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恒心文庫:「さようなら、唐さん」

提供:唐澤貴洋Wiki
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本文

「君もとうとう行ってしまうナリか」
荷物の整理を続ける男の背中にぽつんと言葉が投げられた。
男の手は1度止まったが、振り向くことは無い。
「はい」
その言葉に対する答えは簡潔だった。そして、男は先ほどと同じ手つきで荷物の整理を続ける。

相も変わらず重苦しい空気が流れ、窓の外からさあさあと雨が降り続く音がだだっ広い部屋に木霊していた。
「君も山本くんも、随分急ナリ」
「…」
「なにか理由があるナリか?説明してほしいナリ」
急に近くなった声に、男は再び手を止めて振り返る。すぐ背後には彼が立っていた。
こうなってしまったら無能な人間にはもう逃げることはできない。
「俺たちが、どんなことがあっても唐さんの傍にいたのは…あなたが好きだったから」
観念した男は、自嘲気味に呟いた。彼は常に浮かべている薄い笑みを浮かべたままだ。
「でも、もう…駄目なんです」
「なぜ」
理由を促されて、息を吞む。正直、この先を言うのは躊躇われた。
先立って此処を離れた“山本”も、このことは口に出すことなく此処を発ったはずだから。
けれども――
「あなたを愛してしまったから。心の底から…だから離れるしかない」
溢れ出た想いは、容易く心の淵から溢れ出す。その告白に対して、彼は少しばかり大きく目を見開いただけだった。
「…なら、余計にここから離れる意味はないナリ」
「駄目です。駄目なんです。」
縋るような声を振り切るようにかぶりを振る。彼の手を縋れば優しい世界に戻れるのだろう。彼と二人だけの。
でも、それでは駄目なのだ。
彼の優しさに、魅力に堕ちるだけ堕ちたその先に待っているのは底の知れぬ闇なのだから。

男はまとめた荷物を持つと、ぎこちなく足を動かして出口へと向かった。もう振り向かない、振り向けない。
彼ももう、何も言わなかった。
最期に部屋を出るその時に、男はぽつんと言葉を漏らした。
肺が震えて苦しく、もしかしたら外の雨音にかき消されたかもしれなかった。
けれどもそれでいいと男は思った。
「さようなら、唐さん」
情けないほどに震えて歪んだ言葉など、貴方は知らなくていいのだから。

タイトルについて

この作品は公開された際タイトルがありませんでした。このタイトルは便宜上付けたものです。

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