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恒心文庫:夏の僕と弟

提供:唐澤貴洋Wiki
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本文

「もうすぐ着くぞ」
後部座席で眠っていた僕を、ハンドルを握る父の声が起こした。
眠いまぶたをこすりながら窓の外を見ると、田んぼと山が通り過ぎていく。遠くには大きな入道雲が、太陽の光を受けて真っ白に輝いていた。
思わず窓を開け、顔を乗り出して外を見る。クーラーから吐き出される人工的な冷気に満たされた車内に、ぬるい空気が飛び込んでくる。
同時にあちらこちらの山から聞こえるセミの声も車内に飛び込む。夏のにおいと音がした。
窓から乗り出した僕の顔に風があたる。髪の毛はバサバサと音を立ててなびき、目もほとんど開けていられない。
それでも、僕はこの夏を体で感じたかった。
細めた視界の先、祖父母の家がみえてきた。

祖父母の家に着くと、祖母が用意してくれていたそうめんを食べ、スイカも食べた。
祖父母との話はまた夜することにして、腹ごしらえがすむと早速僕は外にでる。
ここでは、なにもかもが東京とは違った。
東京は憂鬱だ。いくら晴れていても空は灰色。行き交う人々は、誰もが無名の人間で、大きなうねりの中に紛れ込んでいるだけの存在に過ぎなかった。
でも、ここでは違う。空はどこまでも青色でつきささる。ここの人たちはそれぞれがそれぞれと知り合いで、無名の人などいなかった。
都会の中では征服の対象となる自然は、ここでは僕達を包み込む住処となる。
僕は一年ぶりの本当の夏にはしゃいで走り回った。5日間しかいられないのだ。無駄にしている時間など一瞬たりともないように思われ、後悔などしないように走り回った。
植物をじっくり見た。古びてぼろぼろになったバス停と待合所をじっくり見た。道端の小石をじっくり見た。
もしかしたら、東京にもそれらはあるのかもしれない。でも、それらをじっくり見る機会は、きっとここにしかない。
夢中になってはしゃぐ内に、どこか林の中に迷い込んでしまったことに気がつく。
道は見当たらない。あちこち歩いてみるが何も見つからない。
僕は困り果てて、一本の大きな木の根元に膝を抱えて座った。
「ねえ、なにしてんの?」
その時だった。僕は話しかけられた。
声のした方向を見ると、一人の男の子が立っていた。
さっきまではいなかったのにと不思議に思ったが、そんな疑問もすぐに消え、僕は彼に相談することにした。

「実は迷っちゃって困ってるんだ」
僕はその少年に今の状況を素直に話した。
「へえ、そうなんだ。じゃあ僕が道案内してあげようか」
僕はこの親切に甘えることにした。
少年は色白で僕より少し年下のように見えた。
「ありがとう。家に帰りたいんだ」
「日が暮れるまで時間があるからそれまで遊ぼうよ」
僕は少年のこの言葉に賛同して遊ぶことにした。一人より二人のほうが楽しいはずだ。
「うん、じゃあ遊ぼう。ところで、君はなんていうの?僕は貴洋」
僕が自己紹介をすると、少年も名前を教えてくれた。
「僕はアツシっていうんだ」
「アツシ?どういう字?ま、字なんてどうでもいっか」
互いの自己紹介がすむと、僕たちは遊んだ。
アツシは僕に林の中のいろいろなものを見せてくれた。
石をどけるとうごめいているのがわかる虫をみて悲鳴をあげてみたり、つたを使ってターザンごっこをしたりした。
疲れると林の中を流れる小川まで行き、そこの水をすすった。東京の水よりもずっと美味しかった。
二人して川辺の岩に腰掛けて足だけ川の冷たい水に浸しているとき、僕はアツシに聞いてみた。
「アツシはこんな林の中で一人でなにしてたの?」
「それはこっちのセリフだよ」
僕たちは二人して笑った。
「そうだ、林の外に行こうよ。僕の爺ちゃん婆ちゃんの家につれてってあげる」
僕がそういうとアツシは首を振った。
「ごめん。それはできないんだ」
「できないってどういうこと?」
「うーん。とりあえずさ、今日は林の中で遊びたい気分なんだ」
林の中で遊んでも十分に楽しいから、僕はそれに従うことにした。
空が赤くなり、ひぐらしの声が聞こえるようになり、僕は帰ることにした。
「そろそろ帰りたいんだけど」
と僕が言うと、アツシは外の道まで連れて行ってくれた。
「アツシは家に帰らないの?」
林の中から出てこないアツシに向かって僕は言った。それに対してアツシは「うん」と一言だけ答えた。
互いに手を振り合い、僕は祖父母の家に着いた。

