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恒心教の歴史(こうしんきょうのれきし)では、2012年3月7日から現在に至る[[恒心教]]の歴史について記述する。詳細な歴史については個別記事と[[恒心年表]]を参照。
恒心教の歴史(こうしんきょうのれきし)では、年度別に[[恒心教]]の歴史について記述する。詳細な歴史については個別記事と[[恒心年表]]を参照。


==前史==
==前史==
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==2012年==
==2012年==
===八神太一特定===
===八神太一特定と無差別開示===
[[ファイル:合格通知書.jpg|thumb|200px|すべての起点]]
[[ファイル:合格通知書.jpg|thumb|200px|すべての起点]]
[[3月7日]]、前日から一部なんJ民やなんJコテ[[アワー]]などから猛烈に煽られていた八神太一が大学の合格通知書をアップ。これをきっかけに進学先([[国士舘大学]])、母校([[千葉経済大学附属高等学校|千葉経済]])、mixiアカウントが明らかになり、ここから本名([[長谷川亮太]])等々が特定される。[[いつとは言わんが以前ガチで同じクラスだっただけになんとも言えないですわ・・・・・・|自演に失敗する]]、[[なんJ用語集_Wiki#長谷川亮太による削除|なんJWikiを削除させなんJ民全体を激怒させる]]など初期鎮火に失敗し炎上は拡大する([[長谷川亮太#特定されるまでの経緯|八神太一特定騒動]])。
[[3月7日]]、前日から一部なんJ民やなんJコテ[[アワー]]などから猛烈に煽られていた八神太一が大学の合格通知書をアップ。これをきっかけに進学先([[国士舘大学]])、母校([[千葉経済大学附属高等学校|千葉経済]])、mixiアカウントが明らかになり、ここから本名([[長谷川亮太]])等々が特定される。[[いつとは言わんが以前ガチで同じクラスだっただけになんとも言えないですわ・・・・・・|自演に失敗する]]、[[なんJ用語集_Wiki#長谷川亮太による削除|なんJWikiを削除させなんJ民全体を激怒させる]]など初期鎮火に失敗し炎上は拡大する([[長谷川亮太#特定されるまでの経緯|八神太一特定騒動]])。


過去の[[自分語り]]から発掘された未成年飲酒疑惑による大学進学取り消しを恐れたのか<ref>後に現れた[[ニセフェ|長谷川亮太を名乗る人物]]はアワーなどの入学式凸の抑止が目的であったと語っている。</ref>、長谷川亮太は当時[[アイオス五反田駅前]]にあった[[恒心綜合法律事務所]]の弁護士[[唐澤貴洋]]を雇い、誹謗中傷者のIPアドレス[[開示]]を行うことで再度炎上の鎮火を試みた。
過去の[[自分語り]]から発掘された未成年飲酒疑惑による大学進学取り消しを恐れたのか<ref>後に現れた[[ニセフェ|長谷川亮太を名乗る人物]]はアワーなどの入学式凸の抑止が目的であったと語っている</ref>、長谷川亮太は当時[[アイオス五反田駅前]]にあった[[恒心綜合法律事務所]]の弁護士[[唐澤貴洋]]を雇い、誹謗中傷者のIPアドレス[[開示]]を行うことで再度炎上の鎮火を試みた。


そして3月28日に唐澤貴洋は長谷川亮太に対する誹謗中傷レスの開示請求を実行([[平成24年(ヨ)第1035号]])、このなんJ史上初めての事態に、これまで長谷川亮太をネタにしてきたものたちは驚愕した。だが唐澤貴洋も当初は恐れられていたものの、[[恒辞苑:か行#カンマが統一出来ていない|カンマが統一できていない]][[唐澤貴洋の発言一覧/スパムブログ|宣伝ブログ]]を乱立する、なんJを監視していることがバレる([[恒心綜合法律事務所Twitterアカウントのフォロー一覧|アイドル大量フォロー]]事件<ref>唐澤貴洋がなんJのスレでtwitterでのアイドル大量フォローを指摘された直後にtwitterアカウントに鍵をかけたため、なんJを監視していることが判明した事件</ref>)などツッコミどころが多く次第に馬鹿にされるようになってしまい、なんJ民は唐澤貴洋に対しても誹謗中傷を行うようになってしまった<ref>もともとなんJは野球選手はじめ実在の人物をネタにすることを躊躇しない風潮が強く、たとえ弁護士であろうと同様であった</ref>。
そして3月28日に唐澤貴洋は長谷川亮太関係の誹謗中傷レスに対し開示請求を実行([[平成24年(ヨ)第1035号]])、このなんJ史上初めての事態にこれまで長谷川亮太をネタにしてきたものたちは驚愕した。
 
