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→坂本弁護士一家殺害事件
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== 坂本弁護士一家殺害事件 == | == 坂本弁護士一家殺害事件 == | ||
=== 背景 === | |||
1989年は[[オウム真理教]]が宗教法人化した年であり、オウム真理教への勧誘が積極的に行われていた。当時より勧誘や出家を巡るトラブルが後を絶たず、週刊誌がバッシング記事を連載し、[[子共]]が教団に出家してしまった親達を中心にオウム真理教への風当たりが強まりつつあった。 | 1989年は[[オウム真理教]]が宗教法人化した年であり、オウム真理教への勧誘が積極的に行われていた。当時より勧誘や出家を巡るトラブルが後を絶たず、週刊誌がバッシング記事を連載し、[[子共]]が教団に出家してしまった親達を中心にオウム真理教への風当たりが強まりつつあった。 | ||
坂本弁護士は<s>[[唐澤貴洋|どこかの誰かさん]]とは違い</s>法的措置をとり、<s>どこかの誰かさんのように[[唐澤貴洋被害者説|プロパガンダ]]を垂れ流す目的ではなく</s>オウム真理教の真実を知ってもらうべく取材<ref>オウム真理教に対し当時から批判的な立場をとっていた{{wpl|サンデー毎日}}への関わりが強かったとされる</ref>やマスコミ<ref>後に{{wpl|TBSビデオ問題}}などへと繋がる</ref>にも登場しては教団の問題点を指摘した<ref>{{Archive|https://bunshun.jp/articles/-/40970|https://archive.ph/Z85di|「私が地下鉄にサリンを撒きました」 坂本弁護士一家殺害事件の犯人が自首した理由}} - [[週刊文春]]</ref>。 | |||
=== 殺害、隠蔽 === | |||
それらの活動の結果、坂本堤弁護士は教団からの反感を買い、1989年11月4日の午前3時頃に'''[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧|教団の幹部]]らによって妻の都子と長男の龍彦と共に殺害されてしまった({{wpl|坂本弁護士一家殺害事件}})'''。[[麻原彰晃]]が犯行を指示([[ポア]]のサインを出し、{{wpl|塩化カリウム}}で殺害するよう命じたとされる)し、犯行に関与しているとされたのは[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧#マハー・アングリマーラ大師|岡崎一明]]・[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/村井秀夫|村井秀夫]]・[[正大師#ミラレパ正大師|新実智光]]・[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧#ティローパ正悟師|早川紀代秀]]・[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧#ヴァジラ・ティッサ正悟師|中川智正]]・[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧#ガフヴァ・ラティーリヤ師長|端本悟]]である<ref>その他、[[正大師#マハー・ケイマ正大師|石井久子]]も遺体の処理に加担したとされる</ref>。 | |||
坂本弁護士らは強く抵抗したため毒殺は実現できず、首を絞めて殺害したため死因は窒息死であるとされている。犯行に及んだ動機は{{wpl|第39回衆議院議員総選挙|翌年に控える衆院選}}への悪影響や今後の教団の発展の障害となることを恐れたからだとされている。麻原は殺害の成功を喜び<ref>{{Archive|https://blog.goo.ne.jp/h_inagiku5/e/5c560ecd2854629d4cdd29299b007638|https://archive.ph/t76Y9|坂本弁護士一家殺害事件ーまだ残る闇ー}} - 小川洋子のブログ</ref>、説法の後に3人の遺体をドラム缶の中に入れて別々の場所に埋めるよう指示したということもあり、捜査は難航した。麻原は死体遺棄を終えて帰ってきた一行に「真理を妨害することで得た金で養われている者も悪行を積んでいる」と説いて、「三人殺したら死刑は間違いない。みんな死刑だな」と笑いながら語ったとされている。 | 坂本弁護士らは強く抵抗したため毒殺は実現できず、首を絞めて殺害したため死因は窒息死であるとされている。犯行に及んだ動機は{{wpl|第39回衆議院議員総選挙|翌年に控える衆院選}}への悪影響や今後の教団の発展の障害となることを恐れたからだとされている。麻原は殺害の成功を喜び<ref>{{Archive|https://blog.goo.ne.jp/h_inagiku5/e/5c560ecd2854629d4cdd29299b007638|https://archive.ph/t76Y9|坂本弁護士一家殺害事件ーまだ残る闇ー}} - 小川洋子のブログ</ref>、説法の後に3人の遺体をドラム缶の中に入れて別々の場所に埋めるよう指示したということもあり、捜査は難航した。麻原は死体遺棄を終えて帰ってきた一行に「真理を妨害することで得た金で養われている者も悪行を積んでいる」と説いて、「三人殺したら死刑は間違いない。みんな死刑だな」と笑いながら語ったとされている。 | ||
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失踪が明らかとなった時点で、オウム真理教の関与が強く疑われたものの<ref>特に[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧#ヴァジラ・ティッサ正悟師|中川智正]]が犯行現場に誤って残した{{wpl|プルシャ (オウム真理教)|プルシャ}}(教団製の[[段ボールバッジ|バッジ]])が決め手となった(後に教団はこれを大量生産して外部へ配り「現場にあったものは、坂本弁護士の裁判資料である」と取り繕ったとされる)</ref>、麻原はテレビに出演し強く抗議した<ref>次第に「マハーヤーナ」と呼ばれる[[愛され路線]]で[[タレント化路線|タレントとしての立場を確立したこと]]で、疑惑自体もしばらく有耶無耶にされた</ref>。その結果、後述の幹部による自供があるまで遺体は発見されなかった。 | 失踪が明らかとなった時点で、オウム真理教の関与が強く疑われたものの<ref>特に[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧#ヴァジラ・ティッサ正悟師|中川智正]]が犯行現場に誤って残した{{wpl|プルシャ (オウム真理教)|プルシャ}}(教団製の[[段ボールバッジ|バッジ]])が決め手となった(後に教団はこれを大量生産して外部へ配り「現場にあったものは、坂本弁護士の裁判資料である」と取り繕ったとされる)</ref>、麻原はテレビに出演し強く抗議した<ref>次第に「マハーヤーナ」と呼ばれる[[愛され路線]]で[[タレント化路線|タレントとしての立場を確立したこと]]で、疑惑自体もしばらく有耶無耶にされた</ref>。その結果、後述の幹部による自供があるまで遺体は発見されなかった。 | ||
