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{{年表一覧||恒心予定表}}
恒心教の歴史(こうしんきょうのれきし)では、各年ごとに[[恒心教]]の歴史について記述する。詳細な歴史については個別記事と[[恒心年表]]を参照。
 
==前史==
騒動の発端となった2ch[[なんJ]]板は元々2009年に野球ch難民が過疎板を乗っ取り、野球実況を中心とした雑談板になったという過去からも分かるように、住民は野球観戦が趣味というその性質から他板の住人に比べ荒い気性を持っていた。また「巨人小笠原スレ」に代表されるネタ文化があり、実在の人物をネタにして遊ぶことに慣れており躊躇もなかった。この気質・文化がこの騒動を後にここまで大規模な物に昇華させた一因であるとも言われている。しかも多数の学校裏掲示板など避難所として乗っ取っていた関係で外部侵攻の経験も豊富であった。
 
当時のなんJは現在のようにまとめブログに寄生されておらず人口も今ほどは多くなく、内輪的なノリが強かった。これはコテハンにとって居心地のよい環境であり、なんJでは[[なんJ民|多くの糞コテ]]が活動していた。その中でも、騒動の元凶となったなんJの糞コテ「[[八神太一]]」は3年間に渡り煽り投稿や自分語りスレの乱立を繰り返してたことから当時のなんJ民からは別格で嫌われていた。
 
八神特定の少し前である2012年1月に炎上した[[篠田健太郎]]はTwitterやGoogle+などの情報から特定されており<ref>八神太一=長谷川亮太も特定活動に参加していた</ref>、この時点で現在でも主流であるネット上にあるパズルのピースを頼りに個人情報を特定する手法が確立されていた。
 
そして、プロ野球シーズン開幕が近づき住民が活気づき始めた状況で3月7日を迎えることとなる。
 
==2012年==
===八神太一特定と無差別開示===
[[ファイル:合格通知書.jpg|thumb|200px|すべての起点]]
[[3月7日]]、前日から一部なんJ民やなんJコテ[[アワー]]などから猛烈に煽られていた八神太一が大学の合格通知書をアップ。これをきっかけに進学先([[国士舘大学]])、母校([[千葉経済大学附属高等学校|千葉経済]])、mixiアカウントが明らかになり、ここから本名([[長谷川亮太]])等々が特定される。[[謝罪風脅迫|一切謝罪せず脅迫して鎮火しようとした]]挙句に[[いつとは言わんが以前ガチで同じクラスだっただけになんとも言えないですわ・・・・・・|自演に失敗する]]、[[恒辞苑:ら行#ログ速|ログ速]]([[ちばけんま|疑惑住所]]等の個人情報が書かれたスレや[[稲垣千尋#八神太一だが暇だから「初体験」の思い出でも語るわ|元カノとの初体験記スレ]]等)で削除依頼を行う、[[なんJ用語集_Wiki#長谷川亮太による削除|なんJWikiを閉鎖に追い込んでなんJ民全体を激怒させる]]など、あらゆる初期鎮火行動も悉く裏目に出たことで失敗し、ますます炎上は拡大していった([[長谷川亮太#特定されるまでの経緯|八神太一特定騒動]])。
 
過去の[[自分語り]]から発掘された未成年飲酒疑惑による大学進学取り消しを恐れたのか<ref>後に現れた[[ニセフェ|長谷川亮太を名乗る人物]]はアワーなどの入学式凸の抑止が目的であったと語っている</ref>、長谷川亮太は当時[[アイオス五反田駅前]]にあった[[恒心綜合法律事務所]]の弁護士[[唐澤貴洋]]を雇い、誹謗中傷者のIPアドレス[[開示]]を行うことで再度炎上の鎮火を試みた。
 
そして3月28日に唐澤貴洋は長谷川亮太関係の誹謗中傷レスに対し開示請求を実行([[平成24年(ヨ)第1035号]])、このなんJ史上初めての事態にこれまで長谷川亮太をネタにしてきたものたちは驚愕した。
 
だが唐澤貴洋は当初こそ恐れられていたものの、[[恒辞苑:か行#カンマが統一出来ていない|カンマが統一できていない]]、というか[[尊師語録|全体的に日本語が変]]、[[唐澤貴洋の発言一覧/スパムブログ|宣伝ブログ]]を乱立する、[[パカ弁]]なのに[[ニート君|2chでスレを立てる方法を知らない]]、なんJを監視していることがバレる([[恒心綜合法律事務所Twitterアカウントのフォロー一覧|アイドル大量フォロー]]事件<ref>唐澤貴洋がなんJのスレでtwitterでのアイドル大量フォローを指摘された直後にtwitterアカウントに鍵をかけたため、なんJを監視していることが判明した事件</ref>)、[[唐澤貴洋の開示一覧#17回目 (NSMR)|大昔のスレに開示請求して失敗する]]などツッコミどころが多く次第に馬鹿にされるようになってしまい、なんJ民は唐澤貴洋に対しても誹謗中傷を行うようになってしまった<ref>もともとなんJは野球選手はじめ実在の人物をネタにすることを躊躇しない風潮が強く、たとえ弁護士であろうと同様であった。むしろ「弁護士は一般人ではないのでセーフ」という風潮もあった</ref>。
 
これに対し唐澤貴洋は、長谷川亮太そっちのけで自身に対する中傷に対し5月から6月にかけて3回にわたるIP開示攻勢を開始([[無差別開示]])、少し唐澤貴洋に触れた程度のレスに対しても開示請求を行い始めた。
 
しかし3月のIP開示を経験し、実害がまるでない<ref>電話番号だけ分かっても氏名は分からないのと同じで、唐澤貴洋がIPを開示しただけで後のこと(IPからの発信者の特定、その後の訴訟)を何もしなかったため。ちなみに自分のことに関しては後々になって特定→訴訟をしている([[300万騒動]])が、遅きに失した</ref>ことを知ったなんJ民にとって、これは火に油を注いだだけに過ぎなかった。なんJは唐澤貴洋による開示を狙うものたちによる誹謗中傷やネタ投稿、[[サジェスト汚染]]で溢れ、騒ぎは鎮火どころかさらに燃え広がっていった。
 
この両者の炎上騒動は後に[[ハセカラ騒動]]、チンパカ騒動などと名付けられ、今日まで燃え続けている。
 
=== 前恒心時代の文化 ===
[[ファイル:朝倉.jpg|thumb|200px|長谷川亮太]]
[[ファイル:KRSW.png|thumb|200px|唐澤貴洋]]
この無差別開示を経て唐澤貴洋ネタはなんJに定着、「弁護士スレ」「唐澤スレ」などと呼ばれる文化が興った。
 
唐澤貴洋は無差別開示が終わった6月以降、翌2013年7月までまったくといっていいほど動きを見せなくなり、当時のスレは二次創作で食いつなぐことになった。当時すでにロリコン、[[脱糞]]、[[唐澤厚史|弟殺し]]、[[用水路]]、[[核兵器]]保有など今日につながる様々な二次創作・設定が誕生している。唐澤貴洋が顔写真のかわりに[[イラスト|ふざけたイラスト]]を掲載していたことも唐澤貴洋の偶像化・[[過度な神格化|神格化]]・非実在弁護士化に拍車をかけた。
 
また開示を拒否した[[ヤーマン]]や、独特の誹謗中傷スタイルで有名となった[[島根君]]、初の殺害予告([[神聖六文字]])を投稿した[[dion君]]などの[[チキンレーサー]]も文化の形成に大きな影響を与えた。
 
4月、なんJで話題になったウェブサイト「遊戯王カードジェネレーター」に唐澤貴洋を馬鹿にした作品が多数投稿され、ここに最初の[[芸術路線]]が誕生した。これに対し唐澤貴洋は、遊戯王カードジェネレーターの管理人[[JEX]]に対して削除要求を行い([[JEX#遊戯王カードジェネレーター騒動|遊戯王カードジェネレーター騒動]])、無差別開示と共に炎上を盛り上げた。JEXは、削除は実施しつつその裏でサジェスト汚染の技術を解説する<ref>JEXが普及したことは事実であるが、なんJに伝えたわけではない。サジェスト汚染技術はすでになんJでも一部で知られており、そのたぐいの投稿は既に行われていた</ref>などしてなんJ民を支援した。
 
