唐澤貴洋Wiki:検索避け/テクノロジーと差別 ネットヘイトから「AIによる差別」まで/本文
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第6章
ネット上の人権侵害に対する裁判の現状
唐澤貴洋………弁護士
1………はじめに
本章では、インターネット上の人権侵害に対して利用される「特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律」(プロバイダ責任制限法)(以下、「プロ責法」と言う)に基づく手続きについての現行法、改正法の概観を示すとともに、インターネット上の人権侵害に関する近年のいくつかの裁判例を紹介し、そこでの判断構造を分析し、現在存在する人権侵害に対し、現行法の有効範囲を示すとともに、そこでの限界を踏まえて、今後どのような立法が検討されるべきかについてその視点を示していきたい。
2………権利侵害への法的対応 ——発信者情報開示手続きを中心に
1 現行法としてのプロバイダ責任制限法
現在、インターネット上の人権侵害に対して、発信者情報開示の点で、どのように対応していくかを簡単に示す。インターネット上で、権利侵害情報があった場合、権利侵害情報の発信者は通常、匿名であることが多いため、権利者情報の公表によって、発生した精神的侵害の回復を求めるための損害賠償請求を行うために、発信者を特定することが求められる。
この手続きで利用される法律が、プロ責法であり、それを受けて制定されている総務省令である「特定電気通信役務提供者の損害賠償責任及び発信者情報の開示に関する法律第四条第一項の発信者情報を定める省令」(以下、「プロ責法」と言う)である。
プロ責法は、特定電気通信役務提供者(以下、「プロバイダと言う)がインターネット関連サービスの提供時の管理行為として、権利侵害情報の削除や、権利侵害情報の発信者情報の開示に関して発生するプロパイダの法的責任について、一定の要件下での免責と、権利侵害情報の被害者に対して発信者情報開示請求権を認めた法律である。
発信者は、インターネット接続サービスを利用し、インターネットにアクセスし、自己が管理する端末から、権利侵害情報を発出し、インターネット上でコンテンサービスを提供しているサーバに権利侵害情報を記録する。インターネット接続サービスを利用した場合、フリーWifiを利用していなければ、インターネット接続サービス提供事業者(Softbankなど)(以下、「経由プロバイダ」と言う)は、権利侵害情報の発信者に関する契約者情報を保有している。被害者とすれば、発信者の法的責任を追求するためには、かかる契約者情報を取得する必要があるが、直接的に契約者情報を取得する方法は、発信者が自分でサーバを立てて、権利侵害情報を発信している以外は、コンテンツサービス提供事業者(以下、「コンテンツプロバイダ」と言う)に対して、発信者情報の開示を求め、IPアドレス、権利侵害情報の発信日時の提供を受け、判明したIPアドレスについて管理している経由プロバイダに発信者情報開示請求をするという二段階の手続きを経るしかない。
この二段階の手続きは、総務省の指導のもと、基本的に裁判手続きを経る必要があったため、被害者としては、2度の裁判手続きを行う必要があった。海外のコンテンツプロバイダ(Twitter、Googleなど)に対して、法的手続きを行う必要がある場合、日本国内のコンテンツプロバイダに対して開示請求を行うよりも、求める発信者情報の内容(携帯電話番号、メールアドレス)によって、一段階で手続きを行うこともできたが、この場合、裁判上保全手続きを利用するよりも時間のかかる海外送達手続きを利用せざるを得ず、判決まで1年以上かかることもあった。
海外のコンテンツプロバイダにおいては、ログイン時のIPアドレスしか保有してないとする事業者(Twitter、Googleなど)もおり、ログイン時IPアドレスが、法令上、発信者情報開示の対象とされるIPアドレスなのかといった不毛な争いも裁判上繰り広げられ、被害者を置き去りにした議論を強いられることもあった。