=== 日弁連の反応 === | |||
日弁連は1990年2月15日、名指しこそはしないものの実行犯の良心に訴え、事件の早期解決を願う会長声明を発表している。 | 日弁連は1990年2月15日、名指しこそはしないものの実行犯の良心に訴え、事件の早期解決を願う会長声明を発表している。 | ||
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以上の理由により本決議を提案する次第である。 | 以上の理由により本決議を提案する次第である。 | ||
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=== 遺体発見、犯人達の最期 === | |||
[[ファイル:平成8年1月12日官報.jpg|thumb|right|180px|平成8年1月12日官報]] | [[ファイル:平成8年1月12日官報.jpg|thumb|right|180px|平成8年1月12日官報]] | ||
事件から6年後の1995年に[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧#マハー・アングリマーラ大師|岡崎一明]]からの自供により3人の死体遺棄場所が判明する<ref>{{Archive|1=https://www.jiji.com/jc/d4?p=aum995-jpp05676464&d=d4_aum|2=https://archive.ph/U51qy|3=日本震撼、オウム事件全史 写真特集}}</ref>。供述に基づき捜索したところ、同年9月6日、新潟県西頸城郡名立町(現・上越市)の山中から発見された。同じ日には富山県魚津市の林道脇から妻の遺体が、4日後の9月10日には長野県大町市の山中から長男の遺体が発見された。坂本弁護士の遺体発見を受け、日弁連が再度会長声明を出している。 | 事件から6年後の1995年に[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教の幹部・信者一覧#マハー・アングリマーラ大師|岡崎一明]]からの自供により3人の死体遺棄場所が判明する<ref>{{Archive|1=https://www.jiji.com/jc/d4?p=aum995-jpp05676464&d=d4_aum|2=https://archive.ph/U51qy|3=日本震撼、オウム事件全史 写真特集}}</ref>。供述に基づき捜索したところ、同年9月6日、新潟県西頸城郡名立町(現・上越市)の山中から発見された。同じ日には富山県魚津市の林道脇から妻の遺体が、4日後の9月10日には長野県大町市の山中から長男の遺体が発見された。坂本弁護士の遺体発見を受け、日弁連が再度会長声明を出している。 | ||
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なお、事件に関与した岡﨑以外の幹部達も、その後全員<ref>ただし{{wpl|村井秀夫刺殺事件|逮捕前に刺殺された}}[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/村井秀夫|村井秀夫]]と、同事件では起訴されなかった[[正大師#マハー・ケイマ正大師|石井久子]]は除く</ref>[[ポア|死刑]]判決を受けており、2018年にその刑が執行されることになる。日頃から"[[超越神力]]" | なお、事件に関与した岡﨑以外の幹部達も、その後全員<ref>ただし{{wpl|村井秀夫刺殺事件|逮捕前に刺殺された}}[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/村井秀夫|村井秀夫]]と、同事件では起訴されなかった[[正大師#マハー・ケイマ正大師|石井久子]]は除く</ref>[[ポア|死刑]]判決を受けており、2018年にその刑が執行されることになる。日頃から"[[超越神力]]"による予言能力を主張していた麻原の「みんな死刑だな」という発言に対する、皮肉極まりない結果と言えるだろう。 | ||
余談だが、坂本堤弁護士の母の坂本さちよ氏は2020年3月にインタビューに応じ、当時の心境やマスコミ対応への不満を述べている<ref>{{Archive|https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/35160|https://archive.ph/jL0Yk|坂本堤弁護士の母・坂本さちよさん/「生きている者の義務」として(松島 佳子)2020年3月}}</ref>。 | 余談だが、坂本堤弁護士の母の坂本さちよ氏は2020年3月にインタビューに応じ、当時の心境やマスコミ対応への不満を述べている<ref>{{Archive|https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/35160|https://archive.ph/jL0Yk|坂本堤弁護士の母・坂本さちよさん/「生きている者の義務」として(松島 佳子)2020年3月}}</ref>。 | ||
=== 追悼 === | |||
坂本弁護士の遺体発見現場には、慰霊碑が立てられ毎年遺体発見日には[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/滝本太郎|滝本弁護士]]<ref>なお、下記の記事には滝本弁護士が写っているものの、滝本弁護士はNHKを出禁になっているらしく、別の弁護士が取材に答えている</ref>ら関係者による追悼行事が行われている。 | 坂本弁護士の遺体発見現場には、慰霊碑が立てられ毎年遺体発見日には[[唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/滝本太郎|滝本弁護士]]<ref>なお、下記の記事には滝本弁護士が写っているものの、滝本弁護士はNHKを出禁になっているらしく、別の弁護士が取材に答えている</ref>ら関係者による追悼行事が行われている。 | ||
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