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Wikipedia

提供:唐澤貴洋Wiki
2015年8月31日 (月) 01:17時点における*>T-カルサヴァによる版 (176.10.99.207の削除した記述を復活 はっきり言ってこの程度の記述が自分語りされるのは異常だ、というかこの編集自体Muyo君並に恣意的でしょ…)
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Wikipediaウィキペディア)は、ユーザーが誰でも編集できるオンライン「百科事典(自称)」。ラリー・サンガージミー・ウェールズが2001年1月15日に英語版を作り、後に日本語版が作られた。このページでは、基本的に日本語版Wikipediaについてを中心に記述していく。

当Wikiで使用されているウィキソフトMediaWikiは元々Wikipediaのために作成されたソフトである。

実態

日本語版はWikipediaの中でも異様であり、サブカルチャーやオタク関係の記事ばかり充実している(反面、学術的な事柄は乏しい)。また、非ログインユーザー(IPユーザー)の割合が断トツに高い[1]

日本語版のユーザーコミュニティは(その民族性を反映してか)2ch専門板並みのムラ社会であり、掲載や加筆の基準にやたら厳しく、初心者がなにか目立つことをしようものなら直ちに叩き潰される[2]。だがその割には個人による記事の私物化や明らかなデマ・虚構が公然と放置されている例も多々あり、チェック基準はガバガバである。そのため多くの研究機関や学校では、レポートや論文等の出典としてWikipediaを使用することを禁止、または非推奨としている[3][4]

またこのように閉鎖的な組織であるためネット文化等の外部ネタには特に厳しく、2chネタなどはメディア報道されるなどよほど大きな展開がない限り掲載されない。なんJネタでは某サカ豚官僚の記事が熾烈な議論を経た末「一応公人だから」という理由でやっとこさ掲載されたくらいである。

アサケー民による証言

また、日本語版Wikipediaの実態について、元Wikipedianと思わしきアサケー民によりリークが書き込まれている。

アサケーへの書き込み

帰依芋が古巣の悪い所を挙げ恒心教改善の糧とするスレ
35 :グナマーナ正大師:2015/04/13(月) 02:18:27 ID:6w4uVwxM
まず初めに書いて置きますが、当職は>>8でいうジャーニーマン教徒なので様々なサイトにいたことがあります。
なので当職は様々なサイトやコンテンツの栄枯盛衰に自信がありますを

丁度雑談スレでWikipediaが話題にされているので、まずはWP時代の経験やWikipediaの特徴などを言いたいと思うナリ
まずWikipediaの特徴ですが、考えてみると書くべきことが非常に多いので箇条書きで列挙しました。
・サイトぐるみで意識が高い
・それ故2chやニコニコなど、俗的なサイトを見下す
・特に2chは身長記入問題(hyde=156cm)や、政治豚の工作など侵略で多大な被害を被った経験がある為、トラウマがある
・官僚体質や年少者を見下す風潮など、現実世界の延長線上にあるような問題も多い
・特に管理者様への批判は許されず、批判しただけでLTA(恒心で言う佐々カスみたいな奴)認定を受け追放(無期限ブロック)されることも少なくない
・管理者内での自浄作用はなく、User:海瀨などの一人のガイジ管理者が暴れただけで、
多くの有能ユーザーが荒らし、自演用垢(WP用語では“ソックパペット”)認定を受け追放されるような事態が頻発している
・日本語版Wikipediaは日本人の国民性からか村社会的な側面が強く、風潮や権力者に逆らえば袋叩きにされてしまう
・特に、古参を過度に礼賛し新参を見たら荒らしと思うような
・合意形成などと謳っておきながら、その実屁理屈をごり押すレスバトルに勝った人の意見が通用する
・特に、相手を挑発→相手が暴言を吐く→管理者に「この人話が通じません」と通報→相手、荒らし認定されて無事ブロック
この喧嘩術がレスバトルの勝利手段として使われることも少なくない
・上6つの特徴が相まって、自治厨が跋扈し管理者が増長した結果、方針が彼らの都合のいいように曲解され、
それを盾に良記事は削除され、有能利用者は追放されるという非常に息苦しいサティアン内部並のディストピアになってしまった