この二段階の裁判手続きの利用にあたっては、証拠に基づく事実の主張、その事実に対する法の解釈適用といった専門的知識が求められる手続きであるため、弁護士の利用が事実上必要とされるため、被害者としては、のちの損害賠償請求での回収を期待することのできない、弁護士費用がかかっている。そもそも経由プロバイダ、コンテンツプロバイダが、事業により得ている利益についての応分の費用をかけて、権利侵害情報への対応が求められる問題について、実質的に、一方的に被害者に負担がかかる構造がそこに存在していた。大手コンテンツプロバイダについては、法的対応を任意で求めても、定型文でただ返してくるという事故の対応の正当性について疑義を感じさせる対応をしてるのが現状であり、その問題は、いまだ解決できない問題として存在している。
2 改正法としてのプロバイダ責任制限法
同法律は、被害者にとって、大変使い勝手の悪い法律であったことから、2021(令和3)年4月21日改正、4月28日公布され、公布から1年6月以内の施行されることになっている。主たる改正点は、従来の発信者情報開示手続きに加え、非訴手続きとして新たに発信者情報開示手続きを設け、一度申し立てた手続き上で、これまでバラバラで行われていた手続きについて、五月雨式に行える手続きとして整備されることとなった。
具体的には被害者が、裁判所に対し、コンテンツプロバイダを相手方とする発信者情報開示命令とともに、提供命令の申し立てを行い(改正法8条、15条1項)、裁判所により提供命令の発令をもって、コンテンツプロバイダから被害者に対し、経由プロバイダの名称提供が行われる(改正法15条1項1号イ)。
これにより、被害者は、開示された経由プロバイダを相手方として、契約者情報の開示命令を申し立てることができるようになる。そして、被害者が、同開示請求の申し立ての事実を、コンテンツプロバイダに通知をすると、コンテンツプロバイダは、経由プロバイダに対して、保有する発信者情報(IPアドレスなど)を提供することになる(改正法15条1項2号イ)。最終的に裁判所より、経由プロバイダに対し、開示命令が発令された場合、発信者の契約者情報が開示されることになる。
その他、ログイン時IPアドレスについて一定の要件のもと、発信者情報開示対象のIPアドレスとされ、IPアドレスのログ保存を求める消去禁止命令も同手続き上で行えることとなった(改正法第16条1項)。また、新手続きを利用すれば、保全手続きによって規律されるため、経由プロバイダに対する呼び出しについても海外送達ではなく、その呼び出しが、相当と認める方法(民事保全規則3条1項)(具体的には、EMSなど)を利用できるようになり、送達にかかる時間の短縮が図られることとなった。管轄については、コンテンツプロバイダについて管轄を有する裁判所に、経由プロバイダに対する開示命令の申し立ても行えるようになり、管轄を異にするということを避けることができるようになる。
以上のように、改正法では発信者情報開示は一連の手続きとして、従前の手続きよりも迅速化が図られるようになった。ただ、実際に、どの程度迅速化が図られるかは、運用によるところもあるので注視が必要である。
3………人権侵害関連裁判例
1 京都朝鮮学校襲撃事件(京都地方裁判所2013年10月7日判決)
①事案の概要
在日朝鮮人の学校を設置・運営する法人である学校法人京都朝鮮学園が、2009年12月4日、2010年1月14日および同年3月28日の3日にわたって複数名が行った街頭での示威活動およびその映像をインターネットを通じて公開したことが不法行為に該当し、これにより同学園が被害(1日分1,000万円)を被ったと主張し、その複数名(関連する任意団体も被告とされている)に対し、その損害の賠償金の連帯支払を求めるとともに、その複数名に対し、法人の人格権に基づき、同様の活動の差し止めを求めた事案である。
