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恒心文庫:純度100パーセント

提供:唐澤貴洋Wiki
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本文

1.

「純愛についてどう思う?」
 Yが突然たずねてきたのは、事務所の仕事を一通り終え、一服している頃合いであった。
 アイスをかじっていたKは、彼の発言に首をかしげる。
「純愛って、あの、純愛ナリか?」
「そう」
 Yはぱたりと本を閉じると、両手で顎を支えてKを見つめる。
 生真面目な彼のことだから、学術書を読んでいるのだろうとKは思っていたが、ちがった。本のタイトルは「拷問全書」。
「世界には様々な性癖があるよね」
 Yが微笑を浮かべる。
「たとえば僕らの所属するカテゴリは同性愛。他には小児性愛や、人形愛、動物性愛、無機物への愛。SM行為や食便、食人なんかも異常性癖としてカテゴライズされることはある」
「急に何を言ってるナリか? そんなことよりもN社への次の一手を――」
「なあK、そういうものって、何によって成り立っていると思う?」
 Yが立ち上がりながら言う。
「性欲だ。性欲と、わずかばりの愛なんだよ。歪んだ性癖でもどこかに愛情は存在するし、世間の語る純愛にも性欲が存在する」
 Kのこたえを待つ気は最初からなかったらしい。
「でもひとつだけ、疑問があるんだよ」
 彼は首をふってつぶやくと、Kの方へ歩み寄って来る。
「もし性欲のない、愛だけの行為があれば、それはなんと呼ぶべきだろう? それは家族愛? 熱心な宗教への愛?ねえ、見返りを求めない愛とは、なんだろうね。
 僕とKは愛し合うこともある。それは性欲の裏打ちがあってこそ? 僕はね、もっときみへの感情を純粋なものにしたい。肉欲など存在しない、血のつながりも必要ない、真の純愛というものを築きたい」
「ちょ、ちょっと待つナリ、今日のY君は変ナリよ!」
 Yの異様な雰囲気に押され、Kは思わず立ち上がる。
 近づいてくるYに合わせ、一歩ずつ下がりながら言う。
「確かに裁判の結果は、その……残念だったナリ。あっ、そうだ、一緒においしいものでも食べに行くナリ! おなかいっぱいでぐっすり眠れば、明日の朝には元気になるナリよ!」
 はっはっは。
 Yが大声で笑う。
「裁判? あんなもの、はじめから勝ち目のないこととわかっていたよ。それに、あれとこれは別問題だ」
 背中に堅い感触。
 いつの間にか事務所の隅にまで追いやられていたらしい。
 Yが唇の端をゆがめる。
「おやおや、K。もう逃げる場所がないようだよ」
「H! Hはどこナリか!? 事務員はいないナリか!? Yがおかしいナリ!」
「おかしい? それは聞き捨てならないな。K、僕はきみに「愛情と性欲の違い」を教授していただきたいだけだ……その身をもってね」
 Hは来ない。誰も、来ない。
 青ざめた顔で周囲を見回すKに、Yが唇の端をつりあげる。
「Hさんは学会で2日事務所を空けると昨日言っていただろう? 事務員には昨日僕が有給をまとめて取らせた。遅めのシルバー・ウィークとしてね」
「まさか……」
「そう。すべては今日のため。これからおこなうちょっとした《儀式》のためだ」
「ぎ、儀式って……?」
「僕はね、確かめてみたいんだ。自分の愛情に、性欲が存在しているのかどうかを。愛情と性欲の境目が、どこに存在しているのかを。
 純粋な、混じりけのない愛情というものは、どうやったら手に入れることができるのかを。僕はひどく知りたい。そしてそれを、きみの体で、証明してみてほしい」
「い、いったい何を――」
 衝撃が走る。Kが消え行く意識の片隅で見たのは、スタンガンを手にしたYの姿であった。

2.

