「恒心教の歴史」の版間の差分

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==2022年==
==2022年==
===マヨケー乗っ取り騒動とカラケー内乱===
2022年1月17日、当時のメインケーである[[マヨルカ島掲示板]]が突如機能不全に陥った。
副管理人、[[島田「にかい」]]によれば、所有していた管理パスワードが漏出し、マヨケーが乗っ取られたとのことであった。島田「にかい」の証言によれば、彼が{{wpl|楽天モバイル}}店舗でスマホの機種変更をした際、担当した従業員が廃棄スマホを元[[飯塚軍]]幹部の[[定永紘幸]]に横流ししたという。この件を受けて、一部の教徒達は定永に対して大量の[[贈り物路線|物品送付]]などの報復攻撃を行った。
同月19日、「マヨケー後のメイン候補」として、防弾鯖上に[[楽天モバイル被害者の会掲示板]](ラヒケー)が設立され、飯塚騒動の拠点となる(後述)。
同月28日、マヨケーは復活したが、ごるだっく(マヨケー管理人)により島田にかいが副管理人を解任されたことを皮切りに、島田にかいに対する批判が噴出し、加えて「対応が遅かった」「自分の非を棚に上げて態度が高圧的」としてごるだっくも批判を浴びた。
さらに島田にかいの定永主犯説についても、真偽が検証されるにつれて矛盾点が発見され、懐疑派が増加し大荒れとなる(この不審点の全貌解明は翌年の[[蓬田治都]]を巡る裁判を待つこととなる)。島田にかいが確たる証拠を出さないことや、不確定情報に基づいて[[悪芋]]行為を行う教徒達に対する批判も激化した。
また、当時尊師を除く周囲のハセカラファミリーの話題が枯渇傾向にあり、[[学術教徒|学術路線]]の流行から一般の話題を語る専門サブケーがにわかに注目を集め、[[なんJ]]への先祖返りのような形でカラケー民の分化が進んでいた。対してこれを良く思わないものたちは、この混乱と同時に学術路線中心地の[[バリュケー]]等、新興サブケーやコテハンへの批判を噴出させることとなった。バリュケー側もこれに反発する形で[[メノケー]]やごるだっくへの批判が飛び交うようになり、カラケー同士の抗争が懸念された。
複数名の[[甘芋]]化や敵対陣営の追放殲滅を目論む極端な言説も展開されるようになった中で、対立状態は一応の収束となるも、以降も不定期的にカラケー間で対立が起きる緊張状態となった。
===恒心アニバーサリー===
[[3月7日]]、遂に[[ハセカラ騒動]]が勃発から10周年を迎えた。そんなおめでたい([[長谷川亮太]]や[[包皮民]]などにとっては忌々しい)記念に、[[動画ニキ]]や[[サンラクシャカ]]など懐かしい顔ぶれもメッセージを送った。
その一方で[[ゆゆうた・サウプロ騒動|2年前の事件]]の爪痕や全盛期と比べての衰退も激しく、今後の恒心教のあり方を10周年の節目に検討する必要がある。
===約束の地[[なんJ]]分裂、なんG誕生===
十周年が過ぎた頃、なんJでハードウェア障害が発生し、避難所として何でも実況ガリレオ板(なんG)が新設された。
その後なんJは復旧したものの、なんGに移った人口は戻らず徐々なんGに定着していき、程なくしてなんJは5ch最多書き込み板の座をなんGに明け渡すこととなった。
===犯行予告多発===
{{see also|爆破予告#2022年の爆破・誘拐予告}}
2022年の5月半ば頃から、爆破予告が黙殺される傾向が強いことを受けて、より着弾率をあげる為、[[子共]]を対象にした「誘拐予告」の論文が全国の自治体に投下されるようになった。
しかし、あまりに大量の誘拐予告がなされた影響で生活に支障をきたした教徒が発生したり、前述した[[定永紘幸]]などの不確定情報に基づいた論文が投下されるなどの状況から、これを批判する声も根強かった。
=== 半グレ称賛 ===
=== 半グレ称賛 ===
[[File:Gaasee.jpg|200px|thumb|right|唐澤貴洋の投票用紙]]
[[File:Gaasee.jpg|200px|thumb|right|唐澤貴洋の投票用紙]]
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また同社に纏わるツイートを抜きにしても、[[甘芋]]のような明らかに精神的な異常をきたしている発言が目に見えて急増しており、笑える豚から笑えない豚になっている。
また同社に纏わるツイートを抜きにしても、[[甘芋]]のような明らかに精神的な異常をきたしている発言が目に見えて急増しており、笑える豚から笑えない豚になっている。


