「河野光次」の版間の差分

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<strong>河野 光次</strong>(こうの みつじ、Kono Mitsuji、1882年-1973年頃)とは、[[唐澤貴洋]]の曽祖伯父で[[河野一英]]の伯父である。「憲政の神様」、東京市長として知られる尾崎行雄の秘書であり、義理の娘婿である。
<strong>河野 光次</strong>(こうの みつじ、Kono Mitsuji、1882年-1973年頃)とは、[[唐澤貴洋]]の曽祖伯父で[[河野一英]]の伯父である。「憲政の神様」、東京市長として知られる尾崎行雄の義理の娘婿である。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
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==考察、唐澤貴洋への影響==
==考察、唐澤貴洋への影響==
広島県安佐郡緑井村に河野唯助の次男?(兄・[[河野唯一|唯一]]?、弟・[[河野一三|一三]]?)として生まれる。
広島県安佐郡緑井村に河野唯助の次男?(兄・[[河野唯一|唯一]]?、弟・[[河野一三|一三]]?)として生まれる。<br>
近衛篤麿らの「アジア主義」に感銘しアジア各地を日本領とし欧米列強の干渉を防ごうと決意したことから上京(緑井村の河野家三兄弟のうち最初に上京した人物と思われる)し、早稲田大学に入学しつつ尾崎行雄の書生となる。<br>
近衛篤麿らの「アジア主義」に感銘しアジア各地を日本領とし欧米列強の干渉を防ごうと決意したことからか上京(緑井村の河野家三兄弟のうち最初に上京した人物と思われる)し早稲田大学に入学、尾崎行雄の書生となる。<br>
その後、アジア主義の理想を実現するためからか朝鮮に渡り事業を始めるも失敗。唐澤貴洋の曾祖父にあたる光次の弟・一三が京城(現ソウル)平田百貨店に就職したのも兄・光次に呼び寄せられた為であると思われ、一三は当時の朝鮮で実業家として活動していた[[村井啓助]]の妹・房を嫁ぎ、[[河野一英|一英]]が誕生した。<br>
その後、アジア主義の理想を実現するためからか尾崎の秘書で同僚であった畑弥右衛門(生涯を通じて光次と繋がりが深い人物であった模様である)と共に朝鮮・京城龍山地区(現・ソウル特別市龍山区)に渡り事業を始めるも失敗。このとき唐澤貴洋の曾祖父にあたる光次の弟・一三が平田百貨店京城店に就職したのも兄・光次に呼び寄せられた為であると思われ、一三は当時朝鮮龍山水産取締役であった[[村井啓助]]の妹・房を嫁ぎ、[[河野一英|一英]]が誕生した。<br>
朝鮮での事業が失敗に終わった後は日本に戻り、尾崎の秘書であった畑弥右衛門らと共に田園都市株式会社(東急不動産の前身)および子会社東急電鉄と関わるようになったと見られる(光次と同じく朝鮮で事業をしつつ東急田園都市線沿線において郊外住宅地の分譲開発事業を行っていた田園都市株式会社起業のきっかけを作った畑弥右衛門もまた尾崎行雄の秘書で光次と繋がりが深かった模様であり、一三はこの兄・光次の支援で朝鮮に渡りまた後に東急に関わったのではないかと思われる)。
朝鮮での事業が失敗に終わった後は日本に戻り、畑弥右衛門の提案がきっかけとなって渋沢栄一により設立された田園都市株式会社(東急不動産の前身)および同子会社東急電鉄と関わるようになったと見られる(畑弥右衛門は小林一三の田園都市構想実現に感化・影響されたことから東急田園都市線の計画及び同線沿線郊外住宅地の分譲開発事業による荏原郡開発を渋沢栄一に提案し、田園都市株式会社起業のきっかけを作った人物として知られ、一三はこの兄・光次の支援で朝鮮に渡りまた後に東急に関わったのではないかと思われる)。


また、[[血となり肉となっている。|唐澤貴洋がの好きな作家の一人として挙げている]]ノンフィクション作家、猪瀬直樹はこの経緯を『土地の神話』という本の題材としており、自身の一族の事を書いているからということで読んだのではないかとする考察がなされている<ref>[http://karasawalit.tumblr.com/post/54348047261 なぜ猪瀬直樹なのか?] - 唐澤貴洋文学館</ref>。
また、[[血となり肉となっている。|唐澤貴洋がの好きな作家の一人として挙げている]]ノンフィクション作家、猪瀬直樹はこの経緯を『土地の神話』という本の題材としており、自身の一族の事を書いているからということで読んだのではないかとする考察がなされている<ref>[http://karasawalit.tumblr.com/post/54348047261 なぜ猪瀬直樹なのか?] - 唐澤貴洋文学館</ref>。
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