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4章
>化学に強い弁護士 細 (→自宅に届いたレターパック) |
>化学に強い弁護士 (4章) |
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{{注意|この文章は文字認識で作られた文章が元のため誤字脱字がある可能性があります<br>気づいた人は各自修正するか脳内補完してください<br>整形手伝ってくれる芋は手伝ってください}} | {{注意|この文章は文字認識で作られた文章が元のため誤字脱字がある可能性があります<br>気づいた人は各自修正するか脳内補完してください<br>整形手伝ってくれる芋は手伝ってください}} | ||
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'''[https://cross-law.xyz/test/read.cgi/evil/1544793265/232 | '''[https://cross-law.xyz/test/read.cgi/evil/1544793265/232 【唐澤貴洋殺す】雑談★149【挫折経験のない、意識高い系の幸せそうな人たち(40)】]''' | ||
232 :<span style="color:green">'''無名弁護士'''</span>:2018/12/15(土) 12:04:26.70 ID:ZEQFKjXY0 | 232 :<span style="color:green">'''無名弁護士'''</span>:2018/12/15(土) 12:04:26.70 ID:ZEQFKjXY0 | ||
>>103 | >>103 | ||
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== まえがき == | == まえがき == | ||
2018年10月30日午後10時。私は、アベマTVの「[[AbemaPrime|アべマプライム]]」という番組からの出演依頼に応じて、テレビ朝日のスタジオにいました。<br> | 2018年10月30日午後10時。私は、アベマTVの「[[AbemaPrime|アべマプライム]]」という番組からの出演依頼に応じて、テレビ朝日のスタジオにいました。<br> | ||
そこには、私が長期にわたり炎上する原因となったインターネット掲示板の管理者であった[[西村博之]] | そこには、私が長期にわたり炎上する原因となったインターネット掲示板の管理者であった[[西村博之]]氏(以下、西村氏)がいました。<br> | ||
西村氏は、過去に自身の著書『僕が[[2ちゃんねる]]を捨てた理由』の中で、掲示板管理者として法的責任を問われ、損害賠償金の支払いを裁判所に命じられたにもかかわらず、<br> | 西村氏は、過去に自身の著書『僕が[[2ちゃんねる]]を捨てた理由』の中で、掲示板管理者として法的責任を問われ、損害賠償金の支払いを裁判所に命じられたにもかかわらず、<br> | ||
「裁判に負けても賠償金は支払っていません」と明言していた人物です。<br> | 「裁判に負けても賠償金は支払っていません」と明言していた人物です。<br> | ||
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とにかくおかしなことになってしまっていると、すぐにツイッターを非公開にしましたが、一度燃え出した火花は延焼していくのでした。 | とにかくおかしなことになってしまっていると、すぐにツイッターを非公開にしましたが、一度燃え出した火花は延焼していくのでした。 | ||
[[なんJ|掲示板上]] | [[なんJ|掲示板上]]では、私の名前とネガティブなキーワードを組み合わせた投稿をたくさんすることによって、検索エンジンのサジェスト(予測変換)ワードをつくり出そうとする動きがありました。<br> | ||
つまり、「唐澤貴洋 犯罪者」「唐澤貴洋 詐欺師」などのように、私の名前を貶める言葉を次々と入力し、私の名前を入力すると予測検索で表示させようと盛り上がっていたのです。<br> | つまり、「唐澤貴洋 犯罪者」「唐澤貴洋 詐欺師」などのように、私の名前を貶める言葉を次々と入力し、私の名前を入力すると予測検索で表示させようと盛り上がっていたのです。<br> | ||
こういった行為は、「[[サジェスト汚染]]」と名づけられ、その後、誹謗中傷の手段として繰り返し行われていきます。<br> | こういった行為は、「[[サジェスト汚染]]」と名づけられ、その後、誹謗中傷の手段として繰り返し行われていきます。<br> | ||
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私は、そういった誹謗中傷に対して、裁判所で仮処分を取得し、「2ちゃんねる」上で発信者の開示を求める手続きをとり続けましたが、そのことがさらに反感を買い、誹謗中傷は加速していきました。<br> | 私は、そういった誹謗中傷に対して、裁判所で仮処分を取得し、「2ちゃんねる」上で発信者の開示を求める手続きをとり続けましたが、そのことがさらに反感を買い、誹謗中傷は加速していきました。<br> | ||
サジェスト汚染について取得した仮処分について、「[[無差別開示|無差別的に仮処分をとっている]]」という見解がインターネット上にありました。<br> | サジェスト汚染について取得した仮処分について、「[[無差別開示|無差別的に仮処分をとっている]]」という見解がインターネット上にありました。<br> | ||
しかし、サジェスト汚染による権利侵害を疎明(裁判官に確からしいという推測を抱かせること)し、裁判所から正式に決定を取得したものであって、その見解は、的を射ていませんでした。 | |||