10月には自動作曲システム「[[Orpheus]]」がブームとなり、これを利用して[[パカソン]]と呼ばれる唐澤貴洋や長谷川亮太を誹謗中傷する曲が大量に作成されるようになった。Orpheus開発チームの[[嵯峨山茂樹]]教授は不穏すぎる楽曲は削除していたものの、一方で技術やセンスを認めた上で隔離しその中で作成を黙認する方針を取ったためパカソンは大量に作成され、誹謗中傷の域を越えたクオリティーに成長し芸術路線を支えた。パカソンは[[大犯罪者デグニキ]]らによって[[ニコニコ動画]]に転載され布教に効果をあげた。
 
[[事実追求路線]]も発展し、9月26日には住所でポン!により唐澤貴洋の父[[唐澤洋]]の家であり唐澤貴洋の実家とされる[[田園調布サティアン]]が、10月19日にはその唐澤洋の顔写真が特定された。長谷川亮太サイドでは3月15日になんJ民[[朝倉恭介]]によって長谷川亮太の顔写真が開示され、実家も自分語りをもとに[[ちばけんま特定の軌跡|千葉県松戸市六高台2-7-83(ちばけんま)と推定された]]。[[ちばけんま]]は2013年4月7日に長谷川亮太の元同級生[[佐伯星香]]がtwitterで事実であることを証言したため確定した。
 
===恒心教の成立===
[[ファイル:Chibakenma-03.jpg|thumb|200px|聖地ちばけんま]]
そしてこの文化にはコンテンツとしての新しい名前が与えられた。それが「恒心教」である。
 
恒心教の始まりは無差別開示と同時期に起きていたなんJでのオウムネタブームが関与している。当時、「[[NHKスペシャル 未解決事件 File.02 オウム真理教]]」(5月26日放送)をきっかけとしてなんJでは[[オウム真理教]]・[[麻原彰晃]]ネタが流行しており、当時は唐澤貴洋に対するサジェスト汚染が活発であったことから汚染ワードとして多く用いられた。これが唐澤貴洋ネタと融合し「[[尊師]]」が唐澤貴洋の愛称として定着、そして「尊師」の愛称と共に「恒心教」という単語も誕生したとみられる。
 
ただし、単語自体は7月には確認されているものの定着はそれよりも後と見られ判然としない。カラケーにおいては3代目カラケーの頃には定着しているがなんJではそれより遅く、完全な定着は翌2013年の[[300万騒動]]を待つと思われる。
 
==2013年==
===カラケーの発展===
2012年10月には既に2ch風掲示板大手の[[したらば掲示板]]を利用して初の唐澤貴洋掲示板([[カラケー]])である[[唐澤貴洋掲示板(初代)|初代カラケー]]が開設されていたが、当時はなんJで十分であったため人口は少なかった。[[唐澤貴洋掲示板(2代目)|2代目カラケー]]は2013年3月10日の[[唐澤貴洋の卒アル開示事件|唐澤貴洋の中学の卒アルが投稿され]]話題になったが管理人の対応の不手際で閉鎖するなど、カラケーの存在感はまだ薄かった。しかし2013年4月頃から始まった[[ちばけんま]]を書き込んだだけで規制されるほどの2ch規制地獄化がきっかけとなり、なんJからの難民が[[唐澤貴洋掲示板(3代目)|3代目カラケー]]に殺到し人口が大幅に増加した。
 
3代目管理人は芸術路線を中心とした当時の恒心教の振興に務め、カラケーが恒心教の一拠点として認識され始めた。また一方でこれはなんJ民と教徒の分離の始まりでもあった。6月には[[飴戦争|第一次・第二次飴戦争]]が勃発し、外部侵攻の技術が磨かれた。長谷川亮太の親戚の蕎麦屋・[[越後屋]]が見事に特定されたのもこの頃である。
 
しかし、3代目管理人はニコニコ動画のアカウント([[佐々木小魔神]])が特定されたことをきっかけに、氏名や大まかな住所が判明し7月2日に掲示板を閉鎖。この際に「唐澤貴洋から抗議された」と真偽不明の発言を行い、これを閉鎖の理由とした。
 
3代目管理人の「唐澤貴洋から抗議された」という発言のため、教徒は日本からの手が及びにくい海外サーバーに掲示板を開設することを計画し、7月6日にハンガリーサーバーを利用した「[[ハンガリー要塞]]」を開設した。だが、管理人が海外移住の意味を理解せず日本警察のIP開示に応じてしまい、批判される中7月13日に閉鎖し初の海外要塞路線は短命に終わった。
 
=== 第1次聖遷と300万騒動 ===
[[ファイル:さんびゃくまん4.jpg|thumb|200px|dion君への脅迫文]]
7月1日、事務所をアイオス五反田駅前から[[ピュア虎ノ門]]に移転した([[聖遷]])。そして7月31日、事務所のfacebookアカウント上でdion君など殺害予告民を告訴し300万を請求していることを突如報告、翌日の8月1日に教徒がこの書き込みを発見し[[300万騒動]]が勃発する。
 
もはや行動を起こすこともないと思われた唐澤貴洋のこの動きに対し、なんJ民・教徒は大きく動揺した。これまでの誹謗中傷に対する告訴の可能性が真剣に議論され、唐澤貴洋は「[[五反田]]の神」から一転し「[[虎ノ門]]の悪魔」として恐れられた。
 
さらに、なんJのライバル的存在である2ch嫌儲板の住民がこれに歓喜、唐澤貴洋に加勢してカラケーに侵入し[[唐澤貴洋掲示板#メイン|メインカラケー]]が相次いで自主閉鎖するなど情勢は緊迫した。唐澤貴洋は嫌儲民を「[[心ある方々]]」と呼んで讃えた<ref>ただし、嫌儲民はfacebookのポエム連投や後の口だけ集団訴訟などで早々と愛想を尽かしている</ref>。
 
だがdion君以降告訴されたとの情報も無く、やがて口だけの脅しではないかとの見方が強まった。その後8月26日に[[2ちゃんねる個人情報流出事件]]が発生すると、自身のクレジットカード情報が流出したことにキレたのか唐澤貴洋の矛先は[[西村博之]]ら2ch運営に向かいはじめ、300万騒動の方は収束に向かった<ref>2015年アサケーに現れた自称dion君によると実害は無かった模様</ref>。
 
=== 恒心を引き出す ===
[[ファイル:新宿尊師.jpeg|thumb|200px|初の尊師ール]]
300万騒動も終わり、教徒に落ち着きが戻った。一方の唐澤貴洋は嫌儲民に持ち上げられたためか調子にのってしまい、おかしな文章を投稿するようになっていた([[尊師語録]]、[[唐澤貴洋の発言一覧/Facebook]]を参照)。唐澤貴洋のfacebookは「[[faithbook]]」と呼ばれ崇拝対象となった。
 
教徒は連日の[[恒心]](更新)に熱狂し、なんJや当時のメインカラケーである[[カラザイル掲示板]]は大きく賑わった。やがて恒心を待ちきれない教徒たちの間で唐澤貴洋から恒心を引き出そうという動きが発生し、「唐澤貴洋が猥褻動画を見た」などというデマを流したところ本人が大激怒、10月16日の[[Plays Now騒動]]に結びついた。
 
また、2012年に教徒に誘導され唐澤貴洋に開示を依頼した[[うしじまいい肉]]の事例が応用され、[[重光由美]]が教徒に誘導されて唐澤貴洋に開示を依頼、唐澤貴洋の雑仕事の犠牲者となる形で恒心を引き出した。
 
12月1日には[[大分君]]の殉教により、騒動初となるテレビ報道が行われた。
 
他にも[[尊師ール]]路線が開拓され、[[名古屋教徒]]らによって各地にシールが貼られるなど地道な努力が行われた。
 
===恒心不足と批判要望板 ===
[[ファイル:一英お悔やみ.jpg|thumb|200px|河野一英死亡デマの偽新聞記事]]
しかし、教徒の力で引き出すことにも限界があった。唐澤貴洋は[[エクシード大泉]]在住疑惑に対する恒心を行った11月23日をもってfaithbook恒心を停止しており、恒心中毒となっていた教徒は恒心不足にあえいでいた。また、これに乗じて2013年末から2014年初にかけ[[唐澤千紘|偽台帳事件]]や唐澤貴洋の祖父[[河野一英#死亡デマ|河野一英の死亡デマ]]、[[偽車内広告事件]]といったコラ画像による釣りが相次いだ。
 
