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「河野一三」の版間の差分

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>蹴鞠
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|image=Kono13.jpg
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|imgdtl=河野一三
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|生年=1886
|生年2=9月1日
|年齢=享年82
|住所=東京府下荏原郡東調布町字下沼部(現・東京都世田谷区田園調布)
|住所=東京府下荏原郡東調布町字下沼部(現・東京都世田谷区田園調布)
|出生地=広島県沼田郡緑井村
|出生地=広島県沼田郡緑井村
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|身体情報=故人
|身体情報=故人
|命日=1968年11月23日
|命日=1968年11月23日
|墓所=大田区田園調布本町35-8 [[東光院]]
|墓所=[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/多磨霊園|多磨霊園]]<ref>{{Archive|http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/K/kouno_ka.html|https://archive.ph/t8vzV|歴史が眠る多磨霊園 河野一三}}</ref>、[[東光院]]
|特定経緯=[[河野一英]]の紳士録により発覚
|特定経緯=[[河野一英]]の紳士録により発覚
|関連性=[[尊師]]の曾祖父
|関連性=[[唐澤貴洋]]の曾祖父
|所属=創価学会、田園調布風致協会、大多摩川愛櫻会常任幹事
|所属=創価学会、田園調布風致協会、大多摩川愛櫻会常任幹事
|関係者=<div>
|関係者=<div>
* [[河野正之助]] - 祖父
* [[河野唯助]] - 父
* [[河野唯助]] - 父
* [[河野唯一]] - 長兄
* [[河野唯一]] - 長兄
* [[河野光次]] - 次兄
* [[河野光次]] - 次兄
* [[河野多満]] - 義姉
* [[河野多満]] - 義姉
* [[河野房]] - 妻
* [[河野一英]] - 息子
* [[河野一英]] - 息子
* [[河野喜代]] - 義理の娘
* [[河野典男]] - 息子
** [[唐澤厚子]] - 孫娘  
** [[唐澤厚子]] - 孫娘  
** [[唐澤洋]] - 義理の孫  
** [[唐澤洋]] - 義理の孫  
** [[唐澤貴洋]] - 曾孫  
*** [[唐澤貴洋]] - 曾孫  
** [[唐澤厚史]] - 曾孫
*** [[唐澤厚史]] - 曾孫
* [[河野英二]] - 息子
* [[河野英二]] - 息子
* [[河野三郎]] - 息子
* [[河野三郎]] - 息子
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* [[河野六郎]] - 息子
* [[河野六郎]] - 息子
</div>}}
</div>}}
 
'''河野 一三'''(こうの かずそう<ref name="kosenrufu">{{archive|http://kosenrufu.ldblog.jp/archives/1565479.html|https://archive.vn/w8KWP|桜樹燦爛}} - 広宣流布は俺がやる!</ref>、Kono Kazuso、1886年9月1日 - 1968年11月23日)は、[[唐澤貴洋]]の曽祖父で[[河野一英]]の父である。田園調布多摩川沿の地元活動での有力者として名を残す。
<strong>河野 一三</strong>(こうのかずそう<ref>[http://kosenrufu.ldblog.jp/archives/1565479.html 広宣流布は俺がやる!桜樹燦爛]</ref>、Kono Kazuso、1886年?-1968年11月23日)は、[[唐澤貴洋]]の曽祖父で[[河野一英]]の父である。田園調布多摩川沿の地元活動での有力者として名を残す。  