だが唐澤貴洋は当初こそ恐れられていたものの、[[恒辞苑:か行#カンマが統一出来ていない|カンマが統一できていない]]、というか全体的に日本語が変、[[唐澤貴洋の発言一覧/スパムブログ|宣伝ブログ]]を乱立する、[[パカ弁]]なのに[[ニート君|2chでスレを立てる方法を知らない]]、なんJを監視していることがバレる([[恒心綜合法律事務所Twitterアカウントのフォロー一覧|アイドル大量フォロー]]事件<ref>唐澤貴洋がなんJのスレでtwitterでのアイドル大量フォローを指摘された直後にtwitterアカウントに鍵をかけたため、なんJを監視していることが判明した事件</ref>)、[[唐澤貴洋の開示請求一覧#17回目 (NSMR)|大昔のスレに開示請求して失敗する]]などツッコミどころが多く次第に馬鹿にされるようになってしまい、なんJ民は唐澤貴洋に対しても誹謗中傷を行うようになってしまった<ref>もともとなんJは野球選手はじめ実在の人物をネタにすることを躊躇しない風潮が強く、たとえ弁護士であろうと同様であった。むしろ「弁護士は一般人ではないのでセーフ」という風潮もあった</ref>。


これに対し唐澤貴洋は、長谷川亮太そっちのけで自身に対する中傷に対し5月から6月にかけて3回にわたるIP開示攻勢を開始([[無差別開示]])、少し唐澤貴洋に触れた程度のレスに対しても開示請求を行い始めた。
これに対し唐澤貴洋は、長谷川亮太そっちのけで自身に対する中傷に対し5月から6月にかけて3回にわたるIP開示攻勢を開始([[無差別開示]])、少し唐澤貴洋に触れた程度のレスに対しても開示請求を行い始めた。


しかし3月のIP開示を経験し、実害がまるでない<ref>唐澤貴洋がIPを開示しただけで後のこと(IPからの発信者の特定、その後の訴訟)を何もしなかったため。ちなみに自分のことに関してはしっかり特定→訴訟をしている([[300万騒動]]など)</ref>ことを知ったなんJ民にとって、これは火に油を注いだだけに過ぎなかった。なんJは唐澤貴洋による開示を狙うものたちによる誹謗中傷やネタ投稿で溢れ、騒ぎは鎮火どころかさらに燃え広がっていった。
しかし3月のIP開示を経験し、実害がまるでない<ref>電話番号だけ分かっても氏名は分からないのと同じで、唐澤貴洋がIPを開示しただけで後のこと(IPからの発信者の特定、その後の訴訟)を何もしなかったため。ちなみに自分のことに関しては後々になって特定→訴訟をしている([[300万騒動]])が、遅きに失した</ref>ことを知ったなんJ民にとって、これは火に油を注いだだけに過ぎなかった。なんJは唐澤貴洋による開示を狙うものたちによる誹謗中傷やネタ投稿、[[サジェスト汚染]]で溢れ、騒ぎは鎮火どころかさらに燃え広がっていった。


この両者の炎上騒動は後に[[ハセカラ騒動]]、チンパカ騒動などと名付けられ、今日まで燃え続けている。
この両者の炎上騒動は後に[[ハセカラ騒動]]、チンパカ騒動などと名付けられ、今日まで燃え続けている。
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また開示を拒否した[[ヤーマン]]や、独特の誹謗中傷スタイルで有名となった[[島根君]]、初の殺害予告([[神聖六文字]])を投稿した[[dion君]]などの[[チキンレーサー]]も文化の形成に大きな影響を与えた。
また開示を拒否した[[ヤーマン]]や、独特の誹謗中傷スタイルで有名となった[[島根君]]、初の殺害予告([[神聖六文字]])を投稿した[[dion君]]などの[[チキンレーサー]]も文化の形成に大きな影響を与えた。