まだまだ書きたいことはありますが長くなりすぎるのもアレだし思いつくこともなくなってきたのでこの文章は終ります。
ではさよなら法政二中

項目「唐澤貴洋」

「我らが尊師をWikipediaに掲載しよう」という動きは騒動初期からあり、2012年5月30日には既にその存在が確認できる [5][6] 。しかし当時はまだなんJでもその存在が知られ始めたばかりであり、「特筆性」がないのは当然であった。結局この記事は翌6月6日に削除されてしまう[7]

その後2012年10月には「恒心綜合法律事務所」の記事が作成されるも、「特筆性なし」「宣伝目的」という理由で12月30日に削除される。またそれから半年以上経過した2013年、尊師のFB恒心がスタートしハセカラが再び大きな盛り上がりを見せる中、8月には再び「唐澤貴洋」を復活させようという動きが起こり、一度は復活するも9月26日には「改善なき再作成」を理由に削除される。

しかし2013年下半期、状況に大きな動きがみられる。10月に尊師が雑誌AERAのインタビューに応じ、また12月にはカラコロにより大分の高校生が書類送検されたことが各種メディアで報じられた。ついに信頼性を持った一次ソースが登場したのである。さらに2014年に入ると片平騒動カラッキング事件、福嶋誠也逮捕など大きな騒動が立て続けに発生、メディアでの報道が増え始めた。特に福嶋逮捕は「95万件の殺害予告を受けた弁護士」という論調で報じられたこともあり、この頃になると「『ネットの中傷被害に曝される弁護士』としての特筆性が存在するのでは?」という議論が持ち上がり、なんJ、カラケー等でしばしばWikipedia復活が提案されることとなる。特に2013年12月にはカラザイル掲示板で「殺害予告や●流出に関する騒動についての記事を書き、そこに尊師の名を掲載する」という提案も持ちあがっている。

だが一方で、「パカ弁」の項目が出典明記で長らく存在していたにもかかわらず、またもやワイルドカード「特筆性なし」を用いて削除されてしまう。「パカ弁」および「パカパカ」は本職の弁護士も使っている例があり、もはや専門用語と言っても差し障りないとも考えられるので、この削除はおかしいという意見が恒心教徒の間では強い(ただし使っていた弁護士は少人数なので特筆性なしも妥当、という声もある)。

Muyo特定事件

2015年4月、ちばけんまショッピングモール路線に端を発したGoogle マップ改竄路線が実りを結び、「恒心教」の名が多くのニュース番組に取り上げられる事態となった。これを好機と一部信徒によるwikipediaに恒心教の記事を作成する新路線が本格的に実行されることとなったが、恒心教の記事はWikipediaの管理者の一人であるMuyo、本名藤田拓也にノートごと削除されてしまう。また、同じタイミングにスローボールの記事から多田野数人の名前を削除されてしまい、それを復帰した利用者(Powerpowervoice氏)ということも発生している。結果、恒心教徒から批難が集中した結果Muyoが特定され、この出来事によって恒心関連の記事を存続させるために恒心教に楯突いたWikipedia利用者を特定する路線が誕生した。

その他の恒心項目・記述

  • 森公高の項目が存在するが、初期に追加された写真[10]が当wikiの当該項目と同一のものであり、また時系列からして恒心教徒が作成した疑いが強い。
  • 2014年11月11日には恒心教徒によって[11]河野一英の項目が作成される。
  • Muyoが特定され活動を停止した2日後の2015年4月25日に、唐澤洋の項目が作成される。同記事を巡り恒心教弾圧派(Muyo派残党)により何度か削除が試みられ編集合戦が繰り広げられるも[12]、最終的に管理人さかおりにより保護され同記事の存続が決定する。

註釈

関連項目

外部リンク