今では弁護士もインターネットを使って仕事の営業をするのが主流ですが、当時はまだ使いこなす人が少なかった時代。<br> | 今では弁護士もインターネットを使って仕事の営業をするのが主流ですが、当時はまだ使いこなす人が少なかった時代。<br> | ||
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突然、[[月永皓瑛|私の事務所に押しかけてチャイムを鳴らしたり]]、事務所の上の階から撮影した写真を投稿したりする実動部隊が出現しました。 | 突然、[[月永皓瑛|私の事務所に押しかけてチャイムを鳴らしたり]]、事務所の上の階から撮影した写真を投稿したりする実動部隊が出現しました。 | ||
インターネットという二次元の世界から飛び出し、現実(実在)の私の近くに現れる者が増え、その行動もどんどん過激になり、実害へとエスカレートしていきました。<br> | |||
おそらく、ネット上での誹謗中傷では満足できなくなり、より刺激を求めたのではないでしょうか。<br> | おそらく、ネット上での誹謗中傷では満足できなくなり、より刺激を求めたのではないでしょうか。<br> | ||
なぜ炎上するのかは、改めてお話ししたいと思っていますが、掲示板で盛り上がっている人たちには絶えず新しいネタが必要なのです。<br> | なぜ炎上するのかは、改めてお話ししたいと思っていますが、掲示板で盛り上がっている人たちには絶えず新しいネタが必要なのです。<br> | ||
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前章で説明したように、私は定時制の高校1年生のときに、弟を亡くしました。<br> | 前章で説明したように、私は定時制の高校1年生のときに、弟を亡くしました。<br> | ||
「いざ何かがあったときに戦えるだけの力をつけたい」ということは、より強く思うようになっていたので、とにかく現実できちんと役に立つ勉強ができる大学を探していました。<br> | 「いざ何かがあったときに戦えるだけの力をつけたい」ということは、より強く思うようになっていたので、とにかく現実できちんと役に立つ勉強ができる大学を探していました。<br> | ||
いろいろ調べていくと、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の環境情報学部なら、実益のあることが学べて面自そうだし、<br> | |||
問題解決のための手法を教えてもらえそうだとわかりました。何よりこの学部は英語と小論文だけで受験ができました。<br> | 問題解決のための手法を教えてもらえそうだとわかりました。何よりこの学部は英語と小論文だけで受験ができました。<br> | ||
受験への取組みにハンディのある私にとって受験科目が少ないので、手が届きそうな気がしたのです。 | 受験への取組みにハンディのある私にとって受験科目が少ないので、手が届きそうな気がしたのです。 | ||
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合格発表の日は、私は見に行く勇気がなく、父親が代わりに行ってくれました。電話をしてきた父親が、「貴洋、受かっているぞ」と喜んでいたのを今でも覚えています。 | 合格発表の日は、私は見に行く勇気がなく、父親が代わりに行ってくれました。電話をしてきた父親が、「貴洋、受かっているぞ」と喜んでいたのを今でも覚えています。 | ||
1999年、21歳のときに、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)環境情報学部に入学しました。 | |||
しかし、私は一度高校を中退しているうえに定時制高校を卒業し、さらに1年間浪人をして、大学に入学した身です。<br> | しかし、私は一度高校を中退しているうえに定時制高校を卒業し、さらに1年間浪人をして、大学に入学した身です。<br> | ||
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大学2~3年のときには、日本の経済・外交政策や国際交渉における政策決定過程などを鋭く検証することで名を馳せた政治学者である草野厚先生のゼミに入りました。 | 大学2~3年のときには、日本の経済・外交政策や国際交渉における政策決定過程などを鋭く検証することで名を馳せた政治学者である草野厚先生のゼミに入りました。 | ||
以前から「サンデープロジェクト」(テレビ朝日系列)が好きでよく観ていたのですが、<br> | |||
同番組でコメンテーターをされていた草野先生の授業を受けてみたら、非常に面白かったのです。<br> | 同番組でコメンテーターをされていた草野先生の授業を受けてみたら、非常に面白かったのです。<br> | ||
それは政治システムという授業で、戦後の日本外交史を中心に学ぶものでした。<br> | それは政治システムという授業で、戦後の日本外交史を中心に学ぶものでした。<br> | ||
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そうした映画や小説に感化されたこともあり、もうすぐ大学を卒業する自分がずっと欲しいと思っていた力は、法律の知識なのかもしれないと思い始め、<br> | そうした映画や小説に感化されたこともあり、もうすぐ大学を卒業する自分がずっと欲しいと思っていた力は、法律の知識なのかもしれないと思い始め、<br> | ||
法曹(弁護士・検察官・裁判官)を目指すことにしたのです。<br> | |||
私は、2003年に慶應SFCを卒業し、そのまま慶應大学法学部に学士入学することにしました。 | 私は、2003年に慶應SFCを卒業し、そのまま慶應大学法学部に学士入学することにしました。 | ||
2003年に学士入学で法学部に入った翌年の2004年に法科大学院(ロースクール)が創設されました。<br> | |||