追い打ちをかけるように10月特定コミュニティを原因<ref>特定コミュニティには恒心以外にふたば二次裏などがあり、一時休止の原因が恒心だったかには議論がある</ref>として[[Orpheus#末期|Orpheusが一時休止]]を発表し、パカソンの新規作成が不可能となっていたため芸術路線も衰退しつつあった。
 
恒心不足に喘ぐ教徒は外部に活路を求めた。12月19日に[[パカ弁]]富田寛之が話題となると、パカ弁の開示要請スレの拠点となっていた[[批判要望板]]に教徒が遠征、[[立川土人]](ドコモユーザー)をはじめとする批判要望板住民と共闘してパカ弁煽りがブームとなった。また、当時JEXが公開していたサジェスト汚染超兵器[[JEX#102ch騒動|102ch]]の実験台としてパカ弁や依頼人のサジェストが汚染された。
 
パカ弁には唐澤貴洋には及ばずとも濃いキャラの人物が多く、恒心不足をある程度補った。
 
==2014年==
=== 片平騒動 ===
教徒では布教の一環として、ちばけんまの住所などハセカラネタを仕込んだ画像を流通させまとめブログなどに転載させようとする工作を行っていた([[統一画像]]路線)。しかしまとめブログ側も気付いていたようでなかなか成功していなかった。そのため、改良型である偽装gif画像<ref>一見普通の画像だが、gifアニメーションを利用して時間が経つと殺害予告などが表示される</ref>が作成され、ついに2月7日、「ポケモンまとめ速報」がこの画像にひっかかり転載してしまい話題となった。
 
布教の成功に喜ぶ教徒あったが、Whoisからポケモンまとめ速報の運営者[[片平亘]]が特定されたことで事態は一変する。これをきっかけとしてWhoisからまとめブログの運営者を特定できる可能性があることが発覚、その話は直ちになんJや嫌儲に伝わり、まとめブログ・アフィブログ潰しを目的とした大騒動に発展したのである([[片平騒動]])。
 
当初は片平亘を唐澤貴洋に謝罪させようなどといって楽しんでいた教徒であったが、ブログ潰しという意図せぬ目的が加わったことや、この騒動経由でカラケーにやってきた「お客さん」が増えたことで混乱が生じた。結局2月19日に[[Jim]]による2chクーデターが発生し話題が移ったため騒動は尻すぼみに終わった。
 
さらに問題となったのが、この騒動で恒心教の知名度が変にあがったことで「恒心教=炎上屋」との認識が広まったことである。これによって教徒を利用して自分の嫌いな相手を潰させようとする「[[炎上依頼]]」が多発し、従来からの教徒はお客さんや新参(新芋)の排除を唱えるようになっていった。
 
=== 閉鎖主義 ===
 
そして4月10日にカラザイルが強制閉鎖されると、閉鎖主義を徹底したカラケーである[[唐澤ちゃんねる]]への移住が行われた。唐澤ちゃんねるはトップページを偽装したうえにブラクラを設置して2chブラウザ専用とし、さらにURLを広めることも忌避された。
 
閉鎖主義によって表立った活動が困難となったため、半分売名を目的としつつ教徒として活動していた人物である[[月永皓瑛]]が教徒に代わり「ラジコン」としてけんま配信などを行っていた。ピュア虎ノ門前で警察20人との大立ち回りを演じたことは有名だが、独断行動が多いため「壊れたラジコン」の異名も持った。
 
唐澤貴洋に殺害予告を行った[[福嶋誠也]]が逮捕され、[[玉音放送#第一次玉音放送|第一次玉音放送]]が成されたのは閉鎖主義真っ盛りの5月8日のことであった。今日では殉教者として評価されている福嶋誠也も、閉鎖主義の当時においては恒心教を目立たせたとして悪いイメージで捉えられていた。
 
一方、口伝と新参排除が主流であった当時としては異例の試みとなる初代[[唐澤貴洋wiki]]が3月27日に設立された。
 
=== ウバケー乗っ取り ===
[[ファイル:ウバケー乗っ取り.jpg|thumb|200px|上が乗っ取り前、下が乗っ取り後]]
閉鎖主義路線を貫いてきた唐澤ちゃんねるであるが、トップページ偽装がいけなかったのかしたらば運営に目を付けられ再建してもすぐ強制閉鎖されてしまうようになり、7月1日に掲示板継続を断念。教徒はなんJなどに離散してしまった。
 
しかし事件は起きるのだ。その頃時を同じくして、京セラドーム破壊未遂事件をきっかけとする音楽グループ「UVERworld」の炎上騒動が発生しており、2ch邦楽グループ板のUVERworldスレがなんJ民に荒らされ、避難所である「[[UVERworld BBS]]」がしたらばに開設されていた。ここに教徒の「副副管理人」が荒らし対策のエキスパートを名乗って管理チームに侵入し、7月10日、無知な主管理人を騙しパスワードを騙し取って乗っ取り[[カラケー]]にすることに成功してしまう(ウバケー乗っ取り事件)。
 
なんJにこのことが伝わると教徒は再び集結し、メインカラケー問題は一応解決することができた。それと同時に、この騒動と一緒に掲示板のURLがなんJで広まったことや、副副管理人が閉鎖主義をとらないことを宣言したことによって、2月以降続いてきた閉鎖主義は退潮に向かった。
 
=== 空は何色か ===
4月26日、2012年にアイドル大量フォローを指摘されてからずっと鍵がかけられていた恒心綜合法律事務所のtwitterアカウントの鍵が突如外され、「[[身が震える]]」などというツイートが投稿された。また5月24日には唐澤貴洋に対しても殺害予告を行ったPC遠隔操作事件の犯人[[片山祐輔]]に宛てた唐澤貴洋渾身のポエム「[[空は何色か]]」が投稿され教徒の爆笑を誘った。
 
6月4日には「[[世界の終わりも大好きです!]]」という意味不明なツイートのために、前述のUVERworldスレに先駆けて2ch邦楽グループ板のSEKAI NO OWARIスレが教徒に荒らされた。
 
だがその後唐澤貴洋がツイートを行うことはなかった。何故唐突にtwitterを恒心しようと思ったのか、そして何故止めたのか、その理由は一切不明である。
 
===チンフェのターン ===
[[ファイル:ウンフェ.jpg|thumb|200px|突如投下された成人式の長谷川亮太(ウンフェ)]]
唐澤貴洋は「世界の終わりも大好きです!」以降また活動が低下し、[[DIOジャパン]]などの顧問弁護士に就任したことが発覚した程度で殆ど恒心が無くなる。
 
一方で長谷川亮太は[[国士舘大学キッズライク同好会騒動|キッズライク騒動]]でサークルが判明したり、[[自分語りマット]]が[[マツドマッドマットマン]]に盗難される、[[けんまくん]]が話題になる、長谷川亮太アンチの[[動画ニキ]]による長谷川亮太批判動画が多数再生される、そして極めつけは11月7日の[[ウンフェ]]画像の投下など比較的恵まれた。12月1日には長谷川亮太の炎上1000日を記念して[[千日祭]]が開催された。
 
=== カラッキング路線の開始 ===
[[ファイル:カランサムウェア.jpg|thumb|200px|カランサムウェア]]
2013年頃から、[[Tor]]が使用できた[[T-唐澤]]掲示板などの[[唐澤貴洋掲示板#無法地帯|無法地帯系カラケー]]に[[0chiaki]]に代表されるハッカーが屯すようになり、恒心教の犯罪性が強くなり始めていた。
 
1月に[[カラッキング#日本ダウン症協会広島支部ブログ改竄事件|日本ダウン症協会広島支部ブログ改竄事件]]が起きたことを皮切りに次々と教徒によるクラッキングが行われ、これら教徒によるクラッキングは唐澤貴洋とかけて「[[カラッキング]]」と名付けられた。3月9日の[[カラッキング#@Wikiパスワード再発行ページ改竄事件|@Wikiパスワード再発行ページ改竄事件]]や、12月の0chiakiによる[[カランサムウェア]]事件は恒心の外でも大きな話題となった。さらに0chiakiもカラケー(後の恒心教[[サイバー部]]掲示板)を開設しハッカーを呼び込んだ。
 
