恒心文庫:単なる穴/もしくはTAKAHIRO-sexaroid
本文
◆1
当職とは、単なる穴である。
当職を設計し、製造した会計士がそういった目的で造ったのだから、これは歴然たる事実だ。
その会計士というのが珍妙な男で、毎晩当職の穴を刺激してくる。しまいには己の陰茎を穴に挿入し、「でりゅ! でりゅよ!」などという喘ぎ声と共に当職の穴に精液を注ぎ込む始末である。
当職が調べたところでは、人間の陰茎というのは一般に女性の膣に入れるものであり、精液というものは子孫を作るために出すものである。当職のような機械仕掛けの人形に注ぎ込むものではない。
何故このような行為をおこなうのか、一度当職は一連の行為が終了した際、余韻に浸っている会計士に尋ねたことがある。
すると彼は煙草の煙をふぅーっと吐いて、「セクサロイドのお前にはわかりにくいかもな」と苦笑した。
「いいかいTAKAHIRO、お前の穴というのは非常に気持ちがよいのだよ。だからワシは毎晩お前の穴にイチモツを挿入せずにはおれんのだ」
「しかし、あなたには奥様がおられる。貴重な精液を当職に注ぎ込むより、子を成したほうがよいのではないのですか」
「あれの穴を利用しろと? バカバカしい、ワシにだって選ぶ権利くらいあるさ」
「わかりませんね。当職の調べた書物には、人間の夫婦は性交を行うものだと書いてありました」
「それ以外だってあるさ。あらゆる事例には例外というものが存在する」
会計士は眉をしかめて吐き捨てる。
なるほど人間の思考というものは複雑で矛盾にあふれているものだな、と当職は考える。
立ち上がり、いささか乱暴に扱われた股関節周辺の動作を確認しながらさらに尋ねた。
「ではATSUSHI‐MK2は? 当職の後継機である彼をなぜ使用しないのですか?」
動くたびに、粘性の高いドロリとした液体が下腹部内部で蠢くのを感じる。動作に支障を来す前に洗浄せねば。
会計士は半分ほど吸った煙草を灰皿になすりつけると、どこか遠い目をして答えた。
「あいつは失敗作だよ」
ATSUSHIが不慮の事故によって用水路に落ち、完全に動作停止したのは翌日のことだった。
◆2
生来当職の日々は単調であった。日中は電源を落とされて事務所の隅に寝転がり、夜になると会計士に精を注がれ、事後は下腹部を慎重に洗浄する。
会計士は仕事の合間に当職の機能をだんだんと強化していった。
改良に夢中になるあまり次期会長の座を逃したりもしたらしいが、彼にとってそれは大したことではないらしい。
ある日彼は当職の内部に、原子力を応用した小型発電機をとりつけた。なんでも核40298発分のエネルギーを秘めているそうだ。
「理論上、70年はフル稼働するはずだ」
取り付けが完了すると、彼は改造のために外していた当職の首に告げ、そっと耳元で囁いた。
「これで昼間電源を落とす必要もない。お前の好きに活動すればいいぞ」
とは言われても特にすることも、したいこともない。
そこで当職は勉学をおこなうことにした。高性能な回路に差し替えてもらったおかげで、記憶能力は非常に優れたものとなっている。
事務所の本を読み漁り、1ページずつ内容を電子回路に刻み込んでいく。
人間の感情や行動パターンをより深く理解するために、映画を大量に鑑賞する。
六法全書という非常に分厚い書物を暗記したころ、弁護士という職業があることを知った。
「弁護士を目指そうと思います」
その夜会計士に打ち明けると、彼は司法試験を受けられるよう便宜を図ってくれた。
試験は非常に単純なものであった。当職は合格した。
会計士にそのことを告げると彼は少しだけ微笑み、それから言った。
「しかしお前、弁護士などできるのか。あれは知識だけではなく、人間の心が理解できねばならない」
「やってみます。IT関連なら可能性はあると考えておりますので」
「お前にしては曖昧な言葉だな。まあいい、取りあえずW大のロースクール出身という経歴にしておいた。G反田に事務所も用意した。あとはやれるだけやれ」