「今日は何してたんだい」
祖父がにこにこしながら聞いてきた。孫の様子を知るのが楽しみでしょうがないという感じだ。
「林の中で遊んでたんだ」
「虫をとってたのかい?」
「ううん。男の子と遊んだんだ」
祖父はその言葉を聞いて不思議そうな顔をした。
「男の子?」
「うん。僕より少し年下かな」
「はて、この辺りにはそんな男の子はおらんけどなあ」
祖父は首をかしげる。
「でも確かに遊んだよ」
「貴洋がいうんだからそうなんだろねえ。そうかそうか」
僕は祖父母と両親に、今日のことを話した。
「それで、その子はアツシ君って言ってね」
と僕が言った時だった。僕の両親の顔が引きつった。僕はとっさになにか言ってはいけないことを言ってしまったのだと思い口をつぐんだ。
気まずい沈黙が流れる。
「偶然だよ」
父は母に声をふるわせながら言った。
「何が偶然なの?」
僕は父に聞いた。父はしばらく黙ったままだったが、教えてくれた。
僕には弟がいたらしい。しかし、生まれる直前になりお腹の中で死んでしまったという。そして、その名前がアツシというらしい。
説明し終えると父は黙った。母はうつむいている。僕は、沈黙を破り言った。
「じゃあ、もしかしたら僕は弟と遊んだのかもしれないんだね」

次の日、朝ごはんを食べると僕は昨日アツシと出会った場所に行った。
昨日の帰り道、どう行けばたどり着けるかを覚えていたために簡単に林までたどり着いた。
林の中にはいり、迷わないように、昨日アツシと出会った大きな木のところまで進む。
でも、その木はなかった。確かに、昨日木があった場所には、大きな切り株が残されているだけであった。
もしかしたら場所を間違えたのかもしれない。そう思って林の中を確認するが、やはりその場所があの木の場所な違いなかった。
僕はアツシの名前を叫ぶ。僕の声は木々の間に吸い込まれ消えていく。
僕が昨日遊んだのは誰だったのだろう。もしかしたら、迷子になった僕のところに本当に弟の霊が現れて遊んでくれたのかもしれない。
夏に幽霊なんて怖い話の定番だけど僕はちっとも怖くなかった。
「お兄ちゃん」
その時、僕はアツシの声が聞こえた気がした。だけど、あたりを見回しても誰もいない。
なんとなく視線を落とした切り株の根本の地面の中から、その声が聞こえた気がした。
僕は落ちていた枝と石とを拾い、その場所を掘った。夢中になって掘り続けた。
何か石ではない固いもの感触がしたので、引き上げる。
それは骨だった。
道端で猫の死体が腐って骨だけになっているのを見たことがある。ちょうどそれみたいだった。
でも、僕が今見つけたその骨は、猫の骨なんかではなく、どうやら人間の赤ちゃんの骨のようだった。
僕はびっくりしてその骨を手から落とす。
その時だった。僕の背後で、枝を踏む音がした。
振り返った僕が最後に見た景色は、父が斧を僕に向かって振り下ろす姿であった。

(終了)

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