またカラッキングと言う程ではないが11月の[[モンストまとめ殺害予告事件]]は教徒にソーシャルゲーム(意味深)の楽しさを伝えた。
 
==2015年==
=== オウム事件20周年 ===
2014年11月17日に副副管理人は氏名を特定され圧力かけられたとして突如ウバケーを閉鎖し、[[麻原彰晃掲示板]](アサケー)への移住が行われた。そしてオウム真理教事件20周年となる2015年を迎え、[[カラッキング#船山暁子法律事務所改竄事件|2月の連続カラッキング]]、[[法律事務所クロス]]設立と[[山岡裕明(弁護士)|山岡裕明]]の登場など大きな出来事が相次いで発生するようになる。2015年の恒心教は、麻原彰晃とともに激動の中へ進みつつあった。
 
===MMD路線と芸術路線の再建===
[[ファイル:声なき声に力を。.mmd.png|thumb|200px|尊師MMD]]
1月、[[Altail]]が尊師の3DCGモデルを公開し[[尊師MMD]]路線が開拓され、Orpheusの閉鎖以来停滞気味であった芸術路線が活発化した。Altailはじめ教徒は工作の放置が問題となっていた[[niconico|ニコニコ動画]]の[[MMD杯]]([[第14回MMD杯]])に参戦、工作員[[ダブルぬるぽ]]を味方につけて大勝利を果たした。奇しくも尊師MMD勢の大勝利が確定した閉会式は3月7日に行われた。
 
これにより恒心教はニコニコ動画をはじめ広く知られるようになり、特に文化的に近い[[例のアレ]]民を取り込んで恒心教バブルが発生した。また、MMD杯の結果に不満をもち恒心教を攻撃したオメガこと[[小関直哉]]や涼子Pの名前でネカマをやっていた[[森園祐一]]などが特定され、彼らは[[外伝主人公]]という新しいジャンルを生み出した。小関直哉はyahooアカウントを乗っ取るという半分犯罪の大胆なやり方で、森園祐一は地道な検証で特定されいずれも教徒の特定技術を見せつけた。
 
だがこのような形での急激な知名度の上昇は再び「恒心教=炎上屋」という認識を広め、昨年の片平騒動の構図を蘇らせることにもなったのである。
 
===twitter路線の急拡大 ===
2012年には既に最初の[[twitter路線]]ともいえる[[指原莉乃|指原デマツイ騒動]]が発生し、長谷川亮太の高画質卒アル開示につながった。その後2013年には[[ニッセ路線]]が誕生、2014年には[[AKB48握手会傷害事件]]の犯人が唐澤貴洋であるなどというデマを流すことに成功した。だが恒心教は匿名性を重視していたためSNS布教はかなり控えられており、閉鎖主義時代にはSNSでの布教を認めない方向に向かった<ref>当時のSNSに対する反応としては[[かぁ坊]]騒動が参考になる</ref>。
 
しかし2015年に入ってから、[[動画ニキ]]が「twitterで国士舘生に絡んで長谷川亮太を探す」というウンフェ軍団路線を提唱したことや、MMD杯で知名度があがったことで[[例のアレ]]など外部からの流入が増えたことにより、twitterの教徒は急増した。
 
twitter路線は[[法廷画風イラスト|法廷画風イラストデマ拡散]]など布教に大きな効果を見せた一方で、[[炎上依頼]]や自己顕示・承認欲求(→[[心のチンフェ]])を目的とする[[臭芋]]と呼ばれるものたちが急増したことは路線自体に対する批判を招いた。また[[艦これワンドロ騒動]]・[[同人作家連続炎上騒動‎]]は教徒側の勝利でおわったものの炎上依頼ではないかとの批判を呼び、「布教」という言葉が独り歩きしていることを浮き彫りにした。
 
=== googleマップ騒動 ===
[[ファイル:イオンモールちばけんま_観光地.jpg|thumb|200px|イオンモールと化したちばけんま]]
4月に[[googleマップ]]の地名登録機能がほぼ無審査であることが発覚、これを利用して教徒はハセカラやオウム真理教関連の地名がちばけんまはじめ全世界各地に登録された。これが「皇居や警視庁に[[サティアン]]がある」などとして話題になり、これまた奇しくも長谷川亮太の誕生日である4月20日、些細ないたずらは大ニュースに発展し恒心教の名前と共にメディアで一斉報道された。恒心教に強いジャーナリストの[[三上洋]]は恒心教を解説して「いたずらのグループ」と呼んだ。
 
このいたずらに対し12月1日に3人([[爆弾三勇士]])が書類送検され、[[玉音放送#第三次玉音放送|第三次玉音放送]]に繋がった。また、弁護士会の[[岡正晶]]から「[[弁護士制度に対する重大な挑戦]]」との声明が出された。
 
=== なんJとの対立 ===
これまで恒心教は淫夢などと並びなんJ公認コンテンツといえるようなポジションにすらあったが、一方でそれを疎ましく思うものたちも存在していた。そしてその対立は前述のMMD杯以降の恒心教の急拡大やtwitter路線の問題によって顕在化し始めていた。
 
6月30日、対立は急速にエスカレートする。きっかけとなったのは、けんま民の[[陸自ニキ]]が主催した「よるけんま実況」である。これはいわば「ちばけんまオフ」で、教徒が馴れ合いつつ長谷川家に尊師ールを貼るなどのいたずらをしていたことに対し批判意見が噴出、[[包皮民]](恒心教アンチ)も「シール、ペタッ!w」などと便乗しスパム煽りを行い状況は混沌とした。
 
さらに、時を同じくして0chiakiが逮捕されたことが追い打ちをかけた。0chiakiは[[カラッキング#Twitterスパム乗っ取り事件|Twitterスパム乗っ取り]]によって大量の殺害予告を投稿させ3月17日に[[玉音放送#第二次玉音放送|第二次玉音放送]]を引き出すなど積極的に活動していた。しかし6月に急に消息が途絶え、よるけんま実況の翌日となる7月1日に逮捕が報道された。0chiakiを殉教者として讃える教徒に対してなんJでは0chiaki叩きの動きが起き、対立は決定的なものとなった。以後、恒心はなんJからの独立を志向していくこととなる。
 
===顔開示とけんまブーム===
[[ファイル:3代目疑惑尊師.jpg|thumb|200px|唐澤貴洋]]
これまでネット上のものが大半であったいたずらは、恒心教の勢いにのって現実世界にも向かい始めていた。
 
第14回MMD杯の閉会式が行われたのと同じ日の3月7日、[[唐澤貴洋のご尊顔開示事件]]が発生した。これにより長年の謎であった唐澤貴洋の顔が判明すると唐澤貴洋の撮影を目指す動きが発生、6月に[[唐澤貴洋と山岡裕明のご尊容開示事件|唐澤貴洋と山岡裕明が虎ノ門路上で撮影される]]、7月には前述の陸自ニキが[[眼鏡尊師]]の撮影に成功するなど大いに盛り上がった。
 
そして2783の日=平成27年8月3日、恒心系アフィブログ[[ナリ速]]の管理人[[茂み]]がピュアけんま配信中に警察に捕まる事件が起きる。これがチキンレーサーの心に火をつけ、けんま配信をして職務質問されようとするものたち、スリルを味わいたいものたちが次々とけんまを行いはじめ[[けんまブーム]]が発生した。
 
2月のピュア虎ノ門にトラップが設置された[[カッターナイフ表彰状事件]]や、7月の長谷川家の表札がいたずらされた[[チンターホン|表札、ペタッ!w]]事件をきっかけとして実害路線が定着しつつあったため、ピュア虎ノ門やちばけんま、長谷川家の親戚が所有する[[フェイヴァリットハウス1]]や、長谷川家の車([[マンチ]]、[[青シュヴィッツ]])に対する過激ないたずらが日常茶飯事となった。
 
警備体制が厳しくなったことで、「[[ラジコン]]路線<ref>「ラジコン」の名称は前述の月永皓瑛に由来する。ただし月永の場合自分からラジコンになっていた点が甘芋・出会い厨とは異なる</ref>」という一般人をラジコンのように誘導してけんまさせる路線も発展した。ラジコンとされたのは嘘に騙されやすい統合失調症患者([[甘芋]])や、性欲を満たす為ならばなんでもやる出会い厨などであった<ref>特に出会い厨は食いつきさえすれば操縦が非常に容易かつ情弱の傾向にあり恒心に関して無知であるため現在でも定番のラジコンとなっている。</ref>。初の甘芋ラジコンとなった[[安達真]]はその「[[ゴリホーモ]]」などの言動の面白さから外伝主人公としてひとつのコンテンツを築いた。
 
