恒心文庫:タカヒロパパ
本文
唐澤洋の朝は早い。
日も登らない朝靄の内、鳥のピーチクパーチク囀る声で目を覚ます。
薄ぼんやりとした意識、その曖昧な視界を天井の木目が覗き込んでいる。息をすると、節々は鈍く軋む。緩やかな時間の中、どこか張りつめた沈黙が身体を寝床に押しやっているのだ。
唐澤洋は一度深く息を吸うと、何とか首をよじって横を見た。横には、同じように天井をじつと見る横顔が見えた。
唐澤貴洋である。目を覚ました唐澤洋と同じように、天井をじつと見つめ、しかし動かない。そのガラス玉みたいな目玉に、天井の木目が引き伸ばされて映っている。
まるで睨みつけているかの様に。
洋は起きたばかりのはっきりとしない意識のまま、何と無く身をプルリと震わせて、一言囁く。
「おはよう貴洋。起きてたのか?もう少し寝ていてもいいんだぞ」
低くかすれた、しかし心優しい声が部屋に響く。思いのほか通ったその声は、そのまま静寂へと溶けていく。貴洋は動かない。
洋はやるせなくなって、低くかすれた声で、口早に続けた。
「目が覚めたなら、ご飯を食べようか。お父さんがおいしいご飯をつくるから、さっ、起きような」
洋は重く凝った身体を力ませ、枕から頭を持ち上げていく。その動きに引っ張られるように、唐澤貴洋もゆっくりと身を起こした。布団がはだける。
途端、強い臭いが部屋を覆った。腐臭である。どこか覚めた笑みを浮かべた洋、その腰元、汁をぬらぬらと滲ませた紫斑から枝分かれするように、唐澤貴洋の上半身が力無く揺れているのだ。
洋の笑みが高速でヒクついている。身体を蝕み、つんざくような痛みが、絶えず走りまわっているのだ。のけぞるようにして揺れている貴洋の口の端から、ごぷぉと泡立ちながら薄く濁った汁が幾筋にも垂れる。垂れて畳に広がった液の中で、無数の糸が肉感的に蠢いている。
ピーチクパーチク。ピーチクパーチク。庭先で囀る小鳥が、痛みに耐える洋の頭を突いて回り、すぐに離れてはからかう様にして、また囀る。
「あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
唐突に唐澤洋は身をよじりながら叫ぶ。貴洋との接合面がみちみちと音を立てて溜まった膿を断続的に噴き出すが、それでも唐澤洋は叫ぶ。ピーチクパーチク!!!!!ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ピーチクパーチク!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!!
洋は接合面に爪を立てていた手を跳ね上げる様にして自分の胸元に持ってくると、その先端部分、黒い両ビーチクを力まかせにねじりあげた。
強烈な痛みが、頭をつんざく。
気づけば、洋は寝床の上に立っていた。横を見れば、貴洋が揺れている。まるで洋を急かすかの様に、手を振っている。
そうだ、貴洋と一緒にご飯だ。
洋は澄み渡った頭でそう一言呟くと、不恰好に歩きだした。
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- 初出 - デリュケー タカヒロパパ(魚拓)