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恒心文庫:YMOKs Albtraum

提供:唐澤貴洋Wiki
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本文

5年間連れ添ってきた私の愛する同僚は、最近目に見えて不健康だ。あのふくよかな体型に隈の刻まれた暗い表情は似合わない、私はそう思うのだが、彼の表情は日増しに暗くなってゆく。そんな毎日を過ごしていると、ふとした時に、悪魔的な考えが過ってしまう。彼はこのまま死んでしまうのではないか。私の前から、はたと消えてしまうのではないか。彼がいきなり机に突っ伏してから一時間が経とうとしている。何度かそっと触れてみるが、温かいまま。息もしっかりしている。安心感を覚えると共に、私は心のどこかに醜い失望があるのを感じ取る。もしかしたら、からさんに一番死んでほしいと思っているのは、私なのかもしれない。……いや、あり得ないか。私は再びパソコンに向かった。

「山岡君、ありがとう。さようなら」
深夜、駅のホームにて、からさんは突然そう言った。私にはその言葉の意味を聞くだけの時間は無かった。満面の笑みを浮かべて、彼は迫り来る電車に向かって飛び込んだ。
「だめ!だめです!!」
叫んでももう遅い。鈍い音。少し遅れてブレーキの音。頬に浴びる生温かい血飛沫。足元に転がる何らかの臓器の破片。
「からさん!からさん!!」
狂ったように叫び続ける。しかし、呼びかけても返事は帰ってこない。豊満な腹部はグロテスクな断面の下に蛇行する腸を露出している。血だまりに浮いた眼球だけが、私を見つめていた。彼は死んでしまった。突然私の目の前から消えた。悲しみと遣る瀬無さ。しかし、心のどこかから湧き上がる興奮もある。混沌とした感情を持て余し、私はただ立ち尽くしていた。

今目の前で彼は寝息を立てている。彼もまた、昼間は誹謗中傷に曝され、夜は悪夢に魘され眠れないという。力なく伏せた頭部は時折小さく揺れる。私はその姿に、そっと微笑む。しかし、慈しみ以上に例の混沌とした感情が私の中にあるのだ。電車に飛び込んで内臓を晒したからさん、ペットボトルの炭酸飲料を飲み干してそのまま泡を吹いて冷たくなったからさん、殴られて痣だらけになったからさん。私の目の前で死にゆく彼の姿は、どれも美しかった。死というものが、私が彼に見出している親愛を鮮やかに彩るのだ。
「山岡さん?山岡さん?」
「ああ、山本君か。どうかしたのか?」
私を形而上学的な妄想から現実へ引き戻したのは、同僚の声だった。
「そちらこそ。何か考え事でもあるのですか?」
山本は、からさんと私とを見比べて言った。どうやら彼も察しているらしい。しかし、私の心の深淵までは見抜かれているはずは無かろう。そして、私は言った。
「からさんが、心配でな」
「相変わらず、山岡さんは優しいですね」
山本は笑みを浮かべ、ビニール袋をガサゴソ言わせた。
「そうだ、暑いでしょうから、アイス買って来ましたよ」
「助かる。ありがとう」
その時、ゆっくりとからさんは起き上がった。開いたばかりの右目を、眩しそうに擦る様は、さながら幼児のそれであった。
「おはようございます、からさん」
私は彼に無上の微笑みを向ける。
「ちょうど良かった。皆さんアイス食べませんか?」
彼の眼の輝き。生に満ち溢れている。だからこそ、私は……危うい考えは、しばしの楽しい時間には蓋をしてしまおう。こっそり手の内に忍ばせたカッターナイフを引き出しの奥へと仕舞う。
「美味しそうだなぁ」
霜のついたカップと木のスプーンを手に、幼い恍惚の表情を浮かべる彼を一瞥。
「では私も、いただきます」
カップアイスの滑らかな雪原をかの豊満な腹部に見立て、スプーンを思い切り突き刺した。

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