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恒心文庫:精霊鹿

提供:唐澤貴洋Wiki
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本文

夜の静寂。
息吹に揺れる燭台の明かりを頼りに、貴洋は黙々と手を動かしていた。
机の上に山と詰まれた、無数の茄子と割り箸。
その中から一つ、貴洋は手に取ると眺めてしばらく、
ふと山へと戻してはまた別のものを手に取った。
小一時間、貴洋はそうして繰り返し吟味しているのだった。
不意に貴洋の小さな眼が、手元に寄せられた茄子と割り箸、その一組へ向く。
それは良く熟れ、丸々とした茄子であり、
その側にそっと添えられた、しなやかな白木の割り箸であった。
蝋燭の火が、見事に育った茄子、その濃い紫色の表面をテラテラと塗れた様に伝い、
橙色に浮かび上がる淡い輪郭は、突如として肉付きの良いモミジの手が握り締めた割り箸により突き破られた。
ツプ。
みずみずしく、思いのほか軽い音をたてて突き立ったそれは、
まるで不出来な独楽の様にくるくると机の上を左右に振れると、
そのまま横倒しになって動きを止めた。
貴洋はその様子を凝っと見届けると、しばらくしてもう一本、縦に割った割り箸の片割れを手に取った。
精霊馬。
お盆の時期にキュウリや茄子へと足に見立てた四本の割り箸を刺し、
死者の乗り物として馬や牛を模る風習である。
死者を迎えに行く時は足の早い(腐り易い)キュウリ、
死者を送る時は足の遅い(腐りにくい)茄子を使用するのが通例である。
しかし貴洋は頑なに、キュウリの精霊馬を作ろうとはしなかった。
毎年お盆の時期が来ると貴洋は茄子を集め割り箸を集め、時を忘れて茄子の精霊馬作りに没頭するのだ。
その、まるで祈りの様に透明な、しかし息の詰まる静寂にふと貴洋は耳を済ませた。
柱時計の長針が短針を置いてけぼりにして進んでいる。
貴洋は息をひそめ、時計が沈黙を刻むその音を聞く。
視界の端には小さな灯がちらつき、貴洋を無意味に急かしている。
貴洋は自身にのしかかるそれを押しのける様に、その握り拳を、
二本目の割り箸をゆっくりと振り上げていく。
重苦しい沈黙。貴洋は微笑を浮かべていた。
どこか間の抜けた、いつもと変わらないはずのその表情に、
散らつく蝋燭の火がひどく陰鬱なものを浮かび上がらせた。
多摩川の河川敷。夕焼け色の空。囃し立て、蠢く悪いものたち。
中心でうずくまる小さな影。それを、陰から見ているだけの小さな影。
どうして何もしない、という怒り。
どうして何もできない、というやるせなさ。
どうして何もしなかった、という悔い。
どうして、こんなに無力なんだ。
その時の自分を置いてけぼりにして奥底に閉じ込めたこの仮面の様な微笑は、
その向こうに渦巻く無秩序な感情を、いまだに整理できない苦い記憶を、すぐ傍へ感じさせずにはいられない。
弟を見捨てた罪の意識。自分で自分を許せないあまり、裁かれなければならないという屈折した祈り。
ただ、何もかもを無力な自分のせいにするには、失ったものはあまりに大きく。
他人のせいにして忘却することなど到底許せずそのジレンマが貴洋を茄子の精霊馬作りに駆り立てる。
癒されるどころか年々深まる傷。
そのぽっかりと空いた穴から血を流しながら、貴洋の心が叫ぶのだ。
声なき声に力を!
思わず力を込めて振り下ろした割り箸の勢いに、貴洋の手元から茄子が跳ねる。
二本の割り箸を左右対称に突き刺されたそれは天井高くまで跳躍すると、
そのまま机の上で山となっていた他の茄子と割り箸を蹴散らしながら落下、
やがて蝋燭を挟んだ向こう側まで転がり、落下時に深々と突き刺さった新たな割り箸を高々と掲げ、
スクリと立ち上がった。
貴洋は息を呑んだ。
燭台の揺らめく火の向こう側。机の前に座り込んだ貴洋の向かいに、不意に投影された巨大なシルエット。
それは貴洋の差した二本の足で器用にも立ち上がり、丸々とした体、
その先端から天井まで長い首を伸ばしている。
それはダチョウにひどく似て
-だから今、僕はここにいる-
「あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
喉をほとばしる、歓喜とも恐怖ともつかぬ絶叫。
あれだけ恐れていた、しかし待ち望んでいた裁きの時を前に、齢三十九にもなる男の奇声が、
ディスプレイの前のお前の部屋できこえる 天井の隅の顔

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