 ぽた、ぽたと額に何かが垂れている。
 流れてくる液体を、目覚めない意識の中なかば無意識に舐めとる。
 ――水。
 うっすら開けた瞳に、スポイトを持った男が笑いかけてくる。
「ああ、やっと起きてくれたか」
「Y!?」
 Kの意識が一気に覚醒してゆく。自分が全裸にされて、事務所のソファに転がっていることに気づく。
 慌てて身を動かそうとするが、まるで言うことをきかない。先ほどの衝撃がまだ身に残っているうえに、両手足を縛り上げられているようだ。
「拷問、怖いよね」
 Yが先ほどの「拷問全書」を手に持ち、ぱらぱらとめくりながら言う。
「僕だったら、絶対イヤだな。「殺してくれ」と懇願するほどの苦痛。延々とつづく苦痛。恐怖しか感じないね、あることないこと話すのも当然だ」
「……Y君、縄をほど――」
「ほどかないよ」
 Kの言葉は撥ね退けられる。Yはこちらに歩いてくると、慈しむように彼のあごをそっと撫でる。
「ねえK、愛っていうのは理不尽なものだ。僕は気づいたよ。拷問も理不尽なものだ。その点において両者はどこか共通していると思わないかい?」
「Y、もうやめるナリ! 早く縄をほどくナリ!」
 ひどく嫌な予感が走り、Kは叫ぶ。
「まさか。やっと手にしたチャンスをどうして逃せる?」
 Yは行為の最中たまに見せるような、柔らかな笑みを浮かべる。
「さて、本題に戻そう。……魔女狩りは知ってるだろ? 言葉の響きから女性が被害を受けたように思う人も多いが、実際は多くの男性も犠牲となった。嘆かわしい、歴史の暗部」
 Kは激しく身を動かすが、体が自由になることはない。縄が食い込み、血がにじみだす。
「T」
 突然呼び捨てにされる。行為の最中、激しく興奮しているときにしか呼ばれない、Yだけの呼び方。
「僕は君に、魔女であるという疑いをかけた。今から証明してみよう」
「Y、お願いだから……」
 YはKの言葉を無視すると、どこから持ってきたのか、真っ赤に焼けあがったひとつの焼き鏝を取り出す。
「ここに聖なる焼き鏝がある。これは神聖なるものであり、通常の人間には害はない。
 もし君が魔女ではないのならば、これを足に押し当てたところで平気だろう」
「や、やめるナリ! そんなものつけたら大やけどするナリ!」
「君は魔女の疑いがある。どうして君の意見を聞く理由があろうか?」
 もうダメだ。
 思わず目を閉じたKであったが、しばらくしても何も起こらない。
 恐る恐る見ると、Yがにっこりとほほ笑む。
「なーんてね。冗談だよ、冗談。こんなものつけたらK、ショック死しちゃうかもしれない」
 Kは思わず安堵の息を漏らす。
「もう、Y君、悪ふざけにしてはやりすぎだったナリよ。おしっこ漏らしちゃいそうだったナリ」
「はは、すまない」
「まったく、もう。早く縄を――」
「代わりにこれから股裂きをおこなう」

3.