私は自分の年齢も考えて、法曹への近道になると思われるロースクールに入学するための勉強を開始し、2005年、27歳にして早稲田大学のロースクールに入学しました。 | 私は自分の年齢も考えて、法曹への近道になると思われるロースクールに入学するための勉強を開始し、2005年、27歳にして早稲田大学のロースクールに入学しました。 | ||
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多くの学生は大手事務所や企業法務のインターンをやりたがるのですが、私はどうせやるなら今後の自分に役立つところがいい、<br> | 多くの学生は大手事務所や企業法務のインターンをやりたがるのですが、私はどうせやるなら今後の自分に役立つところがいい、<br> | ||
誰かのためになることをやりたいと、ロースクール1年生のときには、神田の「クレジット・サラ金被害者連絡協議会(太陽の会)」で、インターンシップをしました。<br> | 誰かのためになることをやりたいと、ロースクール1年生のときには、神田の「クレジット・サラ金被害者連絡協議会(太陽の会)」で、インターンシップをしました。<br> | ||
そこは、その名の通り、クレジットカードやサラ金(消費者金融)の多重債務で苦しんでいる人たちを助ける活動をしている団体でしたが、<br> | |||
2005年当時は金利も高く、ヤミ金融業者が横行した時代で、太陽の会は、多重債務者の駆け込み寺のような場所で、いろいろなところから借金を重ねてしまった人に対して、<br> | 2005年当時は金利も高く、ヤミ金融業者が横行した時代で、太陽の会は、多重債務者の駆け込み寺のような場所で、いろいろなところから借金を重ねてしまった人に対して、<br> | ||
正しい債務と金利だけを支払うように交渉するだけでなく、借金を借金で返そうとしてしまう人の生活を再建してあげることもしていました。 | 正しい債務と金利だけを支払うように交渉するだけでなく、借金を借金で返そうとしてしまう人の生活を再建してあげることもしていました。 | ||
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弟が自殺したときに何もできなかった私は、自分の無力さをずっと感じ続けていました。<br> | 弟が自殺したときに何もできなかった私は、自分の無力さをずっと感じ続けていました。<br> | ||
しかし、法律を自分の盾にすれば、もっとたくさんの悪に対峙できる。そう確信して、やっと将来の目標に向かって邁進し始めたのです。 | しかし、法律を自分の盾にすれば、もっとたくさんの悪に対峙できる。そう確信して、やっと将来の目標に向かって邁進し始めたのです。 | ||
== 第4章 弁護士になってからも茨の道は続いた == | |||
=== [[坂本総合法律事務所|最初の事務所]]を半年で辞めることに === | |||
2009年、31歳のときに私は司法試験に合格しました。<br> | |||
1年間の司法修習期間を経て、神田のある弁護士事務所で働くことになりました。<br> | |||
その事務所は、今では看板を下ろし廃業してしまいましたが、年配の所長だったこともあり、自ら案件を引き受けて業務をこなすことはほとんどありませんでした。<br> | |||
また、小さな事務所でしたので、実際に案件を引き受けて業務を任せられたのは、弁護士1年生の私であるようなところでした。<br> | |||
雑務をこなす事務員もいるにはいたのですが、弁護士1年生の私の仕事には対応してもらえず、<br> | |||
郵便局に行くのも、電話の応対をするのも、クライアントと交渉するのも、裁判所に行くのも、結局すべて私がやっていました。 | |||
所長の知り合いである行政書士から回してもらえる相続案件が大半を占める事務所でしたので、<br> | |||
私は「こんなことがしたくて、弁護士になったのか?」と毎日悶々としていました。<br> | |||
そんな自問自答を繰り返していた矢先の2011年3月11日、東日本大霞災が起きました。<br> | |||
地震発生時、事務所が入っている古い雑居ビルの8階で業務をしていましたが、立っているのが困難なほどの揺れを感じました。<br> | |||
私は、これまで体験したことのない恐怖を感じ、このまま死ぬかもしれないと思ったほどでした。 | |||
それがきっかけとなって、覚悟が決まりました。<br> | |||
「いつ死ぬかもわからないなら、きちんとやるべきことをやろう」と。<br> | |||
そして、2011年7月4日、私は事務所を辞め、弁護士として独立しました。<br> | |||
7月4日に独立したのは、独立した日を忘れないように、アメリカ独立記念日と同じ日にしたからです。<br> | |||
通常の弁護士なら、最初の事務所で何年かかけて、キャリアやコネクション、人脈などを築いてから独立するものですが、私の独立は異例の早さでした。<br> | |||
結局、神田の事務所にいたのは、ほんの7カ月ほどでしたから。<br> | |||
こんな数カ月しかいない中でも今でも頼らせていただいている先輩弁護士<ref>恐らく[[小西一郎]]</ref>ができました。<br> | |||
今でも何かの機会には会い、仕事の話などしています。 | |||
実はそのときは、ちょうど父が勤めていた監査法人を辞めて、会計士・税理士として個人で事務所を構えるというタイミングでもありました。<br> | |||
父の事務所の片隅を間借りさせてもらい、机ひとつにパソコンひとつを置いて、'''私一人の弁護士事務所である「[[恒心綜合法律事務所]]」を立ち上げました。'''<br> | |||
「'''[[恒心]]'''」とは、常に正しき心を持つという意味で、名前をつけました。 | |||
=== [[長谷川亮太|ネットの誹謗中傷案件]]を担当して…… === | |||
第1章では、私がなぜ炎上してしまったのかを簡単に説明しましたが、実はこの炎上案件の前に、インターネットで誹謗中傷されている方の依頼を数件受けていました。<br> | |||