4月、なんJで話題になったウェブサイト「遊戯王カードジェネレーター」に唐澤貴洋を馬鹿にした作品が多数投稿され、ここに最初の[[芸術路線]]が誕生した。これに対し唐澤貴洋は、遊戯王カードジェネレーターの管理人[[JEX]]に対して削除要求を行い([[JEX#遊戯王カードジェネレーター騒動|遊戯王カードジェネレーター騒動]])、無差別開示と共に炎上を盛り上げた。JEXは、削除は実施しつつその裏で[[サジェスト汚染]]の技術を解説する<ref>JEXが普及したことは事実であるが、なんJに伝えたわけではない。サジェスト汚染技術はすでになんJでも一部で知られており、そのたぐいの投稿は既に行われていた。</ref>などしてなんJ民を支援した。
4月、なんJで話題になったウェブサイト「遊戯王カードジェネレーター」に唐澤貴洋を馬鹿にした作品が多数投稿され、ここに最初の[[芸術路線]]が誕生した。これに対し唐澤貴洋は、遊戯王カードジェネレーターの管理人[[JEX]]に対して削除要求を行い([[JEX#遊戯王カードジェネレーター騒動|遊戯王カードジェネレーター騒動]])、無差別開示と共に炎上を盛り上げた。JEXは、削除は実施しつつその裏でサジェスト汚染の技術を解説する<ref>JEXが普及したことは事実であるが、なんJに伝えたわけではない。サジェスト汚染技術はすでになんJでも一部で知られており、そのたぐいの投稿は既に行われていた</ref>などしてなんJ民を支援した。


10月には自動作曲システム「[[Orpheus]]」がブームとなり、これを利用して[[パカソン]]と呼ばれる唐澤貴洋や長谷川亮太を誹謗中傷する曲が大量に作成されるようになった。Orpheus開発チームの[[嵯峨山茂樹]]教授は不穏すぎる楽曲は削除していたものの、一方で技術やセンスを認めた上で隔離しその中で作成を黙認する方針を取ったためパカソンは大量に作成され、誹謗中傷の域を越えたクオリティーに成長し芸術路線を支えた。パカソンは[[大犯罪者デグニキ]]らによって[[ニコニコ動画]]に転載され布教に効果をあげた。
10月には自動作曲システム「[[Orpheus]]」がブームとなり、これを利用して[[パカソン]]と呼ばれる唐澤貴洋や長谷川亮太を誹謗中傷する曲が大量に作成されるようになった。Orpheus開発チームの[[嵯峨山茂樹]]教授は不穏すぎる楽曲は削除していたものの、一方で技術やセンスを認めた上で隔離しその中で作成を黙認する方針を取ったためパカソンは大量に作成され、誹謗中傷の域を越えたクオリティーに成長し芸術路線を支えた。パカソンは[[大犯罪者デグニキ]]らによって[[ニコニコ動画]]に転載され布教に効果をあげた。
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恒心教の始まりは無差別開示と同時期に起きていたなんJでのオウムネタブームが関与している。当時、「[[NHKスペシャル 未解決事件 File.02 オウム真理教]]」(5月26日放送)をきっかけとしてなんJでは[[オウム真理教]]・[[麻原彰晃]]ネタが流行しており、当時は唐澤貴洋に対するサジェスト汚染が活発であったことから汚染ワードとして多く用いられた。これが唐澤貴洋ネタと融合し「[[尊師]]」が唐澤貴洋の愛称として定着、そして「尊師」の愛称と共に「恒心教」という単語も誕生したとみられる。
恒心教の始まりは無差別開示と同時期に起きていたなんJでのオウムネタブームが関与している。当時、「[[NHKスペシャル 未解決事件 File.02 オウム真理教]]」(5月26日放送)をきっかけとしてなんJでは[[オウム真理教]]・[[麻原彰晃]]ネタが流行しており、当時は唐澤貴洋に対するサジェスト汚染が活発であったことから汚染ワードとして多く用いられた。これが唐澤貴洋ネタと融合し「[[尊師]]」が唐澤貴洋の愛称として定着、そして「尊師」の愛称と共に「恒心教」という単語も誕生したとみられる。


ただし、単語自体は7月には確認されているものの定着はそれよりも後と見られ判然としない。カラケーにおいては2013年の早くから定着しているがなんJではそれより遅く、完全な定着は翌2013年の[[300万騒動]]を待つと思われる。
ただし、単語自体は7月には確認されているものの定着はそれよりも後と見られ判然としない。カラケーにおいては3代目カラケーの頃には定着しているがなんJではそれより遅く、完全な定着は翌2013年の[[300万騒動]]を待つと思われる。