===マヨケー乗っ取り騒動とカラケー内乱===
===飯塚騒動・荒連戦役終戦===
2022年1月17日、当時のメインケーである[[マヨルカ島掲示板]]の副管理人、[[島田「にかい」]]が所有していた管理パスワードが漏出し、マヨケーが機能不全に陥った。
上述の年初に発生したマヨケー乗っ取り事件もあり、飯塚騒動もやはり引き続いていた。乗っ取り事件をきっかけとして再発した2022年の飯塚騒動は、次期メインケー候補として設立されたラヒケーを中心に繰り広げられた。
 
島田「にかい」の証言によれば、彼が{{wpl|楽天モバイル}}でスマホの機種変更をした際、担当した従業員が廃棄スマホを元[[飯塚軍]]幹部の[[定永紘幸]]に横流ししたという。この件を受けて、一部の教徒達は定永に対して大量の[[贈り物路線|物品送付]]などの攻撃を行った。
 
同月19日には「マヨケー後のメイン候補」として、防弾鯖上に[[楽天モバイル被害者の会掲示板]](ラヒケー)が設立されるが、同月28日にマヨケーは復活した。ごるだっく(マヨケー管理人)により島田にかいが副管理人を解任されたことを皮切りに、島田にかいに対する批判が噴出し、加えて「対応が遅かった」「自分の非を棚に上げて態度が高圧的」としてごるだっくも批判を浴びた。
 
上述した島田にかいの定永主犯説についても、真偽が検証されるにつれて懐疑派が増加し大荒れとなり、彼が確たる証拠を出さないことや、不確定情報に基づいて[[悪芋]]行為を行う教徒達に対する批判も激化した。
 
また、この混乱と同時に[[バリュケー]]等の新興サブケーにおけるコテハンへの批判も噴出する事となった。バリュケー側もこれに反発する形でメノケーやごるだっくへの批判が飛び交うようになり、カラケー同士の抗争が懸念された。掲示板間での教徒の価値観の違いが浮き彫りになったのはメイン・サブ間のみならずサブケー内でも同様であり、後述の[[#飯塚騒動・荒連戦役終戦|飯塚騒動]]の話題を中心に扱う[[楽天モバイル被害者の会掲示板]]、通称ラヒケーはノヒケーからの容赦ないバッシングにラヒケー管理人が激怒したことで閉鎖する事件も発生した。
 
複数名の[[甘芋]]化や敵対陣営の追放殲滅を目論む極端な言説も展開されるようになった中で、対立状態は一応の収束となるも、以降も不定期的にカラケー間で対立が起きる緊張状態となった。
 
尊師を除く周囲のハセカラファミリーの話題が枯渇していく中で、一般の話題を語る専門サブケーに移る教徒が増加、[[なんJ]]への先祖返りのような形でカラケー民の分化が進んでいる。
 
===恒心アニバーサリー===
[[3月7日]]、遂に[[ハセカラ騒動]]が勃発から10周年を迎えた。そんなおめでたい([[長谷川亮太]]や[[包皮民]]などにとっては忌々しい)記念に、[[動画ニキ]]や[[サンラクシャカ]]など懐かしい顔ぶれもメッセージを送った。
 
その一方で[[ゆゆうた・サウプロ騒動|2年前の事件]]の爪痕や全盛期と比べての衰退も激しく、今後の恒心教のあり方を10周年の節目に検討する必要がある。
 
===約束の地[[なんJ]]分裂、なんG誕生===
十周年が過ぎた頃、なんJでハードウェア障害が発生し、避難所として何でも実況ガリレオ板(なんG)が新設された。
 
その後なんJは復旧したものの、なんGに移った人口は戻らず徐々なんGに定着していき、程なくしてなんJは5ch最多書き込み板の座をなんGに明け渡すこととなった。


===犯行予告多発===
5月には、荒らし連合軍などと組んで最後まで抵抗を続けていた飯塚軍の定永が降伏したことで騒動の終結とも言われたが、実際降伏自体が不確定なものであったこともあってしばらくは続くこととなった。
{{see also|爆破予告#2022年の爆破・誘拐予告}}
2022年の5月半ば頃から、爆破予告が黙殺される傾向が強いことを受けて、より着弾率をあげる為、[[子共]]を対象にした「誘拐予告」の論文が全国の自治体に投下されるようになった。