その経験から、インターネット関連の仕事はニーズがあると思っていました。 | |||
当時、インターネットに詳しい弁護士は数えるほどしかいませんでした。<br> | |||
私は大学でもインターネットについて勉強していたので、特化してやってみようと思い立ちました。<br> | |||
ホームページ、[[唐澤貴洋の発言一覧/スパムブログ|ブログ]]、[[Faithbook|フェイスブック]]、[[唐澤貴洋の発言一覧/Twitter|ツイッター]]などを立ち上げて、そこで「もしインターネットでのトラブルがあるなら、相談受けます」と精力的にアピールしたのです。<br> | |||
私が事務所を立ち上げたばかりのときは、タクシーの運転手の方や出会う人すべてに名刺を配っていました。<br> | |||
友人・知人から紹介してもらった案件なら、リスクがあっても何でも依頼を受けました。<br> | |||
相続問題、離婚問題、映画製作の資金回収、金銭トラブル、非行少年の学校トラブル、ストーカー被害など、その分野は多岐にわたります。<br> | |||
ストーカー被害の案件は、結婚相談所で知り合った男性につけ狙われていた女性や、元彼女につけられているバンドマンなど、女性だけではなく男性からの相談もありました。<br> | |||
命を狙われるくらいの切羽詰まったケースもあったので、ストーカーの問題は扱いがセンシティブで、解決も難しく怖い案件でした。 | |||
また、インターネットの案件では、私もインターネットで叩かれている人たちを実際に見ていたので、その怖さは感じていました。<br> | |||
しかし、もちろん自分に降りかかるとも、真っ向からこんなに意味がわからない行動をする人がいることも、当時は想像できませんでしたが……。 | |||
=== 被害は拡大し、悪質を極める === | |||
2012年3月、「[[2ちゃんねる]]」で[[長谷川亮太|誹謗中傷されている少年]]からの依頼で弁護を引き受けて、<br> | |||
'''[[平成24年(ヨ)第1035号|彼への「2ちゃんねる」の掲示板における誹謗中傷記事の削除請求等を行ったこと]]'''に端を発した私への炎上行為は加速度的に拡散していきました。 | |||
「2ちゃんねる」の掲示板にスレッドを立てられた以外にも、私の名前とネガティブキーワードを組み合わせた投稿を繰り返すことによって、<br> | |||
[[サジェスト汚染|検索エンジンのサジェストワードをつくり出し、「唐澤貴洋」と検索すると「犯罪者」「詐欺師」などとセットになって予測検索を表示させるような動き]]も出ました。 | |||
そうした行為に対して、弁護士活動の妨げになることもあり、'''[[無差別開示|私は裁判所で仮処分を取得し、発信者の開示を求める手続きをとったところ]]]'''、それがさらに反感を買うことになり、誹謗中傷は悪質を極め始めました。 | |||
その行き着く先が、先述の通り、[[唐澤貴洋殺す|殺害予告]]でした。<br> | |||
誹謗中傷が始まって5カ月くらい経ったある日、「唐澤貴洋を殺す」「ナイフでめった刺しにする」といった投稿がなされたのです。<br> | |||
この投稿が呼び水となって、私への殺害予告がネット上でブームになっていきました。 | |||
殺害予告は、本書のサブタイトルにもなっているように100万回に達するほど<ref>実際は100万回を下回ってる可能性もある</ref>のすさまじいもので、私は精神的にもかなり不安定な状態に陥りました。<br> | |||
夜はアルコールを飲まないとうまく眠りにつけない。人混みの中を歩くことができない。<br> | |||
エレベーターなどの密室空間で、見知らぬ人と乗り合わせられない、絶えず周囲を気にして行動しなければならないなど、業務に支障を来すくらい疲弊していきました。 | |||
次は、[[尊師ール|私の似顔絵が描かれたシールやステッカー]]が流布し始めました。<br> | |||
新宿や渋谷などの繁華街に貼られて、「この街に唐澤のステッカーが貼ってあったぞ」と画像付きで「2ちゃんねる」の掲示板やツイッターなどに続々とアップされていきました。<br> | |||
そして、殺害予告からひと月ほど経った頃、誹謗中傷の矛先が、私の家族にまで及ぶことになったのです。 | |||
[[田園調布サティアン|父親・母親の名前や実家の住所]]をネットにさらし、さらに両親に対する盗撮行為、実家の墓探し、[[東光院|墓への落書き]]等、とにかく、次から次へと被害範囲が拡大していきました。 | |||
殺害予告に至っただけでも精神的ダメージは計り知れないものでしたが、私への炎上行為、攻撃はとどまるところを知らない状況に陥りました。<br> | |||
それは、[[爆破予告]]と現実の私に対する攻撃でした。 | |||
私に対する殺害予告をした者の中で[[殉教|逮捕者]]が出たことで、ようやく炎上行為も鎮静化したかに見えたのですが、<br> | |||
さらなる刺激を求める不特定多数の人間によって、今度はツイキャスティング([[ツイキャス]])で配信しながら、<br> | |||
私の事務所に押しかけてチャイムを突然鳴らしたり、事務所の上の階から撮影した写真を投稿したりする実動部隊が出現するに至ったのです。<br> | |||
実動部隊は過激さを増し、事務所のプレートに落書きをしたり、郵便ポストに生ゴミを入れたりするようになりました。 | |||
不審者が事務所にまで来るようになり、大きなショックを受けました。<br> | |||
炎上するようなことをわざとやって、注目を浴びることを繰り返しているニートの青年でした。<br> | |||
<!---これDの事?月永の事?4Kガイジの事?---> | |||
私をネタに、ひとつのコミュニティを形成して、その中で自分の存在意義を確認していたようです。<br> | |||
その絡んできた当事者が、わざわざ事務所までやって来て、私の目の前に現れるというのは、非常に怖かったです。 | |||