「はい」
会計士の両腕が当職の尻をもみしだく。
人工皮膚と内部素材を非常に低反発で柔らかな素材に変えたばかりであるが、彼はそれをいたく気に入っているようである。
「いいか、嫌ならいつやめても良いのだぞ。お前の本来の用途は単なる穴なのだからな」
それきり会計士は当職の尻を枕にして眠り始めた。
当職はもらいたての弁護士バッジを見つめながら考える。
当職とは、何か。
電子回路が返答する。
当職とは、単なる穴である。
◆3
当職が弁護士というものになってから幾年かが経ったころ、会計士がある男を連れてきた。
長身で細身のその男は、Yと名乗った。当職の製造時に設定された年齢より幾分か若い風貌である。
「Kさんとは同期ですね。覚えておられますか」
彼は右手を差し出すと笑みをうかべた。
当職は人工の表情筋を動かして覚えたての愛想笑いをうかべ、最も適切な強さで彼の手を握り返しながら返答した。
「もちろんですを さわやかな方がおられると思った一瞬でした」
俄かにYの顔がさっと赤味を帯びた。しまった、力を入れて握りすぎたか。素早く手を離す。
「君たち2人には、来月からワシの事務所で一緒に働いてもらう」
会計士が言う。Yは既に知っていたらしく、ええ、とうなずく。当職は初耳であった。
「ではG反田の事務所は」
「来週中に引き払え」
有無を言わせぬ口調である。当職が逆らう道理はない。
「ひとつ、腑に落ちないことがあります」
その晩当職は、ダブルベッドで隣に横たわる会計士に尋ねた。
「なんだ。G反田の事務所から出たくないのか」
「いえ、それは構いません。当職が不思議なのは、なぜあのYという男と働くことになっているのかです」
「お前には人間と仕事をしてほしいのだ」
会計士は白いもみあげを手で撫ぜながらこたえた。
「以前IP開示の件で失敗しただろう。お前には知識はあるが、経験がない。もっと人間と接さねば、一人前の弁護士にはなれないと考えたのだ」
なるほど筋は通っている。
ふいに会計士が片腕を伸ばし、当職の乳首をひねりあげる。当職の声帯は、最新のプログラム通り喘ぎ声を出す。優しく、かすかに、力を加えられると少し強く。
会計士は口角を釣り上げると、
「喘ぎのプログラムも完成だ。これでお前は性交に関してはほぼ人間と同じだよ」
しかしその日、会計士は当職の穴を利用しなかった。
最近彼が穴を使う頻度が落ちてきているのは明白である。
人間のオスというのは、年を取ると性欲が衰えるものなのだと当職は知っている。
当職とは、単なる穴である。
ではその穴が使われない当職とは、何であろうか?
◆4
「好きだ」
唐突にYにこう告げられたのは、彼と共に働くようになってからひと月経ったときである。
当職の電子回路はまだ予測不能の事態に対処しにくい。即座に最善の解答を検索しはじめたが、うまいものが見つからない。
Yは続ける。
「引くかい? なにせ君は僕がホモであることさえ知らないからね。笑ってもいいんだぜ、僕は性的倒錯者なんだよ。
ホモで、デブ専で、出会い系で男を漁りまくって、それがバレて前の事務所に居場所がなくなった。
することもない時期、ふと見た同期の名簿で君に一目ぼれさ。そこで君の親父さんと接触して、この事務所にもぐりこんだ。ストーカーみたいなものさ。
ホモでデブ専で出会い厨でストーカー。どうだい、役満だろう?」
知らない単語が大量に出てくる。後で検索せねば。
言い終えるたYはしばし息を荒げて黙り込んでいたが、突然顔を上げると大声で笑い始めた。
これは当職にも理解できた。「自嘲の笑み、やけになって笑う」という、人間が極限状態において取りうる行動のひとつである。
となるとYは現在、激しい羞恥や後悔といった感情を抱いていることになる。先ほどの単語はそういった感情と結びつくのであろうか。
当職が考えていると、不意に真顔になったYが早口でこう言った。