==2013年==
==2013年==
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=== 恒心を引き出す ===
=== 恒心を引き出す ===
[[ファイル:新宿尊師.jpeg|thumb|200px|初の尊師ール]]
[[ファイル:新宿尊師.jpeg|thumb|200px|初の尊師ール]]
300万騒動も終わり、教徒に落ち着きが戻った。一方の唐澤貴洋は嫌儲民に持ち上げられたためか調子にのってしまい、おかしな文章を投稿するようになっていた([[尊師語録]]、[[唐澤貴洋の発言一覧/Facebook]]を参照)。
300万騒動も終わり、教徒に落ち着きが戻った。一方の唐澤貴洋は嫌儲民に持ち上げられたためか調子にのってしまい、おかしな文章を投稿するようになっていた([[尊師語録]]、[[唐澤貴洋の発言一覧/Facebook]]を参照)。唐澤貴洋のfacebookは「[[faithbook]]」と呼ばれ崇拝対象となった。


教徒は連日の[[恒心]](更新)に熱狂し、なんJや当時のメインカラケーである[[カラザイル掲示板]]は大きく賑わった。唐澤貴洋のfacebookは「[[faithbook]]」と呼ばれ崇拝対象となった。やがて恒心を待ちきれない教徒たちの間で唐澤貴洋から恒心を引き出そうという動きが発生し、「唐澤貴洋が猥褻動画を見た」などというデマを流したところ本人が大激怒、10月16日の[[Plays Now騒動]]に結びついた。
教徒は連日の[[恒心]](更新)に熱狂し、なんJや当時のメインカラケーである[[カラザイル掲示板]]は大きく賑わった。やがて恒心を待ちきれない教徒たちの間で唐澤貴洋から恒心を引き出そうという動きが発生し、「唐澤貴洋が猥褻動画を見た」などというデマを流したところ本人が大激怒、10月16日の[[Plays Now騒動]]に結びついた。


また、2012年に教徒に誘導され唐澤貴洋に開示を依頼した[[うしじまいい肉]]の事例が応用され、[[重光由美]]が教徒に誘導されて唐澤貴洋に開示を依頼、唐澤貴洋の雑仕事の犠牲者となる形で恒心を引き出した。
また、2012年に教徒に誘導され唐澤貴洋に開示を依頼した[[うしじまいい肉]]の事例が応用され、[[重光由美]]が教徒に誘導されて唐澤貴洋に開示を依頼、唐澤貴洋の雑仕事の犠牲者となる形で恒心を引き出した。
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布教の成功に喜ぶ教徒あったが、Whoisからポケモンまとめ速報の運営者[[片平亘]]が特定されたことで事態は一変する。これをきっかけとしてWhoisからまとめブログの運営者を特定できる可能性があることが発覚、その話は直ちになんJや嫌儲に伝わり、まとめブログ・アフィブログ潰しを目的とした大騒動に発展したのである([[片平騒動]])。
布教の成功に喜ぶ教徒あったが、Whoisからポケモンまとめ速報の運営者[[片平亘]]が特定されたことで事態は一変する。これをきっかけとしてWhoisからまとめブログの運営者を特定できる可能性があることが発覚、その話は直ちになんJや嫌儲に伝わり、まとめブログ・アフィブログ潰しを目的とした大騒動に発展したのである([[片平騒動]])。


当初は片平亘を唐澤貴洋に謝罪させようなどといって楽しんでいた教徒であったが、ブログ潰しという意図せぬ目的が加わったことや、この騒動経由でカラケーにやってきた「お客さん」が増えたことで混乱が生じた。結局、[[Jim]]による2chクーデターが同時期に発生し話題が移ったため騒動は尻すぼみに終わった。
当初は片平亘を唐澤貴洋に謝罪させようなどといって楽しんでいた教徒であったが、ブログ潰しという意図せぬ目的が加わったことや、この騒動経由でカラケーにやってきた「お客さん」が増えたことで混乱が生じた。結局2月19日に[[Jim]]による2chクーデターが発生し話題が移ったため騒動は尻すぼみに終わった。


さらに問題となったのが、この騒動で恒心教の知名度が変にあがったことで「恒心教=炎上屋」との認識が広まったことである。これによって教徒を利用して自分の嫌いな相手を潰させようとする「[[炎上依頼]]」が多発し、従来からの教徒はお客さんや新参(新芋)の排除を唱えるようになっていった。
さらに問題となったのが、この騒動で恒心教の知名度が変にあがったことで「恒心教=炎上屋」との認識が広まったことである。これによって教徒を利用して自分の嫌いな相手を潰させようとする「[[炎上依頼]]」が多発し、従来からの教徒はお客さんや新参(新芋)の排除を唱えるようになっていった。