「――ッ!」
 声にならない悲鳴が、Kの口から漏れる。
 Yは事務所の奥へ消えたかと思うと、見たことも無いような器具を手に戻ってきた。
「初めて見るよね? 拘束具のひとつなんだ。これで、今から、きみの股を裂く」
 Yは無表情のままKを拘束具に縛り付ける。両手を上に、万歳のような格好で。
「Y、なんでこんなことしてるナリか!? 当職は恋人ナリよ!?」
 Kの訴えを黙殺し、Yは淡々と、作業を進めていく。
「先ほど魔女狩りについて話したよね。これもそのひとつさ。T、きみは両手両足を拘束される。
 この拘束具は上下左右に180度ずつ動くようにできていて、ボルトで調整できるようになっているんだよ」
「そ、そんな説明聞きたくないナリ!」
 Kをその器具に取り付けると、Yは満足げにその姿を眺める。
「今、きみは万歳の体勢を取っているだろう? ぴったりと閉じた両足は-90°の状態なんだ。それがこれから、-80°になり、-70°となっていくわけさ。
 安心してくれ、初めは痛みなんてない。恐怖くらいなものだよ。……もっとも、いつからそれが痛覚に変わるかは、きみ次第だけどね」
 Yがウィンクを飛ばす。
「へ、変態! キチガイ! Y、お前は狂ってる! 狂ってるナリ!」
「そのとおり、僕は狂っている。だからやめない。
 きみがどれだけ泣き叫ぼうとも、きみの股関節の腱がちぎれようと、僕はやめない。
 ふふ、きみの内出血によって青くなった両足を見て、僕は射精しそうになるかもしれないね」
「なんで! なんで当職ナリか! なんで当職がこんな目に!」
「きまってるじゃないか」
 拘束器具のスイッチを手にしたYが無表情に言う。
「きみを愛しているし、その愛を100パーセントなものへと昇華させたいからさ」
 キィ、と音がし、両足がわずかに開かれる。
「やめて、やめてナリ!」
「やめない」
 キィ、さらに足が開かれる。
 さらに、さらに、さらに。
「……普段から思っていたんだけど、きみは案外体が柔らかいね」
 Yが言う。
「ぁぁあああああああああああああああ……」
 Kはもう泣き叫ぶしかない。
 漏れた小便が器具の下に黄色い水たまりをつくり、アンモニアの臭いが鼻をつく。
「もう少しいけるかな」
 キィ。
 ……ぷつり。
「あ、腱が切れちゃった」
 Yが言いながらもさらにスイッチを押す。
 ぷち、ぷち、ぶちぶちぶち。
「―――――!!!!」
「そんなに泣くなよ、T。僕はここにいる。……さて、そろそろかな。脱臼と洒落込もうか」
「や、やめて……」
「やめない」
 キィ。瞬間、鈍い感触がKの両足の付け根を襲う。
「へえ、意外ときれいに外れたな。これなら後で治せそうだ」
 Kの意識は再び途絶えた。

4.

 全身を走る冷たい感触でKは目覚める。水を頭からかけられたらしい。
 世界が逆転していることに戸惑ったが、それは自分が斜めの板に逆さ磔にされているからだと気づいた。
「おはよう、K。少し強引に起こさせてもらったよ」
「く、来るな! 来ないでくれナリ!!」
「おやおや、ダメじゃないか。挨拶は人間関係を円滑にする第一歩なのに、そんなこと言ってたら」
 さて次はどうしようかなあ、とYは本をめくりながらつぶやく。
「も、もうやめて……」
「わからない人だなあ。やめないと言っただろう。……そうだ、次は水責めにしようか」
 Kの喉からヒッという声が出る。
「ああ、別に逆さづりにして頭から水に沈めるとかしないから、大丈夫だよ。僕はね、沈めるタイプは美しくないと思う。やる側が激しく動くようなものは、僕は好まないんだ」
「いやナリ、いやナリィ!!」
「だからね、飲ませる。K、きみのたぷたぷなお腹を、もっともっと、たぷたぷにしてあげるよ」
 Yが手に持ったビニールホースを見せる。
「た、助けて! 助けてくれナリィ!!」
「K、どうして今、きみが頭を下にされているか、わかるかな」
 ホースを手に持ったYが言う。
「解説しておこうか。水を飲む速度を落とすためだ。今から僕は、あなたの口にこのホースを突っ込み、蛇口をひねる。水がドバドバ流れ込む。さて、どうなるでしょう」
「いやだぁ! パパ、助けて!!! パパァー!!」
「いい年して親頼みとは感心しないな。ま、それもKの好きなところだけど……さて、人間の胃は水を消化しない。膨れ上がった胃袋は、きみの臓器を圧迫する。
 どうだい? 考えるだけで興奮してくるだろう? ……じゃあ、入れるよ」
 グイとホースが口に突っ込まれ、妙な装置で固定される。塩化ビニルの香りがKの口いっぱいに広がっていく。
 Yが事務所の奥へ行き、Kへ声をかける。
「準備はいいかい? 良くなくてもいくよ」
「やめ――」
 水、水、水。大量に流れてくる。息ができない。
 必死に飲む。飲む。飲む。
 まだまだ流れてくる。鼻の呼吸も苦しくなってくる。
「これ、調節が難しいんだよな」
 Yが奥でぼやくのがきこえる。
「うまい具合にやめないと、胃袋が破裂する可能性があるし。僕としてはTがその激痛にのたうち回るのもみたいんだけどね」
「がっ……ごっ……」
「苦しいかい? そうやって苦痛に耐える君は本当に美しいよ」
「ごっ……」
「儀式って最初に言っただろう? これはね、僕が君への愛情を確認し、更なる高みを目指すための儀式なのさ。
 僕は幼いころから虫をいじめたかった。大きくなると小動物へと対象はうつった。今では人間へ。それは異常な性癖だと世間には白い眼を向けられる。
 ……でも、本当にそうなのかな? だってそこにはね、確かに愛が存在していたんだ。虫の足をもぎるのも、ノラネコの尻尾を切り取るのも、僕は悪意を持ってやる連中とはちがう。
 僕はね、彼らを心から愛しながらそれをおこなったんだ。わかるかい?
 僕は、《愛しているからこそ、そうせざるをえなかった》んだ。そして今、僕は君への感情を真の愛だけで埋め尽くしたい……そろそろかな」
 ようやっと解放される。肺が狂ったように酸素を要求している。外れたままの股関節が、ちぎれた腱がひどく痛む。 
 近くにいるはずのYの声が、どこかひどく遠いところから聞こえてくるように思える。
「ねえT、今の君は僕が今まで見てきたどんな君よりも、美しい表情をしているよ」