示威活動の内容としては、学校周辺で、同校関係者に対し、拡声器を用いて、「『我々はX公園を京都市民に取り戻す市民の会でございます』『主権回復を目指す会及び在特会関西の有志でございます』『(本件学校は)公園を50年も不法占拠している』『日本国民が公園を使えない』『この学校の土地も不法占拠だ』『我々の先祖の土地を奪った。戦争中、男手がいないとこから、女の人をレイプして奪ったのがこの土地』『戦後焼け野原になった日本人につけこんで、民族学校、民族教育闘争、こういった形で、至るところ、至る日本中、至るところで土地の収奪が行われている』『日本の先祖からの土地を返せ』『これはね、侵略行為なんですよ、北朝鮮による』『ここは北朝鮮のスパイ養成機関』『犯罪者に教育された子ども』『ここは横田めぐみさんを始め、日本人を拉致した朝鮮総連』『朝鮮やくざ』『こいつら密入国の子孫』『朝鮮学校を日本からたたき出せ』『出ていけ』『朝鮮学校、こんなものはぶっ壊せ』『約束というのはね、人間同士がするもんなんですよ。人間と朝鮮人では約束は成立しません』『日本に住ましてやってんねや。な。法律守れ』『端のほう歩いとったらええんや、初めから』『我々は今までみたいな団体みたいに甘うないぞ』『この門を開けろ、こらぁ』等の怒声を次々と間断なく浴びせかけ、合間に、一斉に大声で主義主張を叫ぶなどの示威活動」を行い、また、「『不逞な朝鮮人を日本から叩き出せ』『日本の子どもたちの笑い顔を奪った卑劣、凶悪な朝鮮学校を我々日本人は決して許さないぞ』『北朝鮮の工作員養成機関、朝鮮学校を日本から叩き出せ』『朝鮮学校、朝鮮学校と言いますがこれはただ自分たちが学校という名前をつけただけであって、何ら我が国の認可を受けた学校でも何でもない』『ここに働く括弧付き教師についても単なる北朝鮮のもっとも優れた工作員である。教師とは縁もゆかりもない学校の名に値しない。教師の名に値しない』『戦後この朝鮮人は治安が整っていない時期に、なめたことに、旧日本軍の、陸海軍の飛行服を身につけ、土地の不法侵奪、金品略奪、強姦、銀行襲撃、殺戮、警察襲撃など、暴れまくったんです』『朝鮮人として、その自分の土地として勝手に登記し、現在に至っている』『朝鮮人を保健所で処分しろ』『犬のほうが賢い』等の発言を繰り返」す、「『はーい、京都府民の皆さん、我々はこれまで50年間、朝鮮人に不当に奪い取られたX公園をやっと日本の子どもたちに取り返すことができたのです』『朝鮮学校は、学校ではありません』『みなさん、日本の文部省の認可を受けていない、ただの任意団体、この任意団体に、なぜ我々が税金を払って、教科書無償、をする必要があるか』『ゴキブリ、ウジ虫、朝鮮半島へ帰れー』『くやしいくやしい朝鮮人は、金正日のもとに、帰れー』『京都をキムチの匂いに、まみれさせてはいけない』『ゴキブリ朝鮮人、とっとと失せろー』『日本に差別され、くやしいくやしい朝鮮人は、一人残らず、朝鮮半島へ帰れー』『朝鮮学校は、自分たちの悪行を棚に上げ、ひたすら差別だ、涙の被害者面で事実をねじ曲げようと(した。こうしたやり方は)不逞朝鮮人の伝統芸能である』『日本の子どもたちの笑い声を奪った、卑劣、凶悪な朝鮮学校……。子どもを盾に犯罪行為を正当化する不逞鮮人を許さないぞ』等の発言を繰り返」すといったものである。
②本件に対する京都地裁の判断
裁判所は、人種差別的言動について、「わが国の裁判所は、人種差別撤廃条約上、法律を同条約の定めに適合するように解釈する責務を負うものというべきである」としながら、「もっとも、例えば、一定の集団に属する者の全体に対する人種差別発言が行われた場合に、個人に具体的な損害が生じていないにもかかわらず、人種差別行為がされたというだけで、裁判所が、当該行為を民法709条の不法行為に該当するものと解釈し、行為者に対し、一定の集団に属する者への賠償金の支払を命じるようなことは、不法行為に関する民法の解釈を逸脱しているといわざるを得ず、新たな立法なしに行うことはできないものと解される。条約は憲法に優位するものではないところ、上記のような裁判を行うことことは、憲法が定める三権分立原則に照らしても許されないものといわざるを得ない」「したがって、わが国の裁判所は、人種差別撤廃条約2条1項及び6条の規定を根拠として、法律を同条約の定めに適合するように解釈する責務を負うが、これを損害賠償という観点からみた場合、わが国の裁判所は、単に人種差別行為がされたというだけでなく、これにより具体的な損害が発生している場合に初めて、民法709条に基づき、加害者に対し、被害者への損害賠償を命ずることができるというにとどまる。