=== けんま配信と安藤良太の登場 ===
特にこのブームで人気となったのは[[ツイキャス]]やニコニコ生放送を利用した「けんま配信」で、唐澤洋の撮影に成功した[[paranoid]]など多くの配信主が登場した。
 
その中でも、配信者[[ださいたま]]の登場は大きな衝撃を与えた。[[ドローン]]とプリウスを操り神出鬼没、職務質問に食ってかかる、長谷川亮太の父[[長谷川満孝]]の車にGPSロガーを仕掛ける([[愛寿物流]]事件)などその行動力は当初から驚かれた。
 
実はこの人物は、5月に自身の行った殺害予告を唐澤貴洋に開示請求されたことで既に話題になっていた[[安藤良太]]その人であった。彼は交通事故で両親を失い、賠償金と資産運用で大量の資金を保有していたのである。そして翌年、彼は恒心教と社会にさらに大きな衝撃を与えることになる。
 
=== 内紛の激化とアサケーの閉鎖 ===
[[ファイル:209d259b.jpg|thumb|200px|C88に出展した事務所一派]]
恒心教界隈は2015年後半も賑わいを見せ続けていたものの、それもやがて終わりを迎えようとしていた。
 
新路線の拡大と教徒の急増は、やがて負の側面が大きくなりつつあった。twitter路線での[[臭芋]]の狼藉をはじめ、MMD路線をきっかけとした芸術路線の諸問題<ref>twitterでの芸術路線民(特に絵芋)の自己顕示欲問題や、[[ダーキニーちゃん]]やアニメネタといった萌えネタ許容の是非など</ref>、けんま路線における過激ないたずら、[[加藤力]]などの自己顕示欲の強い教徒の出現、急増したけんま配信主同士での対立といった様々な問題が論争を生み、教徒間での内紛を招いていたのである。これら荒れやすい話題は[[ウツケー]]への隔離が推奨されていたものの、炎上の拡大によって隔離政策も限界を迎えていた。
 
2015年8月には、教徒間の馴れ合い集団と化していた[[コミケ路線]]の運営グループ[[事務所一派]]への批判をきっかけとした内紛[[事務所騒動]]が発生し、2016年まで続いた最大のものになった。[[安藤良太#炎上以後|安藤良太も事務所一派に協力したとの批判で炎上]]、一時評価が失墜した。
 
アサケーはこれら内部対立や荒らしの影響を受け荒廃し、それは住民の良心に期待して不介入主義をとっていた管理者[[サンラクシャカ]]にとって手に余るものとなっていた。11月17日のメインカラケー就任1年という節目にサンラクシャカは閉鎖<ref>正確には休止</ref>を決定し、麻原彰晃の名の下に歩んだ2015年は終わりを迎えた。
 
== 2016年 ==
=== 事務所騒動終結 ===
昨年来続いていた事務所騒動は、最終的に2015年12月のC89強行出展への批判、安藤良太による事務所一派首魁[[藤原太一]]の住所氏名リークが決定打となり、2016年1月~2月にかけて事務所一派が次々とネットから姿を消したことで概ねこの騒動は決着した。
 
事務所一派の壊滅に喜ぶ教徒であったが、一方で芸術路線期待の星であった[[けんまP]]が事務所一派の一員として糾弾されたこと、コミケ路線が全否定されたこと、[[ウツケー]]を中心として一部の芸術路線民に対するアンチ活動が勢い付いたことは芸術路線に動揺を与え、これ以降先細りを見せていく。
 
なお、事務所騒動と同時期に男性アイドルグループ「アルスマグナ」が前述の[[けんまP]]作曲のパカソンを無断使用した[[アルスマグナ騒動]]が起きていたが、けんまPがネットから消えたため有耶無耶に終わっている(後にけんまPがアルスマグナの所属事務所から100万円程を脅し取ったことが発覚)。
 
漫画「[[殺人鬼弁護士]]」や「[[高速バス脱糞#漫画|漫画版高速バス脱糞]]」で知られる絵芋[[虐殺初心]]も事務所一派を擁護する自演行動が発覚し炎上、騒動の渦中に本垢が特定され消え去ることとなる。後年になると虐殺初心が2016年7月に突如活動を停止した[[恒心史]]管理人と同一人物である疑惑が浮上し、再び騒動となった。
 
また事務所一派にかわってコミケ路線を継続しようとした当時女子中学生の[[ガバ隊長]](小林和奏)が売春疑惑で炎上する騒動も起きている。
 
=== 爆破予告路線 ===
[[ファイル:Ando.jpg|thumb|200px|安藤良太]]
昨年の炎上以降行動が少なくなっていた安藤良太であったが、2月に一世一代の勝負にうって出る。安藤良太は全国47以上の自治体に唐澤貴洋や長谷川亮太名義で[[爆破予告]]メールを送りつけ、47万人に影響が及ぶ大事件を引き起こしたのである([[同時爆破予告事件]])。
 
安藤良太は別件で逮捕されたが、[[Tor]]を使えば足がつかない手軽さと影響力の大きさによって教徒以外にも模倣犯が大量に発生、全国的な社会問題となった。そして彼らのこの行動が10月にさらなる大恒心を引き寄せることを、この時はまだ誰も知らなかった。
 
=== 第2次聖遷 ===
法律事務所クロスは2月1日に[[オランダヒルズ森タワー]]RoP(オラヒ、オラ森)に聖遷。3月7日には[[山本祥平]]が入所した。
 
オラヒは警備体制が厳重で侵入不可能の要塞かと思われたが、2月6日に教徒が侵入に成功、その後も続々と侵入成功報告があり、実はかなりガバガバでむしろピュア虎ノ門よりも唐澤貴洋に近づけるという有様であることが判明した。
 
=== 原理主義 ===
事務所騒動の終結、したらば運営によるメインカラケーの連続ポアで<ref>[[ドリケー]]、[[イスケー]]、[[ソムケー]]、[[マオケー]]、[[サモケー]]がポア、[[ケーケーケーケー]]が1日で自爆</ref>、アサケーからの惰性で続いてきた恒心教バブルは終焉を迎えた。
 
外部への布教を拡大した結果混乱を招いた2015年の反省からか、2016年には長谷川亮太・唐澤貴洋が中心であることを強調する原理主義<ref>原理主義の定義は曖昧であるが長谷川亮太・唐澤貴洋に関係ないことはあまり扱わない、萌えネタなどアフィっぽい文化は避けるなどの特徴がある。つまるところ2013年頃への回帰運動として見ると分かりやすい</ref>の傾向を強めた。
 
特に5月31日の[[サヒケー]]への移住は原理主義の流れを決定付けた。サヒケーはハンガリー要塞以来念願の海外要塞メインカラケーであり、危うい書き込みをしても開示されないためアングラ傾向の強い原理主義にはもってこいの場所だったのである。
 
原理主義においては事実追求路線が重視され多くの成果があり、唐澤貴洋・山岡裕明の誕生日開示、[[東光院|河野家の墓地開示]]による[[唐澤厚史]]の実在確認、唐澤貴洋の元同僚[[小西一郎]]失踪の追求などが成し遂げられた。また事実追求路線と合わせて実害も重視され、[[東光院#汚損|墓が汚損されたり]]、オラヒの事務所のドアに落書きするなど過激ないたずらが行われた。
 
一方、[[同時多発DDoS攻撃事件|DDoS攻撃]]を受けたり、12月3日にサヒケーと唐澤貴洋wikiの両方を管理していた管理人であるメガ雷龍が特定され[[サイモントン療法協会被害者の会掲示板#閉鎖|掲示板とwikiを閉鎖]]するなど、自前サーバーならではの問題も起きた。
 
=== 長谷川亮太の失踪と対策 ===
2016年、長谷川亮太路線は危機を迎えた。長谷川亮太は[[小学校時代の長谷川亮太まとめ]]が開示されたり[[ピンフェ]]や[[デンフェ]]などいくつか目撃例が報告されたりしたものの、ちばけんまやフェイバリットハウスなどおなじみの場所では確認されず行方不明となっていた。4月8日に[[敵対的買収と防衛策|長谷川亮太の卒業論文]]が発掘され国士舘大学卒業が判明しいよいよ捜索は困難となった。
 
