「唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/青山吉伸」の版間の差分

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{{wpl|週間大衆}}2003年7月14日号では「オウム真理教元顧問弁護士青山吉伸受刑者の『ムショ暮らし』」として、同じく{{wpl|府中刑務所}}に収監されていた人物の独占記事が掲載されている。
{{wpl|週間大衆}}2003年7月14日号では「オウム真理教元顧問弁護士青山吉伸受刑者の『ムショ暮らし』」として、同じく{{wpl|府中刑務所}}に収監されていた人物の独占記事が掲載されている。
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'''「オウム真理教」(現・アレフ)元顧問弁護士 青山吉伸受刑者の独房はひどく汚れていたよ'''<br> 本誌独占ブチマケ!「受刑仲間」が初めて明かす 元「オウム」エリート弁護士ムショ暮らし!
'''「オウム真理教」(現・アレフ)元顧問弁護士 青山吉伸受刑者の独房はひどく汚れていたよ'''<br>  本誌独占ブチマケ!「受刑仲間」が初めて明かす 元「オウム」エリート弁護士ムショ暮らし!
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それでも彼は、脇目も振らずに、淡々と作業をこなしていましたから、心臓の強い男だな、とは思いました。
それでも彼は、脇目も振らずに、淡々と作業をこなしていましたから、心臓の強い男だな、とは思いました。
彼のおかれた境遇を思うと、男気じゃないけど、何か手助けでもしてやりたくなりましてね。それで、私が担当に頼み込んで、配置換えをしてもらったんです。一応の解決を見たのは、彼が工場に来て5日目のことでした。
彼のおかれた境遇を思うと、男気じゃないけど、何か手助けでもしてやりたくなりましてね。それで、私が担当に頼み込んで、配置換えをしてもらったんです。一応の解決を見たのは、彼が工場に来て5日目のことでした。