しかし、人種差別となる行為が無形損害(無形損害も具体的な損害である)を発生させており、法709条に基づき、行為者に対し、被害者への損害賠償を命ずることができる場合には、わが国の裁判所は、人種差別撤廃条約上の責務に基づき、同条約の定めに適合するよう無形損害に対する賠償額の認定を行うべきものと解される。やや敷衍して説明すると、無形損害に対する賠償額は、行為の違法性の程度や被害の深刻さを考慮して、裁判所がその裁量によって定めるべきものであるが、人種差別行為による無形損害が発生した場合、人種差別撤廃条約2条1項及び6条により、加害者に対し支払を命ずる賠償額は、人種差別行為に対する効果的な保護及び救済措置となるような額を定めなければならないと解されるものである」との判断を示した。
裁判所は、被告らの示威活動および示威活動についての映像公開について、学校に対する名誉毀損および業務妨害と認定し、さらに、これらの行為は、在日朝鮮人に対する差別意識を世間に訴える意図のもと、在日朝鮮人に対する差別的発言を織り交ぜてされたものであり、在日朝鮮人という民族的出身に基づく排除であって、在日朝鮮人の平等の立場での人権および基本的自由の享有を妨げる目的を有するものとして、人種差別撤廃条約上の人種差別に該当すると認定した。
そして、裁判所は、無形損害についての評価において、「刑事事件の量刑の場面では、犯罪の動機が人種差別にあったことは量刑を加重させる要因となるのであって、人種差別撤廃条約が法の解釈適用に直接的に影響されることは当然のこととして承認されている。同様に、名誉毀損等の不法行為が同時に人種差別にも該当する場合、あるいは不法行為が人種差別を動機としている場合にも、人種差別撤廃条約が民事法の解釈適用に直接的に影響し、無形損害の認定を加重させる要因となることを否定することはできない」「原告に対する業務妨害や名誉毀損が人種差別として行われた本件の場合、わが国の裁判所に対し、人種差別撤廃条約2条1項及び6条から、同条約の定めに適合する法の解釈適用が義務付けられる結果、裁判所が行う無形損害の金銭評価についても高額なものとならざるを得ない」と、人種差別的言動に基づいて生じた無形損害についての金銭的評価について、通常の名誉毀損・業務妨害よりも損害額が加重して判断されると示した。
裁判所は、上記判断のもと、被告らに対する損害賠償請求を一部認容し、差止請求にいても一部の被告に対するものについて認容した。
③本件地裁判決の評価
裁判所は、人種差別的言動が行われただけでは、不法行為は成立せず、具体的な損害発生が必要であると判断している。この場合、具体的な損害発生をどのように認めるかで、原告適格をどのように認めるかの実質的な絞り込みが行われると考えられる。本件では、学校の周辺において複数回わたり、執拗に、学校名について言及しながら名誉毀損行為・業務妨害行為が行われた事案であった。
本件判決では、裁判所は、名誉毀損の成立について、「本件学校を経営する原告が、1960(昭和35)年(本件学校が本件公園北側に移転した時期)から2009(平成21)年まで50年もの長きにわたり、本件公園を不法占拠したこと、原告が本件学校の敷地も暴力で奪い取ったこと、本件学校が北朝鮮のスパイを養成していること、本件学校の児童の保護者は密入国者であることを、不特定多数人に告げるという行為あり、原告の学校法人としての社会的評価たる名誉・名声(以下、単に「名誉」と言う)を著しく損なう不法行為である」として、対象事実を原告についての社会的評価を低下させる事実に限定し、示威活動に伴う差別的言動については、別途の検討のうえ、人種差別に該当するとし、名誉毀損および業務妨害によって発生した無形損害の評価での加重事由として用いてる。
では、本件とは異なり、ある者や集団が特定のエリアを周回する形での示威活動を行い、学校名といった具体的な言及がなく、人種差別的言動が繰り返される場合に、その言動の対象とされる集団に属する者が、損害賠償請求を行うことができるのかを考えることが、本判決により保護の対象となる者、そうでない者の限界が見えてくると考えている。
この場合、本件判決の判断は、原告名に対する言及があることを前提として、原告に関連する個別的な社会的評価を低下させる事実を認定し、名誉毀損と評価している。人種差別的評価に値する言動は、名誉毀損による無形損害の発生の加重事由として判断されており、人種差別的言動のみからの無形損害発生を認めているわけではない。