そのほかにも、[[カランサムウェア|コンピューターウイルスやワーム(マルウェア)などを使って人のパソコンをわざと制御して、<br>「そのロックを解除してやるから身代金(ランサム)を払え」と要求するランサムウェアに私の似顔絵が使われ、私が関係しているかのような誤解を生じさせるような事件]]を起こされたことがありました。 | |||
それを行っていた[[0chiaki|10代の少年ハッカー]]は、第三者のホームページを乗っ取り、私の似顔絵を掲載したり、勝手に事務所の名前を騙った別のホームページをつくったりもしていました。 | |||
2014年7月に、その少年ハッカーは逮捕されます。 | |||
逮捕された理由は、私への加害案件ではなく、ほかの会社のホームページを乗っ取った案件でした。<br> | |||
彼は、パソコンにウイルス作成ソフトを保管していた罪等で、矯正施設に行くことになりました。<br> | |||
彼は過去に私とある事件で接触し、ほかの事件で事件化された者であると調査の結果わかっており、私は、自分へ攻撃をしてくる者がその少年ハッカーではないかと思っていました。<br> | |||
そこで、警察にも、ほかの事件で立件されている情報を伝えるなどして、早期の立件を望んでいました。 | |||
私は、警察署から検察庁にバスで送致される彼を見に行きました。<br> | |||
悪質なサイバー犯罪を行う人物が、どんな人間なのか、自分の目で確かめたかったからです。<br> | |||
土砂降りの雨の中<ref>当時は'''雨一滴降ってなかった'''らしい</ref>、朝早くから警察署の裏門の外でずっと待機して、いざ出てきた少年ハッカーを見てみたら、<br> | |||
あどけない幼さの残る顔つきで、体つきも細くてヒョロっとした弱々しい有様でした。<br> | |||
同じバスに乗り込んでいった粗暴犯のような人物だったなら、まだ怒りや憎しみをぶつけようもある気がしますが、<br> | |||
「こんなに弱々しい少年なのか……」と、大きなショックを受けました。 | |||
また、ネットでは、さらに過激さを求め、私の事務所を爆破すると予告する人物が現れたほかに、私の名前を騙り、地方自治体などに[[爆破予告]]を送りつける人間まで現れたのです。<br> | |||
こうした一連の行為は、「なりすまし犯行」と呼ばれます。詳細は後述しますが、「ついにここまで来たか……」と戦慄が走りました。 | |||
事務所の爆破予告がなされると、その映像を撮ろうとするテレビ局がやってきたり、自治体に予告があると、警察関係者が事務所に訪れたりするというような事態も起こりました。<br> | |||
さらに、なりすまし犯行は、ほかにも影響を及ぼしました。<br> | |||
私と同姓同名の、まったく赤の他人の方が被害に遭われたのです。本当にお気の毒としか言いようがありません。 | |||
=== 親子関係の未熱さがネットに走らせる? === | |||
少年ハッカーは姿を見ただけでしたが、それ以外にも私は何人かの加害者と直接会ったことがあります。<br> | |||
その人たちの属性は学生、ニート、ひきこもりで、全員男性。社会的に何か生きづらさを抱えた人たちが多い印象です。<br> | |||
実際に会っても、目も合わせてくれず、コミュニケーションもほぼできません。<br> | |||
「なぜ、こんなことをやったの?」と聞いても、明確に答えられない人たちばかりでした。もちろん、罪の意識もありません。<br> | |||
未成年の場合は親も呼んで、一緒に話を聞いてみるのですが、親は一様に「そんなことをしていたなんて知らなかった」「そんな子だと思っていなかった」と言います。<br> | |||
捕まって初めて、自分の子どもが何をやっていたか知ったというのです。 | |||
その中に、医学部志望の浪人生がいました。<br> | |||
父親は医者で、ある病院の精神科の科長だそうです。両親も呼び、その浪人生と私の4人で話す機会を設けたのに、両親はどこか他人事のような感じでした。<br> | |||
私は浪人生に「君はどういう家庭で育ったの?」と聞いたら、両親を目の前にして、「僕は父親の顔色ぽっかり窺って、言いたいことも言えなかった。<br> | |||
父親が咳をするだけですぐビクッと反応してしまうくらい、ずっと父親を怖いと思って育った」と言うのです。<br> | |||
医学部に合格しなければ父親から認めてもらえないプレッシャーに押しつぶされそうだったときに、インターネットで私に殺害予告をすると、<br> | |||
掲示板がワーッと盛り上がって、皆が自分を相手にしてくれる。その瞬間は楽しくて、嫌なことを忘れられた、と語ってくれました。 | |||
いい家庭と悪い家庭を分ける基準というのは、経済的な問題ではなく、親子のコミュニケーションがスムーズにできる、きちんとした親子関係が築けているかどうかだと私は思っています。<br> | |||
子どもも母親も、強権を持つ怖い父親の顔色ばかり窺っているような家庭は、正常に機能していません。<br> | |||
もちろん一概にはいえませんが、インターネット上でおかしな発言をしている人は、家庭に問題がある人が多いのかもしれないと、そのとき思いました。<ref>この言い分に関しては[[藤原太一|藤原家]]がいい例</ref> | |||
子どもがインターネットでどんな活動をしているのか、親がまったく知り得ない、把握しきれていないというのも、大きな問題です。<br> | |||
いざ、私を目の前にすると、加害者本人も親も「申し訳ありませんでした」とは言うのですが、どれだけ私が不安と恐怖を感じていたかまでは、まったく理解していない様子の人がほとんどでした。 | |||
ですから、きちんと対面したときに、私はかなり強く言うようにしています。<br> | |||
「私が息子さんの名前をネットに書いたら、息子さんのプライバシーがネットに洗いざらいさらされて、人生終わっちゃいますよ。<br> | |||
それに近いことを息子さんはやっているのです。私はそういうことは絶対しませんが、やってしまったことの重みはわかっていますか」<br> | |||