このため、長谷川のターンと唐澤のターンの交代によって炎上を維持してきた[[ターン制]]は危機を迎えた。長谷川のターンの代用として外伝主人公が投入され、昨年から引き続き登場の安達真、そして新たに発掘された出会い厨×知的障害という奇跡のラジコン[[鈴木康史]]や、統合失調症患者の[[岩間好一]]が期待された。だが安達真、鈴木康史は期待に沿う活躍をみせたもののしばらくして活動を停止、岩間好一は[[例のアレ]]界隈に輸出して8月に大人気とはなったものの恒心教のコンテンツにはならなかった<ref>淫夢民、爆サイ原住民が主体となっていたがけんまの方法論は恒心教のものをある程度受け継いでいる</ref>。また、外伝主人公重視は原理主義と相性が悪いものでもあった。
 
=== 唐澤貴洋の活発化とお気持ち表明 ===
[[ファイル:お気持ち表明のキャプ2.jpeg|thumb|200px|唐澤貴洋といたずらされた墓。お気持ち表明より]]
対して、唐澤貴洋サイドは聖遷をはじめ活発な動きをみせ始めていた。5月の[[jpnumber|jpnumber編集合戦]]と[[サイモントン療法協会]]訴訟記録開示で唐澤貴洋のカラケー・wiki監視疑惑が発覚、6月10日には唐澤貴洋との[[法廷オフ]]が開催された<ref> 2015年にも法廷オフが開かれるのではとの噂が流れた。[[平成27年(ワ)8441号]]を参照</ref>。
 
そして10月、出所した0chiakiが玉音放送があることをリークする。いつものように音声だけだろうと思っていた教徒の予想は良い意味で裏切られ、10月21日、唐澤貴洋はNHK「ニュースウォッチ9」において初となる顔出し出演を行ったのであった。映像では、爆破予告路線と安藤良太をメインテーマとし7月の墓汚損にも触れられ、教徒の行動が結びついた瞬間となった。この映像は「[[お気持ち表明]]」と呼ばれ、勢い低下に悩んでいた教徒を奮起させた<ref>ただしこれ程の大恒心も一時的には勢いが伸びた程度に留まった。またこのような大恒心を得たことで、もはや目標を失ったとの悲観的な見方もある</ref>。
 
さらに11月は[[情報ネットワーク法学会#第16回研究大会|情報ネットワーク法学会]]や[[山梨学院大学|山梨学院大学で講演]]するなど、表にでない弁護士というイメージに反する活躍を見せた。
 
== 2017年 ==
=== 空前のカラッキングブーム ===
[[ファイル:2LCgAW9.jpg|thumb|200px|Amazon Kindleへ出品されたGMOの流出情報(商品最下段)]]
[[長谷川亮太]]の特定から5周年を迎える2017年は、悪芋の連続[[カラッキング]]により始まった。
 
1月1日の[[カラッキング#ネルケプランニング公式サイト改竄事件|ネルケプランニング公式サイト改竄事件]]をはじめとして、[[カラッキング#2017年3月の連続カラッキング事件|3月]]にはひと月に10件ものカラッキングが発生する異常事態となった。幾つかのサイトは声明を発表し新聞で取り上げられたほか、[[カラッキング#ヒップランド関連サイト改竄事件|ヒップランド関連サイト改竄事件]]ではYahooリアルタイム検索で「カラッキング」や「唐澤貴洋」が上位に食い込む成果を上げている。2017年のカラッキングは量もさることながら、色々な意味で特徴的な面を持つ。デリヘルサイトへのカラッキングによるカラケー「[[ヤッバイおっぱい掲示板]]」の誕生(7/22)や、[[GMOカラッキング事件]](8/30)では流出した顧客情報が[[Amazon Kindle]]で販売される事態が生じるなど、カラッキングを新たな路線開拓に利用しようとする動きが多々見られた。
 
怒涛のカラッキングはその勢いを失うことなく年末まで続き、12月31日の[[カラッキング#宮城県信用保証協会サイト改竄事件|宮城信用保証協会サイト]]へのカラッキングを以て締め括りとなった。
 
=== 坂根輝美の登場~鞠遊事件 ===
[[ファイル:D0114813_12383365.jpg|thumb|200px|坂根輝美]]
昨年末はメディア露出の活発化により教徒に[[過度な神格化|過度な礼賛・神格化]]をさせた[[唐澤貴洋]]だが、3月20日、その神性を覆す大騒動が勃発する。非教徒の情報により唐澤貴洋が画家・[[坂根輝美]]の絵を購入していたことが発覚したのだ。
 
すぐさま事実追求が進み、坂根輝美はTwitter・Yahooアカウントの開示を経てFacebookも乗っ取られる。更には坂根輝美がメッセージ機能で唐澤貴洋と会話していたことも発覚。坂根輝美に対し下心丸出しで迫る様子など、唐澤貴洋のプライベートな一面が開示されたことで多くの教徒の[[身が震える。|身を震えさせ]]、当時停滞していた恒心界隈を大いに活気づける結果となった。
 
また、当初は「尊師に目をつけられた一般人」として同情されていた坂根輝美も「おセックス」に代表される数々の言説が開示されたことで、教徒のおもちゃにされてしまう。サジェスト汚染や住所特定などの憂き目に遭い、見事ハセカラファミリー入りを果たすこととなった。
 
=== クロスメンバーへの事実追求 ===
鞠遊事件により唐澤貴洋の生態が明かされたが、一方で曾祖伯父の[[河野唯一]]や[[河野光次]]らの存在が開示されるなど、以前から進められていた家系追求路線もこの年活発化していた。また、[[山岡裕明(弁護士)|山岡裕明]]や[[山本祥平]]についての事実追求も僅かながら進んでいた。
 
山岡裕明と山本祥平の疑惑アドレス開示をはじめ、2月には[[三田国際学園]]での講演(2016年7月)がリークされ、両名の御尊容と肉声が開示された。10月14日には通勤中の山岡裕明を盗撮した写真がカラケーに投下され、同性愛板で散々な評価を受けるなど大きな話題となる。また、山本祥平に関しては過去の敗訴記録や兄・[[山本大輔|大輔]]の存在が明らかとなった。
 
=== 外部からのカラケーへの侵攻 ===
2017年からメインカラケーとなっていた[[法律事務所クロス被害者の会掲示板]](クヒケー)は、4月に唐澤貴洋本人からの抗議によって陥落する。これにより、教徒側はメインカラケー閉鎖という損害を被ったものの、唐澤自身がカラケーの監視を行っていたという事実、そして「evil imperial lawyer」という英訳文をネタとして獲得した。この件が元となって、次代のメインカラケーとして[[法律事務所クロス掲示板]](エビケー)が設立される。
 
エビケーは外国サーバー上に建てられた防弾カラケーという事もあり、外部からの攻撃にも強く安定していたが、この場所に果敢に突撃してくる者たちがいた。元[[ハセカラキッズ速報]]管理人こと[[豆大福]]と、過去に唐澤貴洋へ仕事を依頼した[[高橋嘉之]]である。彼らの荒らしの手法は単純でワンパターンだった為、教徒は彼らの書き込みを容易に見破る事ができた。それでも彼らのカラケー荒らしに費やした手間と時間は常軌を逸したレベルであった。半年近くという期間にわたって定型文のコピペを貼り付け続け、ハセカラ騒動と全く関連性の無い第3者への執拗な誹謗中傷を続ける様に、多くの教徒は呆れながらも彼らの精神状態がみるみる悪化していく様子に戦慄した。
 
このような被害に遭いながらもエビケーはメインカラケーとして2017年末まで存続しており、翌2018年4月には麻原彰晃掲示板を超え歴代メインカラケーの最長寿記録を更新している。
 
=== メディア露出の活発化 ===
[[ファイル:6g1.png|thumb|200px|news every.]]
昨年10月の[[お気持ち表明]]を皮切りに唐澤貴洋のメディア露出はますます活発化していき、新聞のネット特集では度々名前が挙がるまでになる。テレビでは、6月22日放送「[[所さん!大変ですよ]]」を端緒に顔出し出演を3回も果たすなど、「表に出ない弁護士」のイメージは完全に覆ることになった。
 
