恒心文庫:ツツジの花は春に咲く
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ツツジの花が咲いている。
その赤い大きな花に目をとめて、Kが立ち止まる。
『ねえねえ、Yくん』
『なんです?』
『赤いツツジの花言葉』、指さしながらKは言う。『なにか知ってるナリか?』
『いえ、知りませんね』、僕は微笑してこたえる。『なんでしょう?』
Kは頬を染めると、両手をうしろにやって僕の前に回る。
『恋の喜び、ナリ!』
『恋の喜び?』
『そう』、うなずくとKはその大輪の花をそっと手のひらに載せる。『とってもステキな言葉だと思わないナリか?』
ポエムを嗜むKが、時折夢見る乙女のようなことを言い出すのは常だ。
苦笑しながら同意すると、Kはうつむいて小さな声で言う。
『……ねえ、Yくん』
『なんです?』
『来年も、一緒にこの花を見るナリ!』
Kはぱっと顔を上げると、僕に言った。
『再来年も、その次も、そのまた次も、ずぅーっと、一緒にこの花を見るナリ!』
『喜んで』
Kの頬がツツジの花のように赤く染まる。
きっと僕も同じくらい、赤い頬をしていたにちがいない。
そうだ、僕らは確かにあのとき誓い合ったのだ。約束したのだ。ずっと花を一緒に見ようと。
遅い春に開くその花を、手をつないで一緒に見ようと。
だのに、そう、どうして――
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「……どう、して」
喉から出たかすれ声は、今にも泣きだしそうな曇天に吸い込まれていく。
「ごめんねぇ」、目の前の小男がえへ、と笑ってみせる。「当職、飽きちゃったナリ」
昨日までは愛しくてたまらなかった笑み。昨日までは僕だけが見ることのできた笑み。
「当職、Yくんにもう、飽きちゃったナリよ」
昨日までは愛しくてたまらなかった声。昨日までは僕だけにかけてくれた、少し高い声。
――どうして、今日は彼のすべてが、こんなに残酷に感じられてしまうんだ?
「僕の……なにが……」
「Yくん、お別れの時間ナリよ」
「K……」
ああ、どうして人間は心をいちいち言葉にしなければならないのだろう。
すでに力の入らなくなった両足を地にすりつけ、這いつくばるようにしてKのもとに寄る。
僕とKがこんなに簡単に、こんなにあっさりと終わるわけがないんだ。
僕らはあれほど濃密な時間を過ごしたじゃないか。
そうだ、こんなに単純に終わるわけがない。
話し合えばきっと戻れるさ。話し合えば――
「Y、いい加減にしたらどうだい」
冷たい声が僕の動きを止める。
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顔を上げると、Kの隣に立った男が、壁についた虫でも見るかのような視線を僕に注いでいる。
「……Y、本」
「見苦しいんだよ。T大院さえ出られなかったきみが、僕と同じ土俵に立ったつもりなのかな」
「T大院卒なんて、やっぱりY本くんはすごいナリー! C大院なんてゴミみたいなもんナリ!」
きゃっきゃっとはなやいだ声をあげて小男が彼の腕に抱きつく。
やめろ、K。それは僕だけの特権だったじゃないか。
その位置には、確かに昨日まで、僕が立っていたんだ。
70年間一緒に過ごそうと、約束したじゃないか。
「K、お願いだ」、僕は恋人の顔を見つめて懇願する。「正気に戻ってくれ。話をしよう。話を……」
「しつこいナリねえ」、ぺっと唾を吐きかけられる。
「正気に戻れ、だあ? それはこっちのセリフナリ」
顔にかけられた唾をぬぐうこともできず、僕はKを見つめる。
「彼はきみと違い、Dジャパンで危ない橋を渡った仲ナリ。同期でさえ悪いものたちでないか心配な当職が、唯一心を許せる相手ナリよ?」
視界がぼやけているのは唾のせいだ、きっとそうなんだ。
「……それにね」、言うとKは頬をぽっと染めてY本を見つめる。
――なりより、Y本くんはきみと違って《持続力》があるナリよ。「15秒」くん。
最後に放たれた言葉は僕の心、その中心を深々とえぐってゆく。
手をつないで去ってゆく男たちにかける言葉はどこにも見つからない。
2つに引き裂かれた約束の片方だけが、いつまでも心の中で渦巻いている。
春の兆しを告げる曇天の下、僕はひとり立ち尽くす。
きっとツツジがもうすぐ、あの赤い花を咲かせるのだろう
この作品について
2016/03/11(金) 14:10:17に寄せられた山本祥平参画の一報に題材を得て2016/03/11(金) 17:47:50 に投稿された作品。
長らく恒心文庫:愛の炎が身を焦がすが初登場だと考えられていたが、投稿時間は2016/03/12(土) 12:02:35のため、時間的にはこちらの方が早い。
この当時山岡は早漏という設定になっており、他作との関連も楽しめる。
第三の男参画によってデリュケーは新たな潮流が生まれることとなった。
リンク
- 初出 - デリュケー ツツジの花は春に咲く(魚拓)