=== 閉鎖主義 ===
=== 閉鎖主義 ===
[[ファイル:ウバケー乗っ取り.jpg|thumb|200px|上が乗っ取り前、下が乗っ取り後]]
そして4月10日にカラザイルが強制閉鎖されると、閉鎖主義を徹底したカラケーである[[唐澤ちゃんねる]]への移住が行われた。唐澤ちゃんねるはトップページを偽装したうえにブラクラを設置して2chブラウザ専用とし、さらにURLを広めることも忌避された。だがトップページ偽装がいけなかったのか運営に目を付けられ、再建してもすぐ強制閉鎖されてしまうようになり断念、7月には教徒はなんJなどに離散してしまった。


しかし事件は起きるのだ。その頃時を同じくして、京セラドーム破壊未遂事件をきっかけとする音楽グループ「UVERworld」の炎上騒動が発生しており、2ch邦楽グループ板のUVERworldスレがなんJ民に荒らされ、避難所である「[[UVERworld BBS]]」がしたらばに開設されていた。ここに教徒の「副副管理人」が荒らし対策のエキスパートを名乗って管理チームに侵入し、7月10日、無知な主管理人を騙しパスワードを騙し取って乗っ取り[[カラケー]]にすることに成功してしまう(ウバケー乗っ取り事件)。
そして4月10日にカラザイルが強制閉鎖されると、閉鎖主義を徹底したカラケーである[[唐澤ちゃんねる]]への移住が行われた。唐澤ちゃんねるはトップページを偽装したうえにブラクラを設置して2chブラウザ専用とし、さらにURLを広めることも忌避された。


なんJにこのことが伝わると教徒は再び集結し、メインカラケー問題は一応解決することができた。それと同時に、この騒動と一緒に掲示板のURLがなんJで広まったことや、副副管理人が閉鎖主義をとらないことを宣言したことによって、閉鎖主義は退潮に向かった。
閉鎖主義によって表立った活動が困難となったため、半分売名を目的としつつ教徒として活動していた人物である[[月永皓瑛]]が教徒に代わり「ラジコン」としてけんま配信などを行っていた。ピュア虎ノ門前で警察20人との大立ち回りを演じたことは有名だが、独断行動が多いため「壊れたラジコン」の異名も持った。
 
=== 閉鎖主義下の恒心 ===
閉鎖主義によって表立った活動が困難となっていたため、半分売名を目的としつつ教徒として活動していた人物である[[月永皓瑛]]が教徒に代わり「ラジコン」としてけんま配信などを行っていた。ピュア虎ノ門前で警察20人との大立ち回りを演じたことは有名だが、独断行動が多いため「壊れたラジコン」の異名も持った。


唐澤貴洋に殺害予告を行った[[福嶋誠也]]が逮捕され、[[玉音放送#第一次玉音放送|第一次玉音放送]]が成されたのは閉鎖主義真っ盛りの5月8日のことであった。今日では殉教者として評価されている福嶋誠也も、閉鎖主義の当時においては恒心教を目立たせたとして悪いイメージで捉えられていた。
唐澤貴洋に殺害予告を行った[[福嶋誠也]]が逮捕され、[[玉音放送#第一次玉音放送|第一次玉音放送]]が成されたのは閉鎖主義真っ盛りの5月8日のことであった。今日では殉教者として評価されている福嶋誠也も、閉鎖主義の当時においては恒心教を目立たせたとして悪いイメージで捉えられていた。


一方、口伝と新参排除が主流であった当時としては異例の試みとなる初代[[唐澤貴洋wiki]]が3月27日に設立された。
一方、口伝と新参排除が主流であった当時としては異例の試みとなる初代[[唐澤貴洋wiki]]が3月27日に設立された。
=== ウバケー乗っ取り ===
[[ファイル:ウバケー乗っ取り.jpg|thumb|200px|上が乗っ取り前、下が乗っ取り後]]
閉鎖主義路線を貫いてきた唐澤ちゃんねるであるが、トップページ偽装がいけなかったのかしたらば運営に目を付けられ再建してもすぐ強制閉鎖されてしまうようになり、6月30日に掲示板継続を断念。教徒はなんJなどに離散してしまった。
しかし事件は起きるのだ。その頃時を同じくして、京セラドーム破壊未遂事件をきっかけとする音楽グループ「UVERworld」の炎上騒動が発生しており、2ch邦楽グループ板のUVERworldスレがなんJ民に荒らされ、避難所である「[[UVERworld BBS]]」がしたらばに開設されていた。ここに教徒の「副副管理人」が荒らし対策のエキスパートを名乗って管理チームに侵入し、7月10日、無知な主管理人を騙しパスワードを騙し取って乗っ取り[[カラケー]]にすることに成功してしまう(ウバケー乗っ取り事件)。
なんJにこのことが伝わると教徒は再び集結し、メインカラケー問題は一応解決することができた。それと同時に、この騒動と一緒に掲示板のURLがなんJで広まったことや、副副管理人が閉鎖主義をとらないことを宣言したことによって、2月以降続いてきた閉鎖主義は退潮に向かった。