と、事の重大さを少しずつ認識してもらいます。 | |||
うしないと、「子どものほんの出来心でやってしまったイタズラで、ご迷惑おかけしました」程度にしか考えていない親が多いのです。<br> | |||
ネットに興味本位で名前や住所、学校名などを書き込みされて被害に遭っている側の気持ちは一切わからないまま終わってしまうのです。 | |||
=== 唐澤貴洋という〝記号〟を利用して〝居場所〟を探す人々 === | |||
正直「インターネットで私をネタにしている人たちは、私に飽きないのかな」と、疑問に思うことがあります。<br> | |||
でも、よく考えてみると、もはや私自身に興味があるわけではないことに思い至りました。<br> | |||
彼らは、「生身の唐澤貴洋」という人間に興味があるのではなく、<br> | |||
皆が知っている「唐澤貴洋という共通の〝記号〟」を使って、ネットの限られた世界でコミュニケーションをすること自体が大事なのだろう、と。 | |||
おそらく、弁護士という肩書きも叩きやすかったのだと思います。<br> | |||
たとえば、政治家や警察官など公的な仕事に就いている人に対して、嫌悪感を持っている人は少なからずいますが、そうした人間を標的にするのはさすがに怖じ気づいてしまう。<br> | |||
それに対して、弁護士という職業は民間に近い仕事なのに、権威があるように世間では見なされているため、叩きやすいという背景があるように思います。<br> | |||
そうした意味でも、弁護士である私が格好のターゲットになってしまったのかなと分析しています。<br> | |||
公的立場の人を叩くにはそれなりの材料や勇気がいるけれど、お上の後ろ盾のない若手の弁護士なら、<br> | |||
叩いてみたら何か面白いことがあるんじゃないかという、ある種のゲーム的な感覚もあったのではないでしょうか。 | |||
一般的に、インターネット掲示板のコミュニティで叩かれた人たちは皆、そのコミュニティからいなくなるのが通例です。<br> | |||
インターネット上だけでやりとりしていて、当然実在はしているけれど素性が知れていない人は、いなくなればそれで終わり。<br> | |||
要はネット版の弱い者いじめですが、その行為は小さな敵を徐々に倒してクリアしていくゲーム的な楽しさがあるように思います。<br> | |||
しかし、私は実在しているうえに、インターネットで素性がどんどん暴かれていく。<br> | |||
そして、どんなに叩いても実物の私は決していなくならないので、難攻不落のボスキャラみたいな扱いをされる。<br> | |||
ですから、「唐澤貴洋」という倒しがいのあるキャラクターがいて、それに対していろいろなことをすると、ネット上で盛り上がり、楽しくなる。だからやめられない。 | |||
これが、現実世界に友人がいるなら、グループ・ラインやフェイスブックなどのSNSでリアルに近しいコミュニケーション空間があるので、<br> | |||
むやみやたらに周囲の人の悪口は言わないし、書き込めないものです。<br> | |||
ところが、そうしたつながりのない人も現実にはたくさん存在します。<br> | |||
そういう人たちは、ネット上で「唐澤貴洋」という知らない人間への攻撃や罵詈雑言、誹謗中傷をしても罪の意識がまったくなく、<br> | |||
ただ私をネタに楽しくコミュニケーションできる居場所があればいいだけなのだろう、と。 | |||
実際に私と会ったこともない人たちが、私に粘着し続ける理由がずっとわからなかったのですが、そのキーワードは〝居場所〟だったのです。<br> | |||
ですから、極論をいえば、別に私でなくてもいいのです。 | |||
最近、あるユーチューバー<ref>多分ヒカルかラファエル辺り</ref>が叩かれて炎上したことがありましたが、<br> | |||
結局、彼らにとっては誰かに固執しているわけではなく、叩けるネタになる対象がありさえすればいいのです。<br> | |||
実際、そのユーチューバーにも、私に対して行ったような誹謗中傷やプライバシー侵害がなされました。そう、居心地のいい居場所があればいいということなのでしょう。 | |||
=== 事務所の鍵穴にボンド、実家の墓に落書き……被害はエスカレートしていく === | |||
[[恒心年表|2015~2016年]]はありとあらゆる実害を受け、一番被害が激しく酷かった時期でした。枚挙にいとまがありませんが、この時期に受けた被害をざっと羅列してみます。 | |||
*事務所の前の通りに、私の似顔絵が描かれたビラや、私に関するあることないことを書かれたビラなどがまき散らされる。 | |||
*[[カッターナイフ表彰状事件|カッターナイフ入りの封筒が事務所に届く。]] | |||
*裏にカッターナイフ入りの封筒が貼ってある額装された私の似顔絵が、事務所の建物のエントランスに貼られる。 | |||
*[[疑惑尊師|私の後ろ姿が盗撮されて、インターネットに投稿される。]] | |||
*不審な植木鉢が事務所のビルの入り口に置かれ、その土から後日セシウム(放射性物質のひとつ)が検出される。 | |||
*郵便物が荒らされたり、[[けんま|不審者が事務所のビルに不法侵入したりする。]] | |||
このように、掲げ出したらキリがありません……。<br> | |||
また、[[東光院|実家近くにある祖父と弟の墓]]に白いペンキを撒かれ、墓石に「貴洋」と私の名前が書かれて、その写真がインターネットにさらされる事態も生じました。<br> | |||
私の親族も皆、衝撃を受け、神聖な場所である墓まで冒涜の対象になってしまったことに、激しい怒りを感じました。<br> | |||
そうした事態を受け、警察によるカメラが設置され、24時間監視が行われるようになりました。<br> | |||
お寺の関係者の方に、ご迷惑をおかけしたことへお詫びに行った際には、逆に「頑張ってください」とやさしい声をかけていただきました。<br> | |||