この一件で、私は青山に積極的に話かけるようになりました。独居房がとなりあわせにだったこともあって、急速に親しくなっていったんです。
この一件で、私は青山に積極的に話かけるようになりました。独居房がとなりあわせにだったこともあって、急速に親しくなっていったんです。
彼は当初、7年間の(拘置所での)拘禁生活で、外部の人間とも会話をしてなかったから、言葉に詰まったり、話をしようにも声が出なかったりという状況でした。会話が普通にできるようになるまでには、2か月くらいはかかりました。
'''青山受刑者のほうから話しかけてくるのは、例えば宇宙の話だったという。「何万光年の話をされても、俺にはわからないですよ」と困惑するA氏に、彼は「わかることは教科書に書いてあります。宇宙はもの凄く大きいから……」などと返してきたという。'''
'''話題は自然科学、哲学、思想家の話にまで及んだ。'''
'''その内容は難解で、会話は禅問答のようだったが、青山受刑者は博識で、どんなことを聞いても答えが返ってきた。'''
彼は休憩時間でも、私が話しかけなければ誰とも会話せず、ずっと椅子に座って瞑想してました。周囲がどんなに騒がしくても、同じ姿なんです。5時の夕食の際にラジオが聴けるんですが、彼は部屋に戻るとスイッチを切ってしまうんです。
部屋には14型テレビが置いてあって、月曜と金曜、日曜に数時間見ることができますが、彼が見るのは動物番組やNHKの「プロジェクトX]くらいで、ほとんど関心を示しませんでした。
思い出すのもイヤなのは、3か月に一度、隣りの某にスライド式に移る転房のときです。彼は私の隣りの舎房でしたから、私は必ず彼の使っていた房に移ることになります。ところが、彼はまったく掃除ができないんです。洗面受けの中なんか真っ黄色なんですよ。タワシでこすれば落ちるものを、よくここまで汚したな、と思ったほどです。
便器は、さすがに汚物だけは流していましたが、周囲は汚れていて、陰毛もいっぱい落ちてるんです。棚も手で触れるとホコリだらけ。だから転房のときは憂鬱でしたよ。
洗濯物も毎朝出すことができるんですが、彼は3回に1回出す程度。「恥ずかしいから、パンツくらいは替えたほうがいいですよ」といわなければ、替えないんです。
'''なぜオウム事件は起きたのか'''
食事は、いつも残していました。「人間は、あまり食べないほうがいいです。成人病の予防にもなるから」といってました。でも、たまに出るお菓子などの甘い物は、素早く食べましたね。
青山は、独居生活でも週刊誌なんかを購入しない。7年も入ってるから、たまには女の裸も見たいだろうと思って差し入れてあげたら、「僕も男ですからね」と笑ってましたね。自分で処理していたんだと思います。
彼は運動中、いつも一人で太極拳とかヨガをしていました。よく覚えているのは、運動会で彼が200㍍のトラックを3周走る競争に出場したときのことです。7年もの拘禁で足腰が弱っていましたから、真剣に走っても、彼はわずか3周の間に周回遅れになってしまいました。
「なんだ、あれが青山か」とかやじや中小の言葉が飛び交って、完全に見世物になってました。戻ってきた彼は平静を装い、自分を殺しているようでした。この頃から、彼は休憩中も瞑想に耽る時間が多くなっていきました。
'''かつては上祐史浩幹部(40)とともに、「教団の顔」として弁も振るった青山受刑者。顧問弁護時代はオウム信者が原告、被告となった多くの訴訟を担当し、逮捕された信者には次々に接見して、「黙秘しろ。さもないと地獄に堕ちるぞ」と口止めして回った。'''
'''自分の裁判では教団からの「脱会」を宣言してはいたが、受刑者となってから、心境の変化はあったのか。A氏は思い切って、その最大の関心事を尋ねたという。'''
あれは、運動場でのことだったと思います。いつものようにヨガをしている彼に、「弁護士という地位もある職に就いていながら、なんでオウム真理教に入ってあんな事件を起こしたの?」と問い質してみたんです。彼は迷わず、「色即是空の”是”です」と子玉枝した。「もう現実に起きてしまったことは取り返しのつかないことであって、消すことができないんです」とも話していましたね。
サリン事件後、逮捕された信者に口止めに回ったことについては、「当時は弁護士だったから、守秘義務があった。あくまで弁護士としての仕事をしただけで、(自分の)責任は取りました」と話すのみでした。
私が「オウム真理教という教団は結局、なんだったのか」と問うと、「教団とはマスコミが名づけただけで、教団とは思っていない」と子試した。彼は、「自分を高めるために調練していたのだ」といって、多くを語ろうとしませんでした。
教祖だった麻原彰晃(48=松本智津夫被告)については「もう過去の人です」といって、「会いたくない」と話してましたね。私の目には、オウムと完全に訣別しているように見えましたね。
'''青山受刑者が松本被告の弁護側証人として、東京地裁に出廷したのは昨年9月6日。その席で、弁護人から証言を拒否する理由を聞かれた青山受刑者は、こう答えている。'''
'''「8年も9年も前のことを、記憶を整理してい思い出すことができない。何度も取り調べを受けるうちに、記憶も変容している。事件当時は弁護士で守秘義務もあり、結局、証言はできないというのが結論だ」'''
'''教義の一部については質問に答えたものの、それ以外のほとんどの質問は証言を拒否した。'''
'''「上祐と僕は仲がよかった」'''
出廷の前日に、彼が、「明日行きたくないんだ」というので、「ちゃんと喋って来なければダメだよ」と話したんです。すると、「もう何も喋りませんよ。私は責任は果たしたんだから」とキッパリいいました。私が「これで、麻原の顔を見るのも最後になるの?」といったら、「最後ですね」と答えました。
当日、青山は朝5時半ころに起こされて、連行されていきました。1日工場にも姿を見せず、夜6時半頃、独居房へ帰って来ました。
この裁判に関して、後日、こんなことありました。工場の材料を包む新聞紙に、裁判の記事があったんです。すぐに受刑者たちの間で回し読みが始まりました。守秘義務を盾に何も語らなかったという内容に、受刑者たちは「やっぱり、青山は反省してないんだ」と口を揃えてました。
私は心配して声を掛けましたが、「心配ない」という言葉以上は語ろうとしませんでした。こんあなか、青山は皆から離れる以外、術はなかったようですね。
青山は出所後のことに話が及ぶと、「大阪にいる父親が陶芸の窯を持っているから、それで生計を立てられれば」なんて話してました。さすがに、出所後の生活には不安を感じているようでしたね。
彼は仮釈放を期待しているフシがありました。私が「社会感情もあるから、それは無理ですよ」といっても、「それでも最後までベストは尽くす」と、いい張ってました。
一番ナーバスになる部分ですから、その件に触れると、ふてくされて、喋らなくなることもありました。
受刑者の一人が、「上祐とは仲が悪かったのか」と聞くと、「彼と僕とは仲がよかった」と話していました。その受刑やが「もうすぐ俺は出るから、何か伝えてやろうか」というと、力なく笑ってました。私が「(懲役12年は)長いね」と声を掛けると、「いやァ、一瞬ですよ」と、笑って答えていました。
「自分は、この世に何かを残すために生まれてきたことはわかるのだが、それがなんなのか、いまはわからない」という言葉が印象的でしたね。
'''一連のオウム事件から8年。「麻原は過去の人」といい放つ青山受刑者の変容もまた、犯罪史上稀に見る凶悪事件を起こしたオウム真理教の一つの姿なのか。'''
'''その首謀者・松本智津夫被告(検察側が死刑求刑)の裁判は、10月30、31日に弁護側の最終弁論が行われ、年明けにも判決が言い渡されるー--。'''


彼は当初、7年間の(拘置所での)拘禁生活で、外部の人間とも会話をしてなかったから、言葉に詰まったり、話をしようにも声が出なかったりという状況でした。会話が普通にできるようになるまでには、2か月くらいはかかりました。


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