=== 空は何色か ===
=== 空は何色か ===
4月26日、2012年にアイドル大量フォローを指摘されてからずっと鍵がかけられていた恒心綜合法律事務所のtwitterアカウントの鍵が突如外され、「[[身が震える]]」との投稿が行われた。また5月24日には唐澤貴洋に対しても殺害予告を行ったPC遠隔操作事件の犯人[[片山祐輔]]に宛てた、唐澤貴洋渾身のポエム「[[空は何色か]]」が投稿され教徒の爆笑を誘った。
4月26日、2012年にアイドル大量フォローを指摘されてからずっと鍵がかけられていた恒心綜合法律事務所のtwitterアカウントの鍵が突如外され、「[[身が震える]]」などというツイートが投稿された。また5月24日には唐澤貴洋に対しても殺害予告を行ったPC遠隔操作事件の犯人[[片山祐輔]]に宛てた唐澤貴洋渾身のポエム「[[空は何色か]]」が投稿され教徒の爆笑を誘った。


6月4日には「[[世界の終わりも大好きです!]]」という意味不明なツイートのために、前述のUVERworldスレに先駆けて2ch邦楽グループ板のSEKAI NO OWARIスレが教徒に荒らされた。
6月4日には「[[世界の終わりも大好きです!]]」という意味不明なツイートのために、前述のUVERworldスレに先駆けて2ch邦楽グループ板のSEKAI NO OWARIスレが教徒に荒らされた。
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=== カラッキング路線の開始 ===
=== カラッキング路線の開始 ===
[[ファイル:カランサムウェア.jpg|thumb|200px|カランサムウェア]]
2013年頃から、[[Tor]]が使用できた[[T-唐澤]]掲示板などの[[唐澤貴洋掲示板#無法地帯|無法地帯系カラケー]]に[[0chiaki]]に代表されるハッカーが屯すようになり、恒心教の犯罪性が強くなり始めていた。
2013年頃から、[[Tor]]が使用できた[[T-唐澤]]掲示板などの[[唐澤貴洋掲示板#無法地帯|無法地帯系カラケー]]に[[0chiaki]]に代表されるハッカーが屯すようになり、恒心教の犯罪性が強くなり始めていた。


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==2015年==
==2015年==
=== オウム事件20周年 ===
=== オウム事件20周年 ===
2014年11月17日に副副管理人は氏名を特定され圧力かけられたとして突如ウバケーを閉鎖し、[[麻原彰晃掲示板]](アサケー)への移住が行われた。そしてオウム真理教事件20周年となる2015年を迎え、[[カラッキング#船山暁子法律事務所改竄事件|2月の連続カラッキング]]、[[法律事務所クロス]]設立と[[山岡裕明]]の登場など大きな出来事が相次いで発生するようになる。2015年の恒心教は、麻原彰晃とともに繁栄と混乱の中へ進みつつあった。
2014年11月17日に副副管理人は氏名を特定され圧力かけられたとして突如ウバケーを閉鎖し、[[麻原彰晃掲示板]](アサケー)への移住が行われた。そしてオウム真理教事件20周年となる2015年を迎え、[[カラッキング#船山暁子法律事務所改竄事件|2月の連続カラッキング]]、[[法律事務所クロス]]設立と[[山岡裕明]]の登場など大きな出来事が相次いで発生するようになる。2015年の恒心教は、麻原彰晃とともに激動の中へ進みつつあった。


===MMD路線と芸術路線の再建===
===MMD路線と芸術路線の再建===
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恒心教界隈は2015年後半も賑わいを見せ続けていたものの、それもやがて終わりを迎えようとしていた。
恒心教界隈は2015年後半も賑わいを見せ続けていたものの、それもやがて終わりを迎えようとしていた。