お寺から駅へ帰り歩く道すがら、さすがに心も折れて、涙がこぼれ落ちたものでした。 | |||
後日、その墓荒らしのきっかけをつくった者が、私の事務所の鍵穴にボンドを詰めていたところを、現行犯で捕まえられるという出来事がありました。<br> | |||
[[4Kガイジ|捕まった犯人]]は、高校1年生になったばかりの少年でした。<br> | |||
なぜ捕まえられたのかというと、彼がオートロック施錠されている建物の中で不審な動きをしているのを、ビルの警備員が怪しんで、警察を呼んでいたからです。<br> | |||
私はそのとき事務所内にいました。<br> | |||
事務所の外がざわついているので何事かと思ってドアを開けて覗いてみると、その少年が警察官に取り囲まれていました。<br> | |||
警察官に事情を尋ねてようやく事態が飲み込めました。 | |||
私は少年の目の前に行き、怒鳴りつけ、身分証を出させました。<br> | |||
騒然とする中、少年はうつむきながらもうっすらと笑みを浮かべており、事の重大さを理解していないようでした。<br> | |||
後日、捕まえられた顛末を、彼は性懲りもなく[[サヒケー|インターネットに投稿していたこと]]が何よりの証拠です。 | |||
なぜ、彼が実家の墓を荒らした犯人と同一人物だと特定できたのかといいますと、インターネットに投稿された墓の写真に、墓に反射した彼の顔が写り込んでいたからです。<ref>4Kガイジは墓を撮影しただけであり、'''恒墳汚染芋とは別人である。'''</ref><br> | |||
彼によって、彼が事務所名が書かれたプレートに「死ね」と書いた一部始終を撮影した動画がアップされていたこともありました。<br> | |||
事務所が入っているビルはオートロックですが、誰かが入るときに紛れて一緒に入り込み、事務所の入り口に貼ってあるプレートに黒の油性マジックで「死ね」と書いたのです。<br> | |||
ところが、犯行後に乗り込んだエレベーターの鏡に、自分の姿が映り込んだままで動画をアップしてしまったのです。<br> | |||
あまりに間抜けな凡ミスに、犯行の稚拙さを感じました。 | |||
私は、少年が事務所の鍵穴にボンドを詰めたその日に、すぐに彼の母親に連絡をとり、面会しました。<br> | |||
着古したコートを着た母親は、涙ながらに私に謝罪しました。少年はその母親と兄弟の3人暮らしで、母親は離婚しシングルマザー家庭で育てられているとのことでした。<br> | |||
母親は少年のやっていることに気がつき、パソコンを取り上げていました。<br> | |||
しかし、少年は、「高校に行く」とウソをついてもらっていたわずかなバス代としてのお金で、インターネットカフェに行き、インターネット上での投稿を続けていたようだ、と言いました。<br> | |||
その投稿の中では、無責任な者たちよって少年は称賛され、少年はさらにエスカレートした行動を起こすという、少年の未熱さにつけ込んだ悪いスパイラルが起きていました。<br> | |||
墓やプレートの落書きの犯行で、自分の姿が映り込んでいた映像が証拠としてあったので、母親に「これは息子さんですね」と確認もしました。<br> | |||
少年の置かれている境遇を考え、私は、「お母さんも大変なのはわかりますが、しっかりと監督してくださいね」と言って、民事上の責任は問わずに、この件は終わりにしました。 | |||
2015年4月には、[[Googleマップ|グーグル・マップ]]が改ざんされた事件が起こりました。<br> | |||
地図上の皇居や警視庁が、私が独立したばかりのときに設立した事務所名「恒心綜合法律事務所」と書き換えられたのです。<br> | |||
完全に愉快犯、悪ノリでした。 | |||
[[爆弾三勇士|実行犯はわかっているだけで3人。]]21歳の大学生、30歳の会社員、30歳の無職の男性でした。 | |||
それぞれまったく違う土地に住んでいて、年齢も違い、面識もありませんでした。共謀したというよりは、「俺だってできる」と便乗してやったのだと推測されます。<br> | |||
自分の爪痕を残したいという感覚だったのかもしれません。その自己顕示欲はきっと、ある種のストレス発散法のひとつだったのでしょう。 | |||
当初は、プライバシーの暴露や殺害予告など実害の矛先は私だけに向いていたのに、<br> | |||
私というネタを利用して「社会も巻き込んで面白いことしようぜ」という間違った方向にだんだんとエスカレートしていったのです。<br> | |||
もしかしたら、実行犯はほかにもいたかもしれませんが、特定できたのは3人だけでした。 | |||
この3人を立件するのにも8カ月ほどかかりました。<br> | |||
グーグルはアメリカの企業なので、手続きにかなり手間どり、長引いたようです。<br> | |||
同様に、ツイッターやインスタグラムも海外企業なので、事件が起こってもなかなか立件するまでに至らないのが現状なのです。 | |||
この3人は、インターネットでの行いが、まさか事件として立件されるとは思っていなかったでしょう。<br> | |||
しかし、彼らの行いは、警察の記録として残り、将来事件を起こせば、その記録は参照されていきます。<br> | |||
インターネット上での行いは、現実社会での行いと同じ取扱いをされることを強く認識しておく必要があります。 | |||
=== ついに、なりすましによる爆破予告がなされる === | |||
2015年6月には、私のなりすましによって、ある自治体に爆破予告が行われました。<br> | |||
その予告を受けてまったくのアポなしで、その自治体を管轄する警察の生活安全の警察官が3人、突然事務所にやって来ました。<br> | |||
私は今まで起こっていることを丁寧に話し、これが悪質な嫌がらせであることを説明しました。<br> | |||
その説明を聞いた警察官は、「通信ログを提供してほしい」と言ってきました。 | |||