そして6月23日、[[小林麻央親戚成りすまし事件]]が発生。唐澤貴洋の名を騙り、小林麻央の訃報を伝えた悪質なニッセツイート。この成り済ましが大きな反響を呼んだ為に多数のメディアが問題を取り上げ、唐澤貴洋も6月23日放送の「[[小林麻央親戚成りすまし事件#「麻央さん死去“なりすましツイート”で炎上」(「news every.」日本テレビ)|news every.]]」において、三たびの顔出し出演を果たす。「所さん!大変ですよ」から連日の顔出し出演となり、教徒を歓喜させた。
 
その後もほぼ毎月メディアの取材を受けていた唐澤貴洋だったが、11月13日の「[[クローズアップ現代+]]」において遂にスタジオ生出演を果たす。「ネットリンチの被害者」という、少々頼りない肩書を引っ提げた唐澤貴洋は生出演の緊張からか、説明をトチり共演者に助け舟を出してもらうなどその無能ぶりを遺憾なく発揮し、全国放送で恥をさらす羽目になった。
 
唐澤貴洋のメディア進出は年末まで続く。12月19日~20日にかけて、一連の炎上騒動に対する自身の告白文を「[[現代ビジネス]]」上に寄稿したのだ。一連の炎上について[[あまなく]]語ったこの告白文は、唐澤貴洋の内面に迫った貴重な文章であり、またこれまで放置されてきた幾つかの疑惑についてセルフ開示していたため、教徒の考察・批判の格好の餌食となってしまった。
 
=== チンフェサイドの停滞化 ===
活発な動きを見せるパカデブサイドに対し、[[長谷川亮太|チンフェ]]サイドは停滞を迎えていた。3月7日に特定5周年、8月27日には特定2000日を達成したものの、かつてのけんまブームが再燃することはなく、昨年から懸念されていたターン制消滅の危機が現実のものとなってきたのだ。それでも、チンフェの疑惑定期から勤務先を特定しようとする動きが起こったり、[[長谷川幸恵]]の肉声が開示されたりと、チンフェサイドの恒心を望み活動する教徒も少なくなかった。
 
3月24日に発生した[[松戸女児殺害事件]]では、[[ナリ速]]コメント欄の書き込みがきっかけとなり、「[[ちばけんま]]」の名前がマスコミにクローズアップされる事態が発生。また、事件の犯人をチンフェだと断定した告発文が届けられるなど、チンフェサイドを標的にした活動は未だ続いている事が伺える。
 
=== 芸術路線の衰退 ===
2016年より続く原理主義への回帰への風潮、そして2017年は唐澤自身がメディアに活発に露出したことに伴い、二次創作である芸術路線は益々衰退の一途を辿ることとなる。有能芸術教徒から芸術路線を隠れ蓑にしていた[[臭芋]]までの多くが消えていった。
 
[[パカソン]]路線においては、オリジナルのパカソンはほとんど投下されなくなり、[[替え歌路線]]のみが一部の教徒によって静かに盛り上がっている様相となった。そんな中、[[例のアレ]]界隈で活動しているゆゆうたが投下した「[[一般男性脱糞シリーズ]]」の弾き語りは恒心教徒以外のニコニコ動画視聴者からも好評を博し、派生作品も作られる等新たな可能性を見せた。
 
半年毎の恒例行事となっている[[MMD杯]]への侵攻も、芸術教徒によって投稿された動画を楽しむ事より、それまでの中立の姿勢から[[第16回MMD杯]]以降手のひらを返し恒心教への露骨なバッシングを開始した[[ゴロゴロウ]]を中心とする杯運営への直接攻撃が主流となっていった。その結果杯は荒廃し、参加者は減少、その原因を招いたゴロゴロウへの攻撃からさらに荒廃、といったスパイラルに陥っている。
 
そのような状況下でも尊師MMD作品は[[第18回MMD杯]]、[[第19回MMD杯]]とともに準優勝を獲得するという成果を挙げている。
 
==2018年==
===相次ぐ大恒心===
[[ファイル:karasawa_sweetsmafia.jpg|200px|thumb|唐澤貴洋×トーキョースイーツマフィア]]
2016年の[[お気持ち表明]]を皮切りに、近年は[[唐澤貴洋]]自らが積極的に恒心を起こす傾向がみられる。特に2018年は、[[けんま]]等を除けば教徒から恒心を仕掛けるという事は減り、正に「[[ターン制#コンテンツの一生コピペ|唐澤貴洋が面白い事をする]]」のループで大恒心が次々と巻き起こった年であると言える。
 
中でも異質だったのが[[唐澤貴洋深夜のツイキャス登場事件|ツイキャス出演]]と[[トーキョースイーツマフィア]]とのコラボだった。3月28日、作家の[[菅野完]]が友人を招いて配信していたツイキャスに唐澤貴洋が登場した事件は、恒心が不足していた当時核爆弾級の衝撃を与えた。高校を中退していた過去や、齢40にして童貞という事実、また唐澤貴洋と[[しばき隊]]との関連など唐澤貴洋の新事実が次々と開示され、余さず教徒たちの身を震えさせる結果となった。
 
ツイキャス事件の余波が続いていた4月5日、今度は都内のスイーツ店「トーキョースイーツマフィア」の宣伝に唐澤貴洋が登場していたことが発覚する。同店のトレードマークである紙袋を被りノリノリでポーズを決める唐澤貴洋の御姿に教徒たちはまたもや衝撃を受けることになった。トーキョースイーツマフィアはその後、親会社の[[東京スミス]]や傘下の飲食店ともども教徒による[[サジェスト汚染]]を受ける憂き目に遭い、それが影響したのか2か月も経たないうちに閉店している。
 
===法律事務所クロス解散===
ツイキャスやTSMコラボ、後述するメディア露出など特大級の恒心が相次いだ2018年には、二度に渡る事務所移転と[[法律事務所クロス]]の解散という歴史的事件も起こっていた。
 
4月12日、法律事務所クロスが[[高會堂ビル]]へ三度目の聖遷をしていたことが発覚、そして10月2日には、法律事務所クロスの公式サイトから[[山岡裕明(弁護士)|山岡裕明]]と[[山本祥平]]の名前が消え、所属弁護士が唐澤貴洋ただ一人になっているのが発見される。その後山本祥平の転属先が[[ニューポート法律事務所]]、山岡裕明の転属先が[[八雲法律事務所]]と判明し、両名が法律事務所クロスから離脱したことが決定的となった。その後唐澤貴洋も事務所名を[[法律事務所Steadiness]]と改めて[[三田綱町デュープレックスR's]]へ実に四度目の聖遷を果たし、法律事務所クロスは解散した。愛すべきトリオと見なされていたクロスメンバーの解散という衝撃もさることながら、一年のうちに二度も事務所移転をするというフットワークの軽さに教徒たちは唐澤貴洋の上級国民ぶりを思い知らされた。また「Steadiness」が「[[恒心]]」という意味を持つ事から唐澤貴洋の恒心という言葉への拘りを感じさせた。
 
法律事務所クロスについてはその他、[[JCテクノロジー株式会社|JCテクノロジー]]や[[海賊版サイトブロッキング問題]]、山岡裕明によるCloudflareへの開示請求など、弁護士業務を行っている痕跡が発見された。また、御尊影を開示されたり唐澤貴洋と山岡裕明の免許証が開示されたりと、教徒による活動も活発に行われており、解散後も山山コンビを標的にした活動は継続して行われている。
 
===恒心ファミリーの再編===
主人公以外のファミリーの動向は、新キャラクターの発掘よりも、既存のファミリーの再編が目立った年といえる。
 
まず退場したファミリーとしては、7月に[[麻原彰晃]]旧[[尊師]]と[[オウム真理教|愉快な仲間たち]]が[[ポア]]された。マスコミ各社は連日オウムに関する特集を組み、カラケーでも大いに盛り上がった。また[[MMD杯]]運営の[[ゴロゴロウ]]は第20回MMD杯終了後に杯運営のずさんな実態や事実の捏造が次々と発覚し、さらに[[ビームマンP]]が新イベント・[[MMD杯ZERO]]を立ち上げた事で窮地に追い込まれる。それでもまだ諦めようとせず第21回MMD杯の開催を告知するがその告知動画がたった1日で削除され、杯の中止と負け惜しみの台詞を残したのを最後にネット上から姿を消した。
 
