「ビームマンP」の版間の差分
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これらの発言で、「ここまで杯を滅茶苦茶にされてキレるのは当然」「一生懸命作った動画が荒らされた挙句賞も取れなくて可哀想」と擁護する人間も一部にはいたが、「MMD杯運営という立場にいる自覚が全く無い」「煽り耐性が無さ過ぎる、小学生と同レベル」「閉鎖されたコミュニティで周りにイエスマンしかいないと唯我独尊になる悪い見本の典型」との声が恒心教徒以外のMMD杯視聴者からも噴出する事態となり、有能とされていた彼自身への評価も大きく失墜する事となった。当然恒心教徒からのヘイトはそれ以上に集まっており、一部の過激派からは彼の特定を始めようとする声も出ていた。 | これらの発言で、「ここまで杯を滅茶苦茶にされてキレるのは当然」「一生懸命作った動画が荒らされた挙句賞も取れなくて可哀想」と擁護する人間も一部にはいたが、「MMD杯運営という立場にいる自覚が全く無い」「煽り耐性が無さ過ぎる、小学生と同レベル」「閉鎖されたコミュニティで周りにイエスマンしかいないと唯我独尊になる悪い見本の典型」との声が恒心教徒以外のMMD杯視聴者からも噴出する事態となり、有能とされていた彼自身への評価も大きく失墜する事となった。当然恒心教徒からのヘイトはそれ以上に集まっており、一部の過激派からは彼の特定を始めようとする声も出ていた。 | ||
ただ、この時期は[[唐澤貴洋のご尊顔開示事件]]、長谷川亮太特定三周年記念と恒心教徒にとって大イベントが目白押しであり、さらにMMD杯内でも[[小関直哉|オメガ]]がニコニコ大百科のMMD杯の結果改竄を行った事で恒心教徒の矛先は一斉にそちらに向くこととなり、結果としてビームマンPは難を逃れることとなった。 | ただ、この時期は[[唐澤貴洋のご尊顔開示事件]]、長谷川亮太特定三周年記念と恒心教徒にとって大イベントが目白押しであり、さらにMMD杯内でも[[小関直哉|オメガ]]がニコニコ大百科のMMD杯の結果改竄を行った事で恒心教徒の矛先は一斉にそちらに向くこととなり、結果としてビームマンPは難を逃れることとなった。 | ||
== 名誉教徒 == | |||
上述のように教徒を敵視し幼稚な反応を見せたビームマンPだが、積極的に一般男性MMDを排除しようとはしなかったため、むしろMMD路線を擁護している「名誉教徒ビームマンP」であると揶揄するネタが生まれた。<br> | |||
芸術路線教徒はクレジットの借用モデル出展でビームマンPだけを目立たせて[[過度な神格化]]を行い、一般教徒も「ビームマンPありがとう」「名誉教徒ビームマンPやんけ!」などとコメントするのがお決まりになっている。<br> | |||
また事実として、彼製作のエフェクトを一切使わず出来の良いMMD作品を作るのは困難であり、(本人の意図せぬところとはいえ)MMD路線への貢献は極めて大きい。やっぱり名誉教徒ビームマンPがナンバーワン!<br> | |||
特に彼製作の核爆発エフェクトは尊師の[[核兵器]]ネタと相性がよく、本編で一切彼のエフェクトを使用していなくても、ビームマンPの名前を載せるためだけにクレジットの背景に核爆発を映す動画は多い。 | |||
== その後 == | == その後 == | ||
時は流れて半年後に[[第15回MMD杯]]が開催される事となったが、杯運営メンバーの中にビームマンPの名前は存在しなかった。彼の方から身を引いたのか、運営の判断によって外されたのか、詳しい事情は不明である。ただ第15回MMD杯告知動画、閉会式動画は第14回のそれと比較してクオリティが低いと酷評され、ビームマンPが運営から抜けた弊害が表れたとの指摘が有る。 | 時は流れて半年後に[[第15回MMD杯]]が開催される事となったが、杯運営メンバーの中にビームマンPの名前は存在しなかった。彼の方から身を引いたのか、運営の判断によって外されたのか、詳しい事情は不明である。ただ第15回MMD杯告知動画、閉会式動画は第14回のそれと比較してクオリティが低いと酷評され、ビームマンPが運営から抜けた弊害が表れたとの指摘が有る。 | ||
ビームマンP自身はMMD杯に2本の動画を投稿し、相変わらずMMDエフェクトマスターとしての腕前を見せ付けていたが、本人曰く「2日で作った」作品であり、再生数も過去のMMD杯に投稿したものと比較しても伸びておらず、本腰を入れた作品とは言い難いものであった。 | ビームマンP自身はMMD杯に2本の動画を投稿し、相変わらずMMDエフェクトマスターとしての腕前を見せ付けていたが、本人曰く「2日で作った」作品であり、再生数も過去のMMD杯に投稿したものと比較しても伸びておらず、本腰を入れた作品とは言い難いものであった。 | ||
== MMD杯ZERO == | == MMD杯ZERO == |