「……ちがう、ナリ」とかすかな声でこたえた。
 ろくに水分を与えられていないからだろうか、紙やすりでこすられたような声。
「……あれは、あれは……事故だったナリ。警察だってそう結論を――」

「ふざけるな!」

 怒号が地下室に響く、同時にKは床に投げつけられる。くぐもったうめき声が太った男から漏れるのを、Yはどこまでも冷たい眼差しで見つめる。
 長い足を伸ばし、その後頭部を踏みにじりながら、Yが口を開く。

「僕には確固とした《証拠》がある……確かな筋から得た情報だ。お前は、父親と共謀してM奈を殺害した。そしていくら握らせたのかは知らないが、警察はそれを「自死」として処理し、「自殺者」ファイルにぽんと放り込んでおしまいだ」

 ――これじゃあ、あまりにも浮かばれないじゃないか。なあ、そうだろう、M奈?
 Yは虚空に向かい首を振りながら言う、悲しげに、そして愛しげに。まるで故人の魂がそこに存在しているかのように。

「……僕は、すべてを失ったっていい。地位も、財産も、人間としての尊厳も……そんなもの、M奈のいないこの世界で、何の価値がある?」
 長身の男は、その胸に鈍く輝くバッヂをひきちぎり、投げ捨てる。鈍い金属音が床に響く。

「……K、もう一度だけ聞いてやる。僕は、何者でもない《審判者》として、きみに聞く。M奈を殺したのはお前だな?」
 地下室に沈黙が流れる。うずくまったKは、わずかに背を震わせ続けている。
 防音が施された空間。時計のない空間。音もなく時間の流れもない空間。その茫漠とした世界で、小太りの男は身を震わせる。

「……ちがう、ナリ……」

 Yの口角が思い切りねじりあげられた。その端整な表情をぐしゃぐしゃにかき混ぜるように、男は醜悪な笑みを浮かべた。

「……わかった。どうしても強情を張るというのなら、僕にも僕の考えがある」

 ポケットからスマートフォンを取り出すと、決定的な証拠を突きつける刑事のように、彼はそれをKに突きつけた。

「なら、見ればいいさ。きみの過ちが、駄々が、きみの父親にどういう結末を迎えさせようとしているかを、ね」

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「……Hさんは、認めたよ」

 Yが静かな声で告げる。

「今はちょっと、まあ――《イカれて》る――けどさ。正気を保った最後の瞬間には認めた。『ワシがやったんじゃ、息子は何も悪くない、責めるならワシだけにしてくれ』ってね……。いやはや、素晴らしい親子愛じゃないか。涙が出そうだ。うれし涙が、さ」

 ――だって、発狂する間際に頼まれた約束を破るだなんて、最高に愉快だろう?

 言葉がKの脳髄にしみ込むまで、長い時間を要する。
 のろのろと見上げたKを、氷のようなまなざしが捉える。

「今からきみを拷問する」、Yは夕飯のおかずを決めるような軽い口調で言う。
「安心してくれよ、僕は案外そういうサディスティックな事柄には興味を持っていてね……そう簡単に死なせはしない。発狂させもしない。実験動物みたいに、丁重に、優しく、そしてどこまでも残酷に扱ってあげるよ、K」
 
 ――ねえ、M奈、まずは何がしたい? 股裂き? うん、まあ、ありがちだけど、悪くはないな。
 どちらかといえば僕は音攻めや暗黒でのロウソクによる恐怖、額に水を滴らせることなんかの精神方面への拷問が大好きなんだけど――きみが望むなら、そうしよう。
 うん、遊ぼうね、M奈。徹底的に。この醜い男で。僕らは《審判者》として、正しく、遊ぼう。

 虚空に話しかける男をKは眺めることしかできない。
 彼の中の《現実》は、ゆったりとしたテンポで崩れ始めている。これからの自分がどうなるか、それをひどくのろいテンポで学習していこうとしている。
 あるいは彼はそれを拒否しようとしているのかもしれない。《現実》に背を向け、すこし前までの平穏な日々に思いを馳せようとしているのかも。