となると、特定のエリアで個別名称に言及することなく、人種差別的言動が繰り返された場合では、不法行為上の名誉毀損といった評価が発言内容からできないときは、不法行為としての評価がされない可能性が多分に認められる。となると、特定エリアに居住ないし事業を行う者に対して人種差別的言動が繰り返されるような場合において、何ら抗う手立てがないのかが問題となってくる。この場合は、人種差別的言動が行われる態様をとらえて、平穏に生活する利益を害するとして主張を構成していくことは一つ考えられよう。音の大きさが日常生活において受忍すべき外音と比べてどうか、人を畏怖させるような活動であったか等をとらえて、人種差別的言動についての違法性を評価し、不法行為として構成していくのだ。
この場合においては、人種差別的言動による継続的な被害が評価となってくるため、単に特定の集団に属しているといっただけで、一時的な被害しか発生していない場合は、当該人種差別的言動の違法性は認められず、具体的な損害の発生も認めれない可能性は否定できない。
2 大量懲戒請求事件(発信者情報開示請求事件)(大阪地方裁判所2019年4月19日判決:大阪高等裁判所2019年10月25日判決)
①事案の概要
2017年5月に、氏名不詳者が、ブログにおいて、朝鮮学校に対する補助金の支給停止に反対する日弁連および各弁護士会の会長声明に賛同した弁護士に対して、懲戒請求を行うことを呼びかける内容の記事(以下、「本件投稿」と言う)を投稿したことで、2018年5月までに約3,000件に及ぶ懲戒請求がなされた件で、懲戒請求を受けた弁護士が、懲戒請求の発端となったブログ記事を書いた氏名不詳者に対して損害賠償請求等をするために、ブログ投稿者の発信者情報をブログが所蔵されているサーバのホスティングサービス提供会社に対して、発信者情報請求訴訟を大阪地方裁判所に提起した。同裁判については、2019年4月19日に請求棄却判決(以下、「本件地裁判決」と言う)(2018年(ワ)第4833号)が出され、その後控訴によって、2019年10月25日に大阪高等裁判所にて原判決が取り消され、最終的には発信者情報の開示を命ずる判決(以下、「本件高裁判決」と言う)(2019年(ネ)第1282号)が出された。
②本件に対する大阪地裁の判断
本件地裁判決では、権利侵害明白性要件について、(1)懲戒請求の呼び掛けを内容とする投稿をもって、「侵害情報の流通によって当該開示の請求をする者の権利が侵害されたことが明らかであるとき」に当たるか(争点1)、(2)本件投稿が原告に対する違法な名誉毀損に当たるか(争点2)が、争点として設定された。
【争点1】判決では、プロバイダ責任制限法4条1項1号「情報の流通によって」の解釈について、プロバイダ責任制限法の立法趣旨、「特定電気通信を通じた情報流通が拡大したことに伴い、他人の権利を侵害するような情報の流通に対処すべき必要が生じたこと、特定電気通信による情報発信は、他の情報流通手段と比較しても発信に係る制約が少ないために情報の発信が容易であり、しかも、いったん被害が生じた場合には、情報の拡散に比例して被害が際限なく拡大していくという特質を有すること、及び特定電気通信による情報の流通によって被害を受けた者がかかる権利侵害に適切に対処して救済をするためには、特定電気通信役務提供者から発信者情報の開示を受ける必要性が高い一方で、発信者情報は、発信者のプライバシー及び匿名表現の自由、通信の秘密等憲法上の権利を根拠として保護されるべき情報であって、その性質上いったん開示されてしまうとその原状回復が困難であることに鑑み、発信者と情報流通によって被害を受けた者の利害を調整する観点」および同文言から、「特定電気通信による情報の流通に起因する権利侵害に関しても無限定な発信者情報の開示を許容するのではなく、『情報の流通によって』、すなわち、情報の流通自体によって個々人の権利利益の侵害が生じた場合に限って、開示請求権を認めた趣旨であると解するのが相当」とした。そして、弁護士が懲戒請求を受けたことによって弁護士に生じた権利侵害は、直接的には懲戒請求によって生じたものであるから、「侵害情報の流通」によって、当該弁護士の権利が侵害されたことが明らかであると言えないとした。