しかし、あまりに大量の誘拐予告がなされた影響で生活に支障をきたした教徒が発生したり、前述した[[定永紘幸]]などの不確定情報に基づいた論文が投下されるなどの状況から、これを批判する声も根強かった。
しかし[[トーク:島田「にかい」#本人の説明に基づく記載の扱いについて|島田「にかい」による乗っ取り事件に対する証言の信憑性に関する議論]]が高まっていくのを受けて、飯塚騒動に参加する教徒が不確定情報をまるで事実のように取り上げ検証することなく攻撃を行っている、[[ゆゆうた・サウプロ騒動]]における反省がまったく生かされていないことにメスが入る。反対派からは飯塚騒動は炎上依頼であったなどという言説も聞かれる様相になった。


===飯塚騒動・荒連戦役終戦===
掲示板間での争いが目立ったこの年、教徒の価値観の違いが浮き彫りになったのはメイン・サブ間のみならずサブケー内でも同様であり、後述の[[#飯塚騒動・荒連戦役終戦|飯塚騒動]]の話題を中心に扱うラヒケーはサブのひとつ[[ノヒケー]]からの容赦ないバッシングを受けた。
年初には上述のマヨケー乗っ取り事件もあり、飯塚騒動もやはり引き続いていた。乗っ取り事件をきっかけとして次期メインケー候補としてラヒケーが設立され、話題はここを中心に繰り広げられた。5月には、荒らし連合軍などと組んで最後まで抵抗を続けていた飯塚軍の定永が降伏したことで騒動の終結とも言われたが、実際降伏自体が不確定なものであったこともあってしばらくは続くこととなった。


しかし[[トーク:島田「にかい」#本人の説明に基づく記載の扱いについて|島田「にかい」による乗っ取り事件に対する証言の信憑性に関する議論]]などを皮切りに、飯塚騒動に参加する教徒が不確定情報をまるで事実のように取り上げ検証することなく攻撃を行っている、[[ゆゆうた・サウプロ騒動]]における反省がまったく生かされていないことにメスが入る。
ノヒケーではラヒケー管理人の金銭トラブルでの言動が批判を惹起しアンチスレが立てられ、飯塚騒動に否定的な風潮が目立ってくるようになった(なお、メインである[[マヨケー]]では、前年から「臭芋やカルマが路線に蓄積されている」として飯塚騒動に関連する話題を禁止していたため、まったく話題にされていない)。


前年から「臭芋やカルマが路線に蓄積されている」として飯塚騒動に関連する話題を禁止していたマヨケーではまったく話題にされず、サブのノヒケーではラヒケー管理人の金銭トラブルでの言動が批判を惹起しアンチスレが立てられるという飯塚騒動に否定的な風潮が目立ってくるようになった。ついにはノヒケーのアンチスレに自ら出向いたラヒケー管理人が強烈に煽られたことで怒りのあまりラヒケーを閉鎖させる事件が起き、次期メインとも言われた防弾カラケーは1年と経たず消滅した。
ついにはノヒケーのアンチスレに自ら出向いたラヒケー管理人が強烈に煽られたことで、怒りのあまりラヒケーを閉鎖させる事件が起き、次期メインとも言われた防弾カラケーは1年と経たず消滅した。


規模の大きいカラケーでは禁止令が敷かれ人口の少ないカラケーを利用せざるをえなくなったため、ラヒケー閉鎖以降騒動参加者は厳しい立場を強いられ、反対者から飯塚騒動は炎上依頼であったなどという声も聞かれる様相になっている。
マヨケーでは禁止令が敷かれ人口の少ないサブケーを利用せざるをえなくなったため、ラヒケー閉鎖以降騒動の中心を失い、なし崩し的に終戦に至った。


==2023年==
==2023年==
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