アサケー期に発展したこれら様々な路線は、やがて負の側面が大きくなりつつあった。twitter路線での[[臭芋]]の狼藉をはじめ、MMD路線をきっかけとした芸術路線の諸問題<ref>twitterでの芸術芋(特に絵芋)の自己顕示欲問題や萌えネタ許容の是非など</ref>、けんま路線における過激ないたずらや、[[加藤力]]などの自己顕示欲の強い教徒の出現、急増したけんま配信主同士での対立が論争を生み、教徒間での内紛を招いていたのである。これら荒れやすい話題は[[ウツケー]]への隔離が推奨されていたものの、炎上の拡大によって隔離政策も限界を迎えていた。
新路線の拡大と教徒の急増は、やがて負の側面が大きくなりつつあった。twitter路線での[[臭芋]]の狼藉をはじめ、MMD路線をきっかけとした芸術路線の諸問題<ref>twitterでの芸術路線民(特に絵芋)の自己顕示欲問題や、[[ダーキニーちゃん]]やアニメネタといった萌えネタ許容の是非など</ref>、けんま路線における過激ないたずら、[[加藤力]]などの自己顕示欲の強い教徒の出現、急増したけんま配信主同士での対立といった様々な問題が論争を生み、教徒間での内紛を招いていたのである。これら荒れやすい話題は[[ウツケー]]への隔離が推奨されていたものの、炎上の拡大によって隔離政策も限界を迎えていた。


2015年8月には、教徒間の馴れ合い集団と化していた[[コミケ路線]]の運営グループ[[事務所一派]]への批判をきっかけとした内紛[[事務所騒動]]が発生し、2016年まで続いた最大のものになった。[[安藤良太#炎上以後|安藤良太も事務所一派に協力したとの批判で炎上]]、一時評価が失墜した。
2015年8月には、教徒間の馴れ合い集団と化していた[[コミケ路線]]の運営グループ[[事務所一派]]への批判をきっかけとした内紛[[事務所騒動]]が発生し、2016年まで続いた最大のものになった。[[安藤良太#炎上以後|安藤良太も事務所一派に協力したとの批判で炎上]]、一時評価が失墜した。


アサケーはこれら内部対立や荒らしの影響を受け荒廃し、それは住民の良心に期待して不介入主義をとっていた管理者[[サンラクシャカ]]にとって手に余るものとなっていた。11月17日のメインカラケー就任1年という節目にサンラクシャカは閉鎖<ref>正確には休止</ref>を決定し、麻原彰晃の名の下に歩んだ激動の2015年は終わりを迎えた。
アサケーはこれら内部対立や荒らしの影響を受け荒廃し、それは住民の良心に期待して不介入主義をとっていた管理者[[サンラクシャカ]]にとって手に余るものとなっていた。11月17日のメインカラケー就任1年という節目にサンラクシャカは閉鎖<ref>正確には休止</ref>を決定し、麻原彰晃の名の下に歩んだ2015年は終わりを迎えた。


== 2016年 ==
== 2016年 ==
=== 爆破予告路線 ===
=== 爆破予告路線 ===
[[ファイル:Ando.jpg|thumb|200px|安藤良太]]
[[ファイル:Ando.jpg|thumb|200px|安藤良太]]
昨年の炎上以降行動が少なくなっていた安藤良太であったが、2月に一世一代の勝負にうって出る。安藤良太は全国47以上の自治体に[[爆破予告]]メールを送りつけ、47万人に影響が及ぶ大事件を引き起こしたのである([[同時爆破予告事件]])。
昨年の炎上以降行動が少なくなっていた安藤良太であったが、2月に一世一代の勝負にうって出る。安藤良太は全国47以上の自治体に唐澤貴洋や長谷川亮太名義で[[爆破予告]]メールを送りつけ、47万人に影響が及ぶ大事件を引き起こしたのである([[同時爆破予告事件]])。


安藤良太は別件で逮捕されたが、[[Tor]]を使えば足がつかない手軽さと影響力の大きさによって教徒以外にも模倣犯が大量に発生、全国的な社会問題となった。そして彼らのこの行動が10月にさらなる大恒心を引き寄せることを、この時はまだ誰も知らなかった。
安藤良太は別件で逮捕されたが、[[Tor]]を使えば足がつかない手軽さと影響力の大きさによって教徒以外にも模倣犯が大量に発生、全国的な社会問題となった。そして彼らのこの行動が10月にさらなる大恒心を引き寄せることを、この時はまだ誰も知らなかった。