5.

「たっぷりと水を飲ませた。なら次はどうするか」
 決まっているよね、とYは笑う。
「吐かせるんだ」
 Yは衣服を脱ぎはじめる。彼の股間は、Kが今まで見たこともないほどに膨張している。
「どうやってやるかわかるかな? わからなくてもいいよ。すぐにわかるから」
 全裸のYがKの腹にまたがると、「せーの」と言って一気に腰を落とす。
 衝撃。
 びしゃびしゃ、という嘔吐の音。
 喉が焼けるような感触。
「ああ、綺麗だなあ。本当に綺麗だよ」
 Kの腹の上でYがうっとりとした声を出す。
「おげっ、げぼ、がぁぁぁあ……」
「ずいぶん飲んだんだね。やっぱり大食いなだけはあるなあ、ふつうの人なら胃が破裂してたかも」
 何分間吐いただろうか。
 時間の感覚が崩壊しつつあるのを感じる。
 自分はいつからこのような行為を受けているのか?
 Yはいつからこのような凶行を企てていたのか?
 自分はいつ、解放されるのか?
 とりとめもない考えが脳裏を通り過ぎては、泡沫となって消えていく。
「げほっ……けほっ、けほっ……」
「おめでとう。きれいに吐き切れたようだね」
 YがKの吐しゃ物を指ですくうと、口に含み微笑む。
「おいしい。すごくおいしいよ、T」
「Y……もう、やめて……死んじゃうナリ……」
「だから、やめないってば。ほら」
 ぐいと再びホースが突っ込まれる。
 絶望の表情を浮かべたKを見、Yが眉をひそめる。
「そんな顔はやめなよ、きれいな顔が台無しだろう? あと3回、つづけるんだから」
 これをあと3回?
 体全体が奈落の底へ落ちていくような感覚で、Kは己の口が水で満たされていくのを感じた。

6.

