マヨケーがポアされたため、現在はロシケーがメインとなっています。

トーク:運虎武龍

提供:唐澤貴洋Wiki
2015年8月2日 (日) 14:55時点における176.9.25.xxx (トーク)による版
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これ以上編集合戦になる前に、ここで話し合いをしたいと思います。これはKaranj様だけに向けたメッセージではありません。私は (一番最初にネタバレを記載することで、この長文を読む読まないの判断を、閲覧者に返しました。カテゴリから[[語録]を削除したのは、どちらかといえば偽語録]だからです。)の投稿者です。結論から言えば、私はこの記事の一番最初でネタバレを明確にした方がいいと考えています。そして、そう編集しました。Karanj様は後の変更で(ネタバレを最初にとの意見もありますが、流石にどんな頭唐澤でも最初の三行でネタだと分かる筈なので、記事末にオチとしてネタバレを置きます) と書かれていましたが、私は最初にこの記事を見たとき、実在した(同名の)人物に教徒が脚色を加えたものだと思い、最初の3行ではネタだと気付きませんでした。そのままにしておけば「時間をムダにした」と感じる人もそこそこ出てくるのではないでしょうか。私は決して「唐澤wikiでアンサイクロペディアのような使い方をするな」というつもりはありません。このサイトでも既にそういう使われ方をしているでしょう。(例:唐澤貴洋のコーラン燃やし)しかし、ウィキペディアのように正確性を求める人もいます。(例:事実追求路線・唐澤家・河野家の家系図)100人の教徒が、この記事を好意的に、もしくは騙されて全文読んだとして、どれだけの人が喜び、どれだけの人が不快感を示すのでしょうか。3行でネタとわかるなら、最初の1行でネタだと明記する必要があると思います。--77.247.181.165 2015年8月2日 (日) 00:26 (JST)

Karanj様、これ以上の編集は、お互いに編集結果で主張し合う泥仕合になると思います。一度この議論の場で話し合いを行いましょう。--91.219.236.222 2015年8月2日 (日) 01:58 (JST)

この返信を書いている途中に寝落ちしたため、亀返信となってしまい申し訳ありません。 ご意見、読ませていただきました。 まず当職が考える当記事の方向から述べさせて頂きます。 アンサイクロなどのコンテンツ百科のネタ記事の手法に則り、全体としての面白さ、完成度を追求したいと考えているため、一行目から「嘘」「創作」の文字を踊らせてしまうのはあまりに真面目で律儀過ぎるのでは無いかと感じております。 加えて言えば当職は、これを読んだ教徒の方々が「これは名実共に真の『糞記事』だったわ〇ね」と言って笑ってくだされば良いと思っております。 しかし、貴職のおっしゃる通り、風評被害の項に挙げられているような似た名前の実在の人物をモチーフにした話と勘違いし、時間を無駄にされたと感じ憤る教徒の方もいらっしゃるかもしれません。いや、いるでしょう。 これはハッキリ言って難しい話です。 当職個人でなく教徒全体の話になりますが、「純朴に受け入れてしまう教徒がいる」ということは逆に、「嘘を嘘と(ry ができない教徒はネットリテラシーが無い、そんな奴への配慮なんかいらない」と考える、私よりずっと辛辣かつアッサリとした教徒の方も相当数いらっしゃるということです。 実際2chは板問わずこの考え方をしている方が多いです。 そうすると今度はそうした方にも配慮しなければならず議論が終わらなくなります。 これはいけない。

こうした事情とご意見を全て踏まえた上で愚考してみました。とりあえずの結論として、すなわち記事の始めの方に事実無根であることを明示しかつ全体の統一性、面白さを損なわないという互いの妥協点として、四行目に「これは史実とは一切関係無い」という断りを入れるという案を昨晩作成してみました。 これならば純朴に信じてしまった教徒が長文の泥沼にはまり時間を無駄にするという悲劇は回避できると思います。 いかがでしょうか。 この記事はより洗練されていかなければならないと当職は考えておりますので、気になる点があればどんどんご意見を頂きたいです。

有能教徒との出会いに感謝。--Karanj (トーク) 2015年8月2日 (日) 11:36 (JST)

外野から失礼します。このwikiはいわばwikipediaとアンサイクロペディアを併せたような、良くも悪くも「緩い」wikiであり、全体がネタでありながら事実の解説という役割も持っているため、こうした記事の判断は難しいと思います。しかし当職としてもKaranjさんの力作を無下に削除してしまうのは勿体ないと思いますし、記事自体のクオリティも高いため、なるべく残す方向でやっていきたいと思っております。

そこで当職からの案として、内容を頭ごなしに否定してしまうのは些か興醒めなので、記事の始めの方で語句のちゃんとした解説を短くやってしまい(つまりは「真実」の項の内容を「運虎武龍(うんこぶりゅう)とは、~」の部分に繋げる)、下で突然謎の史実解説が始まってしまうという形にするのはどうでしょうか。そうすればフィクション明記のような興醒めな形でなく、事実と創作を切り離すことができると思います。それでもなお「運虎武龍という故事が別にあるのだろう」と勘違いする読者はごく少数だと思いますし、さすがにそこまでの人間に配慮することはないと思います。(そうした人は多分民明書房ネタも理解できないでしょう)--コーヒー◆8Xtp/wKwCg (トーク) 2015年8月2日 (日) 12:08 (JST)

議論の提案者です。お二方の意見、読ませていただきました。私が一番懸念していることがあります。それは、唐澤wiki自体がこれから、頭オメガの教徒により、自作SSを投稿するゴミ箱になってしまわないか、という事です。頭オメガ同士がその自作SSを褒め合うことで、ここがライトノベルもしくは小説家志望者の馴れ合いの場になれば、唐澤wiki全体の評価を貶めることにもなります。「唐澤wikiで自作SSを投稿してはいけない」というつもりはありません。(例:ハセ学 チン君パカ君)しかし、それらはまず外部掲示板で投稿されたものが、容赦のない批判あるいは擁護を受けながら生き残り、一定の地位を確立したものではないでしょうか。外で流行ったネタをまとめるという点では、唐澤wikiの使い方に適しているし全文を掲載するのも重要だと思います。私はこの記事の評価を避けますが、唐澤wikiが「実際に掲示板に投稿して批判を受けるのが怖いから、まず唐澤wikiに掲載して、なし崩しに認めさせよう」という流れにはなることを、不安に思っています。この記事は、好きなようにしてもらって構いません。しかし、これを前例として「僕の作った絶対に面白い投稿」で溢れれば、「面白かった」以外の評価を投稿してはいけない優しい世界となり、現在の閲覧者・編集者も離れてしまうでしょう。本当に力作でありクオリティが高いなら、唐澤wikiでの項目作成は、外で繰り返し発表して一般的な評価と理解が追い付いた後でもいいはずです。素人投稿であふれかえったwikiが、包皮民の攻撃材料になることも近いのではないでしょうか。個人的に、最初にネタバレを明記することは、唐澤wikiを自作SS発表の場だと勘違いした臭芋教育用に、最低限必要だと思っています。--176.9.25.72 2015年8月2日 (日) 14:55 (JST)