判決は、本件投稿が懲戒請求者を扇動し、不法行為と評価し得る懲戒請求が行われたとしても、直接的には、懲戒請求者の行為によって弁護士に名誉・信用等の権利利益侵害が生じたものであるから、本件投稿自体によって、権利利益侵害が起こされたものではないとし、本件投稿のような扇動表現について、発信者情報請求ができる対象の記事の埒外においた。
そして、権利侵害明白性要件の判断のために考慮される事情の範囲について、「問題とされた権利侵害それ自体から他人の権利を侵害するものであることが明らかといえる場合をいうものと解するのが相当である。したがって、当該投稿後に現実に生じた損害の有無や発信者の主観的意図、実社会における投稿前後のやり取りなどを踏まえて初めて、対象者の被った精神的苦痛が社会通念上受忍すべき限度を超えるか否かが判断されるような場合は、侵害が明らかであるとはいえないもの」として、本件投稿以外に様々な事情を考慮しなければ、本件投稿そのものの違法性が判断できないため、権利侵害が明白であるとは言えないとした。
【争点2】判決では、本件投稿は、弁護士の行為について懲戒処分が相当であるという意見論評を述べたものであるが、朝鮮学校に対する補助金の支給に向けた活動をすること一般が、憲法および何らかの法令に反するものではなく、弁護士としての品位を損なう行為でもないことは明らかであって、同活動に関する日弁連および各弁護士会の会長声明およびこれに賛同する行為についても、表現行為の一環として、同様に法令や弁護士倫理に反するものでないことは明らかであるため、一般読者の普通の読み方を基準とした場合、懲戒請求を受けた弁護士の社会的評価を低下させるものではないと判断し、本件投稿が名誉毀損にあたらないと判断した。
③本件地裁判決の評価
「情報の流通によって」という文言の解釈を、その情報自体によって権利侵害が引き起こされなければいけないとし、権利侵害と情報発信の直接的な因果関係を求めるのは、他者を扇動することによって権利侵害を起こそうとする表現に対しての法的責任を問う道を閉ざすことになる。インターネット上では、思想、帰属意識、価値観などを共通とする集団に特に通じるような情報の発信を行い、扇動していく情報発信は見受けられ、特異なものではない。時に、このような情報発信は、一定の集団には有意な情報として受け入れられるが、その他の集団からはまともに受け入れられないことから、「犬笛(Dog Whistle)」と呼ばれる。犬笛については、諸外国の政治においてもその問題が指摘されている。
インターネットの出現は、差別意識を持ち、人権への理解がない者が社会には現存するということを目に見える形で見せつけた。そういった者たちの不安を煽り、誘導していく情報発信は、直接的な行為と同等、もしくは、多くの人間を巻き込み、被害を拡大していくという意味ではより悪質なものであり、これに対して、司法がどう対応していくかは喫緊の課題である。
争点2についての裁判所の判断は、特異的な集団には犬笛は聞こえるが、その他の一般の集団に本件投稿がまともに受け入れられることはないため、本件投稿によって対象となった弁護士の社会的評価は下がらないとする。しかし、社会において、特異的な集団とその他の一般の集団といった明確な分断(情報の分断も含めた)は存在しない。集団間は、浸透性があり、それは人が持つ差別意識や弱さをキーとして入れ替わりが行われる。そういった社会において、扇動表現が一定の集団には有意だが、その他集団には有意でないと切って捨てることは、情報のファイヤーウォールが存在しない状態においては、扇動表現を放置し、社会にある種の危険を内包させ続けるにすぎない。裁判上明らかになった事実としては、本件投稿は、約3,000件の懲戒請求を引き起こしたのであり、その3,000人を一般ではなないと切って捨てる理屈は本件地裁判決では示されていない。
④本件に対する高裁の判断