=== 事務所騒動終結 ===
=== 事務所騒動終結 ===
昨年来続いていた事務所騒動は、最終的に2015年12月のC89強行出展への批判と金銭問題、安藤良太による事務所一派首魁[[藤原太一]]の住所氏名リークが決定打となり、2016年1月~2月にかけて事務所一派が次々とネットから姿を消したことで概ねこの騒動は決着した。
昨年来続いていた事務所騒動は、最終的に2015年12月のC89強行出展への批判、安藤良太による事務所一派首魁[[藤原太一]]の住所氏名リークが決定打となり、2016年1月~2月にかけて事務所一派が次々とネットから姿を消したことで概ねこの騒動は決着した。


事務所一派の壊滅に喜ぶ教徒であったが、一方で芸術路線期待の星であった[[けんまP]]が事務所一派の一員として糾弾されたこと、コミケ路線が全否定されたこと、[[ウツケー]]を中心とした一部の芸術路線民に対するアンチ活動が勢い付いたこと<ref>このあたりの流れは[[ハセカラファミリー一覧/小物#芸術路線]]を見ると分かりやすい</ref>は芸術路線に動揺を与え、これ以降先細りを見せていく。
事務所一派の壊滅に喜ぶ教徒であったが、一方で芸術路線期待の星であった[[けんまP]]が事務所一派の一員として糾弾されたこと、コミケ路線が全否定されたこと、[[ウツケー]]を中心として一部の芸術路線民に対するアンチ活動が勢い付いたことは芸術路線に動揺を与え、これ以降先細りを見せていく。


なお、事務所騒動と同時期に男性アイドルグループ「アルスマグナ」が前述の[[けんまP]]作曲のパカソンを無断使用した[[アルスマグナ騒動]]が起きていたが、けんまPがネットから消えたため有耶無耶に終わっている。
なお、事務所騒動と同時期に男性アイドルグループ「アルスマグナ」が前述の[[けんまP]]作曲のパカソンを無断使用した[[アルスマグナ騒動]]が起きていたが、けんまPがネットから消えたため有耶無耶に終わっている。


また事務所一派にかわってコミケ路線を継続しようとした当時女子中学生[[ガバ隊長]](小林和奏)が売春疑惑で炎上する騒動も起きている。
また事務所一派にかわってコミケ路線を継続しようとした当時女子中学生の[[ガバ隊長]](小林和奏)が売春疑惑で炎上する騒動も起きている。


=== 第2次聖遷 ===
=== 第2次聖遷 ===
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事務所騒動の終結、したらば運営によるメインカラケーの連続ポアで<ref>[[ドリケー]]、[[イスケー]]、[[ソムケー]]、[[マオケー]]、[[サモケー]]がポア、[[ケーケーケーケー]]が1日で自爆</ref>、アサケーからの惰性で続いてきた恒心教バブルは終焉を迎えた。
事務所騒動の終結、したらば運営によるメインカラケーの連続ポアで<ref>[[ドリケー]]、[[イスケー]]、[[ソムケー]]、[[マオケー]]、[[サモケー]]がポア、[[ケーケーケーケー]]が1日で自爆</ref>、アサケーからの惰性で続いてきた恒心教バブルは終焉を迎えた。


外部への布教を拡大した結果混乱を招いた2015年の反省からか、2016年には長谷川亮太・唐澤貴洋が中心であることを強調する原理主義<ref>原理主義の定義は曖昧であるが長谷川亮太・唐澤貴洋に関係ないことはあまり扱わない、萌えネタなどなんJっぽくない(?)文化は避けるなどの特徴がある。2013年頃への回帰運動としての側面もある</ref>の傾向を強めた。
外部への布教を拡大した結果混乱を招いた2015年の反省からか、2016年には長谷川亮太・唐澤貴洋が中心であることを強調する原理主義<ref>原理主義の定義は曖昧であるが長谷川亮太・唐澤貴洋に関係ないことはあまり扱わない、萌えネタなどアフィっぽい文化は避けるなどの特徴がある。つまるところ2013年頃への回帰運動として見ると分かりやすい</ref>の傾向を強めた。


特に5月31日の[[サヒケー]]への移住は原理主義の流れを決定付けた。サヒケーはハンガリー要塞以来念願の海外要塞メインカラケーであり、危うい書き込みをしても開示されないためアングラ傾向の強い原理主義にはもってこいの場所だったのである。
特に5月31日の[[サヒケー]]への移住は原理主義の流れを決定付けた。サヒケーはハンガリー要塞以来念願の海外要塞メインカラケーであり、危うい書き込みをしても開示されないためアングラ傾向の強い原理主義にはもってこいの場所だったのである。
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