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>テリー長谷川 (前史と一部加筆修正) |
>村井禿夫 編集の要約なし |
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恒心教の歴史(こうしんきょうのれきし)では、2012年3月7日から現在に至る[[恒心教]]の歴史について記述する。詳細な歴史については個別記事と[[恒心年表]]を参照。 | 恒心教の歴史(こうしんきょうのれきし)では、2012年3月7日から現在に至る[[恒心教]]の歴史について記述する。詳細な歴史については個別記事と[[恒心年表]]を参照。 | ||
==前史== | |||
騒動の発端となった2ch[[なんJ]] | 騒動の発端となった2ch[[なんJ]]板は元々野球ch難民が板を乗っ取り、野球実況を中心とした雑談板になったという過去があり、住民は野球観戦が趣味というその性質から他板の住人に比べ荒い気性を持っていた。後に、この気性がこの騒動をここまで大規模な物に昇華させた一因であるとも言われている。また、多数の学校裏掲示板など避難所として乗っ取っていた関係で外部侵攻の経験も豊富であった。 | ||
当時のなんJは現在のようにまとめブログに寄生されておらず人口も今ほどは多くなく、内輪的なノリが強かった。これはコテハンにとって居心地のよい環境であり、なんJでは多くの糞コテが活動していた。その中でも、騒動の元凶となったなんJの糞コテ「八神太一」は3年間に渡り煽り投稿や自分語りスレの乱立を繰り返してたことから当時のなんJ民からは別格で嫌われていた。 | |||
その中で、八神の少し前に炎上した[[篠田健太郎]]がTwitterやGoogle+などの情報から特定されており、この時点で現在の主流であるネット上のパズルのピースを頼りに個人情報を特定する手法が確立されていた。 | |||
そして、プロ野球シーズン開幕が近づき住民が活気づき始めた状況で3月7日を迎えることとなる。 | そして、プロ野球シーズン開幕が近づき住民が活気づき始めた状況で3月7日を迎えることとなる。 | ||
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しかし、3代目管理人はニコニコ動画のアカウント([[佐々木小魔神]])が特定されたことをきっかけに、氏名や大まかな住所が判明し7月2日に掲示板を閉鎖。この際に「唐澤貴洋から抗議された」と真偽不明の発言を行い、これを閉鎖の理由とした。 | しかし、3代目管理人はニコニコ動画のアカウント([[佐々木小魔神]])が特定されたことをきっかけに、氏名や大まかな住所が判明し7月2日に掲示板を閉鎖。この際に「唐澤貴洋から抗議された」と真偽不明の発言を行い、これを閉鎖の理由とした。 | ||
3代目管理人の「唐澤貴洋から抗議された」という発言のため、教徒は日本からの手が及びにくい海外サーバーに掲示板を開設することを計画し、7月6日にハンガリーサーバーを利用した「[[ハンガリー要塞]]」を開設した。だが、管理人が海外移住の意味を理解せず日本警察のIP開示に応じてしまい、批判される中7月13日に閉鎖し初の海外要塞路線は短命に終わった。 | |||
=== 300万騒動 === | === 300万騒動 === | ||
7月1日、事務所をアイオス五反田駅前から[[ピュア虎ノ門]]に移転した([[聖遷]])。そして7月31日、事務所のfacebookアカウント上でdion君など殺害予告民を告訴し300万を請求していることを突如報告、翌日の8月1日に教徒がこの書き込みを発見し[[300万騒動]]が勃発する。 | |||
もはや行動を起こすこともないと思われた唐澤貴洋のこの動きに対し、なんJ民・教徒は大きく動揺した。これまでの誹謗中傷に対する告訴の可能性が真剣に議論され、唐澤貴洋は「[[虎ノ門]]の悪魔」として恐れられた。 | もはや行動を起こすこともないと思われた唐澤貴洋のこの動きに対し、なんJ民・教徒は大きく動揺した。これまでの誹謗中傷に対する告訴の可能性が真剣に議論され、唐澤貴洋は「[[虎ノ門]]の悪魔」として恐れられた。 | ||
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===恒心不足と批判要望板 === | ===恒心不足と批判要望板 === | ||