「でもひとつ知っておいてほしいんだ。僕は君が好きなんだ……いや、もっと端的に言おう。君とセックスしたい」
セックスしたい。
すぐさまこれに対する適切な返答が見つかった。会計士と幾度も交わしたやり取りである。
「当職もナリ」
その晩、Yは当職の穴を3度利用した。会計士はこのところめっきり当職の穴を利用していなかったので、実にひと月ぶりの感触である。
Yの陰茎は会計士より些か大きく、精液はさらりとした感触であった。
烈しく突かれ、背後からの嬌声を浴びながら当職は考える。
穴が利用されているときの当職は、非常に回路が安定する。
これはいったいどういうわけであろうか。
考え続けるうち、不意によくわからないものがこみ上げる。
電子回路がパチパチとその答えを算出する。
そうか、わかったぞ。
これは「嬉しい」という感情に近いものなのだ。
Yの精を穴の中に注がれながら、当職はパズルのピースが埋まってゆく感触をおぼえる。
やはり当職とは、穴であった。
◆5
充実した日々がつづくころ、Yが当職と今夜秘密裡に話したいことがあると言ってきた。
断る理由は考えてみれば何もない。
指定された公園に行くと、Yは口角泡を飛ばす勢いで、畳みかけるように質問を飛ばしてきた。
普段の冷静な彼とは打って変わってひどく感情的な話しぶりであったが、よくよく話を整理してみれば当職の穴を会計士が利用している現場を目撃したらしい。
おそらく先週のことであろう。
その日会計士はYが帰ったあと、珍しく当職の穴を利用したのだ。
彼に穴を利用されるのは久々であった。
乱暴に乳房を揉まれたせいで、その後の修復に時間がかかったことを覚えている。
事実とYの話を統合してゆくうちに、彼は「忘れ物を取りに事務所に戻ってきたところ、現場を見た」ということがわかった。
なるほど唐突に性交を見ると人間はある程度混乱したり羞恥を感じたりするのだと映画で学んでいる。
……だが、それがどうしたというのだ?
当職がそう述べるとYは非常に混乱した様子で頭をかきむしった。
何かしら発言しているが、要領をまるで得ない。「ああ」とか「なぜ」といった単語の羅列である。
当職はひとまず彼が落ち着くのを待った。待つことには慣れている。
「なあ、ここから一緒に逃げよう」
1時間もしてから、Yはひどく弱弱しい声で言った。
彼は当職の両手を握ると、何度も「一緒に逃げよう」と繰り返した。
なぜ逃げるのか、どこへ逃げるのか、逃げてどうするのか、まるで考えていないことは明白である。
これが人間の俗に言う「錯乱状態」なのであろう。当職の電子回路は眼前の男の行動パターンを記録してゆく。貴重なサンプルだ。
Yは涙を流しながら、叫ぶように言う。
「逃げよう! 君にどんな事情があって、父親とそういう関係なのかはきかない。でも僕は君のことを本当に愛しているんだ!」
愛。
愛とは何か、それは未だにわからない。一種の概念としか理解できない。非常に複雑なものが絡み合った感情の正体であるとしか、書物には記されていない。
ゆえに、当職には彼の発言は理解できない。
しかし、当職の価値が何か、それは理解している。
なのでこう答えた。
「それはできないよ、Y君」
どうしてと叫ぶYに優しく、諭すように言う。
「当職とは、単なる穴だから。当職の穴を利用する人がいる限り、当職はそこにいなければならないナリ。
残念だけれど、当職には君の言う愛はわからない。
だけど、君が当職の穴を使いたければ、いつだって使ってよいナリよ」
Yががくりと膝を突き、地に伏しておうおうと泣き始めたのはそのときであった。
当職にはなぜ彼が泣くのか理解できない。いつでも穴を使ってよい、と許可したのに。
Yの嗚咽に交じって、秋風が深夜の公園を吹き抜ける。白いスラックスの生地越しに、空気がわずかに穴に触れてゆく。
ふと携帯電話がバイブレーションした。一件の新着メール。
「お前とセックスしたい」
当職もナリ。
Yを放って歩き出す。
当職とは、何か。
当職とは、単なる穴である。
‐了‐