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恒心文庫:自業応報

提供:唐澤貴洋Wiki
2020年12月29日 (火) 14:59時点における>ジ・Mによる版
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本文

日常は、それぞれによって違う。
ある者はインターネット上の掲示板で誹謗中傷を浴びることがそれにあたり、ある者にとってはインターネット上の掲示板に会った事も無い男の悪口を書き込むことこそがそれにあたる。
価値観も人それぞれである。アニメが好きな人間もいれば、嫌いな弁護士もいる。
日常も価値観に伴い変化し、他人同士の複雑な価値観が、つまり日常が交差することで社会性が営まれる。なのだが、その日常が他人からするとあまりにも異常である場合、逆に社会性は損なわれ、その日常は他人の価値観、つまり異常という認識によって失われる。しかし、その淘汰的性質は決して間違っていない、むしろそれこそが社会としては当然なのだ。
多数が全てを決める。人類の、生物の、宇宙の、世界の、全ての歴史。多数とは強さである。
主観体が1つ失われたところで世界は消えないし、地球を、ましてや1人物を中心に世界が回るわけがない。生態系、国、宗教、銀河系、そんな曖昧な概念的構図こそが中心となりこの次元に脈打ち続けてきた。醜い化け物のようでもあり、非常に美しい絵画のようでもある。
詭弁 そう言われればそうなるが、これは事実だ。

100%当たる占いのような曖昧で冗長な前置きはここまでにして、本題に入ろう。

俺は奴の言う「悪い者達」と戦っていた。が、俺も別の面で見れば「悪い者」だったのだ。その場合本当の敵は誰なのか?決めるのは俺じゃない。
好き勝手生きたいように生きてきた。その結果「悪い者達」と日常を多く交える事になってしまったのは仕方がなかった。いくら謝っても、十字架を掲げた男に懺悔しても、罪と罰を受け入れるなんてインポッシブル、そう、神なんていなかったし、まわってくるようなツケを作っていた方が悪いのだ。

テレビをつけるとあの顔が出てきた。受信料なんて払っていなかったが、罪をいくら重ねても本当の地獄には辿り着けないことを知っていたから、払わずに見る。

『到底許されるべき行為じゃないな、と思います』
黒く淀んだ瞳 イラストが脳裏を駆ける
許される、誰に?どうやって?
死ぬか、死ぬまで地獄を見て死ぬか
二択のように見える一択を選ぶぐらいなら選ばずに逃げよう、そう決めたが逃げることも本当は地獄の1つだった。

日本の行方不明者は各都道府県で大体平均が1700人くらいでその内発見されないのが200人程らしい。
自分では生への欲求は人一倍強いと思ってるし、ネットでもいろいろ人生の爪痕ってやつを残したつもりだったが、いつか自分が200の内の1人、それも数字でしか書かれなくなるのではないかと思うと、タバコか酒が右手に据わるようになっていた。パマギーチェ。

世間知らずのデブと一緒に働くのはゴメンだったが、炎上しているのを傍からカラかうのはとても面白かった。もう一度会った時あいつは私にやり返してくるか?その時所長は俺に茶を出してくれるだろうか?

木目の魅せる幻覚は怖いものだったが、今となっては懐かしく、心地いいものだった。冷たいコンクリートを、頭皮で直に感じていると、そう、思える。

絶対に踏んではいけない地雷 でも地雷なんだから踏まれるような場所にある
奴はどこでそれを踏んだのか?小さな起爆スイッチの積み重ねで炎上したのか?俺はいつ間違った?いつもか?

善行を積めば報われる
えりなやキリストは知っていたのか知らなかったのか、どっちかは分からないが少なくとも目を瞑っていた。目を瞑っても瞼には闇があるから本当は見ていたのかもしれないけど。
免罪符があるのなら
それを手に入れるまでに罪を重ねて別の免罪符が必要になるだろう。あるいは金か。

ゴンゴン
「居るんだろ?皆も探してるぞ。」

黒い黒い日常の幕が上がる。
狼の獲物を奪ったキツネは自分が次の獲物にされる事を知らない。

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