 Yが歩み寄って来る。ヒッ、と喉からかすれた声を出して後ずさりする。
 肥えた背が冷たい壁にぶつかる。もう逃げ場はない。
 視界に映る男が唇のはしを釣り上げるのが目に入った。

5/5
 ***

「……《審判者》か」、黒いもみあげの男は醒めた声で言う。

 モニターには、小大便を漏らす小太りの男と、同じくらい端整なマスクを歪めてしまった長身の男。

「滑稽なものだな。死人の幻想に追われて、私刑に走って、それをこんな澱んだ言葉でごまかし、美化しようとしている」

 ――そうは思わないか、ヒロちゃん?

 背後に磔にされ、だらりと全身の力が抜けている男に話しかける。
 元より返事など期待していない。もう壊れてしまったおもちゃが音を立てることなど、無いことはわかっている。

 歪んだ笑みの男が、脅える男を追い詰める。懇願する豚の顔。それを屠殺しようとする男は、審判者などではない。

 ただの気狂いだ。
 復讐という感情に狂わされた、気狂い。

「……手間とカネをかけたぶん、いいものが見れたな」

 男にとって、これから先の物事などに興味はない。
 冷静沈着な堅物が壊れていく瞬間を見られた。それだけでもう射精しそうなほどの快感が体を駆け巡っている。
 モニターを切ると、椅子から立ち上がる。磔にされ、満身創痍の老人に近寄ると、そっと頬をなでる。

「ヒロちゃん、この世界でもっとも楽しく、美しい物事が何か、きみには理解できるかな?」
 瞳を閉じた老会計士に、男は微笑を浮かべる。
「形あるものが《崩れゆく》ところだと、私は考える。砂の城だって、トランプ・タワーだって、なんだってかまわないが……」

 ――やはり、一等うつくしく見えるのは、人間が崩れていくところだね。それも理性を持った、有能な人間が。

「……なあ、ヒロちゃん。この世界には、《審判者》などいないのだよ」
 返答できない男に向かって男は語りつづける。
「いるならそれは、審判者で《ありたい者》だけだ。……まあそれでも、強引にひとり、そういった存在を位置づけるとするなら――」

 ――きっと、私だけなのだろうね。

 ***

 機械仕掛けの一室で、並べられたモニターたちが低い唸り声をあげている。
 それに混ざって、《審判者》の忍び笑いがいつまでも反響していた。 

この作品について

デリュケーの雑談スレの構想を基に執筆された作品である。

【左足壊死】唐澤洋について語るスレ Part.2【妖怪懐妊じじい】>>133(魚拓)
133 :名前が出りゅ!出りゅよ!:2016/01/31(日) 06:09:40 ID:Tk1upYAo
すみません、当職文才がないので草案だけここに投下します
もし興味があればどなたか執筆していただけたらと思います 
・恋人を殺された山岡の復讐もの
・尊師により自殺に見せかけて殺された美奈ちゃんの復讐のため尊師を監禁する
・美奈ちゃんについて尋問するも知らないで押し切ろうとする尊師
しかし山岡が洋を拷問する映像をスマートフォン越しで尊師に見せつける
洋は左足に熱した鉄棒をあてがわれながら、尊師の頼みで美奈ちゃんの殺害に協力したと告白する
・尊師は言い訳と謝罪に終始するが山岡は笑顔で淡々と拷問の準備をはじめる
・ところ変わって別室でモニター越しに拷問シーンを眺めるモリアーティ
傍らに拷問を受けて全身傷だらけの左足壊死ニキ(洋)が力無くぶらさがる
全てを仕組んだのはモリアーティで、山岡を含め人間が壊れ行く様を見るのは何よりも楽しいと洋に問いかけるところで物語が終わる

2016/01/31(日) 06:09:40に書き込まれた構想が2016/01/31(日) 10:35:33とわずか4時間程度で作品として発表される。
デリュケー作家陣の筆は早い。

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