「唐澤貴洋Wiki:チラシの裏/オウム真理教とネット文化」の版間の差分
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→2chにおいて
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90年代後半には麻原は会話不能になっていき、事件の全容も分かってきたことから世間ではオウム事件への興味が薄れていく。 | 90年代後半には麻原は会話不能になっていき、事件の全容も分かってきたことから世間ではオウム事件への興味が薄れていく。 | ||
2chがはじまった1999年時点で既にオウムネタは古くなっていたため、当時より鮮度の高い話題である{{nicodic|ネオ麦茶}}や{{wpl|パナウェーブ研究所}}等との習合がみられる。習合は2chでのオウムネタの大きな特徴であり、後に旧尊師と現尊師が習合したことも自然な流れであったといえよう。 | 2chがはじまった1999年時点で既にオウムネタは古くなっていたため、当時より鮮度の高い話題である{{nicodic|ネオ麦茶}}や{{wpl|パナウェーブ研究所}}、{{wpl|高橋弘二}}等との習合がみられる。習合は2chでのオウムネタの大きな特徴であり、後に旧尊師と現尊師が習合したことも自然な流れであったといえよう。 | ||
<nicovideo>sm19640727</nicovideo> | <nicovideo>sm19640727</nicovideo> |