== 経歴 ==
== 経歴 ==
* 1886年頃 - 広島県沼田郡緑井村(現・広島市安佐南区緑井)にて河野唯助の三男?として生まれる。
* 1886年9月1日 - 広島県沼田郡緑井村(現・広島市安佐南区緑井)にて河野唯助の三男?として生まれる。
* 1912年 - 兄・光次の師である尾崎行雄が東京市長としてワシントン・ポトマック河畔に桜の樹を贈呈・植樹。一三が後に多摩川河川敷に桜の木を植樹する運動を主導したのはこの影響であったと思われる。
* 1915年 - 遅くともこの年までには兄・[[河野光次|光次]]に呼び寄せられて朝鮮に渡る。朝鮮では京城(ソウル)五大百貨店のひとつであった[http://www.asiae.co.kr/news/view.htm?sec=it99&idxno=2012030706463389581 平田百貨店](現・[https://www.facebook.com/pages/%EB%AA%85%EB%8F%99-%EA%B3%A0%EB%A0%A4%EB%8C%80%EC%97%B0%EA%B0%81%EC%84%BC%ED%84%B0%EB%B9%8C%EB%94%A9-8%EC%B8%B5/335602799902625 高麗大然閣センター])の前身である平田屋の関係者であったと言われる。
* 1915年 - 遅くともこの年までには兄・[[河野光次|光次]]に呼び寄せられて朝鮮に渡る。朝鮮では京城(ソウル)五大百貨店のひとつであった[http://www.asiae.co.kr/news/view.htm?sec=it99&idxno=2012030706463389581 平田百貨店](現・[https://www.facebook.com/pages/%EB%AA%85%EB%8F%99-%EA%B3%A0%EB%A0%A4%EB%8C%80%EC%97%B0%EA%B0%81%EC%84%BC%ED%84%B0%EB%B9%8C%EB%94%A9-8%EC%B8%B5/335602799902625 高麗大然閣センター])の前身である平田屋の関係者であったと言われる。
* 1918年 - 兄・[[河野光次|光次]]の同僚であった畑弥右衛門の提案で渋沢栄一により{{wpl|田園都市株式会社}}(後の[[東急グループ]])が設立される。
* 1918年 - 兄・[[河野光次|光次]]の同僚であった畑弥右衛門と荏原郡地主有志の提案で渋沢栄一により{{wpl|田園都市株式会社}}(後の[[東急グループ]])が設立される。妻である房の兄・[[村井啓助]]の属していた三協商会の店主・萩原六三郎は荏原郡の大地主であったことからこの件に関わったと思われる<ref>[[東急グループ#資料]]</ref>。
* 1920年 - 生後1ヶ月の[[河野一英]]を連れて帰国(の可能性あり)し、東京府下荏原郡東調布町字下沼部(現・田園調布)に移住<ref>[http://krsw.shoutwiki.com/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E4%B8%80%E8%8B%B1.jpg 一英紳士録]</ref>
*1920年 - 生後1ヶ月の[[河野一英]]を連れて帰国(の可能性あり)し、東京府下荏原郡東調布町字下沼部(現・田園調布)に移住<ref>[[:ファイル:一英.jpg|一英紳士録(画像)]]</ref>
*1923年 - 田園都市株式会社の子会社、目黒蒲田電鉄が[http://www5b.biglobe.ne.jp/~t-rail/meguro-line/history1.htm 目黒~蒲田間に目蒲線(現・東急目黒線~多摩川線)]を開通させたのに合わせて、荏原郡玉川調布(現・田園調布)の田園都市・大規模分譲開発が開始。このこともあって当時、目黒蒲田電鉄専務取締役であった{{wpl|五島慶太}}(後の東急グループ会長)と親しくなり、その縁で一三の四男・[[河野典男|典男]]は東急電鉄へ入社し、同グループ系列企業である東急建設・世紀東急工業の重役・社長を歴任した。また一三の妻、房の兄・[[村井啓助]]の属していた三協商会店主、萩原六三郎は荏原郡の大地主であったとされる。