通信ログとは、コンピューターの通信の記録のことで、具体的にいえば、通信を開始した時間、終了した時間、誰と誰が通信したのか、その通信内容はどんなものであったのかなどが記されています。<br> | |||
突然の訪問も異例なことですが、そのうえ通信ログを提供するというのは、どういうことなのか。<br> | |||
パソコン自体を提供することなのか、どのような方法で何のデータを提供すればいいのか明確ではなかったため、<br> | |||
「通信ログの提供の方法を明確に教えてもらえれば、協力のしようもあるが、現状だとどう協力すればいいかわからない」と答えて、お帰りいただきました。<br> | |||
この申し出は、警察署が「私の通信ログを調べる必要がある」と判断したということです。<br> | |||
捜査の初期で、多くの可能性を探る中のひとつだったのかもしれませんが、私も疑われているのかもしれないと思い、この種の捜査の難しさを実感しました。 | |||
このようなことは、何も私に限ったことではありません。実際、事件にもなっています。<br> | |||
2012年に起きたパソコン遠隔操作事件は、連日マスコミが報道していたので、記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。<br> | |||
犯人が他人のパソコンを遠隔操作し、殺害予告などの違法な投稿を行った事件です。<br> | |||
不正利用されたパソコンの所有者は誤認逮捕され、社会的な問題になりました。<br> | |||
最終的に、警察による地道な行動確認によって、真犯人を逮捕し、有罪立証を行うことができました。<br> | |||
ちなみに、この真犯人による犯行声明文では、私に対する殺害予告もなされていました。 | |||
総務省の平成29年度版『情報通信白書』によると、日本国内のインターネット利用者数は1億84万人とされています。<br> | |||
つまり、小さな子どもを除く日本国民のほとんどの人がインターネット利用者となっている現在、インターネットにアクセスする端末は、一人1台の時代を迎えているといっても過言ではありません。<br> | |||
そういう時代だからこそ、端末のセキュリティがしっかりしたものでないと、自分の端末が知らないうちに不正利用される可能性があるのだと、改めて認識しておく必要があるでしょう。 | |||
=== 爆破予告をした人物が逮捕された! === | |||
2015年2月あたりから、[[安藤良太|私に殺害予告をしていたある人物]]がいました。<br> | |||
私はその人物をインターネットで見つけ、犯人を特定する手続きを進めていました。<br> | |||
その際利用したのが、「プロバイダ責任制限法」という法律です。この法律の正式名は長くなりますが、<br> | |||
「特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律」といいます。<br> | |||
プロバイダ責任制限法とは、インターネット上で名誉毀損や著作権侵害などの問題が発生した場合、「プロバイダ」に問われる責任性を規定したもので、2002年に施行されました。<br> | |||
ここでいう「プロバイダ」は、インターネットサービスプロバイダだけでなく、電子掲示板の管理者なども含んだ言葉として用いられています。 | |||
この法律によって、プロバイダは権利侵害などの事実を知らなければ、実際に被害が発生しても賠償責任を負う必要がないと規定され、<br> | |||
権利を侵害する書き込みをされた被害者が、書き込みを行った当事者の情報を得られないとき、プロバイダに対して情報の削除を依頼できるとしています。<br> | |||
また、削除依頼を要請されたプロバイダは、該当する情報を非公開にしたり削除したりする適切な処置を講じることができます。<br> | |||
この際、被害を受けた者は、損害賠償請求権を行使するために、情報発信者の氏名や住所などが必要と認められるような正当な理由が存在すれば、情報開示をプロバイダに求めることができます。 | |||
そこで、権利侵害を受けた私は発信者を特定したい旨をプロバイダ(インターネット接続業者)に請求し、<br> | |||
プロバイダが発信者に対して、発信者特定に役立つ情報(住所、氏名、メールアドレス)を公開していいか照会をかけました。<br> | |||
すると、彼はその意見照会の文書を、自分の名前が書かれている状態のまま写真を撮って、その画像をインターネットにアップしてしまったのです。<br> | |||
そこで、彼の実名がインターネット上で拡散されてしまいました。 | |||
自らの失態とはいえ、実名がさらされてしまった彼の言動は異常を極めました。<br> | |||
私の事務所に電話をかけて、別の弁護士とのやりとりを録音して、それをインターネットにアップし始めたのを皮切りに、<br> | |||
事務所が入っている建物に貼ってある住居プレートを盗む、深夜に自宅から事で私の事務所へ来て嫌がらせを行う、爆破予告を繰り返し行う、などです。<br> | |||
さらに、彼は顔半分をマスクで隠して、あるテレビの情報番組に出演して、自らの犯行を劇場化していったのです。<br> | |||
劇場化を好むマスコミにとっては、好都合な存在だったのでしょう。 | |||
その後、彼は逮捕され、刑事裁判で執行猶予付きの有罪判決(懲役2年半、保護観察付き執行猶予4年)を受けました。<br> | |||
そうした身にもかかわらず、執行猶予期間中にまた郊外の駅の電話ボックスで爆破予告を行い、逮捕。再度有罪判決を受けることになったのです。 | |||
彼は若い頃に母親を亡くし、身寄りのない生活を送っていたと聞きました。<br> | |||
彼の孤独を思うと、ドロップアウトして孤独だった時代の自分と重なります。何度でもやり直すチャンスはあると、更生を願わずにはいられません。 | |||
== 脚注 == | == 脚注 == |