【争点1について】裁判所は、権利侵害明白性の判断のために考慮される事情の範囲について、発信者情報開示制度が、「情報の流通によって被害を受けた者の被害者救済と情報を発信した者の保護との間の権利調整という事後的、総合的判断を求められる制度」であることから、プロバイダ責任制限法4条1項1号の「侵害情報の流通によって」とは、「権利の侵害が情報の流通自体により生じたものであることを意味するにすぎず、情報自体が開示請求者の権利を侵害することが明らかな内容であるものに限定されるものではなく、権利の侵害が明らかであるか否かは、裁判所が当該情報自体のほか、それ以外の当事者の主張した事実をも踏まえつつ、証拠及び経験則から認定した事実に基づき、違法性阻却事由の不存在などを含めて、総合判断した結果、その情報の流通自体によって開示請求者の権利が侵害されたことが明らかであると認められる場合も含まれる」とした。
本件地裁判決とは異なり、情報の内容に限定されず、情報に起因して発生した事情を含めて、権利侵害明白性要件が判断されることが示された。
本件高裁判決では、呼び掛け行為そのものが不法行為にあたる場合は、呼び掛け行為自体によって権利侵害が生じていると評価することができるとし、「情報の流通によって」権利の侵害が生じているものとした。
そして、懲戒請求の呼び掛け行為が不法行為法上の違法な権利侵害行為にあたるかは、「当該呼び掛け行為の趣旨、態様、対象者の社会的立場及び対象者が被った負担の程度等を総合考慮し、対象者の被った精神的苦痛が社会通念上受忍すべき程度を超えるといえる場合には、そのような呼び掛け行為は不法行為法上違法の評価を受けると解する」とする。
裁判所は、①本件投稿の趣旨は、「自己の考えと反対の立場や表現行為それ自体を封じ込める意図が窺われ、」②本件投稿の態様は、「懲戒請求を強く誘因する性質」、であり、③懲戒請求を受けた弁護士の活動は法令や弁護士倫理に反するものでないことは明らかであり、④当該弁護士が受けた負担は、多大な精神的苦痛であり、⑤本件投稿者の活動履歴や実際に呼び掛けに応じて多数の懲戒請求がされたことから本件投稿の社会的影響が少なからずあったという認定のもと、「本件投稿の発信自体が、本件投稿に挙げられた本件ひな形どおりの多数の懲戒請求がされたことの不可欠かつ重要な原因になった」とし、本件投稿の発信自体によって弁護士の被った精神的苦痛は社会通念上受忍すべき限度を超えたものであると評価でき、本件投稿の発信自体によって懲戒請求を受けた弁護士の権利が侵害されたことが明らかであると判断した。
【争点2について】本件高裁判決は、本件投稿そのものについて、「本件会長声明が『違法』、これに賛同し、その活動を推進する行為が『確信的犯罪行為』、上記行為が『懲戒事由』であるという否定的な表現を強く用いている」ことから、「本件投稿によって摘示された事実及びこれを前提とする意見の表明によって、一般人においては、控訴人が違法行為ないし犯罪行為に加担したり、懲戒処分に値する非違行為を行ったりしたという否定的な印象を抱くものというべきである」とした。
⑤本件高裁判決の評価
本件高裁判決は、扇動表現について、扇動後の事情も加味した権利侵害明白性判断を行うとし、一定の影響力を持った者が正当な根拠のなく対象者を攻撃するために強く誘因する場合は、当該扇動表現について違法性が認められるとした点で、本件地裁判決と異なる判断を行った点は評価できる。
扇動表現が有する誘因力の強さや扇動表現が扇動後の事情にとって「不可欠かつ重要な原因」と言えるかは、扇動後の波及効果の予測可能性を、扇動表現がどの程度有しているか、その波及効果の最初の一波として必要不可欠の役割を果たしているかの問題であり、本件投稿のように懲戒請求の書式を用意し、その後の懲戒請求の行為の一部を構成しているような場合は、その判断は比較的容易であるが、扇動後の波及効果に必要な情報を単に提供する場合、単に扇動する場合に、どのような判断がなされるかは注意が必要である。
4………今後求められる立法
1 発信者情報開示手続きについて
発信者情報開示手続きについては、改正法により迅速化や手続き的な利便性が向上するものと考えられるが、発信者の特定に必要な通信ログについてのプロバイダにおける統一的な規定が存在せず、通信ログの保存、発信者情報開示についての手続き外での容易性は改正法によっても担保されておらず、改正法に基づき発信者情報開示命令申し立てを行うために実質的に負担が求められる弁護士費用はどうなるのかという経済的負担の問題、権利侵害情報が発出される際に、海外のサービスが利用されることもあるといった問題は依然として残っている。