一方再発掘されたファミリーとしては、前年に引き続き[[藤原太一]]がプロバイダに対する訴訟や発信者に対する脅迫、[[ニコニコ動画]]に挙げられた[[ジムソン]]・事務所MMD動画の削除を続け教徒からのヘイトを集める中、9月から11月にかけ元事務所一派の[[KARACORO]]が内部資料を大量にリーク、一気に炎上が加熱した。その事務所一派だった[[けんまP]]もクッキー☆の有名投稿者しりりとの同一人物疑惑をきっかけに検証が進み、11月には同一人物確定と共に特定が完了した。10月には[[森園祐一]]の引っ越し先が確定し、何人も出会い厨ラジコンが送り込まれた結果[[甘芋]]化が進行した。同じく10月には[[岩間好一]]の活動が9ヵ月ぶりに確認された。
 
だが、この年最も存在感を示したのはへきへきこと[[高橋嘉之]]だった。昨年より引き続き[[カラケー]]荒らしに精を出すだけに留まらず、5月に会社の名前をインターコンシェルジュから[[バリューラウンジ]]に変更&仕事場のレンタルオフィスが開示され、8月には同じ外伝主人公の[[藤田拓也]]に荒らした[[wikipedia]]の記事を削除されるという夢のコラボが実現、同じく8月に自身の性器画像が再発掘されネタ化が加速、11月には自宅がけんま配信され、現在のご尊顔が確認された。
 
この年カラケー他[[5ちゃんねる]]や[[したらば掲示板]]で特に激しく暴れまわった高橋、藤原、森園の三人は「外伝三本糞」と名付けられ、彼らの動向は2018年の恒心教徒の注目を良くも悪くも集め続けた。
 
===止まらないメディア露出===
[[ファイル:HiroyukiBengoshi.jpg|200px|thumb|あなたに会って話がしたい[[ですを]]]]
唐澤貴洋によるメディア出演は、ほぼ毎月取材を受けていた2017年に比べると頻度こそ少ないものの、十分な質と量を誇る大恒心が連続していた。2018年最初の[[お気持ち表明]]はクロス解散後の10月12日。「news every.」への二度目の出演を果たし、お馴染みのサジェスト汚染やカッター送付について触れている。
 
10月30日にはAbemaTVの[[AbemaPrime]]に生出演、因縁の相手・[[ひろゆき]]と「[[ですを]]」事件以来5年ぶりの邂逅を果たした。しかし、双方とも私怨交じりのレスバトルを繰り広げたために討論はテーマから大きく脱線してしまう。特に、唐澤貴洋を「嘘つき」呼ばわりするなど極論と屁理屈で討論を進めるひろゆきに対し、「実務を知らない」などと語気を荒げるばかりでまともな反論が出来ずにいた唐澤貴洋の[[無能]]ぶりには共演者だけでなく教徒も困惑し、挙句グダグダになった討論に対し進行から苦言を呈されてしまった。
 
こうして一般大衆にも醜態をさらす羽目になった唐澤貴洋だが、懲りずに12月3日にはTOKYO MXの番組「[[バラいろダンディ]]」に生出演、ネット炎上について珍しく解説役を務めた。番組はバラエティ色が強くあまり専門的な内容ではなかったことから、従来のお気持ち表明に比べ唐澤貴洋が下手を打つ場面は見られず、むしろ共演者と和気藹々と話す姿が教徒の印象に残った。
 
その他、[[三宅令]]からの二度目の取材を受けたり、[[日刊サイゾー]]にて単独インタビュー記事が掲載される等、ネットニュースの記事にもたびたび登場している。
 
===初の自伝本出版===
[[ファイル:Qaran.jpg|thumb|200px|炎上弁護士]]
降って沸いた2018年下半期の怒涛の恒心に若干満腹感を覚えつつあった教徒だが、唐澤貴洋は更に衝撃的な行動に出る。『[[炎上弁護士]]』と題し、騒動以来初の自伝本を出版したのだ。
 
唐澤貴洋の半生と騒動について振り返るという、教徒以外に需要を見出せない内容だが、その反響は大きい。今までのように[[尊師語録|誤字脱字]]、[[尊文|おかしな文章]]を期待するもの、[[事実追求路線]]の進展を期待するもの、唐澤貴洋の利益になるという観点から購入の是非について問うもの、果ては購入者の殺害を宣言する過激派などカラケー内でも様々な反応が見られた。唐澤貴洋自身も、先述の「バラいろダンディ」においてサイン入り本のプレゼントを告知したり、NHKドラマ『[[炎上弁護人]]』に取材協力していた事が判明したりと、ここに来て「炎上弁護士」として精力的にアピールを行い、教徒たちの度肝を抜いた。
 
そして12月13日、「炎上弁護士」が発売される。唐澤貴洋の幼少期~青年期についてや、弟・[[唐澤厚史|厚史]]の死の詳細など新事実が開示された一方、「教徒は陰湿集団、自身は完全な被害者」という認識を改める事は無く、今回の自伝本もまた被害者アピールの為に執筆されたに過ぎなかった。
 
「炎上弁護士」はその後、当然の如く焚書されたり、Amazonレビューを汚染されたり、2日も経たずに割られるなどの散々な被害に遭っている。
 
===法廷オフでの邂逅===
恐るべき事に、これがまだ2018年最後の恒心とはならなかった。
 
始まりは12月10日、株式会社ドワンゴ取締役の[[川上量生]]が山本一郎との訴訟の弁護人に唐澤貴洋を立てた事である。この件だけでも、尊師が[[ニコニコ動画]]に挙げられている[[尊師MMD]]動画を削除に動くのではないか<ref>なおこの後日刊サイゾー内で、尊師自身が尊師MMD動画を楽しんで見ている事が明らかになった。</ref>、あるいは尊師がニコニコ超会議に出演するのではないか<ref>実際に川上は唐澤にニコニコ超会議の出演を打診していた。</ref>といった憶測が流れ教徒は戦慄したが、この後さらに想定外の展開となる。
 
そして12月17日に行われた裁判。久しぶりの[[法廷オフ]]ということもあり多くの教徒が傍聴に訪れていた。これまでは裁判終了後逃げるように法廷を後にしていた唐澤だったが、この日は打って変わって法廷に来ていた教徒に自分から声を掛けたり、差し出された炎上弁護士にサインをして返したりといった行動を取ったのである。教徒と対立を続けて炎上を長引かせるより歩み寄った方が鎮火するといった事をようやく学習した、馴れ合って教徒を幻滅させようとした、等の推測がなされたが真相は明らかではない。いずれにせよこのフレンドリーな唐澤の態度の変わりようは教徒を驚かせた。
 
尊師と教徒が共に望んだ[[優しい世界]]の実現がもう近いのかも知れない、と感じさせる一幕であった。
 
===ターン制の崩壊===
過去最高の盛り上がりを見せた唐澤貴洋とは逆に、[[長谷川亮太]]に関する動きは皆無となった。
 
これまでもチンフェサイドの停滞化は常に叫ばれてきたが、[[敵対的買収と防衛策|卒論]]や[[長谷川幸恵|母親]]の肉声開示など毎年わずかながらに進展を見せていた。しかし今年の新情報といえば10月末にアルバイト板の治験スレに書きこまれた真偽不明の発見報告程度の頼りないものであり、彼の現状を知る手掛かりはついに途絶えたと言える。「ハセカラ騒動」の名が表すとおりこれまで本騒動を車の両輪のように支えてきたいわゆる「[[ターン制]]」が終焉したと言えよう。もしかすると長谷川亮太は[[長谷川満孝#茂み君との対話|もうこの世にいないかもしれない]]。
 
その一方で現在でもたびたび実家への[[けんま一覧|けんま]]が行われたり、またC95にて頒布された同人誌内でコテ時代に彼が吐いた嘘が再検証され明らかになったり、何よりも[[唐澤貴洋|相棒]]がメディアに登場するたびにエピソードを拡散していっているため、残念ながら完全鎮火と忘却には程遠い状況である。
 
==註釈==
<references />
 
==関連項目==
*[[恒心年表]]
*[[唐澤貴洋掲示板#住民の移住の系譜]]
*[[けんま一覧]]
*[[唐澤貴洋の発言一覧]]
 
*[[niconico]] - ニコニコ動画における歴史
*[[3.7ドキュメント]] - 無差別開示まで
*[[恒心史]]  - 第二次玉音放送まで
 
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