*1923年 - 田園都市株式会社の子会社、目黒蒲田電鉄が目黒~蒲田間に目蒲線(現在の東急目黒線・東急多摩川線)を開通させた<ref>{{archive|http://www5b.biglobe.ne.jp/~t-rail/meguro-line/history1.htm|https://archive.vn/u6pbS|目蒲線最終期編}} - 東急目黒線の歴史</ref>のに合わせて、荏原郡玉川調布(現・田園調布)の田園都市・大規模分譲開発が開始。このこともあって当時、目黒蒲田電鉄専務取締役であった{{wpl|五島慶太}}(後の東急グループ会長)と親しくなり、その縁で一三の四男・[[河野典男|典男]]は東急電鉄へ入社し、同グループ系列企業である東急建設・世紀東急工業の重役・社長を歴任した。また一三の妻、房の兄・[[村井啓助]]の属していた三協商会店主、萩原六三郎は荏原郡の大地主であったとされる。
* 1933年 - 東京実業学校の移転に関与、典男によると一三の弟分が同校の校長を務めていたとされる。
* 1933年 - 東京実業学校の移転に関与、典男によると一三の弟分が同校の校長を務めていたとされる。
*1929年 - 当時の横浜・川崎市長らと共に「大多摩川愛櫻会」を創立。一三は同会の幹事として多摩川河川敷に桜の木を植樹する運動を主導した<ref name="kosenrufu"/><ref>{{archive|http://touyoko-ensen.com/mini%E2%80%90info/cook/ht-txt/059tamaagwa.html|https://archive.vn/5s4Mw|昔の多摩川}}</ref>(五男に「櫻樹」と命名したことや墓碑に桜の紋章を入れたことから桜に思い入れがあったと思われる)。
*1930年 - 彼の大多摩川愛櫻会が旧中原街道切通し坂「沼部の大坂」の両側に桜の木を植樹し「{{wpl|桜坂 (大田区)|桜坂(さくら坂)}}」と命名・創設。この「さくら坂」は2000年、{{wpl|福山雅治}}の楽曲「{{wpl|桜坂 (曲)|桜坂}}」が200万枚以上を売り上げる大ヒットとなったことで一躍有名となり、また2008年放送のアニメ『{{wpl|CLANNAD}}』にも登場し同作品の聖地巡礼場所となった。唐澤貴洋が好きなミュージシャンとして福山雅治を挙げていた<ref>{{Archive|1=http://www.koushin-lawfirm.jp/profile/|2=https://archive.vn/m2MlG#selection-197.23-197.27|3=プロフィール|nolink=1}} - [[恒心綜合法律事務所]]</ref>のはこの為であると思われる。
* 1935年 - 彼が建設を計画した{{wpl|丸子橋}}が完成する。
* 1935年 - 彼が建設を計画した{{wpl|丸子橋}}が完成する。
* 晩年 - 長女・喜久の勧めにより創価学会に入信。田園調布における有力者として田園調布風致協会常務理事・方面委員を務め、大多摩川愛櫻会常任幹事として多摩川河川敷に桜の木を植樹する運動を主導した<ref>[http://kosenrufu.ldblog.jp/archives/1565479.html 桜樹燦爛]</ref><ref>[http://touyoko-ensen.com/mini%E2%80%90info/cook/ht-txt/059tamaagwa.html 昔の多摩川]</ref>(五男に「櫻樹」と命名したことや墓碑に桜の紋章を入れたことから桜に思い入れがあったと思われる)。
* 晩年 - 長女・喜久の勧めにより創価学会に入信。田園調布における有力者として田園調布風致協会常務理事・方面委員を務める。
* 1968年11月23日 - 死去。享年82。
* 1968年11月23日 - 死去。享年82。[[東光院]]に「大多摩川愛櫻会さくら坂創設者 河野一三家」墓が建立されたと見られる。