そして、通信ログの保存期間を定める法令が存在しない現状において、プロバイダごとに異なる保存期間に配慮しながら、被害者が弁護士を見つけ、保存期間内(大手携帯キャリアは、3ヵ月であることが多い)に、手続きに取りかからなければならないことは、被害者にとって相当な負担であろう。
ログイン時IPアドレスについても、侵害関連通信に関わる発信者情報に対して特定発信者情報といった概念を設け、権利侵害情報の発信の直前に使用されたIPアドレスであることが求められることから、契約者情報の開示に利用できるログイン時IPアドレスの範囲は限定的なものとなる。
以上のような問題点は依然として残ったままであり、改正法の成立によって議論が留まることなく、施行までの間も必要があれば、さらに法改正を行い、被害者救済に資する対応が立法府に求められていると考える。
2 差別的言動についての原告適格について
人種差別的言動についての違法性評価を、名誉毀損や業務妨害の違法性評価を前提とせずに、それ単独で違法性評価を行い、不法行為と認めることは、裁判所が「一定の集団に属する者の全体に対する人種差別発言が行われた場合に、個人に具体的な損害が生じていないにもかかわらず、人種差別行為がされたというだけで、裁判所が、当該行為を民法709条の不法行為に該当するものと解釈し、行為者に対し、一定の集団に属する者への賠償金の支払を命じるようなことは、不法行為に関する民法の解釈を逸脱しているといわざるを得ず、新たな立法なしに行うことはできないものと解される」と判断していることから、新たに立法を行うことが必要とされる。
この場合、一定のエリアに居住し、または、事業を行う者にとっては、差別言動が生活の平穏を害する程度になるまで耐えることを求めることは、その言動による法益侵害を軽視するものであり、立法的措置により、一定のエリアにおいて差別言動が繰り返し行われるような場合には、その居住者および事業者は、かかる言動に対する損害賠償請求や、差止めが行えるようにすることは必要だと考える。
3 扇動表現について
一つの問題として、住所や通っている学校名など、対象者の情報をインターネット上に公開し、発信者が、対象者に対して何らかの嫌がらせ行為が起こることを企図している場合について考えてみると、このような場合は、そういった情報が対象者個人のプライバシー情報にあたる可能性が高く、プライバシー侵害で権利侵害を構成することはできる。それにより、発信者情報開示請求訴訟を行うことは可能であるが、本件投稿のように、呼び掛け行為そのものと同様の違法性が評価されるかは、その後の損害賠償請求訴訟で問題になってこよう。
上記行為が、単なるプライバシー権侵害としてではなく、別途権利侵害行為を誘発している側面がある点についても、法的には評価される必要がある。その場合、その情報についてどの程度の誘因力を認めるか、扇動後の事情にとって「不可欠かつ重要な原因」と言えるかが問題となってくる。この点について考察してみると、歴史的に見て、その情報が対象者への権利侵害行為を予防するために、一般に公開されていない情報であって、社会的に対象者に対して権利侵害行為が認められていた場合は、権利侵害行為を容易にするためにプライバシー情報が公開されていたと評価し得るのであり、強い誘因力が認められる。そして、プライバシー情報がなければ、新たな権利侵害行為が認められなかったと言える場合は、当該プライバシー情報は扇動後の事情にとって「不可欠かつ重要な原因」と評価し得ると考える。
今後、扇動表現により権利侵害行為が誘発された場合の、当該扇動表現の法的位置づけについては、扇動表現が内包する情報による波及効果への考察や、その情報の従前の取り扱いへの考察が不可欠であり、こういった点についての事情の収集、分析を行い、法的請求を行う必要があろう。
本来であれば、扇動表現についての立法による手当てができればよいが、これは、表現の自由との関係からかなり深刻なハレーションが起こる可能性も否定できないため、慎重に議論を行い、立法事実に即したきめ細やかな立法をする必要がある。