しかし、教徒の力で引き出すことにも限界があった。唐澤貴洋は[[エクシード大泉]] | しかし、教徒の力で引き出すことにも限界があった。唐澤貴洋は[[エクシード大泉]]在住疑惑に対する恒心を行った11月23日をもってfaithbook恒心を停止しており、恒心中毒となっていた教徒は恒心不足にあえいでいた。また、これに乗じて2013年末から2014年初にかけ[[唐澤千紘|偽台帳事件]]や唐澤貴洋の祖父[[河野一英#死亡デマ|河野一英の死亡デマ]]、[[偽車内広告事件]]といったコラ画像による釣りが相次いだ。 | ||
追い打ちをかけるように10月特定コミュニティを原因<ref>特定コミュニティには恒心以外にふたば二次裏などがあり、一時休止の原因が恒心だったかには議論がある</ref>として[[Orpheus#末期|Orpheusが一時休止]]を発表し、パカソンの新規作成が不可能となっていたため芸術路線も衰退しつつあった。 | 追い打ちをかけるように10月特定コミュニティを原因<ref>特定コミュニティには恒心以外にふたば二次裏などがあり、一時休止の原因が恒心だったかには議論がある</ref>として[[Orpheus#末期|Orpheusが一時休止]]を発表し、パカソンの新規作成が不可能となっていたため芸術路線も衰退しつつあった。 | ||
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===MMD路線と芸術路線の再建=== | ===MMD路線と芸術路線の再建=== | ||
1月、[[Altail]]が尊師の3DCGモデルを公開し[[尊師MMD]]路線が開拓され、Orpheusの閉鎖以来停滞気味であった芸術路線が活発化した。Altailはじめ教徒は工作の放置が問題となっていた[[niconico|ニコニコ動画]]の[[MMD杯]]([[第14回MMD杯]])に参戦、工作員[[ダブルぬるぽ]]を味方につけて大勝利を果たした。奇しくも尊師MMD勢の大勝利が確定した閉会式は3月7日に行われた。 | |||
これにより恒心教はニコニコ動画をはじめ広く知られるようになり、特に文化的に近い[[例のアレ]]民を取り込んで恒心教バブルが発生した。また、MMD杯の結果に不満をもち恒心教を攻撃したオメガこと[[小関直哉]]や涼子Pの名前でネカマをやっていた[[森園祐一]]などが特定され、彼らは[[外伝主人公]]という新しいジャンルを生み出した。小関直哉はyahooアカウントを乗っ取るという半分犯罪の大胆なやり方で、森園祐一は地道な検証で特定されいずれも教徒の特定技術を見せつけた。 | これにより恒心教はニコニコ動画をはじめ広く知られるようになり、特に文化的に近い[[例のアレ]]民を取り込んで恒心教バブルが発生した。また、MMD杯の結果に不満をもち恒心教を攻撃したオメガこと[[小関直哉]]や涼子Pの名前でネカマをやっていた[[森園祐一]]などが特定され、彼らは[[外伝主人公]]という新しいジャンルを生み出した。小関直哉はyahooアカウントを乗っ取るという半分犯罪の大胆なやり方で、森園祐一は地道な検証で特定されいずれも教徒の特定技術を見せつけた。 | ||
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4月に[[googleマップ]]の地名登録機能がほぼ無審査であることが発覚、これを利用して教徒はハセカラやオウム真理教関連の地名がちばけんまはじめ全世界各地に登録された。これが「皇居や警視庁に[[サティアン]]がある」などとして話題になり、これまた奇しくも長谷川亮太の誕生日である4月20日、些細ないたずらは大ニュースに発展し恒心教の名前と共にメディアで一斉報道された。恒心教に強いジャーナリストの[[三上洋]]は恒心教を解説して「いたずらのグループ」と呼んだ。 | 4月に[[googleマップ]]の地名登録機能がほぼ無審査であることが発覚、これを利用して教徒はハセカラやオウム真理教関連の地名がちばけんまはじめ全世界各地に登録された。これが「皇居や警視庁に[[サティアン]]がある」などとして話題になり、これまた奇しくも長谷川亮太の誕生日である4月20日、些細ないたずらは大ニュースに発展し恒心教の名前と共にメディアで一斉報道された。恒心教に強いジャーナリストの[[三上洋]]は恒心教を解説して「いたずらのグループ」と呼んだ。 | ||