==「桜の多摩川」==
== 「桜の多摩川」 ==
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「桜の多摩川」
「桜の多摩川」
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== 資料 ==
  ''一三の四男、[[河野典男|典男]]による[[建設人]]より''
  ''一三の四男、[[河野典男|典男]]による[[建設人]]より''
  父が、当時の横浜市長と多摩川の両岸10里に桜を植えさせたり、丸子橋の架橋を計画し、
  父が、当時の横浜市長と多摩川の両岸10里に桜を植えさせたり、丸子橋の架橋を計画し、
85行目: 95行目:
  父が当時の東急会長五島慶太氏(故人)と親しかったので東急電鉄を受けて合格、28年7月入社した。
  父が当時の東急会長五島慶太氏(故人)と親しかったので東急電鉄を受けて合格、28年7月入社した。


  ''[http://kosenrufu.ldblog.jp/archives/1565479.html 広宣流布は俺がやる!桜樹燦爛]より''
  ''{{archive|http://kosenrufu.ldblog.jp/archives/1565479.html|https://archive.vn/w8KWP|桜樹燦爛}} - 広宣流布は俺がやる!より''
  私のふるさと太田の多摩川のほとりにも、有名な桜並木がある。
  私のふるさと太田の多摩川のほとりにも、有名な桜並木がある。
  流れに沿い、堤に沿って、にぎやかに万朶(ばんだ)の春を展(ひろ)げる、平和の園となっている。そこにも、ひとつのドラマがあった。
  流れに沿い、堤に沿って、にぎやかに万朶(ばんだ)の春を展(ひろ)げる、平和の園となっている。そこにも、ひとつのドラマがあった。
99行目: 109行目:
  河野さんは、学会の文芸部員として活躍された娘さんの勧めで、晩年に学会員となられた。
  河野さんは、学会の文芸部員として活躍された娘さんの勧めで、晩年に学会員となられた。


  ''[http://krswisgod.blog.jp/archives/30352647.html 恒心スポーツ]より''
  ''{{archive|1=http://krswisgod.blog.jp/archives/30352647.html|2=https://archive.vn/GSpnR|3=文献から読み解く、唐澤弁護士の家系|nolink=1}} - 恒心スポーツより''
  ''「桜の多摩川」より、河野一三氏の記述抜粋''                                              
  ''「桜の多摩川」より、河野一三氏の記述抜粋''                                              
   
   
105行目: 115行目:
  多くの住民の頭を悩ますところであった。そこで河野一三氏は、両岸の更地に桜を植えることを提案し、
  多くの住民の頭を悩ますところであった。そこで河野一三氏は、両岸の更地に桜を植えることを提案し、
  そのことが愛櫻會(あいおうかい)発足のきっかけとなった。(簡約ここまで)
  そのことが愛櫻會(あいおうかい)発足のきっかけとなった。(簡約ここまで)
''{{Archive|1=http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00224504-20040128-0283.pdf?file_id=109605|2=https://web.archive.org/web/20191226051926/http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00224504-20040128-0283.pdf?file_id=109605|3=戦前期における日本百貨店の植民地進出 : 京城(PDF)}}より''
>平田百貨店創業者、平田智惠人
''{{Archive|1=http://db.history.go.kr/item/level.do;jsessionid=7F2E856784B4ADDEA334F053A41CB096?levelId=im_215_23741|2=https://archive.vn/HqNC2|3=平田智惠人}} - 韓国史データベースより''
>平田智惠人 1863~
>籍:東京市牛込區市ケ谷山伏町、東京市牛込區南榎木町 出生地:廣島縣
''{{Archive|1=http://gb.nl.go.kr/day_result.aspx?ho_id=GB_19380412_CA3369&date=1938-04|2=https://archive.vn/Yp6Su|3=日付別検索記事一覧}} - 朝鮮総督府官報活用システムより''
>株式會社平田百貨店 平田一平,平田米夫,平田輝男,藤田良作


== 墓所開示 ==
== 墓所開示 ==
118行目: 138行目:
*[[河野光次]]
*[[河野光次]]
*[[河野典男]]
*[[河野典男]]
== 外部リンク ==
*{{wpl|田園都市株式会社}} - 東急電鉄と田園都市株式会社による田園調布開発について詳細に書かれている。
*{{wpl|田園都市株式会社}} - 東急電鉄と田園都市株式会社による田園調布開発について詳細に書かれている。
*{{wpl|東急多摩川線}}
*{{wpl|東急多摩川線}}


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[[カテゴリ:唐澤ファミリー]]
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[[カテゴリ:人物]]
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[[カテゴリ:故人]]
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[[カテゴリ:有能]]
 
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