「はい、お疲れさま」
 4度にわたる水責めが終了すると、YはKのすべての拘束を解いた。
「今日はここまでだよ」
 Kに逃げ出す気力はもうない。ぐったりと床に横たわることしかできない。
「……今日は、って……」
「明日も明後日も、そのつぎも、ずーっとするってことさ」
 にっこりとYが笑う。
「……うし……」
「ん? 何か言ったかな?」
「どうして、こんなひどいこと……」
「どうして、か」
 いいよ、話そう。
 Yは語りだす。
「人間というのは、ひどく有機的な生き物だ。恋をし、欲望に翻弄されて生きている。
 人々の語る愛というのは、精々が30パーセントほどの愛情にすぎない。残りは性欲や得られる充実感、自己の肯定で構成されている。
 僕自身、きみと何度も愛し合ったよね。でも、それは醜く歪められた性欲の発散、「愛」という衣で都合よく隠された、欲求の発散方法であるとしか思えなかった。
 ……僕はね、きみの美しさを永遠に保存したいんだ。性欲や自己肯定の欲求に操作されることのない、100パーセントの愛情を持ちたいんだ。
 Kという存在に、何かしら有機物を越えた、永続的な存在としての美を僕は求めているんだよ」
「狂ってる……」
「そのとおり、狂ってるね。だからやめない。やめられない、という方が正しいのかな」
「こんなの、おかしいナリ……ずっとずっとなんて、耐えられないナリ……」
「ふふっ、人間の体ってのはね、きみが考えているよりもずっとずっと強いものだよ。……さて、一応だけど、これを嵌めておこうかな」
 Yは洋梨のような道具を取り出す。
「苦悩の梨ってね、名前通りの代物さ。舌を噛まれたら困るしね、これを口に嵌めておくよ。はい、あーんして」
 Kに逆らう力はもう残っていない。
 おとなしく、鳥の雛のように口を開ける。
「これはね、ここのネジをひねれば実の部分が開くという寸法になっているんだ。君がバカなことを考えないように、ちょっときつめに開けさせてもらう」
 みちみちとした音。Kの両目から涙が落ちる。
 ぷちぷち、という唇の端が裂ける音が聞こえたころ、Yは手を止めた。
「ちょっと行き過ぎたかなぁ。ま、我慢してくれよ。これもきみのためなのさ……あとは、体を拘束するのだけれど……ま、これは簡単な話だ。海老反りの体勢で縛ればいいだけだからね」
 手際よく体が縛っていくYを、Kは呆然とした目で眺める。
 なぜ、と考える余裕さえ、彼にはすでにない。
 今の彼は、現状の自分をぼんやりと観察することだけであった。
「それじゃ、僕は帰るね。明日の計画を練らないといけないから……やれやれ、愛情というのも難しいものだ」
 愛してるよ。そう言い残すとYは出ていく。
 静まり返った事務所のソファの上で、Kはしばらくじっと横たわっていたが、やがてぽろぽろと涙を流し始めた。

7.

『Kさん、見てください! あのお菓子、秋限定の新発売が出たんですよ!』
『まーた、そんなもの買ったナリかぁ? メーカーに踊らされる消費者のお手本みたいナリね』
『えーでも、おいしそうじゃないですか? このパッケージとか可愛いし』
『Y君みたいなのがいれば、お菓子会社も苦労しないナリね……』
『そういうKさんはどうなんですか。いっつも同じアイスばっかりで、飽きたりしないんですか』
『ふふん、当職は純情だもんね。Y君みたいにほいほい浮気なんてせず、ひとつのお菓子を愛でるナリよ』
『そりゃ結構なことで……ん、うまい! これは当たりですよ!』

「……い、……」

『そ、そんなにおいしいナリか?』
『ええ! この系列だとこれが一番いけてるんじゃないかなぁ』
『Y君、当職にもひとつだけ、ひとつだけわけてくれないナリか?』
『嫌ですよ。自分は一筋なんでしょ。大体欲しかったら自分で買えばいいじゃないですか』
『あ、じゃあ、アイスひとくちあげるから、交換ナリよ』

「…お…い、…………」

『しかたないなあ、ひとつだけですよ』
『はいナリ。じゃあアイス、どうぞ』
『ありがとうございます』
『ん? これ本当においしいナリ』
『ああっ! Kさん食べ過ぎですよ、僕のぶんなくなるでしょうが!』
『男は細かいことにこだわるものじゃないナリよー』
『くそ、そっちがその気なら……』
『ああっ! アイス食べ過ぎナリ!』
『そっちが先に仕掛けてきたんでしょう? おあいこですよ』
『むむむ……』