このいたずらに対し12月1日に3人([[爆弾三勇士]])が書類送検され、[[玉音放送#第三次玉音放送|第三次玉音放送]]に繋がった。また、弁護士会の[[岡正晶]]から「[[弁護士制度に対する重大な挑戦]]」との声明が出された。 | |||
=== なんJとの対立 === | === なんJとの対立 === | ||
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アサケー期に発展したこれら様々な路線は、やがて負の側面が大きくなりつつあった。twitter路線での[[臭芋]]の狼藉をはじめ、MMD路線をきっかけとした芸術路線の諸問題<ref>twitterでの芸術芋(特に絵芋)の自己顕示欲問題や萌えネタ許容の是非など</ref>、けんま路線における過激ないたずらや、[[加藤力]]などの自己顕示欲の強い教徒の出現が論争を生み、教徒間での内紛を招いていたのである。これら荒れやすい話題は[[ウツケー]]への隔離が推奨されていたものの、炎上の拡大によって隔離政策も限界を迎えていた。 | アサケー期に発展したこれら様々な路線は、やがて負の側面が大きくなりつつあった。twitter路線での[[臭芋]]の狼藉をはじめ、MMD路線をきっかけとした芸術路線の諸問題<ref>twitterでの芸術芋(特に絵芋)の自己顕示欲問題や萌えネタ許容の是非など</ref>、けんま路線における過激ないたずらや、[[加藤力]]などの自己顕示欲の強い教徒の出現が論争を生み、教徒間での内紛を招いていたのである。これら荒れやすい話題は[[ウツケー]]への隔離が推奨されていたものの、炎上の拡大によって隔離政策も限界を迎えていた。 | ||
2015年8月には、教徒間の馴れ合い集団と化していた[[コミケ路線]]の運営グループ[[事務所一派]] | 2015年8月には、教徒間の馴れ合い集団と化していた[[コミケ路線]]の運営グループ[[事務所一派]]への批判をきっかけとした内紛[[事務所騒動]]が発生し、2016年まで続いた最大のものになった。[[安藤良太#炎上以後|安藤良太も事務所一派に協力したとの批判で炎上]]、一時評価が失墜した。 | ||
アサケーはこれら内部対立や荒らしの影響を受け荒廃し、それは住民の良心に期待して不介入主義をとっていた管理者[[サンラクシャカ]] | アサケーはこれら内部対立や荒らしの影響を受け荒廃し、それは住民の良心に期待して不介入主義をとっていた管理者[[サンラクシャカ]]にとって手に余るものとなっていた。11月17日のメインカラケー就任1年という節目にサンラクシャカは閉鎖<ref>正確には休止</ref>を決定し、麻原彰晃の名の下に歩んだ激動の2015年は終わりを迎えた。 | ||
== 2016年 == | == 2016年 == | ||
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特に5月31日の[[サヒケー]]への移住は原理主義の流れを決定付けた。サヒケーはハンガリー要塞以来念願の海外要塞メインカラケーであり、危うい書き込みをしても開示されないためアングラ傾向の強い原理主義にはもってこいの場所だったのである。 | 特に5月31日の[[サヒケー]]への移住は原理主義の流れを決定付けた。サヒケーはハンガリー要塞以来念願の海外要塞メインカラケーであり、危うい書き込みをしても開示されないためアングラ傾向の強い原理主義にはもってこいの場所だったのである。 | ||
原理主義においては事実追求路線が重視され多くの成果があり、唐澤貴洋・山岡裕明の誕生日開示、[[東光院|河野家の墓地開示]]による[[唐澤厚史]]の実在確認、唐澤貴洋の元同僚[[小西一郎]]失踪の追求などが成し遂げられた。また事実追求路線と合わせて実害も重視され、[[東光院#汚損|墓が汚損されたり]]、オラヒの事務所のドアに落書きするなど過激ないたずらが行われた。 | |||
一方、[[同時多発DDoS攻撃事件|DDoS攻撃]]を受けたり、12月3日にサヒケーと唐澤貴洋wikiの両方を管理していた管理人であるメガ雷龍が特定され[[サイモントン療法協会被害者の会掲示板#閉鎖|掲示板とwikiを閉鎖]]するなど、自前サーバーならではの問題も起きた。 | 一方、[[同時多発DDoS攻撃事件|DDoS攻撃]]を受けたり、12月3日にサヒケーと唐澤貴洋wikiの両方を管理していた管理人であるメガ雷龍が特定され[[サイモントン療法協会被害者の会掲示板#閉鎖|掲示板とwikiを閉鎖]]するなど、自前サーバーならではの問題も起きた。 |