「おーい、K」
 飛び跳ねそうな勢いでKは目覚める。
「Y!?」
「おはよう。ずいぶんとぐっすり眠っていたよ。気持ちの良い朝だ」
 男は爽やかに微笑む。
 うつろな瞳のKは、宙を見つめて言う。
「夢……夢を見てたナリ」
「へえ、どんな?」
「当職とY君が楽しかったころの……」
「まがい物さ、そのころの僕らは」
 Yが吐き捨てるように言う。
「あの頃の僕は、何度きみに「愛してる」などと口にしただろう。あれはすべてウソだ。僕ときみが演じていたのは世間一般で語られる、イメージ通りの幸せな恋人たち」
 Yが事務所の本棚を蹴り飛ばす。ガン、という音と共に本棚が倒れる。
「あんなもの、真の愛情などと呼べやしない! 僕は、ホンモノを手に入れるんだ!」
 叫びながらYは机を何度も殴りつける。手の皮がやぶれ、血がにじむ。
 ぜいぜいと荒く呼吸を繰り返した後、YはKに微笑む。
「さて、起きて早速で申し訳ないんだけど、今日は万力を使おうと思っている」

8.

 机に置かれた重々しい物体をYが指さす。
「ご覧のとおり、学校の図工室にあるような一般的な代物だ。学校の先生が「指を挟んだらダメだよ」ってよく注意してたっけな。そう。指を挟んではダメなんだ」
 Kの顔が白くなってゆくさまをじっと見つめ、Yがふっと笑う。
「察しが早くて助かるね。まずはどの指からいこうか?……あ、先に言っておく。絶対に止めない。完全に閉まり切るまで、やる」
「……Y」
 左の小指を掴まれたKは、全身の震えを抑えながら言う。
「なんだい?」 
「きみは、これで愛が得られると思っているナリか」
「わかってないなあ、Tは」
 万力のレバーをぐるぐると回しながら、Yは言う。
「僕のきみへの愛はもう十分すぎるほどある。その純度を高めるための儀式だよ、これは」
「そのうえで、いつか当職が死んでしまっても、それは愛ナリか」
「むしろ、そうするしかないかもしれないね」
 みしみしと骨が万力に締め上げられる。
「Y、それは、間違ってるナリ」
 Kは激痛に耐えながら言う。
「愛は、必死に、作り上げようとするものではないナリ。ましてや、純粋にしようとするなど――」
 ゴキリ。万力が締め切られた。Kが苦悶の声を上げる。
「安心してよ、T」
 Yがのたうち回る彼を見つめて笑う。
「僕が君を、完全なる愛の対象に仕立てあげるんだよ。……その行きつく先がどこであろうとね」
 暴れるKを抑えつけ、口にハンカチを押し込み、薬指を万力に押し込む。
 先ほどのようにゆっくりと回しはしない。
 風車のように回転するレバー。
 ごしゃりという生理的嫌悪を湧き上がらせる鈍い音。
「僕は拷問によってきみのすべてを取り払いたい。きみを覆っている肩書や、人間としての誇りや意地、尊厳、そんなものをすべて取り払ってみたい。
 いずれきみは四肢を無くすだろう。その悲しい姿を見たとき、僕はようやく確信できるはずさ。僕はきみを真に愛していて、そこには奢りも性的な欲求も存在しないのだとね」
 Kはすでに正気を失いつつある。
 ハンカチを押し込んでいなければ舌を噛み切っていただろう。
 訳のわからないことを叫ぶその男を無理やり立ち上がらせ、次の指を万力へと差し込む。
「わかるかい? 僕は自分の愛するKが、肉体や精神といったものを超越した、はるかなる高みにある存在だと証明したいんだ。そこに肉欲は必要ない。精神の共有も必要ない。
 僕ときみがそこにいて、その魂を感じることができさえすれば、僕はこの上なく満たされる」
 ぐるぐるとレバーが回り、鈍い音。3本目。
 声にならないくぐもった叫び声をあげるKに、Yが優しく微笑む。
「ねえK、いつか君にもわかるはずだよ。これこそが純度100パーセントの、混じりけのない、真の愛情なんだとね」

 ‐了‐

挿絵

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